ミニレポ第259回 国道229号余別トンネル旧道 前編

所在地 北海道積丹町
探索日 2018.04.23
公開日 2021.10.30

15分で探索完了! だけど異常に密度が濃い旧道


《周辺図(マピオン)》

先日、念仏トンネルのレポートをしたが、その机上調査編で名前が登場したワリシリ岬にある旧道を今回は紹介する。
かつて神威岬灯台の関係者が、4km離れた余別の街へ生活物資の購入などのために通った海岸線には、二つの難所があった。
一つはワクシリ岬で、ここには念仏トンネルと呼ばれる隧道が大正7(1918)年に建設された。
もう一つは、名前がよく似たワリシリ岬で、余別の街のはずれにあった。

右図はワリシリ岬付近を描いた最新の地理院地図である。
現在、国道229号が「余別トンネル」でスルーしているが、その手前にいかにも旧道らしい行き止まりの道が描かれているのに気付くだろう。
もちろんこんなの通りがかりに探索するよね!!

しかしここは見ての通り、小さな岬である。
そのため、ほんの15分ほどで探索出来るが、とんでもなく濃いので、オブローダーなら笑いがこみ上げてくること請け合いのスポットである。

それでは図中の「スタート」地点から、さっくり探索を進めていこう!

……あなたは15分後、きっと微笑んでいる。



2018/4/23 15:37 《現在地》

ここは積丹町余別の余別川に架かる余別橋の上だ。
現在の余別橋は昭和36(1961)年に建設されたもので、だいぶ長く使われているが、そのすぐ上流には未だに旧橋の木造橋脚を支えていたケーソンが2基、綺麗に原型を止めている。木造橋脚の根元部分もそのまま刺さっているようだ。また、両岸の橋台も原形を留めている。

積丹半島の最高峰である余別岳を源流に持ち、この河口に至るまで一つの集落も持たない川は、このうえなく清澄で水量豊富。
余別という地名も、アイヌ語の「イヨペツ(鮭が上る川)」に由来しているというが、それほど豊かな川である。
そして、かつて灯台守やその家族が飲用水を樽に汲み、4km離れた灯台まで舟や人の背で持ち帰ったのも、この河原だった。




橋を渡ると直ちに余別の街並みがある。
集落は余別川の河口左岸部の小さな沖積地にやや南北に細長く伸びており、海岸沿いを東西に駆け抜ける国道との接面は広くない。
だがここは明治期から昭和31年までの長い間、積丹郡余別村の役場所在地があったところなので、小さいながらもさまざまな種類の商店が軒を並べていて、小都会という言葉を連想させた。
なお、江戸時代にはレホナイという地名で呼ばれていたが、これも「レプオナイ(三叉の川)」から来ているらしく、昔から余別川と関わりの深いところだったようだ。




15:41 《現在地》

自転車に乗った私は、あっという間に集落を横断し、その西の外れに差し掛かる。
するとさっそくトンネルのお出ましだ。
その名も、余別トンネル
ぱっと見の印象通りのまだ新しいトンネルだ。
銘板によれば平成24(2012)年の竣功で、全長は360mある。

そしてこの写真の右の道は旧道である。
位置的にはいかにも旧道と分かるが、分岐部分には少し手が加えられている。




これは旧道に入った直後の状況だ。
余裕で2車線の幅があるのに中央線はなく、歩道があるのに草刈りはされていない。
雰囲気が臨港道路のそれであるが、全くその通りで、この旧道は余別漁港への唯一のアクセスルートになっている。
だから維持されているのだろう。

長い直線道路の奥には……

パ、パトカー?!

?! ?  ま、まだ何もしてないよ。  してないよね?
なんか一般車と並んで停まって……、まさかこれから“ゼロヨン”で勝負って訳じゃないよな?



15:42 《現在地》

私はまだ何もしていないはずなので、堂々とパトカーの近くへ接近。
というか、旧道の先を知る為には、近づかざるを得ないじゃないか。
で、近づいてみると、人の気配はなかったが、それよりも嫌な予感が的中して、旧道は封鎖されていた。
地形図だと、この旧道はもう少し先まで延びているのだが、実際は100m以上手前で塞がれていたのである。

だが、幸いにして(露骨なワルサをしなくても)、まだ先へ行く術は残されていた。




つい数年前まで大型観光バスを含む沢山の車が行き交っていた立派な2車線道路が、入口だけでなく側面に至るまで鉄編みのフェンスで封印されたその脇に、漁港の道路である狭い1車線道路が生き延びていた。
これを利用することで、旧道の先へ行くことができる。

この時点で、旧道の行く手に待ち受ける“旧トンネル”が、既に見え始めていた。
北海道で最近廃止された旧トンネルのご多分に漏れず、もう封鎖されているのが見えた。

……まあ、慣れっこだよ、もうね。



15:42 《現在地》

旧道の廃道敷を囲むフェンスに沿う道は、すぐに2車線の漁港道路に取り込まれた。
ここに2車線の旧道と2車線の漁港道路が、フェンスと僅かな高低差を介し平行する、そんな不思議な状況が生まれる。
だが、この不思議な並走はすぐに終わる。
旧道が塞がれたトンネルに突き当たって終わるからだ。




そしてこの塞がれた坑口の前で、初めてフェンスに隙間が生まれた。
特に立入禁止と書かれていないのを良いことに、廃道敷に乗り込んだ。
まあはっきり言って、立ち入る以上の高度なワルサを仕込める余地はない。
フェンスの中にあるのは、単なる舗装道路に過ぎない。
廃道には見えないくらい、まだ綺麗な姿であった。



で、目の前にあるこれが、旧余別トンネルの東口だ。

平成24(2012)年3月1日に現在のトンネルが開通するまで使われていたはずで、廃止からまだ(探索時点で)6年しか経過していなかった。
しかし、坑門は元の姿からは大きく変貌を遂げていた。
塞がれていることを除いても、まず上部に掲げられていた扁額が取り払われている。
さらに、坑門の壁全体を飾っていた模擬石のタイルがわざわざ剥がされていて、鱗模様のある地肌が露出していた。

塞ぐだけでなく、わざわざタイルを剥がしたのはなぜなのか。
いずれ風化が進むと、自然にタイルが剥がれて散らばることになるのだが、それが見た目的によろしくないということか。漁港施設から見えるところにあるので、こういう点で美観に配慮したのかも知れない。
ただ、これはこれで、ちょっと痛々しい。


『北海道の道路トンネル 第1集』より

話ばかりでは伝わりにくいだろう。
左の画像は、昭和63(1988)年に発行された『北海道の道路トンネル 第1集』に掲載された、現役当時のこの坑門だ。

同書によれば、旧余別トンネルは昭和48(1973)年の完成で、全長158m、全幅7.5m、高さ4.5mというスペックだったらしい。

結果的に、完成から39年目で廃止されており、やや短命であったように感じる。
何か重大な問題があったのだろうか。
これについては、机上調査で解き明かしたい。

 ん?




あれは!



旧旧トンネルいたー!!

こいつは、旧トンネルと比べてみても、一気に古そうな印象だぞ。

しかも、丸っこくてカワイイ。



こいつはだいぶ断面が小さいぞ。

坑門から見て取れる断面の大きさは、目測で、幅4m、高さ3.5mといったところ。大型車輌がギリギリ通れるくらい。
これは一昔前のトンネルとしてありがちなサイズだが、現在の国道229号の栄えっぷりとは比較にならない小断面といえる。

でも、それは当然なんだよな。
なにせ、この積丹半島を廻る道が国道に昇格したのは案外最近の昭和57(1982)年である。
さっき見た旧トンネルが誕生した時点では、まだ国道ではなかった。

目の前にあるものは、国道昇格以前の旧旧トンネルに違いない。
そして、旧トンネル同様に塞がれていた。
ただ、塞いでいる材料はベニヤ板だった。塞いだのはそんなに昔じゃない気もする。
今は入りようがないが…、いずれこの壁は風で倒れるかも……。

チェンジ後の画像は、坑口前から振り返った旧々道敷である。
敷地としては残っているが、資材置き場っぽい草地になっていて、道路の形は既にない。
こちら側からだと旧トンネルの坑門に附属した長い覆道部分がよく見えた。



旧旧トンネルの直上には、黒く威圧感のある溶岩塔がそそり立っていた。
しかも、なんとも言えない“いい位置”に、巨大な蜂の巣がぶら下がっていた。
幸い、この巣は放棄されて久しいようだが。

ところで、旧トンネルは昭和48年の竣工であることがはっきりしている。
対して、この旧旧トンネルはいつのものだろうか?
私がいつも使っている定番文献『道路トンネル大鑑』に、その答えが載っている。
しかし、私はそこに書かれている答えに重大な疑義を持っている。だから敢えて今は伏せておきたい。
旧旧トンネルの竣工年にについての考察は、探索の後にする。


ワリシリ岬には、右図のように3世代の余別トンネルが、かなり近接して存在している。
しかも、土木技術と道路整備の進歩をシンプルに物語る、とても綺麗な並び方をしている。

新、旧、旧旧、このような3世代トンネルが存在する場所は各地にあるが、これほど綺麗に模式的な並び方をしている場所は、そうあるものではない。

そしてまだ紹介していないが、これらのトンネルを同時に眺められる場所が存在する。
このことも、トンネル群の価値を増している。
その“素晴らしい光景”を見てもらうのが私は今から楽しみだが、その前にもう一つ紹介しておきたいものがある。

それはなにか。



15:46 《現在地》

ちょっとだけ移動し、ここは旧旧トンネルに通じる旧旧道敷のすぐ下を走る漁港道路上だ。
2車線の漁港道路は、ここでシケインのように屈曲してから、ワリシリ岬に近いところにある漁港の末端に伸びている。
奥に見える垂直の崖の裏側の辺りに、ワリシリ岬の先端があるはずだ。

この漁港道路、特に立入禁止とは書かれていなかったはずだが、ここまで来ると、なぜか道路中央にドラム缶が置かれたりして、ちょっとばかり世紀末チックだった。「マッハライダー」を思い出した。

でも、そんなことよりも……。




あの穴はまさか!




旧旧旧トンネル?!

驚くなかれ。
こいつがマジで旧旧旧トンネルっぽい。



なにせこいつは、こいつだけは、

ちゃんと貫通していることが確認できた!

明らかに、通り抜けを目的とした穴なのである。



こいつだけは、

向きが他の3本と違っていて、

ワリシリ岬がある稜線を貫くことが出来ていないが……。


ところで、上の地図に「望遠地」というポイントも図示しているが、
ここに立って余別漁港の方向を眺めると、凄い景色を見ることが出来る。
私はもここへ来る途中に、車上から自然とそれを目にしていて、

ここに現、旧、旧旧、旧旧旧トンネルの4本があることを、

強烈な驚きと共に

本編の探索開始時点で既に予期していたのだ。(隠していてゴメンネ)



……それは、こういう景色である。↓↓↓





余別の海岸から見る、余別漁港とワリシリ岬の遠景。

これをよく目をこらして見ると……↓↓↓



↑このスクロールバーを動かして、右にスクロールしてみよう!!



4世代のトンネルを一望にすることができる!

これは実に驚くべき貴重な眺めである!

3世代のトンネルがごく近くに隣接していても、それを一望に出来るかと言われると、
高度差や遮蔽物の存在などで難しい場合がほとんどだ。3世代でもそうなのに、
4世代となるといよいよレアが極まってくる。
そもそも、4世代のトンネルがある場所自体が少ないのに。
有名な宇津ノ谷峠とか……、結構限られてくるはずだぞ。

4世代のトンネルを一望にできる場所は、全国にどのくらいあるだろうか?
自分が見た物を全て暗記しているわけじゃないから断定は出来ないが、
私は北海道以外の例を知らないんじゃないかな…。(そして北海道には他にもあるから恐ろしい…)





ね?

微笑みが漏れたでしょ?笑

次回の後編では、旧旧旧道を使って岬を攻略するぞ!




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