15:47 《現在地》
この探索の開始からまだ10分しか経過していないが、全く驚くべき勢いで、旧トンネルの群が押し寄せてきた!
わずか10分足らずで、出るわ出るわの3旧道。
旧道、旧旧道、旧旧旧道の余別トンネルが、先細っていくワリシリ岬の土手っ腹に次々と現れた。
だが、旧、旧旧については綺麗に塞がれていて、最後に現れた旧旧旧隧道とみられる素掘りの隧道だけが、開口したまま放置されているようである。
さっそくこの隧道を潜り、そのまま旧旧旧道を踏破してみたい。
塞がれていた旧道たちに代わって私をここまで連れてきてくれた余別漁港の漁港道路の仕事は、ここで終わりとなる。
終点部分は、2車線舗装道路が唐突に海に消えるという、未成道でもないのだろうが、なかなか刺激的なシーンとなっていた。
まあ、ガードレールがあるだけ温情的かもしれない。
この先へ進むには、旧旧旧道に頼るか、磯を歩いて行くかどちらかだが、私は旧旧旧道に頼ろうと思う。
ここからワリシリ岬の先端まで100mも離れてい。また、岬の先端近くには余別漁港を守る大規模な突堤が海へ延びている。
写真奥に見えるコンクリートの堤防が、その付け根の部分である。
← 入口
出口 →
ごくごく小さな岸壁の突角を貫いた隧道である。
全長10m程度だろうか。
旧旧より新しい世代の隧道は、ワリシリ岬がある尾根を貫通して反対へ抜けているようだが、この世代だけはそれが出来ず、突角を抜くに留まっていた。
舗装された漁港の敷地を外れて崖際へ。
そこに旧旧旧隧道の入口がある。
坑口は完全な素掘りで、内部も同様のようである。
そして、ちゃんと貫通している!
短いが内部は著しくカーブしていて、入口と出口の向きは45度以上違っているのが、なんとも豪快だ。
また、坑口は現在ある“地面”よりも高い所に口を開けている。
橋台のような構造物がないので、もともとは築堤の道路と繋がっていたのかも知れない。
1m近い段差をよじ登り、洞内へ。
内部はご覧の通り、天然の溶岩洞窟と思うような姿をしている。
或いは、全く逆方向の感想になるが、柱と天井からなる人工の建造物のようでもある。
とにかく、一般的なトンネルの外観的印象ではない。
地質的なことを想像するに、このトンネルが穿たれている場所は、板状に積み重なったような節理構造を持っているのだと思う。
この節理に沿って断面が形成されたために、柱と天井からなる四角形の断面になったのだろう。
旧旧旧隧道内部で撮影した全天球画像。
海側の掘り残された部分が太い柱のように見えるが、実際そこを取り囲むように急カーブしたトンネルとなっている。
真っ直ぐ掘るよりも、このようにカーブして掘った方が、この場所では全長を短く出来るし、柱の部分を残すことで強度も稼げるという考えだろうか。
昔はほとんどのトンネルが直線で掘られていたから、こんなにカーブしているものは珍しい(ミスで曲がったモノは別として)。非常に短いトンネルなので測量的にはさほど難しくなかったかもしれないが、固い岩盤を穿っていて、高度な技術力が感じられた。
また、全天球画像には“私”という比較対象物が写っているので、サイズも感じて欲しい。
とりあえず竣工年不詳ではあるが、間違いなく古いだろうに、思いのほか断面が大きい。
このサイズなら自動車も通行できたと思う。特に高さは余裕があり、【旧旧トンネル】にも負けていないと思う。
出口も入口と同様に地上ではない高さにぽっかりと口を開けており、外へ出る1歩目は、飛び降りとなる。
かつてここから岬を回る旧旧旧道が延びていたはずだが、おそらく高波によって破壊されたのだ。
そんな積丹半島の厳しい崖地を眼前に置きつつ、背後には現代の突堤を見る。
現代の漁港施設と、3世代もの棄てられた道路たちが、ワリシリ岬という一つの舞台で斑模様に割拠する、なんともカオスな眺めが展開している。
振り返る旧旧旧隧道の出口。
こちら側からだと簡単には入り難いほどの段差になっている。
隧道を避けて岩場を迂回することも出来るが、それはここが港の内部になって高波が押し寄せることがない状況で固定されたからであろう。
突堤が整備される以前は、悪天候時に岩場を迂回することは難しかったと思う。
このことから、ワリシリ岬には旧旧旧道より古い世代の車道は存在しないように思う。
旧旧旧道がいつ整備されたかという具体的な考究は、帰宅後の宿題としたい。
なお、自転車は港の隅に置き去りにしてきた(写真に写っている)。この探索が終わり次第、回収しないといけない。
隧道を出て、もう遠くない岬の先端へ向けて移動中。
ここは険しい崖下の道であり、巨大な落石が散乱する凶悪な光景となっているが、傍らの海は防波堤の内側であるため、風景の印象と乖離した穏やかさである。
そしてこの忘れられたような崖の一角にも、旧旧旧道の構造物の名残があった。
写真中央付近に石垣があるのが分かるだろうか。
上部が大破しているが、波打ち際だった下部はよほど強固に作られていたようで、まだ原型を止めていた。
非常に大きな岩石を隙間なく丁寧に積み上げていて、空積みながら、大波に抵抗する確固たる意思を感じる。
また、この石垣の位置によって、かつての道幅が推測できる。
隧道と同様に、車道を前提とした幅員を持っていたようだ。
(念仏トンネルの道と比較しても、より上等な造りである。この道は灯台へ通じているだけでなく、)この先の海岸にいくつもあった集落へ通じ、やがて半島一周道路の一部となるべき道路だったはずだ。そんな気概を感じた。
突堤の付け根の傍に、それと比べて明らかに年代の古そうな石垣の土台を見つけた。
これは道路関係ではなく港の施設だったのだと思うが、正体不明である。
この辺りも大正の終わり頃までニシン漁で驚くべき繁栄を謳歌していた地域だから、
ニシン漁に関係する施設(たとえば陸揚のためのウィンチの台とか)かもしれない。
ちなみに土台上に延びている金属柱は2本とも廃レール(標準サイズ)の加工品だった。
面白き眺め。
旧、旧旧、旧旧旧という3世代の廃道が、ワリシリ岬と“対話”をしていた。
しかし道は次第に短気になって、岬の相手を短時間で終えるようになってきた。
旧旧旧道だけが、岬の先端まで気長に付き合っている。
漁港道路だけはその埒外で、埋立地という新たな地平に育っている。
まるで見張り台のような“謎の構造物”に定点カメラを設置して、
過去100年間の変化を眺めてみたいと思った。
15:52 《現在地》
突堤の付け根は、ワリシリ岬の突端だった。
岬の向こう側が見えると同時に、強烈な海風が押し返すようにぶつかってきた。
思いのほか広い平地があったが、尖った岩礫が見渡す限り散らばっていて、
恐ろしく荒涼とした風景だ。賽の河原、そんなワードが脳裏をよぎった。
突堤という堅牢な人工物がここにあるのに、通じる道は姿を消していた。
両者の生きた時代は、全く違っているのだろう。
そしてこのワリシリ岬、廃道が楽しいだけでなく、素晴らしい眺めを私に見せてくれた。
いま独り占めにしているこの眺め主役は、神威岬だ。
岬の沖合に浮かぶ神威岩が、その名に相応しい威厳で近海を制圧していた。
道内有数の観光地であるが、この遠景は現代の観光ガイドでは見られない……かもしれない。
この景色が無条件で旅人に供されていたのは、旧旧道の開通までだろう。
“西蝦夷三険岬”の名に恥じない姿を見せる神威岬の直前に、
前衛よろしく立ちはだかる岬がある。ワリシリ岬とよく似た名前のワクシリ岬だ。
そしてワクシリ岬には、大正7(1918)年に完成した“念仏トンネル”が存在する。
ここから海上1.3km離れたところにある小さな穴が、僅かに見えていた。
かつて神威岬灯台へ行くには、あそこを越えていくのが近道だったが……、
…これは大変だわな……。
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