ミニレポ第278回 岩美広域農道 高住末端 後編

所在地 鳥取県岩美町
探索日 2022.06.08
公開日 2023.10.10

青看に浮かんだ亡霊誘う、霊の道


2022/6/8 15:22 《現在地》

この写真だけを見たら、とんでもなく幅の狭い、しかし舗装と白線と側溝とデリニエータを完備した道路のように見えると思う。

それがなんとも愉快なところであり、私を笑わせ、テンションを爆上げさせたのだが、端から見れば、ご覧の通りの場所に私はいる。(→)
ここは独立した1本の道ではない!

この場所の正体は、直前に分岐した新道によって破壊された、“幻の道”と私が名付けた旧道の一部分が、舗装や白線や側溝やデリニエータを残したまま、放置されているのである。


その幅わずか1m!

まるで独立した道路の全幅のように見えるが、これはかつてここにあった2車線の道路の車道外側線(しゃどうがいそくせん)および路側帯である。

現状、既に道としても使われていないので廃道の一種と言えるが、旧道と新道(=現道)の進行方向が左右ではなく主に上下方向に食い違ったために、このように不思議な旧道の部分廃道が誕生したようだ。
もちろん、この部分を残さない選択肢はあったはずだが、なぜか妙に綺麗な姿で残されていた。

私の長い廃道人生でも、このような残り方をした旧道は初めて見るかも知れない。




旧道の車道外側線の外側だけが、まるで独立した道のような顔で、

きっと山の向こうにあった、“旧道時代の目的地”へ上っていく……。




15:23

が、そんな足掻きにも似た路面には、すぐに終わりの時が来た。

先細る暇さえ与えられずに、路面は、壊されて、途絶えた。

その足元には、山越えを意思を放棄して下って行く、つまらない道だけが残った…。



もはや勝負は決していたが、旧道の遺志を継ぐ心持ちで、そのまま目前の法面の水平移動してみる。
歩いている部分は、眼下にある現道を防衛するための法面であり、もう旧道の面影は全くない。



やがて、人工的な法面と、自然の山の斜面の境が見えてきた。
もしも旧道が伸びているなら、この先は現道の影響圏外なので、痕跡が甦るはず。
そう思ってきたのだが、空振りだな。旧道も、ここまでは来ていなかったようだ。

斜面上にピンクテープが見えるので、そこまでは行ってみよう。



15:24

おおっ! オオオッッ!!

ちょっとだけ感動した。
尾根上のピンクテープが見出しになって、「鳥取県」の用地杭を見つけたのだ。

デリニエータが道路の管理者や事業主体を現わすとすれば、用地杭はさらに根源的な土地の所有者を表している。
したがって、この位置までは、道路整備を念頭に置いた県による用地確保が行われた証拠と言えるだろう。
逆に言えば、それもこの場所までだったということで…。




現状を、地図上に整理してみよう(→)。

2023年版のスーパーマップルデジタルだと、高住橋から伸びてきた2車線幅の道路(=おそらく広域農道として整備された)は、約500m進んだ「現在地」で唐突に行き止まりになっている。
だが、この中途半端な場所が本来計画されていた終点とは考えにくいので、本来はもっと伸ばす予定であったと推測される。

そして現状は、この地図に描かれているような終点ではなく、その直前から赤く描いたような1車線幅の道が延伸されている。
おそらくこれは、無意味な行き止まりで終わることがないように、計画を変更して整備した区間だと思う。

本来の2車線道路を整備することは断念したが、行き止まりにせず、近くにある他の道路と繋ぐことで、一応は通り抜けが出来る道路として一応の体裁を整えたという感じか。
正直、余り体裁のいい言葉では表現出来ないが……。発展的な計画変更によるものでないことは確かだろう…。



ここは、県が全通を宣言している岩美広域農道に残された、

かつて実行された計画縮小の名残を留める、悲しき末端部であった……。

チェンジ後の画像は、現道側から見上げた旧道末端位置だ。矢印の場所に最 奥の用地杭がある。



新旧道分岐地点(普通は分岐とは見なさない地点)に戻って自転車を回収後、新道を下ってみた。

2車線幅で意気揚々と直線的に登った丘を乗り越えて、妥協の産物である1.5車線道路が反対側へグネグネ下る。
その背景に思いを馳せなければ、ただ峠で2車線から1.5車線になった一本道だが、どうにも虚しさが募る。
下り行く先に、谷底にある別の道が見えてきた。
本来なら下らず、谷の奥に見える高い山並みを越えて遠くへ行きたかったはずなのに、なんとも悲しい下山である。




15:31 《現在地》

県道入口から約650m、新旧道分岐地点から数えて約250mで、農地が広がる谷底に降り立った。待ち受ける1車線道路の名前は分からない。町道か農道か、どちらにしても、どこにでもありそうな道だ。

振り返ると、高住集落の家並みが見えた。
いま通ってきた一連の経路は、高住集落を迂回するバイパス路としては一応利用出来る。集落内の道は狭いので、バイパスの意味は感じるが、そもそも降り立ったこの道自体が、この先は行き止まりなので……、わざわざ行き止まりから道を延ばして繋げたサービスも、部外者の利害の外にある感じだ。



15:33 《現在地》

意外なことに、路上に設置されたデリニエータには、上記合流地点からさらに200m先の地点まで、「鳥取県」の表示があった。
したがって、ここまでは鳥取県が広域農道事業の一環(もしくはその関連で)整備したようである。
外見的には、一般的に広域農道としてイメージされる2車線道路ではない、どこにでもある1〜1.5車線の舗装路だ。

とはいえそれも、写真のデリニエータが最後だった。
この先にもしばらく進んでみたが、2度と鳥取県のデリニエータは現れなかった。
その後、速やかに現場を撤収した。






『岩美広域農道 事業概要』より

帰宅後、「岩美広域農道」を検索して調べてみると、県が平成29(2017)年の全線開通時に作成した『事業概要』を見つけることが出来た。

右図は事業の概要をまとめた表だが、このうち「事業区間」の覧に注目だ。
「鳥取市国府町美歎〜岩美郡岩美町岩井」と表示されていると思うが、この「岩美町岩井」がどこにあるかというと……。




岩井は、今回探索した行き止まりの道から山を越えた先にある、国道9号沿いの地区なのである。

県は「祝!全線開通」としているが、実際は全開通してねーじゃねーかっていうツッコミを思わず入れたくなるのをグッと抑えて、さらに事業概要を読み進めていくと……。



『岩美広域農道 事業概要』より


「事業経過」をまとめた右図の年表を発見!
その平成16年度の覧に――

第2回事業計画変更 全体事業費10,400百万円、延長14,933m
この時、現道利用を図ることとし、岩美町真名〜高住間が事業中止となる

『岩美広域農道 事業概要』より

という記述を発見したことで、今回探索した区間が、岩美広域農道の事業中止区間であったことが確定したのであった。

【楽しい絵地図】からは完全に黙殺された、事業中止区間が存在した。
途中で事業が中止された区間を除いて全線開通したことを、果たして全線開通と呼ぶのかといえば、それは当然呼ぶだろう。もし呼ばないとすれば、永遠に開通出来ない道が出来上がってしまうからな。それは分かっているが、ちょっとだけモニョる。



鳥取県資料より

鳥取県が公表している資料の中に、事業中止区間を含む全体計画や各区間の開通時期をまとめた地図を見つけた。(→)

右上の方の青い破線で描かれた区間が、平成16年度に事業中止となったのである。
だがその前後は開通済を示す黒い実線で描かれており、その片側を今回探索した。

他の資料にあるデータも引用しながら、事業中止となった区間(岩井〜高住)についてまとめるてみる。
この区間は当初5004mが計画されており、岩井側から1230mが昭和59年から平成17年にかけて開通、高住側も同年までに557mが開通したが、中間部3217mについては、平成16年度の第2回事業計画変更時に現道の利用をはかるとして事業中止されたのである。

色々調べてはみたが、この事業中止に関する背景的な情報はほとんど得られなかった。
他の区間の建設が継続され平成18年から29年にかけて順次開通を果たした中で、最も起点寄りのこの区間だけが中止の憂き目を見た決定的な理由は分からない。だが、「現道利用をはかる」と資料にあるので、既存路網の配置的に近隣の道路を利用することで機能の代替が可能だと判断されたのだろう。整備の緊急性が低いと。

なお、私は余り土地鑑がないので、整備のifについて実感的に語れることが少ない。出来れば土地鑑のある読者様のコメントをいただきたいところ。もしこの区間も当初の計画通りに整備されていたら、どのくらい利用されたと思うか。あるいは、あなたなら利用したか。想像で良いので教えて欲しい。


@
平成13(2001)年
A
平成17(2005)年
B
地理院地図(現在)

最後に、このわずか500mほどの短い未成道を、私の中でかなり印象的なものへと昇華させた“末端部分の幽体離脱的道路状況”について、調べてみた。

平成以降に描かれた3枚の新旧地形図を比較してみると、少しずつ道が整備され、変化した経過を知ることが出来た。

@平成13(2001)年版で、今回探索した区間の道はまだ全く現れていない。
だがA平成17(2005)年版になると、約500mの今回探索した道が末端まで出現する。

で、これで終わりかと思いきや、最新のB地理院地図になると、末端部を迂回してグネグネと谷底に伸びる延伸部分が登場する。
これらの地形図の変化によって、事業の中止によって一旦は行き止まりとなってしまった道が、形を変えて甦ったことが読み取れる。

しかもこの延伸部分についても、現地には鳥取県のデリニエータが設置されているので、広域農道事業ではないとしても、県による農道事業の一環(基幹農道か一般農道)で整備されたようである。
このように、事業中止による意味のない行き止まりの道を出来るだけ作らないという姿勢は、完成を期待して事業に協力してきた関係者に対する誠実さという面では評価の出来る部分だと思うが、費用対効果の点では行き止まりのままの方がマシだったなんてこともあり得るだろうから、公共事業の正義とは何かという問題とも絡んだ判断の難しい所だと思う。



航空写真を比較することで、末端部から延伸が行われた時期を、さらに絞り込むことが出来た。

上図の通り、平成16(2004)年時点では、末端部はどこにも通じない完全な行き止まりであった。
この時点では、【“幻の道”】も、数メートル先の行き止まりまで、全幅で存在していたのだ。

だが、それから5年後の平成21(2009)年に撮影された航空写真だと、
延伸部分が完成し、引き換えに従来の末端部分は削られて破壊されている。



末端部に残されたこの“幅1mの舗装路面”は、昇天した道の魂が通う道。

たった数メートル×たった数年、この世にあった証しは、あまりに薄い。

こんなものに出会ってしまったら、語りたくなっちゃうのは仕方ない。



完結


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