2023/3/16 16:23 《現在地》
河床から30mも高い絶壁のただ中に口を開ける隧道へ左折して侵入する。
GPSの画面に表示される地図を見る限り、出口まで70〜80mだろうか。
それほど長い隧道ではないと思うが、流材を行っていた特殊仕様の隧道と考えると、以前探索した十津川村の芦廼瀬川で見た、おそらく流材用に利用されていた穴と比べて遙かに長い。
そして、おそらく内部に立ち入っても、出口が見通せることはないだろう。
なぜそんなことを言えるかといえば、永冨氏のレポートを読んでいるからだ。彼らは、2012年の探索でこの隧道を発見、洞内へ突入し、閉塞を確認して撤退している。
その後、反対側の出口を求め、写真右側に見える崖際を進んだが、目的達成には至らなかったとのこと。
そんな展開を私は読んで、まるで自分の探索のことのように、もどかしく思った。
しかし、いま本当に“わたしのばん”が来てしまったのである。ここへは自分で望んで来たのだが、いざ目前にすると、私に攻略できるのかというプレッシャーが重くのし掛かってきて、居心地が悪かった。
…………入る前から凹んでいても仕方がない。
入洞開始!
?!? えっ?!
洞内を風が吹き抜けてきている?!
外気よりもだいぶ冷たい風だった。
それに、くぐもったように遠い川の音も聞こえた。洞奥から。
いや!
マテ! 早とちるな!
永冨氏が見た閉塞の状況は、とても異様で凄まじいものであり、それは彼をして、らしからぬ色付きのドデカフォントで、「ぬわーっ」と叫ぶほどだった。
そして読者の私も、心の中で同じ叫びを上げたのだった。
その閉塞は、かつて見たことがない特殊なものであった……、が、確かに隙間はあったはず。
だから、風や音は通り抜けることが出来た。
にもかかわらず、経験豊富な強者オブローダーが突破を断念するような閉塞だったのだ。そうであるからこそ、「………。」ではなく、「ぬわーっ」だったのだ。
そのことに心至ったから、ここでぬか喜びや、早とちりしそうな駆け出す心を、グッと抑える事に成功した。
何も知らなければ、きっとこの先で急転直下の愕然たる落胆を“彼ら”のように、味わう羽目になっただろう……。
この風と音は、ブラフ!
案の定、出口の光は全く見えない。
すんげぇ 眺めッッ!!!
洞内から振り返って見た南口が、異常な光景だ。
ファンタジーの世界観を持ったゲームのダンジョンかよ。
とび出し厳禁どころの話じゃない。
うっかり外へ出る時に蹴躓いたら、そのまま池郷川へ飛び出しかねない。
あるいは、道を知らない登山者が、夜に小さな灯りを頼りに急ぎ足で外へ出たら、照らすものが何もないことにハッと気付いた瞬間には真っ逆さまだ。
この景色を見てもまだ、彼らの中にはトロッコ説が生き続けていたんだから、ほんと林鉄の亡霊は怖いもの。山行がでも、未だに“神の穴”の呪縛が完全に解けたとは言い切れないしな。
とはいえ、永冨氏もこの辺まで来ると、「マジで軌道跡か?」と訝しく思っていたことが、文章の隅々から伝わって来る。さすがに非常識過ぎるものな、桟橋の辺りからずっと。
断面のサイズは、幅1.8m、高さ2.2mくらいか、目測だが。
大人が歩いて通るには不自由のないサイズだが、林鉄のトロッコを走らせるには狭い。それこそ、林鉄としては実質的に失敗作だった早川林鉄の奈良田以奥にある各種隧道に近いサイズ感だった。
そして、流材用隧道というものの標準を語るには、まだ経験値が圧倒的に不足しているが、前述の芦廼瀬川の穴とは同程度のサイズ感だと思う。
木を流すというと、どんな木を流すかにもよるだろうか、曲がった木もあることを考えれば、人が通れればOKというサイズでは足りないだろう。まあ、実際にこのサイズで利用されていたわけだから、ここでの仕事には足りた断面だったのだろう。……たぶん。
とはいえ、このサイズ感だと、まとめて一気に流すとかでは無さそうだ。一本ずつ、加減しながら流したんじゃないかな。
なお、坑口も洞内も、今のところ完全な素掘りだ。
地続きに巨大な不動滝があるくらいだから、ここは侵食に強い堅牢で緻密な岩盤だと思う。
叩けばコツンと鳴る硬い質感が、濡れて黒光りする凹凸の激しい壁から伺えるだろう。
この隧道を掘り抜く作業は、生半可な労働ではなかったはず。
この隧道には、路床というものが存在しなかった。
普通、隧道の路面に素掘りの岩盤が露出していることは珍しく、砂利や土を敷いて路床が作られていることが多い。
そうでなければ人や車が通りにくいし、壁から沁みだした地下水を逃がす目的もある。
でもこの隧道には路床がない。
仮に林鉄用の隧道だったら、枕木を設置するために路床の存在は重要だが、それがない。
路床がないのは、ここを水が流れていたんだから当然だ。
最後に洞内を水が流れたのがいつかは知らないが、永冨氏が見た閉塞は、さすがに大量の水を通すことはなさそうだった。
にもかかわらず、この洞内にはまだ沢山の水溜まりがあった。
それも地下水というよりは、流れ込んだ水のように見える。だって、沢山の落葉が……。これって外から供給されたものだよね…?
―― そこから、10mばかり進んだだろうか ――
16:24 (入洞1分後)
?!?!
曲がり 上ってる?!
いやいやいやいや! こんなんなってんのかよ?!
これはさすがに初見殺しだ。
想像をしなかったが、これこそは、水路隧道だからこその線形といえるものかも。
さすがに、軌道隧道ではあり得ないだろこの線形は。
というか、というかだよ??! 永冨氏はここまで来てるよな?
なんか、ピンとこないんだけど。レポート既読の私でも。
そう思って、スマホにダウンロード済みだったPDFのレポートを、
この洞内で、おもむろに読み始めた私。家で何度も読んだが、もう一度確認だ。(↓)
なになに…………
3m、5mと進めばもう外の光が小さく眩しくなる。足元の凸凹と、その凹部に溜まったた水に注意するべく、ライトを下に向けて歩いていった。途中に15〜20cmもあろうかという大きな段差があって、こんなとこ軌道通せたんかいな、いやいや以前は土を敷いてたんだろう、だとしても勾配がすごいことになるな、といったようなことをちらっと考えた。その向こうに磯田氏の気配を覚知。路面を照らしていたライトを、前に向けてみると。
結論から言うと、引用文に下線を付けた部分が、私が見たこの場面に該当するようである。
いやでも、ぜんぜん15〜20cmどころじゃないというか……、確かに段差の一段一段はそんなもんだけど、
そんな段差が階段みたいに(階段として整形されてはいないが)連なって、この先が坂道になっている。
それに、急な角度ではないものの、ここで明らかに右へ曲がっていることへは、全く言及がないようだ。
……彼らしからぬ、見誤り……?!
いや! 私はこれを弁護するぞ。
弘法も筆のなんとやななどと、下らぬ慰めを言いたいわけではない。
ここでは、見落としがあってもやむを得なかったと心より思う理由がある。
なぜなら、
彼が先行する磯田氏の気配を察して、前に向けたライトが照らしたものは――
(↑)これだったんだから!
こんな塞がり方って、あり得るん?
トンネル一杯に丸太が詰まっていて、どうしようもない位に閉塞していた。初めて見た。こんな閉塞は。
(↑)私もはじめて見せて貰いました。このレポートで。
これもまた、水路隧道だからこそ、起きうることだったんだろう。
本当に衝撃的だった、この場面は。 貫通していたら、そこにさほどの驚きはなかったものな。
彼は、それでも冷静な観察眼を失わなかった。 次のような観察をしている。
動ける範囲で検分をし、徐々に状況が飲み込めてきた。まず隧道は、この場所で大きく掘り違えている。入ってきた側(南側)に対し、反対側(北側)からの迎え掘りが高くなり過ぎて、天井が1m、いやもっとあるだろう、ともかくそれくらいは食い違っている。
詰まっている丸太は角がひどく磨耗しているから、流木が流れ込んだとしか思えない。路床の岩盤が露わになっているのも水に洗われたせいだろう。隧道の向こう側は、きっと川辺ぎりぎりの所に開口しているはずだ。大雨で水かさが増し、流木もろとも隧道へ流れ込んでしまったはずだ。そうして、何かの拍子で跳ね上がった丸太が、食い違いに引っ掛かった。そこから次々と詰まっていき……この有り様になった。
この丸太の山の中で、たった一本だけ、食い違いの壁につっかえたやつがある。これが他を塞き止めてしまったらしい。これがすべての元凶。
この文章と一緒に、彼が述べる「掘り違えている」隧道の段差と、そこに引っかかった丸太群の模式図が添付されている。(↓)
… … … …
… … … … … …
ぬわーっ だよな。これは確かにそうだ。そうとしかいいようがない。
そして、私も、洞床の段差を見たということは、
この次に、照明を上に向けると、永冨氏たちの最終閉塞撤退地点と邂逅することになる。
峡風と渓音だけを寂しく通わし続ける、失われた流材隧道の末路が…………
へ?
抜けている。
隧道を塞いでいた丸太たちが、すっかり消えて、抜けている。
彼の探索から11年も経過しているから、いつの間にか自然に開栓したんだろう。 ……たぶん。
きっと爆発したんだ……。 いつかの出水の時なんだろうが、上流から押し寄せた水圧で詰まりが爆発して解消した。
ここに誰かがいる時だったら、激レアな凄い死に様になったろうな(不謹慎)。
しかしこれは大変なことになったぞ!
落ち着け。一度振り返って入口を見ろ。外を見ろ。
旧閉塞地点は、隧道が少しだけ曲がっているそのすぐ先だった。
だから、ここにいるときだけは、身体の向きを変えるだけで両方の坑口が見られる。
どちらの坑口からも、反対を見通すことは出来ないので、ここだけの特権だった。
よ し … …、落ち着いた。
この展開は、自身の運の太さが怖くなるほどの、強烈な
僥倖。
これにより、永冨氏たちがあれほど苦労してなお成し得なかった、
隧道北口への到達が、完全解放状態に!!!
ここが、旧閉塞地点だ。
天井が急に極端に高くなっているが、これが永冨氏も指摘していた掘り違い部分だ。
洞床の段差や、天井の落差が、故意なのかミスなのかは分からないが、
両側から隧道を掘って、最後に地中で接合させた場所なのは間違いないだろう。
道路や鉄道用の隧道なら、100%測量か掘削のミスであると断じられる形状である。
反対側から見ると、この落差がより際立って分かる。
これが上段にあたる北口側から撮影した、下段となる南口側。こんなに大胆に段差がある。
洞床の勾配は、こちらの北口側の床全体で吸収しようと削ったのか、まだマシなんだが、
天井部分は本当に異常な段差になってしまっている。無駄に高い所は、本来の隧道の3倍ほどの高さだ。
こんな短い隧道で、ここまで大胆に測量や掘削のミスするもんだろうかと、素人ながら不思議に感じるが、
この立地の極度な悪条件を考えれば、起こりえないとも言えないんだろうな…。
洞床の段差や天井の余分な空間が、流材を行ううえでは有利だったとも、思えないしな。
現に、流木が詰まりやすいという弱点も数年前まで露呈していたわけで……。
現地で把握した内容をもとに、洞内の縦断面図を書いてみた。
南口と北口の両方から掘り進め、中央で接合させようとしたが、
大きな落差が付いてしまって繋がらなかったので、北口側の洞床を
全体的に掘り下げて、勾配をつけることで、どうにか繋げたような状況を連想する。
が、残念ながら真相は分からない。永冨氏が聞き取りをした古老も言及していないようだ。
ここまで書いてから、思い直したりして。
これは、ミスなんかじゃないのかも知れないと。
というのも、上流側から穴を掘る時に、最初から下り坂で掘ったとしよう。
その工事中に、川の増水があったらどうなるか。
当然、隧道へ流れ込んだ水は、まだ下流側に繋がっていない切羽に溜まって、これでは工事どころじゃない。
だから、川を背にしている上流側は、水が溜まらないように水平に掘っていき、最後に下流側が繋がる直前で掘り下げるようにしたのではないか。
という仮説が私の中に芽生えた。
まあ、そのおかげで相当多めに岩石を掘ることになっているから、効率的な工法だったかは謎だが…。
皆さまは、どのように推理されるだろう。
事前の絶望的予見に反し、自然の力だけで見事復活を遂げていた隧道!
そのまだ見ぬ北口は、ほんの数メートル先に迫った!!
出口付近も勾配がキツく、洞床は水流で抉れたのか多くの凹みがある。
そして深い水たまりとなっていた。鍾乳洞の中みたいに透き通った水が湛えられていて、
いまでもときおり外から流水が入っていることを想像させる状況だ。
大雨の日に来れば、水が流れている状況が見られるかも知れない。(無事辿り着ければ…)
さあ、“幻”の北口を潜って地上へ!
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