2021/4/24 8:52 《現在地》
路線名にもなっている霧ヶ滝渓谷の谷底からは依然として250mも高い所にいる私だが、起点から進んだ距離は約800mとなり、事前情報にあった全長2kmの数字と比較しても、中盤戦に差し掛かっているはずだ。
そのような状況で現われたのは、桁のない橋と、深い切り通しが一直線に並んだ場面。
しかも、切り通しの向こう側には細い滝の流れが見えており、そこにももう1本橋があることが、ほぼ確定している状況だ。
橋、切り通し、橋の連結的連続出現だ!!
さあ、ここも越えていく必要がある。
まずは、手前の橋だ。
通算3本目の橋だから、(仮称)3号橋である。
おそらく、前の橋と同じ1径間だけのコンクリート桁を渡した桟橋だったようだが、またしても落橋しており、桁も行方知れずになっていた。
桁がないのに木橋ではなくコンクリート橋と考える根拠は、橋台に桁を乗せるための切り欠き(桁受け)の高さにある。この部分の高さは桁の厚みを示しており、木桁の場合は通常20〜30cmだが、本橋に限らず、ここまで現われた全ての橋が50cmくらいあり、これがコンクリート桁だと考える最大の根拠だ。
桁の失われた橋だが、周囲の斜面がそれほど急でないことと、グリップしやすい土のために、この突破は難しくなかった。
写真は橋台を振り返ったもので、桁受けの部分に大きな高さがあることが分かるだろう。
木橋でこれほど厚みのある材を用いることは、通常考えられない。
ここまで現われた3本の橋は全てコンクリート橋だった。
木橋にくらべれば遙かにコストを要するコンクリート橋にしたのは、一つは機関車の安全な入線のためであろうが、機械化路線でも木橋は珍しくなかったから、小さな橋までコンクリート橋であることには他に理由があったはずだ。
すぐに思いつくのは、豪雪地である当地の雪害対策であろう。兵庫県新温泉町は国が定める豪雪地帯に含まれるが、そのうえここは周辺のあらゆる人里より何百メートルも高い山上だ。4月下旬でも方々に残雪があるくらいだから、厳寒期には2m前後の積雪があると思う。これで除雪もないとなると、木橋では数年と持たなかっただろう。
橋跡を越えると直ちに、これまでは最大の規模の切り通しが待ち受けている。
切り通しは見事な直線で、本来は前後の見通しが利いたはずだが、崩れた土砂のため中央部が2mくらい盛り上がっているので、そこまで登らないと先は見えない。
このような大規模な切り通しの出現には、期待を禁じ得ない。
なにせ、これがもう一回り深ければ、隧道になっていたかも知れないと思えるのだ。
地形図に隧道は描かれていないし、事前情報にも隧道があったような話はなかったが、可能性までは否定されていないはず。
ここまでの構造物の多さ、そして、ますますの地形の険阻化を考えれば、ひょっこり隧道が現われても不思議じゃないと思えてくる。
ところで、この辺りの地面の土の色は、全体的に赤っぽい。
この山域を裾野とする扇ノ山は、100万年くらい昔まで活発な噴火活動をくり返していたそうなので、火山灰なのかもしれない。
畑ヶ平という壮大な山上高原と、そこに深く入り込む険悪な霧ヶ滝渓谷の取り合わせは、火山地形が幼年期から壮年期へ浸食の度合いを深めていく過程の典型のようである。
切り通しを抜けると、先ほどから遠目に見え、渓声を響かせていた滝が、間近に来た。
滝は、軌道跡の15mくらい上に落ち口があり、いかにも溶岩層らしい黒い岩盤を伝って10mほど落ちたところ、つまり路盤から見て5mほど上の地面に爆ぜていた。滝壺はなく、黒い岩盤を叩いて弾けていた。
それほど水量は多くないが、それでも風に乗って水気混じりの重い空気が、軌道跡にいる私の頬に届いていた。
かつて、この道を行き来した誰もが目にした滝であろう。それだけに、当時は何かしか親しみを持てるような名前も付いていたかと想像するが、それを伝える文献は多分ない。
姿は残っても、人と関わった証しとしての名は、失われた滝かも知れない。
そんなことを思った。
滝の真下、案の定、ここにも橋があった。
カウントがまた一つ増えて、(仮称)4号橋だ。
滝の水を流すこの橋も、残念ながら落ちていた。
しかし再びコンクリートの桁を見ることが出来た。
足元の斜面に寝そべっているのは、またしても中央で真っ二つに折れた、長さ10mはありそうな太い2本の桁だった。
ここも地形に沿って昇降し、対岸へ進むのは難しくなさそうだが、いまだかつて、コンクリートの橋がこんなにことごとく1本も残らずに破壊され、落ちてしまっている林鉄跡というのは、見たことがない。
この景色を前に語っても説得力がないだろうが、この手の単純なコンクリート桁橋というのは頑丈なもので、簡単に落ちないし、落ちるにしても、こうやって真っ二つに折れてしまうのは珍しいのだが……。
厳しい自然環境に晒され続けた末の廃残としか考えられない、酷い荒廃の状況であった。
(→)
谷を渡って、橋台へよじ登る。
この巨大な桁を支えるには、いささか頼りがなさそうに見える空積みの石造橋台で、現在では崩壊も進んでいるが、林鉄が運用され、最後にレールが撤去されるまでの15年ほどの間は保ったのだろう。
空積みの石造橋台と、巨大なコンクリート桁の取り合わせの珍しさも、地味ではあるが、この路線の特徴のように思う。
そんなことを考えながら、橋台を登ると……
8:58 《現在地》
もう一発、切り通しが!
ザーーーー…
(↑)この滝の音は、いま越えたばかりの滝のものだ。
だが、おそらくその音にかき消されてしまったために無音に感じる別の滝が、
この切り通しに突入すると同時に、私の視界に飛び込んで来たのだ。
このときの新鮮な驚きは、この日の印象の中でも大きなものの一つとなった。
音もなく、だいたい私のいる高さから放出される、それはそれは、巨大な滝だった。
滝の全体が見えていないのに、とにかく巨大な滝だということは、すぐに分かった。
なにせ、谷底まで250mもある山腹にいて、目線の位置からその谷に落ちる滝が見えるのだから、
たとえ、爆音届かず、望遠でなければ充分に見えない遠い上流のものだとしても、小滝ではありえなかった。
そしてこの発見は、本日初めて、霧ヶ滝渓谷のその名の由来となった滝を擁する、
最も険しい源頭区域に視線が届いた、印象的な最初の場面であった。
地形図の通りであれば、この軌道跡の終点は、霧ヶ滝よりも上流にある。
だから、こうした上流部の険しさは、私にとって完全に自分事と考えられた。
この巨大な滝の初見に、単純な風景の凄愴を越えて衝撃を受けたのは、そのためだった。
すぐに短い動画を回し、その時の認識や気持ちを肉声で吹き込んでおくことも忘れなかった。
だが、この動画の公開には少なからず恥を忍ばねばならない要素がある。
私はてっきり、この唐突に見え始めた巨大な滝を、渓谷の名になっている霧ヶ滝と思ったが、
それは完全に誤りだった。
起点からおおよそ900mの地点にある尾根の切り通しから見えた滝は、霧ヶ滝ではなかった。
ではどの滝かといえば、霧ヶ滝の北西350m付近の支流上にある滝で、地形図にも滝の記号が描かれていた。
動画撮影直後、この切り通しで長めの休憩をとったのだが、その時に地図を見直して誤りに気づいた。
帰宅後に調べてみると、ここで見えた滝も、滝好きの人たちには結構知られた存在で、赤滝と呼ばれていることが分かった。
霧ヶ滝と一緒に訪れた記録がネット上に沢山あったが、遊歩道がある霧ヶ滝とは異なり、赤滝へ近づくのは簡単ではないようだ。滝の高さも60mくらいはあるらしい。
……といったところで、探索は軌道跡を歩き出した時点から、ちょうど1時間が経過。
距離のうえでもおおよそ半分を攻略したと思われるところで、後半戦のとっかかりとなる風景を前にして、ちょうどキリが良い。
風景も陽気もすこぶる良いこの尾根の切り通しでは、初めて長休憩をとることにした。
9:00 休憩開始!
9:07 (休憩中)
(←)休憩開始から7分後、まだ休憩中だが、発見があったのでこの動画を回した。
何か口に入れたまま喋っているので聞き取りづらいのは、我慢してくれ。
私は、たまたま腰掛けていた岩の下に、何か金属製の物体が転がっているのに気づいたのである。
その形は、動画の中でいじり回している通りのもので、正体は――?
(→)エンジンのパーツかなーと思っているが、どうでしょう。
なんのパーツだとしても、ここを走っていた機関車の一部だったら、素敵だけどなぁ。
このパーツの正体について、多くのコメントを頂戴しました。ありがとうございます。
やはり最も多いコメントはエンジンのパーツというもので、具体的には、ガソリンエンジンのシリンダーヘッドではないかというご指摘が多かった。
ただ、機関車用のエンジンとしては小型なので、集材機などのエンジンパーツという説が濃いようだ。
9:08 休憩終了!
後半戦に突入だぁー!
おおよそ10分間の休憩を明けて、再出発。
休憩した地点は小さな尾根を越える切り通しだったが、尾根の西側面は思いのほかに険しく切り立っていて、軌道跡はほとんど垂直の崖を渡る崖道になっていた。
幸い、道幅が完全に保持されていたので踏破の障害とはならなかったが、ここまでの沿道に現われた崖では最大のものであり、かつ、その崖が道より上まで続いていたことは、とうとうこの軌道跡がある高さが、霧ヶ滝渓谷の浸食が作り出す懸谷の中に入り込んだことを物語っていた。(懸谷=本流の浸食が支流に比べて強いために、本流の谷底が一段と低くなり、支流が滝となって本流と合流する地形)
この“最初の崖”は、出口のところに路盤の欠落があって、そこで少し斜面をへつり歩かされる。
崖を出ると今度は、上にも下にも視線の届く限り続く大きなガレ谷の地形であった。
ガレ谷としては比較的に安定しているようで、ぽつぽつと樹木も生えていた。
写真は、ガレ場側から振り返って眺めた“最初の崖”とその出口だ。
道の下に10m、上には30mはあろうという大絶壁であり、今回は問題なく通過できたが、崩壊のさじ加減一つでは一気に大難所となりかねない大きな地形である。
今後に不安を覚えると同時に、大いに気持ちが引き締まったのは、言うまでもない。
9:12
そしてこのガレ場を下って谷底へ行く歩道が、地形図には描かれている。
谷底までの落差はまだ180mくらいあり、この間を350mくらいで結ぶ歩道は間違いなく急峻だろうが、現地にはそれらしい分岐や道形は見えなかった。
また、ネット上にある滝見に訪れた人たちの報告を読んでも、この道を使った記録は見つけられなかった。なので実際に使える道であるかは不明だが、ここを使って谷底にエスケープするくらいなら、状況が分かっている起点まで戻った方が安全なのは間違いないだろうな。
後半戦に入ると同時に高崖による威圧を受けたが、その後は従来の平穏を取り戻した感じだ。
確かに地形はやや険しくなり、序盤よりも岩場の露出が増えているが、路盤がかなりしっかりとした石垣に守られているために、意外に強いのである!
これまでを振り返ってみても、少し難所を感じたのは橋が落ちているところの突破だけで、路盤自体が大きく崩壊している場所はなかった。
山上にポツンと孤立したわずか2kmの路線とは思えないほど、しっかりとした造りをしているのだ、この路線。
管轄していたのは、大阪営林局の鳥取営林署(ここは兵庫県内だが管轄は鳥取営林署)だが、同営林署は中国地方では例外的に多くの林鉄を開設・利用していた記録があるだけに、いわゆる林鉄の本場といわれる地方に劣らぬ技術力や実行力があったのかもしれない。
この写真は、空積みらしからぬ緻密な石垣によって、ナメのような濡れた岩場を横断していくシーンだ。
疎水のための暗渠が石垣に開けられていて、それがあるべき仕事を未だ果たし続けていた。
さらに5分ほど進んだところが、この写真のシーンだ。
道の上と下に完全に形を留めた石垣が長く伸びていて、カーブが美しかった。
このカーブの最後に待っているのが、もう何度目かを数えていないが、小さな尾根だ。
起点からここまで、尾根と小谷が一定のペースで交互する、蛇腹の如き軌道跡が続いている。しかし、繰返しの中にあって、着実に終点までの距離は縮み続けていて、完全踏破という私が望む勝利が近づいている。
スタート直後に1枚の看板によって過剰にもたらされた恐怖心も、踏破の着実な進展と引き換えに徐々に緩和され、いまはとても愉快な気持ちで歩いていた。
もし、このままゴールへ至っていたならば、私はこの林鉄跡を、爽快な景色と豊富な遺構を楽しめる探索向きの良路線と結論づけて、このレポートを完結させたに違いなかった。
9:21 《現在地》
ここは起点から1.1kmの位置にある尾根で、上の写真の奥に見えるところだ。
起点を出発してからここまで約80分かかった。
地形図を見る限り、この先にもまだ尾根と谷の繰返しがあるが、この尾根から次の尾根へ行くまでに越える支流の谷は、今までよりも険しいもののように読み取れた。
ここまでは近くになかった「崖の記号」が谷を取り巻くように描かれており、軌道跡は崖の記号をトラバースする形で回り込み、途中で谷を渡る必要がある。
全線踏破を狙う上で、おそらく最大の正念場になるものと事前に推測できていた場所であった。
尾根に入った私を最初に出迎えてくれたのは、先ほど見たときよりも一回り大きく見える赤滝(この名前を知ったのは帰宅後だが)だった。
赤滝の分かり易い険しさは、そこへ挑む意思がある者を戦慄させずにおかないだろうが、幸いにして軌道跡が挑む滝ではないと分かっているので、いまの私は観光客の気楽さで眺めることが出来た。
赤滝の見事な姿を、遠目から堪能した。
少し前まで麓の山越しに遠く日本海を見ていたが、いまはもう巨大峡谷の秘奥に迫っている。
この景色の変化の早さには、山慣れた人間の意表を突くような軽快な面白さがあった。
ちょうど私の眼前および眼下には、一辺500mの正方形に近い峡間の空が展開していた。
いまはまだ姿を見せていない左奥方向の霧ヶ滝、そして正面の赤滝、
これらの滝が合流し一つの谷を作る巨大な滝合いの舞台が、ここにあった。
知られざる軌道跡は、素敵な観瀑展望台となっていた。
ただ、この観瀑の尾根には長居はしていない。
難所が予想される“この先”が気になってしまって、腰を落ち着ける気にならなかったせいだ。
明るい尾根を回り込むと、日陰であったのは地形上やむを得ないとしても、それだけでは説明できないような薄暗い感じが、すぐに私を緊張させた。
聞こえる。
ザーーーーーという滝の音が。
どこから聞こえている?
足元の谷にも滝がある!
音の正体は、この滝!
常緑である石楠花の枝葉の向こうに、白い水線が縦に連なっているのが透けていた。
かなり大きな滝だと思ったが、この滝がある無名の支谷は、これから軌道が回り込み、どこかで渡って進まねばならない谷であることが確実であるため、私はいよいよ緊張した。
「 え? この谷を越すの? 」
そんな軽剽な独り言を自分に聞かせて、緊張をほぐそうとした。
……というか、いまこの場所の路肩の下の切り立った高さが、とんでもないことになっている感じがする。
動ける場所がここしかなく、このアングル以外で撮影が出来ないので説明が難しいが、凄まじい高さを肌に感じた。
そこから20mくらい進むと、少し眼下に視線が通りやすい場所があった。
うげェー…。
本当に険しいなおい…。 地形図の印象よりも絶対険しいだろ…。
この眼下に見える滝は、滝好きの人たちによって青滝と呼ばれているものらしい。
現地では名前を知ることもなかったが、確かにこのときの私の顔は青くなっていたことだろう。
青滝は、赤滝以上に(谷底から)訪れるのが難しい滝だと書いているサイトが多かった。
しかし、普通の経路で滝に近づくつもりがない私にとって、滝を訪れる難易は余り問題ではない。
私は、この滝の上を渡って、対岸へ進みたいのである。
しかし、滝の上部でも谷底と路盤の比高は100m以上あるはずで、
これをこの後どういう規模の橋で渡っていくのかを考えるのが、怖かった。
だって、もし大きな橋が架かっていたとしたら、それを渡らねばならなくなりそうだし、
最悪その大きな橋が落ちていたら、谷を渡って対岸へ行ける自信が持てない…。
とりあえず、この谷を渡る橋へ行くことが当面の目標となるのは間違いないが、
その前の段階においても熾烈な試練が待ち受けている予感があった。
それは、ここからも白い岩肌が不気味にそそり立って見える、岩稜の突破である。
谷底から路盤遙か上の高さにまで直立している岩稜を、軌道が越えるための選択肢は、多くない。
「険しさの核心部に入ってきた感じがします」
「隧道があるのかな、という感じなんですが…」
今回は、隧道の存在を期待するなんていう甘い話ではなくなっていた。
隧道は、なければならない!
これ、隧道があってくれないと、探索終了の危機的状況になりかねないと認識していた。
ここを越えて橋まで進めないと、谷を渡って先へ進むどころじゃなくなる。
しかも、この岩稜の険しさというのは、簡単に迂回できそうには見えなかったのである。
……しかし、岩稜に近づくに伴い、路盤を埋める崩土の斜面はどんどん高くなり……
道の周りは、岩山に似つかわしくない土の色に支配された、黄土の世界へ……(涙)
9:28 《現在地》
あッ!!!
あーーーーーーー(涙)
うわー! これなんか埋まってるくせぇー。
隧道が埋まってるくせぇから、全力でモグラ作戦を決行したいの
だが…!
イヤだイヤだ嫌だー!!!
この斜面に入るのが嫌だ! 落ちたら絶対に死ぬじゃん。
しかも、こんな逃げ場のない斜面で土を掘るなんて、絶対に嫌だった。
もし開口した隧道がはっきり見えているなら、時間を掛けてここにステップを刻みながら横断したかもしれないが、
隧道と断言もできない場所で、時間と精神を大量に費やす挑戦は、申し訳ないが御免こうむりたい。
ここは一度撤退する!
地形的に逃げ場がないので、ほぼ間違いなくこの先には隧道があったと思うが、
手前の路盤ごと土に埋れてしまっていて、直前まで近づくことも許されなかった。
隧道の反対側は、おそらく青滝上部の谷の中であり、迂回で容易に到達出来るとも思えなかったが、
とりあえず、安全地帯まで一度退く!
( 今回もベテランらしいクレバーな判断を下したヨッキれん )
( 踏破の達成はさておき、生還までは揺るぎないと思われたが )
( そんなヨッキれんに魔が囁く瞬間が、この先……………… )
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