起点から1.2km付近にて、初めて正面突破の出来ない崩壊地が現われてしまった。
しかも、簡単な迂回を許してはくれなさそうな地形のワルさを感じた。
私のオブローダーとしての勘ピュータがフル回転し、突破ルートの割り出しを行った。
だが、与えられている情報の少なさから、せいぜい“ぴゅう太”くらいの演算能力しか発揮し得なかった。
今後の最大の難関であり課題と思われるのは、青滝の上部で谷を渡るその手段なのだが、橋があると思われる地点よりも手前に、おそらく埋没してしまった隧道があって、それに視界が遮られるため、肝心の架橋地点付近が全く見えなかったのである。
そのことが、今後の迂回計画を考えるうえで、非常に大きな足かせとなった。
果たして、架橋地点まで迂回しても、そこで谷を渡れるのかどうかだ……。
とりあえず、私が一時撤退を決断したした地点はあまりにも狭く危険で、長居したくなかったので、直前の尾根まで後退することにした。
9:32〜9:38
直前に通過した明るい尾根に戻った。
先ほどはほとんど足を止めなかったこの場所で、今度は荷を下ろし、腰も下ろして、黙考する。
今後の大まかな方針は、もう既に決めている。
これはもう、高巻き以外に迂回の方法はあるまい。
谷底に下りてもう一度上り直すことは、どう考えても現実的ではない。
また、一度探索の振り出しまで戻って、改めて終点側から再アプローチすることは、最も危険を遠巻きにして探索することができるかも知れないが、時間がかかりすぎて、今回としては現実的ではない。
高巻きしかない。
幸いにして、この尾根は高巻きをはじめる起点として、理想的な地形のように見えた。
実はこのことまでは、先ほど通り過ぎたときに一瞥して確認していたことだった。
こういう難しい場面の探索中は、常に迂回ルートの起点が作れるかどうかの観察をしながら前進するように心がけていた。
ただ、この高巻きについて、どこまで巻くかというのが大きな問題で、これについては実際に高巻きを始めてからじゃないと判断が難しかった。
しかし一応大まかに2つのルートを考えていて、それは小さな高巻きと、大きな高巻きだ。
小さな高巻きは、左図の桃色の実線のように、隧道擬定地がある岩稜だけを高巻きして、青滝上部の架橋推定地点の手前に下りるというもの。
このルートのメリットは、高巻きによって路盤を離れる距離が最短であることと、架橋地点が渡れない場合でも、隧道擬定地の反対側に坑口があるかを確かめられる可能性があることだ。
もし普通に架橋地点で谷を渡れるなら、最良の高巻きと言えるだろう。
大きな高巻きは、左図の桃色の点線のようなものを想定しており、途中までは小さな高巻きと同じだが、そのまま青滝上部の畑ヶ平高原まで登上し、等高線の緩い部分を中心に大きく巻いて青滝対岸の尾根から路盤に復帰するようなものだ。この場合は700mくらいの大きな迂回ルートとなり、しかも尾根に登って沢へ下りて尾根に登って路盤に下りるというように、アップダウンも多い。迂回だけで1時間くらいかかるかも知れない。さらに、架橋地点が通れない場合、このまま隧道擬定地の裏側を確かめられず探索を終えることになるだろう。
こうして2ルートを比較すると、一長一短である。なので、現状まだ時間にも体力にも余裕はあるから、まずは小さな高巻きを行い、その成否によって、大きな高巻きにリトライするという、隙を生じぬ二段構えが望ましいと考えた。
この方針により、行動を開始する。
9:38 高巻き開始!
9:42 (高巻き開始から4分経過)
この高巻き、今のところ順調である。
自然林が広がる明るい尾根は、最初のうち緩やかで、途中から次第に急になったが、手掛かりとなる樹木が多くあり、滑落の不安を全く持つことなく、順調に高度を上げることが出来た。
とはいえ、4分休まず登ってもまだ登り切っていないことから分かるように、これは一息で終わるような小さな高巻きではない。
私が“小さな高巻き”と表現したルートでさえである。まずは、高度60mを登る必要があった。
実は登りながら、より小さな高巻きで済ませられるトラバースがとれないか右側の崖をしばしば見たが、全く希望を持てる場面はなかった。
隧道擬定地を中腹に抱く件の岩稜が相当上までそそり立っていて、これを迂回するには、やはり高原の縁まで登らねばならないらしい。
上の写真の地点から、樹間に見渡した青滝対岸の尾根。
向こうの谷壁も非常に険しいものであり、随所に白い岩場が光っていた。
おそらく岩場は路盤よりも低い位置にあると思うが、路盤らしきラインは全然見えず、不安なことこの上ない。
本当に地形図の点線の通り霧ヶ滝まで行っているのか、疑わしくなるほどの険しさである。
なお、写真中央右奥に見える一筋の白い縦線は、赤滝だ。
9:46 (高巻き開始から8分経過)
…ハァ ハァ ハァ…
……やっぱり、それなりには大変だわ。
進むほど尾根が急になり、這いつくばって登るようなところもあった。
しかし、やっと、空が開けてきたぞ。
高原の気配を、感じる……。
9:48 (高巻き開始から10分経過) 《現在地》
よっしゃ! 登ったぞ!
GPSで現在地を見ているが、路盤から見て60m以上高い尾根の上まで登った。
この先も尾根はずっと伸びているが勾配は緩くなり、そのまま畑ヶ平高原の樹海のような領域に続いている(1km強進めば畑ヶ平の林道に出られそう)。
大きな高巻きをするなら、まだしばらく尾根を登り、青滝の谷との比高が小さくなったところで渡って、対岸の尾根を経由して路盤へ復帰することになる。
しかし、小さな高巻きをするならば、もうここで右折して下りはじめる必要がある。
当然、どちらについても道はないので、適当にルートを探さないといけない。
青滝の谷の上流、谷間の奥にまったりとした白い稜線が横たわっているのが見えた。
海抜1300mを少し越える扇ノ山の山頂付近であろうか。さすがにまだ雪山の姿をしている。
ちなみに現在地は海抜880mくらいである。
雪は嫌だが、見た感じ平穏そうな山容で、なんとも羨ましい感じがした。
このまま平穏なルートで帰ることも出来るだろうが、探索の本懐を遂げるためには、どうしてももう一度、危険地へ降り立たねばならない。
平穏の誘惑を振り払い、右90度方向の斜面へ爪先を向ける。
9:50 下降開始。
事前に方針に従って、まずは“小さな高巻き”を実行するべく、青滝上部の架橋推定地点(地形図の点線が谷を跨ぐ地点)を目指して、斜面を下りはじめた。
この高巻きで最も急峻な斜面がこの先だと思われるので、行動には非常な慎重さを要求される。
下っていたつもりが、気づいたら落ちていたでは、たまらない。
戻ってこられるルートという大前提も、崩してはならない。
とりあえず、木立が密であるように見える斜面を利用することが大切だ。
普段は藪を避けて動くが、道なき急斜面では藪の中に正解があることが多い。
しかし下りはじめるとすぐに、起立姿勢でも先が見えないほどの急斜面が進路全方位に落ちていて、気持ちを震えさせた。
9:51 (下りはじめて1分後)
桃色の大きな花をつけたシャクナゲを掻き分けながら、登りより数段険しい斜面を下る。
園芸品のように綺麗な花は、いまの私の緊迫感には場違いで、不吉な感じを受けた。
しかし木々の幹や根が痩せ尾根を密に覆っていて、非常に急な割には、
転落の危険や、過剰な高度感による威圧を受けずに進めている。
赤滝をほぼ正面に見ながら、登ってきた60mに等しい高度を、慎重に下って行く。
やがて、見えてくる… 聞こえてくる…
9:56 (下りはじめて7分後)
青滝上部の谷底が。
あれ? なんか、良いかも?!
心配していたほどは、険しくなさそうだ。
滝より上は懸谷の外であり、高原寄りのゆったりとした地形がまだ残っている感じか。
よしよし! これなら橋が残っていないとしても、渡って対岸へ行くことができそうだ。
小さな高巻き作戦で、正解だったっぽい!!(嬉)
…
……
…………
9:58 (下りはじめて9分後)
……ちょっと喜ぶのが早かったかも。
私が先に見たのは、架橋推定地点よりも上流の谷であった。
確かにそこなら渡れそうな感じがしたが、肝心の路盤があるのはそこよりも下流であって、
その下流側へ向かって路盤を探しながら下って行くと――
崖が切り立っていた。
……路盤が、まだ見つかっていないのに、崖が現われてしまった……。
だが、ここでは意外な発見もした。
崖の一角の細い枝に、ピンクテープが結わかれていたのである。
こんなところにも、人が入っている?!
9:59 (下りはじめて10分後)
思わぬ“人跡”に勇気をもらった気持ちになって、ピンクテープのもとへ馳せようとした。
そうしてまた10mほど下ると、そのピンクテープの近くの木立にトラロープが結ばれているのを発見した。
ロープは垂らされていないが、久々に見る存置ロープというヤツだろう。確実な先行者の気配だ!
で、そのロープが垂らされるべき先を見ると――
平場だッ!
たぶんッ軌道跡ッッ!
10:01 (下りはじめて12分後)
間違いなく、人工的な地形だと思う。平場だ。
しかも、ちゃんと右にも伸びているのが分かる。そっちは隧道擬定地方向だ!
あとは足元の巨大な苔生した岩を下るだけだ。残り5メートルくらい。
しかし、誰かがロープをフィックスしていたことからも分かるが、
最後のこれがとても急で、少し攻めあぐねた。最後まで慎重に行け。
10:02 (下りはじめて13分後)
あと2メートル!
最後、どうやっても飛び降りるしかない地形だった。
2mくらいなら飛び下りても良いが、戻れなくなったら最悪だ。
なので少し戻って、先ほどのフィックスロープを垂らし、帰路に備えることにした。
これを使わないで済めばそれに越したことはないが、ここまでちらっちらっと
視界の中で観察した程度でしかない対岸の状況を根拠に申し上げるが、
この平場から谷を渡って先へ進めるかどうかは、正直、非常に怪しい気がしたのである。
10:03 小さな高巻き終了!
おおよそ25分ぶりに、路盤に立った。
軌道上の距離としては、前回の最終到達地点から見て、わずか50mくらいしか進んでいない。
この50mくらいの間に岩稜の隧道擬定地があり、その突破に25分を費やしたということになる。
隧道擬定地という名の壁の裏側を確認する権利を、俺はいま手にしたのだ!
まず、一番重要なことを最初に確認した。
橋は、架かっていない。
だが、ここが架橋地点だったのは、足元に橋台があるから間違いないだろう。
対岸には…、橋台がないようだが……、今はまだ深く考えたくないので、後ほど、また……。
で、この橋台の辺りから、下流側を見下ろすと―――
滝。
止めれば良いのに、少し身を乗り出すようにして、滝壺を覗くと――
滑落死なのか、たまたま死骸が滝を流れ落ちたのかは不明だが、
まだ肉が少し残っているニホンジカの白骨死体が、無残な姿を晒していた。
なお、この滝は、前回、遙か下方に見下ろしていた青滝ではない。明らかに位置が違う。
これも帰宅後の入れ知恵だが、青滝は、一の滝から三の滝までの三つの滝からなっており、
ここにあるのは最も上流側の青滝三の滝といい、訪問にはかなりの危険が伴うとのこと。
軌道跡を利用することで、落ち口にこれほど近づけることも、知っている人はいたはずだ。
トラロープやピンクリボンの設置者は、この滝を見に訪れた人物である可能性が高いと感じた。
“看板”の非業な登場人物ではないことを切に願うが、これについては分からない。
10:06 《現在地》
はぁ はぁ はぁ
崖を下る間に、登りで上がった息はすすっかり鎮まったはずなのだが、
いまはなんというか、過度の緊張感で、呼吸に圧迫を感じる。
この先、青滝の上部を渡って対岸へ行く方法を考えるのが嫌だったが、
その問題を先延ばしにしても確認すべきことを、さきに確認しよう。
目の前に用意されていたカーブを一つ、回った。
隧道発見!!!
この回、なんとも思わせぶりな章題(↑)となったが、好事魔多しというべきか、最近ではなかったレベルの危機的状況へ私が陥落していくその入口となったのが、この隧道を探索した“後”の行動であった。
が、もちろんこの撮影をしている時点では、数分後のピンチを予期することはなくて、危地に我が身を深く沈めてこそ見つけることが出来た、地図にない、情報にも全くなかった林鉄隧道の発見に、私は極度の興奮を催し、有頂天となりながら、最高の気分で接近していくのだった。
やったね!!
しかし、いま歩いている部分も、道としての形を留めているからいいものの、トンデモナク恐ろしげな絶壁の縁に狭い平場が延びている状況で、興味本位で縁に近づいて撮影(→)すると、本当に身の毛がよだつ思いがした。腰が引けてしかたがなかった。
ちょうど眼下には、二つ以上の滝の落ち口が、うねるような白奔の連なりとして遠視され、その美景は超常のもので、気軽に触れることが決して出来ないものであった。
私はこうして青滝と呼ばれている滝群を上から見下ろしているが、これを下から見上げた雄姿は、たとえば「おげしぶろぐ」さんの記事などで見ることが出来る。なんと凄まじいところに林鉄を開削したものだと、驚かされることしきりであった。
10:08 《現在地》
来たぜぇ!!
とりあえず、(仮称)1号隧道と名付けておこう。
非貫通であることがほぼ確定しており、かつ長さも決して長くないはずだ。
なにせ、GPSの画面上に表示されている現在地だと、先ほど一旦【撤退した地点】とほとんど重なって
しまっていたから。ここからだと地形が邪魔をしていて反対側が全く見通せないが、凄く短いんだろうと思う。
隧道は、谷側がほとんど垂直に切り立った岩稜を貫いており、崖をへつって裏側へ行くことは無理だ。
この岩稜一つを超えるために、最低でも60m以上高度を上げる高巻きが必要だった。
しかしその甲斐あって、見事に現存していた隧道の片割れに、こうしてありつくことが出来た!
さあ、突入だ!
ウオオーーッ!
なんと、珍しいッッ!
坑口は完全に素掘りなのに、洞内にのみ覆工がある?!
坑口から4〜5mの位置から奥だけが、コンクリートの覆工に守られていたのだ。
普通は逆だろっ!! …そう思わず突っ込みを入れたくなったが、
そもそも、こんなに短い隧道で巻立てがあること自体が、林鉄では稀だろう。
結果的に崩れているのでなんか説得力があるが、
完成当初から、素掘りだとヤバいと分かるような地質だったんだろうか…。
そして、内部を覗いた瞬間に納得の、完全崩壊閉塞。
この崩土の裏側が、先に見た東口擬定地の崩壊斜面である地表なのだと思う。
隧道探索として別個に章を設けるほどの長さはなく、本当に岩稜を貫くだけの洞門だったようだ。しかし、内部をコンクリート覆工にするなど、造りはしっかりしていた。東口地表部分の崩壊がなければ、貫通したままだったろうに。
とても短い洞内の床に目を向けると、ここまでのどこよりも「軌道らしさ」があって、ドキッとした。
整然とは呼びがたい感じの曲がった枕木も混ざっていたが、これまで地表の路盤ではほとんど見ることがなかった枕木が、よく原型を止めていた。
これはまさしく、短いながらも屋根のある空間によって温存された、廃止60年目としては貴重過ぎる林鉄の名残であった。隧道という小さな宝箱に収まった宝物のようだと思った。
閉塞壁の髄まで覗いてみた。
天井まで主に岩石からなる大量の瓦礫が積み重なっていたが、天井のコンクリートアーチには亀裂がなく、末端部も整ったカーブを描いていた。
つまり、覆工はこの場所でもともと途切れていたらしく、隧道の崩壊は、素掘り部分の圧壊か、地表の崩壊に巻き込まれたということなのだと思う。
この東側の素掘り部分がどのくらいの長さであったか、正確なところは分からないが、西口の素掘り部分が4〜5mで、中央の巻立て部分が7〜8mなので、東口の素掘り部分が西口同等であれば、全長は15m〜18mくらいかと思う。いずれにしても、全長30mには満たない、非常に短い隧道だったのは間違いないだろう。
もしかしたら、根気よく土砂を退かせば再貫通ができるかも知れない。
洞内でいくら時間を使おうと思っても、せいぜい3分。
それ以上は見て回る場所もなく、もとの西口へ戻った。
隧道西口から見ると、すぐ先に青滝の谷の対岸が壁のように迫って見える。
一木一草のない岩壁というわけではなく、本来なら絶望感を与えるようなものではないはずが、先ほど“橋頭”から【一瞥】した程度である対岸の地形の“複雑さ”が脳裏に残っており、どうにもポジティブな感想が持てなかった。
先ほどの一瞥の感想、ひとことで言えば、対岸の地形が、よく分からなかった。
しかし、この「よく分からない」ということほどに、探索者を悩ませるものはない。
既に後顧の憂いは断ったので、今度こそしっかりと対岸を見定め、踏破の前身を企てたいと思う。
現時点で、終点までの残距離は500〜800m程度となっているはずである。
10:11 《現在地》
再び、青滝三の滝上部の橋頭部へ戻ってきた。
敢えてここを橋台と呼んでいないのは、たぶん崩れたのだと思うが、それらしい石造構造物が全く残っていないからだ。
しかし、ここまで来た路盤が、最後に谷に向かって正対して終わっているので、橋があったのは確実。ここまで霧ヶ滝線の軌道跡で目にした橋の中では、間違いなく最大規模の橋だったはず。
だがその橋が、橋台、橋脚、橋桁、その全てを喪失させていることも、残念ながら、確実だった。
それでは、橋頭から対岸を「よ〜〜く見る」仕事を、はじめるぞ!
橋がなくても、何かしらは手掛かりがあるはずだし、出来ればそこへ行くためのルートを見出したい!
なかなか思うようなものが見つけられず、対岸の岩壁の様々なところをキョロキョロと見回した。
その私の体験を再現すべく全天球画像を使ったが、解像度の問題で、さすがに見つかるものも見つからないかも。
ただ、対岸にぱっと見で分かるような道の続きがないことは、この画像から充分伝わると思う。
私は、この事態に当然、焦った。
先へ行く方法を考える以前に、
軌道跡がここで終わっている可能性を疑わねばならないのかと思ったからだ。
距離的にも、地形図の点線的にも、あまり考えたくはない説であったが、
ここまで充分に鮮明だった軌道跡が、この橋跡にしては何も残っていなさすぎるポイントを境に、
その先に何ら遺構が見いだせないとなれば、上記のような疑いを持つのは自明だったのだ。
だが、私の目が節穴じゃなかったせいで、また一歩、死地への門へと近づくことに。
対岸に、苔生した石垣があったよぉ…。
その位置は現在地から25mくらい離れた対岸で、真っ直ぐな橋が架かっていたなら対岸橋頭だろうが、
前述の通り、橋台も橋脚も橋桁の残骸も全くないので、橋のことはもう忘れるとして、
とにかく対岸にも大規模な土工があることが、判明したのであった。
問題は、石垣はあるようだが、付随する道らしいものが鮮明に見えないことと、
そもそも石垣に接近すること自体が、容易でないように見えたことだった。
この橋頭上という平らな安全地帯に居て分かることは、ここまでのようだ。
私が鳥になって対岸を調べることが出来ない以上、あくまでも地面を這いながら、
どこか別のもう少し近い場所から、石垣や対岸の地形を観察して、今後の行動を決めたい。
ここで私は、青滝のある沢へ下降することに決した。
このように書くと、いかにも無謀の始まりのようだが、実はまだ全然大丈夫だったんだ、ここまでは。
確かに、ここで谷へと一歩を踏み出したことがこの後の窮地につながるが、明確な判断ミスを冒したのは、ここじゃない。
右岸橋頭の出っ張ったところから、斜面を伝って、青滝三の滝落口のすぐ上の谷へ入った。
飛石を伝って流れを渡り、あっという間に左岸へ。ここまでなんら問題はない。
写真はその左岸に入ったところで撮影した全天球画像で、苔生した石垣が、より鮮明に見えるようになった。
だが、ここから直接石垣の上を目指して登ることは、明らかに無理だった。
どうもここは現在進行形で崩壊しているようで、雨で洗われていない土が崖の表面に沢山残っていた。
仮にそうでなくても、この角度で手掛かりも全くない崖は、私には登ることが出来なかった。
万事休す。
………か。
とはいえ、ここで軌道跡が終わっているわけでないことが分かったのは、収穫だ。
かくなる上は、大変面倒ではあるものの、最初に“小さな高巻き”をはじめたときに、オプションとして計画した、
“大きな高巻き”(上の図中の桃色の点線のような高巻き)での再起を図るか…。
もう一度60mからの急斜面を這い上がり、道なき山や渓流を数百メートル跋渉し、
先の地形の分からない所で路盤まで下降するというのも、相当の賭けではあるが、
時間さえかければ、成功する可能性は十分あると期待できると思う。
そのように慎重な考えを持って、引き返しへの移動をはじめた、その瞬間だった。
三の滝の落口に近い崖の縁に生えているカツラか何かの大木の根元の、
こちら側からだと見えにくい裏側に近いところに、大きなロープの束が置かれているのを発見!
その意図するところは、なんだろう?
思いがけない位置に見つかった人跡に純粋な好奇心を刺激されたと同時に、
あの大木の位置からだと、先に見つけている“苔生した石垣”へ近づけるのではないかという期待を抱いた。
石垣を直接よじ登ることは普通無理だろうから、石垣に近づいても、その上に行けるかは別問題だが、
近づいてみたら、ここからだと見えていない登上のルートがあるかも知れない。
ロープの存在は、それを示唆するものだという可能性もある。
誘蛾灯へ近づいていく夏の蛾のように、不自然な存在であるロープへ導かれる私。
だが、だが! まだ判断ミスを反省する段には来ていない。
ここまでは、また同じ場面があったとしたら、自信を持って同じ事をすると思うのである。
滝の上ではあるが、既に連瀑といって差し支えがない流れの急さになっている。
そんなところを、大木目指し、四つ足を使って、慎重に下っていった。
(ちなみにこの写真の右の苔生した一枚岩は自然物である)
10:17
そしていよいよ、連瀬から直瀑となって流れを空中へ放散する三の滝の落口に立つ。
三の滝の下には、二の滝の段差があり、その先には一の滝の段差が、
それぞれが地面の連続性の断裂となって鮮明に見て取れた。
この壮大な風景を目にしただけでも、ここへ来た甲斐があったのかも知れない。
林鉄探索者としての本分からは少しだけ逸脱したそんな満足感を得つつも、
ここへ来てしまったからには石垣を確かめたいという欲も、また着実に膨らんでいた。
それと引き換えに、大きな高巻きをすべきという直前の決定は、凡策に思われてくるのだった。
この場所にこそ、直前に隧道へ到達して見せた私ならではの理想の奇策が、あるのではないか。
そんな根拠なき自信が、私を普段よりも少しだけ、向こう見ずにさせてしまったのだろう。
まず、私をここ(滝落口の大木根元)へ導く最大のきっかけとなったロープだが、
これは、私が期待した目的(石垣上部の軌道跡へのアクセス)に用いられたものではなかった。
全く逆で、三の滝を昇降するために張られたものであるらしく、これはまったく私の手には負えない異次元の仕事であった。
なるほど、これでここへ私が来た根拠の一つは失われたのであったが、
そのことを無視し、この写真を撮った位置から左へ3mトラバースしたところへ踏み込んだ。
そこが、問題の“苔生した石垣”の直下であったから。
このトラバースは、崖にへばり付いて行われた(写真は振り返って撮影)。
踏み跡も平場もなく恐ろしかったが、崖に太い木の根が深く根付いており、唯一の手掛かりとなった。
(実はこの落口のトラバースはやや危うかったと思うが、まあここまでは許容しよう。この後の判断ミスに比べれば…)
10:21 《現在地》
苔生した石垣の直下に到達した!
残念ながら、ここからの行動が、反省の対象になる。
いったい何をやらかしたのか。無事に帰って来れたいまだからこそ、
「コメントでの正解者の先着30名様に隧道ぬこ鳴き声CDプレゼント(嘘です)」なんてふざけたコメントが書けるが、
いやはや、ここでの判断の誤りは、ほんと反省……。
2021/4/24 10:21 《現在地》
青滝三の滝の落口から危うい3メートルのトラバースを終え、“滝上の小テラス”とでも呼ぶべき位置に入った。
私が約25分間の高巻きを終えて三の滝右岸の路盤に降り立ったのは10:06だったので、それから15分後に、曲がりなりにも右岸から左岸へ移ることには成功したことになる。
橋が架かっていなかった青滝上部を、何とか渡ったという形だ。
しかし、まだ左岸側の路盤にたどり着いたわけではない。
路盤は――
この上にある!
……はずだ。
石垣しか見えていないが、なんのための石垣であるかを考えれば、間違いなく路盤の続きがこの上にあるだろう。
現在地である“小テラス”との比高は、6〜7メートルといったところ。
ここをよじ登れば左岸の路盤に到達出来、晴れて、青滝の谷を越えて終点側へ前進を再開することが出来る。
さて、とはいえ写真の通りの険しさである。
もし、登れないと判断すれば、それはもちろん撤退だ。
直前に越えた3メートルのトラバースこそ最大限の慎重を求められるが、それ以外はそこまで難しいところはなかった。戻れるのだ。
少し話が脱線するが、前回レポートの中でふざけて、この直後に私が冒したミスを正解した読者様にご褒美みたいなことを書いたところ、多くのコメントを頂いた。
まず、この直後に冒した“行動”としては、ほとんど全員が正解であった。
ここで何かミスが起こりそうな行動といえば、石垣を登るか、存置ロープを下るかしかないだろうし、ほとんどの読者が石垣を登るということを予想した。
もちろん正解である。
だが、その行動がなぜミスであったかまでを言い当てた完全正解者は、相当近い人は居たのだが、残念ながら(?)イラッシャラナカッタ。(隧道ぬこ鳴き声CDの当選者はなし)
何が起きたか、これから説明する。
まず、既に述べたとおり、私はこの石垣……正確には、石垣右側の自然崖を這い上がりはじめた。ほぼ垂直である石垣は登れないから、その隣の岩崖に取り付いたら、これがステップが多く何とか登れそうなので登っていった。
この行動が圧倒的に良くなかった。
理由は、この日の私の装備だと、ここを安全に下ることは出来なかったから。
10:29 《現在地》
“小テラス”に到達して約8分後、私は“石垣上部の平場=軌道跡”に立った。
8分という所要時間は、私が“小テラス”で比較的長い時間逡巡したことを教えている。
いくら急峻な岩場だったとしても、たかが6〜7m登るのには1〜2分しかかかっていなかったはずだし、そういう記憶もある。
そして記憶といえば、登っている最中に「はっ」としたことは憶えている。
「あれ? これって登れそうだけど、下りられるかな?」、と。
皆様なら、この場面でどう判断しただろう。
上にはまもなく手の届くところに終点へと連なる待望の路盤があり、下には滝に面した小さなテラスのような斜面があるだけ。
正解は、確かに下りられるという者以外が登るべきではなかったのである。
だが私は、うまくいくと信じて、登ってしまった。
登り着いて、そこから数メートル“路盤”を終点側に歩いたところで“小テラス”を見下ろして撮影したこの写真(→)だが、いま見ても、あのときの気持ちが甦ってきて少し怖い。
既にミスを犯し、引き返せなくなっているが、まだ危機を認識していない。
ただ、うっすらと、「いま危ない橋を渡っているぞ」という居心地の悪さは認識していた。
来た道を安全には戻れなくなってしまったことは、もう理解していた。
戻ることが本当に無理なのかという客観的判断は、無理を押して試さなければ出来ないことだ。しかし、試す気には到底ならないことも、無理の中に含むべきだろう。
たとえばの話だが、無理に窮して高さ20mから滝壺へ飛び降りても、助かる可能性はゼロじゃない。だが、それを試す羽目になったなら、仮に助かったとしても、それはもう事故でしかないのだ。
……ともかく、ここは久々に辿り着いた路盤である。
そして、相当に高い確率で、永久に誰も踏まない路盤だろうと思う。いまいるこの場所だけはね……。
路盤なので、平らである。
そして、写真は起点側を振り返っているが、青滝の落口の向こう側に、約20分前に離れた右岸橋頭と、そこに連なる右岸の路盤が見えた。
改めて、左岸側から眺めてみても、軌道が青滝をどのように横断していたのかは、分からなかった。
いまある両岸の平場同士を直接橋で結ぶとして、直線橋だと滝の落口に高い橋脚を建てることになるので、現実的でない。
おそらくは、山側にカーブした、長い桟橋だったのだと思う。
もっとも、そういう橋なら崖に沿って橋脚が何基もあったはずだが、どういうわけか、痕跡は全くない。
桁がないのはありがちだが、橋脚や、橋脚を建てるための基礎すらないのは、不可解だ。
原因は、想像を遙かに超える規模の大きな崩落がここで起きたということくらいしか考えられないが。
橋の謎は、現役時代に滝の下から撮影した写真でもあれば解決できるだろうが、未発見である。
きっとここは、日本の林鉄シーンに残る凄い景色だったと思う……。
さて、今回の更新分で、林鉄に関する調査の進展を語れるのは、これだけである。
帰路を失っていることへの大きな恐れを内心に抱きながら、同時に、そんな都合の悪いことがピンポイントに起こりはしないと願いながら、いよいよ、長居を強いられた青滝中枢からの脱出を開始する。
この写真は、石垣脇をよじ登って辿り着いた地点から7〜8mほど終点方向へ路盤を歩いた位置から、進行方向を撮影したものだ。
20mくらい奥には、少し残雪を持った浅い掘割りが見えているし、その奥は尾根へ向かって緩やかで解放的なカーブが伸びている。
急峻すぎる青滝の谷へ近づくまではよく見られた、霧ヶ滝線での標準的と思える軌道跡の風景が、ほんの数メートル先から再開していることが見て取れた。
あそこまで行ければ、とりあえず青滝という危地を脱するに違いないと、そう断言できた。
本当に、すぐ手が届きそうな数メートルだったのだが…!
10:30
渡れない!
この画像は、全天球画像から切り出したものだ。
顔がやばいことになっているが、リアルなんでそのまま採用。
あと、ここから先しばらくの間、通常のカメラでの撮影をほとんどしなかった。
理由は、自分が立つ位置やアングルを慎重に決めて撮らないと伝わる画像が得られない通常カメラの撮影には、
ある程度の気持ちの余裕や、動き回れるだけの土地の広さが必要だが、どちらもなくなってしまったためだった。
ここからしばらくは、とにかくシャッターボタンを押すだけで雑に全方位を撮影出来る全天球カメラのみの稼動となった。
すなわち、自身のピンチを完全に認識した瞬間だった。
私が、渡れない!と判断した、
路盤を綺麗に切断しているガリーの幅は、おおよそ4m。
そのうち、手前側の2mくらいは、斜め上に登っていくことが出来て、
その先端で撮影したのが、この全天球画像だ。
あと3mほど、斜面を斜め下方向へ進めれば、続きの路盤に到達出来るが、踏み出せなかった。
土っぽい斜面が異常に硬く磨かれていて、簡易アイゼンが全く引っかからないし、
その状況で斜めに下るのはもっとキツイ。で、うっかり滑り落ちたら、先ほどまでいた“小テラス”付近へ落ちる。
そこで止まれれば、擦りむく程度の負傷で済みそうだが、たぶん、滑落の勢いがついていたら、
あの傾斜した“小テラス”で止まれない。いこーる、滝壺まで落ちて、たぶん死ぬ。
“小テラス”から登り始めたことは、このミスとピンチの重要な伏線であった。
“小テラス”のような、滑落を受け止めることができない地点からは、登ってはいけなかった。
登るなら、斜面を伝って“小テラス”へ安全に下りれるための最低限の準備、具体的にはロープが必要だった。
ロープのことを書くと、たぶん歴戦の登山者たちが、素人はそれを使うべきではないと教訓を語るであろう。
仰るとおりだ。私もそんな付け焼き刃の技術で、ロープに頼って崖を登るつもりなど全くない。
ただ、立ち木にしっかり固定してロープを垂らし、それを握りながら、垂直ではない斜面を下る程度のことは、
緊急脱出的な用途において、絶対に、無いよりもマシだった。だから、これを書いている現在では、
耐荷重300kgのパラコード(細いロープ)1本とカラビナ1つをリュックに忍ばせている。簡単なロープの結び方も教えてもらった。
このような備えがあれば、私は安全に“小テラス”まで戻ることが出来ただろうから。
恐れていたことが現実に起こってしまったことに青ざめた。
いまや、直前に登り着いた左岸の路盤は、私を閉じ込める天然の檻となったのだ。
現実を受け入れざるを得ず、一旦その中央へ後退した。平らな場所は中央付近だけだった。
冷静に見回すと、前後が切れたこの孤立の路盤は、長さ10m幅2mばかりであった。
残りの人生を、この20平方メートルで終えることは、我慢できない。
したがって、この後で私は次の選択肢のうち一つを選ばなければならないだろう。
皆様なら、どれを選ぶか?
私は、それほど悩まず、3.を選ぶことにした。
1と2は、失敗したら高確率で助からないと思った。最初に選ぶのはあり得ないだろ。
10:32
というわけで、またしても全天球画像からの切り出しだが、
渡ろうとするのはリスキーすぎるこのガリーを、ここからよじ登ることで、
地形図によれば50mほど上方に広がっているはずの高原へ、脱出を計ることに決めた。
10:33 (登り始めて1分後) 《現在地》
ガリー直登開始1分後。
何とか登れているが、万が一滑り落ちたらどこにも受け止めてくれる平場のないガリーを登るのは、とても怖かった。
万が一滑ったときは、最後に一発逆転を狙って、左へ飛んでやろうと思った。
そうしたら、終点へ通じているはずの左側の路盤に着地出来る可能性があると。
もっとも、いまいるところよりも上へ登れば、そんなことも出来なくなるだろう。
ガリーを勢いよく滑落するのはウォータースライダーを流れるようなもので、意識的に跳ねるなど無理だと思う。
だが、それでもここを慎重に上り続けるのが、一番良いと思った。
ほぼ同じ時刻に、同じ場面で、右側の斜面を撮影したのがこの画像。
この方向にトラバースして適当な所で下へ向かえば、短距離で路盤へ下りられるだろうが、
急傾斜に過ぎて、トラバースに移るのは自殺行為だと思った。
樹木がなさ過ぎるのである。しかも落葉が多く、えらく滑りやすい斜面だ。
もう、黙してガリーを上り続けるしかないと思った。
正直、小テラスから路盤へ登るのが片道切符だったように、
結局は、このガリーの登攀も片道切符なのだと感じていたが、
上の方には樹木が多く見えていたから、そこまで辿り着ければ、どうにかなると信じた。
助かりたいッ!!!
( 路盤と関係がない斜面での行動にあまり字数を費やしても冗長だから、 )
( 結局この人は助かるんだけど、探索の継続の判断がどうなったかを、次回語る )
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