廃線レポート 元清澄山の森林鉄道跡 第6回

公開日 2016.10.06
探索日 2013.01.31
所在地 千葉県君津市

 2013年の探索終了時点のまとめ 


これまでレポートしてきた2013年1月31日の探索で発見された、トロッコ関連の主要な成果をまとめたのが、右図である。

とりあえず素性はまだ分からないまでも、“廃レール”という動かしがたい証拠も発見された以上、仮称“トロッコ谷”にトロッコが存在した事は間違いない。

ところで、私自身もレポートを書き進めると同時に、皆さまから寄せていただいた沢山の感想コメントに目を通している。
その中で目立ったのは、“一人目の古老”と“二人目の古老”が証言したトンネルは、そもそも別のものなのではないかという声だった。

レポート本編では混乱を招くと思い記さなかったが、二人目の古老が私の目の前で「トンネルはすぐ近くにある」と述べた瞬間に、私も同じような感想を持った。
この地に存在したトロッコには、少なくとも2本のトンネルがあるのではないかと疑った。

そもそもそれ以前の疑問として、私は右図を眺めていると、“トロッコ谷”で発見された軌道跡と、田代川で発見されたトンネル跡が、本当に同一の路線に属するものだったのかが疑わしく思えてくるのだ。

二箇所を結ぶルートとして最も容易に想定出来るのは、図中に点線で書き加えた「推定線」だ。川の蛇行に従うとして、その距離は1.8kmほどである。
距離の話しが出たついでに述べると、トロッコ谷で探索した軌道跡も約1.8kmだった。
これに「水没トンネル」の推定延長300mを加えると、最低でも約4kmの路線となる。
(トンネルに通じる田代川沿いにも路線が有ったはずだが、情報、痕跡ともに未確認)

だが、いま想定した約4km+αの路線は、一般的な森林鉄道のスタイルとしては、だいぶイレギュラーだ。
なぜなら、図中の「終点」からトロッコ谷を下ってきた路線は、笹川湖の湖底になっている低地に運ばれた後、それより標高の高い田代川の谷に上がってくるという、“逆勾配”が推定されるためだ。
よほど大きな理由が無い限り、このような面倒な運搬経路を採ることはないと思う。

無理に1本の路線と考えるよりも「ありそう」なのは、トロッコ谷の軌道と田代川の軌道が本線と支線の関係にあって、笹川湖底で接続していたという説だ。
しかし、そもそも二つの軌道は接続しない別々の路線で、利用時期さえ異なっていたという可能性も否定は出来ない。


まあ、このようにいろいろな説を錬ってみたところで、結局のところ…

「手元の情報だけでは、これ以上分かりません!」が、ファイナルアンサーでOK?

「…そのとおりです……」




 サードインパクト! 第三の証言者が与えた、異次元的“答え” 

私よりも先にこの軌道を知り、現地調査(聞き取り調査を含む)を行っていた人物がいる。

私がその事を知ったのは、2014年12月のことだ。

ご本人の要望により、それが誰であるかを明かすことは出来ないが、私はその人物とコンタクトを取り、情報をご提供いただいた。

以下にその情報を転載する。


さて、千葉の軌道の件ですが、地図や記録などに記載されていないこの軌道のことを知りましたね。
現在残っている軌道の隧道は、送って頂いた写真の隧道の他に、片倉ダムの少し下流右岸に第1号隧道があって、ここはもう少し上に出ているはずです。

この軌道の起点はもっとダムよりも下流で、現在広場になっていますがそこに製材所と貯木場があったということです。
さらにダム喫水線近い場所に1箇所と、奥にも隧道があったそうなのですが、平沼さんの地図は線形がかなり違っているので、書き直して後日お送りいたします。

この軌道は、旧東京営林局千葉営林署の軌道で、線名は戦前期小坪井という記述があるので小坪井軌道としています。途中の橋に小坪井橋という名称が名残として残っています。
戦後はこの辺は千葉営林署の笹事業区となっています。
廃止時期は昭和12〜3年頃だと思われます。動力は手押しだということです。


情報の次元が違う!


この「第三の証言」の重要と思える部分を赤く塗ろうものなら、文章の大半が真っ赤に染まることになるだろう。
ここにきて、一気に情報の確度がジャンプアップした。
これまでの第一第二の証言を、古老という果実から絞り出した純度100%の果汁だとすれば、この第三の証言は、それらの果汁を精選し、ブレンドして精製した上等なジュースである。個人の主観的記憶に、客観や資料による濾過が加わっている。
この情報のジャンプアップを前に、私は自身の無力さを感じ少なからず悲嘆した。
だが、そんな後ろ向きの感情にとらわれ過ぎてはいけない。偉大な先人や同輩の知恵を活用してこそ、我々は限られた時間の中で大きな発展を遂げることが出来る。そんな大局的見地をイメージして、自分を慰めた。

これから、具体的に情報の中身を見ていこう。

まず、私が「ひとつか?ふたつか?」と悩みに悩んでいた隧道であるが、この情報によれば、隧道は全部で四つあるらしい。

また、現地では分からなかったトロッコの素性だが、中でも最も重大な部分である「路線名」と「運用主体」が判明した。

東京営林局千葉営林署が運用した軌道で、路線名は小坪井線というらしい。

つまりこれは、国有林森林鉄道である。
導入回の冒頭でも述べた、「千葉県には森林鉄道がなかった」という半ば常識的になっている説を覆す答えが、ここにはあった。
この証言者を私は十分に信頼しているので、これは間違いないと思う。

また、廃止の時期については確言されていないが、昭和12〜3年頃ではないかとのこと。
第二の証言が「戦前か戦後まもない」と言っていたのと矛盾はない。また、現地に残る数少ない遺構の風化ぶりからも、この古さは頷ける。
それにしても、これまで私が探索した森林鉄道の中では、ピカイチに早い廃止だと思う。
現地で色々な違和感を持ったのも、房総の独特の地形によるところだけでなく、この古さに原因する部分も少なからずある気がする。


 ※【トロッコ】なのか【軌道】なのか【森林鉄道】なのか。

これまで色々な表現でトロッコ谷の軌道を表現し、またされてきた。「トロッコ」と呼ぶ古老がいたと思えば、別の情報では「軌道」とされ、私は「森林鉄道」と述べた。
この部分に違和感を持つ人がいるかも知れないと思ったので、この小節を設けたのであるが、ずばり言うと、一つだけの正解というのは存在しない。
実は、「森林鉄道」と「(森林)軌道」という表現の間には、国有林行政では使い分けが存在する。
だが、それも時代により一定ではないうえに、世間的には「林業用のナローゲージの鉄道」は全て「森林鉄道」と一般名詞的に総称されている。個人レベルではほかに、「森鉄」「林用軌道」「トロッコ」など、親しみのある様々な表現で表される。
本編も様々な情報のごった煮であるから、敢えて用語の統一を図ることはしなかった。

それでも一応の基準を述べるならば、戦前の国有林野における林道の区分では、軌道上の貨車を機関車で牽引するものが森林鉄道、機関車を用いないものを軌道と使い分けていたから、手押しであった今回の路線は、第三の証言が述べるとおり、小坪井“軌道”と呼べるだろう。


さて、第三者の協力によって一気に調査は進展したが、この章は起承転結の「転」であって「結」ではない。

ここには未だ解明されない、現地で探索すべき“謎”が残っていた。

それは、先ほどの情報文中の以下の箇所である。

(前略)
さらにダム喫水線近い場所に1箇所と、奥にも隧道があったそうなのですが、平沼さんの地図は線形がかなり違っているので、書き直して後日お送りいたします。
(後略)

第三の証言者が伝聞として述べている、2本の隧道の存在。

これらはいずれも私が現地で見つけなかったものであるが、中でも“奥”にあったという1本は、第一の証言者が述べた隧道である疑いが濃い。

やはり、田代川のような人里近くではなく、“奥”にも隧道があったらしい。

そして、私が第三の証言者に預けた地図とは、今回の冒頭で皆さまに見て頂いたものと同じものだが、間違いが多いという。


それでは、修正版として後日送って頂いた、第三の証言者の地図を、早速ご覧頂こう。


遂に判明した! “トロッコ谷の軌道”小坪井軌道の全体像だ! ↓↓


!!!

地図に描かれている隧道は、先ほどの証言の通り、全部で4本。

このうち、第二の古老の証言により田代川で水没した坑口が発見された1本は確認済みで、残る3本は未確認だ。
未確認のうちの1本などは、普通にダム下流の片倉集落近くに描かれて、ちょっと探せばすぐに見つけられそうなのだが、
それでも従来から林鉄トンネルとして既知のものでは無かったと思う。いや、ここに既知である人がいたが、私は知らなかった。
また、湖底にも1本沈んでいるらしい。直筆の付箋にも、「水没」とだけ書かれている。これも大変気になる。

しかし、それらを措いて圧倒的に気になるのは、トロッコ谷の“奥”に描かれた1本だ。

この場所って… この場所って!! ↓↓


付箋に、「 この辺にあるらしい 未確認 」と書かれた、トロッコ谷奥の隧道の位置は、

2013年のトロッコ谷の探索で、確かに一瞥以上の調査をした自負のある、上の写真の枝谷だ。

そういえば、レポートを読んだ皆さまのコメントでも、なぜか妙にこの谷は人気だったが…。(読者レベルが高すぎるッ!!)


でも、もし本当にここだとしたら、残念ながら坑口は埋没している可能性が高い。

なにせ、上の写真のような有り様なのだから。






まるで全てを知るかのような第三の証言者の地図とて、完璧ではない。
例えば、トロッコ谷の軌道の位置を右岸の山腹に描いているが、その位置に路盤がないことを現地で確認しており、実際の路盤は谷底にあった。
多くの貴重な情報を与えてくれたこの証言者に対し、私が出来ることは、この点を報告することと、他にも可能な貢献が一つ残っている。

私は、もう一度トロッコ谷へ行き、第一第三の証言者が教えてくれた“最奥の隧道”を解き明かす。

それがどんな結末であろうとも、現地のありのままを報告することだけが、私が得意と自負出来る唯一の行為だ。
もちろん、これをお読みの皆さまにも、結末まで付き合っていただく。
千葉県唯一の国有林森林鉄道。決着の探索へ、いざ参らん!!