2014/12/27 8:54 《現在地》
この日も気温はとても低かった。強烈な放射冷却により常よりも強く凍てついた、12月の静謐な朝である。
今回は前回と違い、朝日が昇ると同時に出発したのではなく、本日の2本目の探索としてここへやって来たのだが、今日のメインは、間違いなくここから先の探索にあった。
ましてや一度失した獲物へのリベンジということで、自転車の漕ぎ足にも自然と力が籠もった。
この写真は、スタート直後に小坪井橋附近の田代林道上で元清澄山方向を撮影した。
前方に見える小高い山並みの裏側がトロッコ谷であり、あの高まりを首尾よく突破出来るかどうかが、はじめの課題である。
間もなく現れた、見覚えのある「明澄橋」の姿。これより上流は、初めて踏み込む領域である。
それはそうと、この目立たぬ橋にも、2年という月日の間に小さな変化が起きていた。
前代未聞とまで私が評した、例の油性ペンで雑に訂正された銘板が再修正され、少しばかり見栄えが回復していたのである。
しかも、「めいすみばし」と読めたものから「い」の字が消え、「めすみばし」となっていた。
私がこの銘板をレポートで紹介したのはつい先日のことなので、再修正に影響力を持ち得ない。強いて言えば、この2年の間に開催したトークイベントで紹介した事があったと思うが、それだけである。つまり、私の他にもこの銘板の「かっこわるさ」に違和感を持った誰かがいて、その人物が直接修正してしまったのかは分からないが、何らかの行動を起こしたのである。
地味な橋の銘板など、せいぜい物好きな同業者しか注目しないのではないかと思っていただけに、これは嬉しい誤算だった。
…とまあ、以上は本題とは全く関係の無い話しだが、結構驚いた出来事だった。
田代林道は、田代川沿いの道であり、谷底の水面に近い位置を通っている。
この田代川の谷は、トロッコ谷よりも遙かに規模が大きく水量も豊富だが、両岸が著しく浸食された急崖であることは変わらない。
この谷を徒渉し、さらに対岸を這い上がって尾根の反対側へ向かう事は、一見して容易でなさそうな印象を受けた。
深い谷底の未だ朝日の届かぬ林道をなおも進んでいくと、路傍に見馴れたデザインの看板が立っているのを見つけた。
それは次の写真のものであった。
これは見馴れたデザインの、国有林であることを示す看板だ。同様のものはほぼ全国に設置されていると思う。
だが、デザインに見馴れていたのとは別に、書かれた文字に見覚えがあった。
それは、「小坪井国有林」という表記の“小坪井”の部分である。
ここに来て、第三の証言者が記した「小坪井軌道」という名称が、確かに現地に存在することを知った。
それも、国有林の名称であるということが、まさに相応しいと思ったのである。これは林鉄の路線名の名付けとしては、頻出のパターンである。
(小坪井という名前自体は、今回の出発地に架かる林道の橋も同名であり、それを偶然の一致とは思わないでも無かったが、確信には遠かった。)
現在地を含むこの一帯には、「小坪井国有林」という地形図に現れることのない国有林管理上の名称が存在し、おそらくトロッコ谷もその範疇にある。
そのような新たな認識を得たことで、ますます小坪井軌道の輪郭は、私の中に鮮明な姿を示し始めた。
そのうえで、隧道という絶対に言い逃れの出来ない確固たる存在の証明を見つけたいという思いは、さらに高まった。
厳密に言えば、それは地元の誰かは確実に知っているものの再発見に過ぎないとしても、私にとって廃道の伝聞と実見の間には、房総に刻まれたいかなる峡谷より深い断絶があるのだ。
むっ! 前方に見えてきたアレはッ?!!
8:58 《現在地》
まだ、出発から5分も経っていないが、早くも重要な場面に差し掛かったようだ。
地形図には描かれていない、田代川を横断する橋の出現だ。
これは脇道で、本線は前を素通りしているのだが、GPSが指し示す「現在地」は、まさに私がショートカットを試みようと考えていた地点にズバリであった。
これぞ渡りに舟、得手に帆を揚げるような展開!
もっとも、これが本当に私の目的に適った存在であるかは、もう少し追求してみなければ結論は出せないが、自転車に乗った状態で対岸へ進めるチャンスは、おそらくここしか無いであろう。
時間短縮の意味からも、少しでも自転車を奥へ進めたいというのが私の考えであり、まずはこの封鎖された名も無き脇道に入ることに異論はなかった。
地形図にない道と言えば、出来たてほやほやの道か、或いは強烈な廃道を連想するが、ここはそのどちらでも無いようだった。
入口が施錠されたフェンスで封鎖されていて、滅多に立ち入る人は無いようだが、道がコンクリートで舗装されているせいか、藪はまだ育っておらず、やや急な上り坂であることさえ我慢すれば、自転車に乗ったまま進む事が出来る。
そもそも、単なる林道にしては入口の封鎖が厳重のようにも思われたが、封鎖の理由を明示するものもなく、色々と正体の分からない道である。
不思議に思いながら少し進んでいくと、路傍に5メートル四方はあろうかという巨大な金属製のタンクのような物が設置されていた。
ぽつんと、一基だけ。
ますます、正体不明だぬぇー??
正体不明の謎の道ではあるが、私の目論みに見事に合致した進路を示してくれた。
道はほぼ最短ルートで迂回せず東へ進み、入ってものの5分ほどで、越えるべき尾根が行く手に姿を現した。
いかにも、ここを越えて下さいと言わんばかりの、鮮明な鞍部の凹みをもって。
なお、写真の地点には大きな広場が存在する。
明らかに大規模な造成工事の結果であり、先ほどの謎のタンクと合わせて、何かしらの林業以外の土地利用が目論まれた事が伺えた。
しかし、私はこの広場も無視して、更に奥へと続く右の上り坂を進んだ。
9:06 《現在地》
脇道に立ち入って、ほぼ真東方向へ上り続けること8分。
遂に道は行く先を無くした。終点である。
そこには、先ほど見たのとは別の、しかし同じ程度の広さを持った広場があった。
これらの二つの広場は、一つの谷を埋め立てて作ったもので、段々に並んでいる。
どちらの広場も綺麗に整地されているが、更地で、特に利用はされていなかった。
凍てついた水溜まりが幾つも並んでいるだけである。
そしてこれが、同じ広場から見た、トロッコ谷方向の眺めである。
道は無いが、代わりに一筋の谷が続いている。
これを突き詰めれば、やがては先ほどまで見えていた鞍部に到達出来るはずである。
その鞍部を越えれば、めでたくトロッコ谷というわけだ。
躊躇いなく自転車を乗り捨てて、いざ、入山開始!
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「もしかしたら、歩行に容易い山越えの道が有るかも知れない。」
これまでの好展開から、そんな期待を心中に育てていた私だが、数秒も経たないうちに打ち砕かれた。
この谷に道は無く、完全な山河跋渉の世界であった。
が、距離の上ではもう、トロッコ谷は本当に間近だ。
林道から分岐した時点では700mあった距離が、いまや半分ほどになっている。
私は、トロッコ谷の終盤を彷彿とさせる、両岸の鋭く切り立ったほとんど無水の狭い回廊状の谷を、力強く進んでいった。
早くも稜線への谷上りは大詰めを迎えている!
険しさは、ここからがピークである。
今までは谷底のスラブ(一枚岩)を上ってきたが、ここで大量の流木が鼠返しのようにオーバーハングした状態で谷を堰き止めていたために、そのまま進む事が難しくなった。
そこで私は、これ以上の谷の遡行を諦め、向かって右側の斜面に取り付いて、その斜面を稜線まで上り詰めることにした。
この場合、一番大変なのは、谷の侵蝕力を現在進行形で食らっている、序盤である。
この超が付くくらいの急斜面さえ上り詰めれれば、どうにかなるはず。
比較的に斜面に立木が多いことを頼りに、上り始めた。
軌道跡でも何でも無い山歩きなので、ここでの試行錯誤の過程は省略する。
結論を言えば、ここでは10分ばかりの悪戦苦闘を強いられたが、最終的にはどうにか谷の現在進行形の浸食圏を脱出し、稜線と谷の間に広がる山腹に入ることが出来た。
次に挑戦する時には比較的に上りやすいルートが判明したので、これほど苦労することは無いだろうが、やはり見た目の上では近いのに踏み跡が無い山域には、それなりに理由があるのだと思い知らされる苦労だった。
ともかく、あともう一踏ん張りだ。
既に前方に見えている稜線を目指し、さらに上る。ガシガシと!
9:28 《現在地》
稜線に辿りついた!
ここは海抜220mの地点で、一般的な感覚からすれば「高くない」場所なのだが、これでも房総半島の中ではかなり高い、千葉県の面積ベースで言えばきっと10%に満たない領域だ。
林道からは100mほど高く、特に最後の広場からの高低差60mくらいが、きつかった。
とはいえ、結論から言えば林道からここまで30分で辿りついているのである。明らかに前回の記録を大幅に更新するペースで、トロッコ谷の深遠へ迫っていることになる。
この稜線はいかにも房総らしい、両側の切れ落ちた痩せ馬の背のような地形だった。だが、稜線伝いにおそらく国有林の管理歩道(広範な意味ではこれも林道の一種)と見られる、かなり明確な踏み跡が存在していた。
このまま歩道を歩いて行けるならば良かったのだが、残念ながらそうはいかない。私はすぐさま歩道を十字に横断し、上ってきたのとは反対側の斜面を前にした。
この下が、トロッコ谷だ。
地形図を見る限り、谷底との高低差は5〜60m。
いま苦労して上ってきたのと同じくらいは急な斜面であることが予想された。
…いや、予想だけでは無く、それが現実。
こうして見下ろしてみれば、そこは忽ちに落ち窪んでいて、最初の一歩を踏み出すのに、少なからず勇気が要った。
幸い、稜線の一角に杉が植林されたと思われる一帯を見つけたので、そこを下ることにした。
植林地は、人間が入り込んで作業した場所なのだから、どうにかこうにか移動出来る程度の勾配である(通常は)。
だから、道なき道を通って山河を跋渉する際には、私は積極的に植林地を目指す。
この策は上手く嵌まり、谷底までの前半戦(とみられた部分)を、ほとんど苦労せずに下りきることが出来た。
まあ、数時間後には同じルートを戻ってくる予定なので、上り直すのはそれなりに疲労するだろうが、その事は二の次だ。
だが、問題はその杉林を下りきった先に待っていた。
これはある程度予測していたことではあったが、トロッコ谷の浸食圏まで下り着くと、いよいよ斜面も急峻になり、杉を植え育てるような状況では無くなっていた。
ちなみに今見えているのは2年前に探索したトロッコ谷そのものではない。
これはその支流の一つで、前回の探索では踏み込んでいない流れである。
おそらくこの支流の底に降り立つことに成功すれば、あとはトロッコ谷の本流まで行けると思うが、特にロープも何も用意してこなかった私にとって、この手掛かりに乏しいスラブの一枚岩が浅く土を被っただけの斜面は、最大の難関となって立ちはだかったのである。
――5分後。
ヒヤヒヤしたが、私はここもどうにか滑り落ちることなく突破する。
あとはこの胎内洞のような谷を下って行けば、
ものの、数分で……
9:47 《現在地》
2年ぶりのトロッコ谷、それも一気に中盤へ到達!
川の蛇行したカーブ内側の少し高いところに、大掛かりな炭焼き窯の跡が見えている。
炭焼きのために建設されたといわれる小坪井軌道の沿線に相応しい風景だ。
そして、ここは見覚えのある場所だ。とはいえ読者諸兄には初めてだろう。
前回探索の往路では切り通し(写真)を通った為にショートカットされ、
帰路でここを通ったが、特にレポートはしていないのだから。
こうして私は、山越えの急斜面にかなりの苦労を強いられたものの、
時間的には圧倒的に短時間で、トロッコ谷中盤への侵入に成功した。
いよいよ、因縁の決着へ向け、戦いはクライマックスへ!