廃線レポート 千頭森林鉄道 奥地攻略作戦 第3回

公開日 2017.04.17
探索日 2010.05.04
所在地 静岡県川根本町

回避不可能な位置にある“南諸之沢橋梁(仮称)”


2010/5/4(火) 13:23 《現在地》

ここでお得意の“もったいぶり”が発動。すぐに橋へは向かわず、橋の側景を最もよく見られる場所で鑑賞した。

山壁によって日を遮られた陰の中、V字谷を轟かす重い渓声と、肌寒さを感じさせる谷風に晒されながら、
かつて果たされた人間による峡谷の征服を表明し続ける不動の人工物。
天然色とは異質な人工塗料と鉄錆の色は、ひたすらに際立っていた。
それは自然と人工物が合わさり見せる迫真の情景だった。



しかし、発見した大きな成果に浮かれてばかりもいられない。

橋周辺の地形を観察するに、これはおそらく、
橋を渡る以外、先へ進む術がない状況だ。

別に橋を渡りたくないワケではなく、渡れるなら是非そうしたいが、現状、橋直前の路盤の状況に大きな不安があった。
そこには、真新しい大崩落の気配がある。路盤が崩土に“埋もれて”いるのならどうにでもなるが、“欠け”ている場合、橋の袂にたどり着けない可能性があるのだ。 そうなったら、河床を迂回して進むよりないだろうが、橋の下が切り立ったゴルジュであるため、それがおそらく難しいだろうということが分かってしまった。

こんな風に選択肢が減った状態での探索は、精神的にクルものがある…。
頼むぞ…。
こんなところで前進不可能というのは、不完全燃焼すぎるぞ。




うあぁ…。

これは、かなり来ています……。
もう路盤があったことが分からないくらい、埋もれてしまっている。
路盤を埋めている崩土の斜面は、現状で既に安定角に達しており、これ以上積もることはないだろう。
新たな土砂崩れが日常的に起こっていそうだが、それらは路盤上の斜面を右から左に、ただ通り過ぎている状況と思われる。

こうした手がかりのない崩土の斜面を横断する場合、斜面の締まり具合が重要な要素になる。
良く締まった斜面の方が崩れづらいから安心と思うかもしれないが、実際は真逆だ。
つま先が突き刺さらないような締まりすぎた斜面は、ひたすら危険である。砂利でスリップして、そのまま下まで滑り落ちる可能性が大だ。
ズボズボと足が埋まる柔らかい斜面なら、大量の落石を引き起こしながら派手な横断になるが、危険度は小さい。

この斜面を確かめてみると、どちらかというと前者に近い、締まり気味の斜面だった。


しかしそこは慎重に横断し、次の場面へ進む。

するといよいよ、“橋”を見つける直前から嫌なアピールを続けていた“白すぎる斜面”の全貌が明らかに。

嫌な予感は的中し、白っぽい崩壊現場には、“埋もれ”だけではなく、路盤の“欠け”が見て取れた。
そして、本来なら石垣の裏側に隠されていた地山の一部が、新しい傷口のように生々しく露出していた。

最大の注目は、その“欠け”が路盤の全幅に及んでいるか否かであるが、どうにかまだ残っている部分がありそうだ。
あとは、その残った路盤を通行できるかどうかだが、これはもう少し近づいてみないと判断できない。

あと数歩で、路頭に迷うような目に遭うかもしれない。
そうと思うと、猛烈にドキドキした。




13:28 《現在地》

よ、良かったー!!

落盤に巻き込まれた哀れな木々が、最期の新芽を健気に育てていることからみて、この崩壊は前冬から今春にかけて発生したものと見る。
となれば、これは現在進行中の可能性が極めて高い崩落現場だ。
事実、頭上に覆い被さる岩盤には、風に当たるだけでも落ちてきそうな浮き石が多数見て取れ、それどころか、大規模な崩壊に繋がりかねない大きな亀裂(クラック)もあるようだ。
なんとも心胆寒からしめる光景である。

でも、通れる!

それで十分!




慎重に、崩土の山を、

乗り越えると――



ばんざーい!


もし、この落盤の影響で橋が落ちてでもいたら、大変なことになるところだった…。


何度も言うけど、助かった〜。



ドドドドド…

吹き上がる谷風が、水しぶきでも混じってるんじゃないかと思うほど冷たい。
それに、晴れてるはずなのにここは薄暗い。
すぐ背後に、背丈の何倍もある崩土の山を抱えているせいもあって、「橋の上に早く行け!」と言われてるような圧迫感が、半端ない!

でも、待て待て。待って! 待てって。 観察だ。
渡る前に、観察は必要!!


整然と枕木が並んでいる様子が、とても美しい。
これはひとえに、レールを残してくれた先人のおかげだ。
レールで押さえつけられていなかったら、多くの枕木が転落していたはず。
これまでこんなに綺麗にレールが並んだ林鉄廃橋を見たのは、う〜ん……、どれくらいぶりだろう? レアなのは間違いない。

だが、いくら綺麗に見えるからといって、耐用年数を何倍も超越した枕木をスタスタ踏んで渡れると思うのは、完全にアウトな考えだ。
似たようなことをして転落し、(ガチで)肋骨にひびまで入れた仲間を私は知っている。あのときは転落しつつも橋に身体が引っかかったからまだ良かったのであって、本橋は引っかかる余地があまりない。踏み抜けば、高確率で15m転落して、おじゃんである。




ほとんどない橋頭のスペースを利用して、側面からの撮影を試みる。
すると、河中に旧橋のものに違いない橋脚が突っ立っているのを見つけた。

そしてさらに、鈑桁の側面に見覚えのある製造銘板を発見した!
千頭林鉄の廃鉄橋で銘板を目にしたのは、確かこれが2枚目だ。
前に銘板を見つけたのは、(今回も通ってきた)【大樽沢手前のPG橋】であるが、あちらの銘板は主径間のPG桁ではなく、副径間のIビーム桁に取り付けられていた。今度の銘板は主径間に付いている。

東 京 営 林 局
活荷重 FRS-5
株式会社 横河橋梁製作所製作
昭和30年

銘板の内容は、前に見たものと一字一句同じ。文字の配列まで同じだった。



13:32

それでは渡ります。

…感想としては、枕木とレールが邪魔!!

それに尽きる。

【大樽沢トラス橋】は、左右の桁材同士の間隔が広かったため、レールを手すりのように使いながら渡ったが、本橋は(PGはどれもそうだが)左右の桁材の間隔がレール幅よりわずかに広い程度(すなわち80cmほど)しかないため、レールが足運びの邪魔になる。
そしてさらに邪魔なのが、微妙に等間隔でなく並んでいる枕木だ。

しかも今日は特別に60リットルのリュックを背負っている。そのせいで重心が高く、上体の安定が悪い。
だから、枕木を跨ぐために足を上げるという動作が、普段以上に怖いのだ。万が一バランスを崩したら、立て直せずに、そのまま転倒して墜落しそう。

私は、これらの命に関わる嫌らしい障害物を克服するために、かつて(肋骨ひび入れの)仲間が編み出した“棒渡り”を利用することにした。
まあ、棒はなくても渡れるだろうが、あった方が遙かに安定する。



13:34
そうして2分ほど緊張の歩行を行うと、いよいよ対岸が目と鼻の先に。

明るい!!
雰囲気が違いすぎて、さっきまでいた場所が、地獄のように思えてくる。
そのくらい、山の陰になっていない明るい右岸が優しく感じられた。

優しさは、それだけではなかった!
発見した! ついに、さほど古くはない先行者の存在を物語るアイテムを。
橋の袂に、栄養ドリンクの小さなビンがぽつんと一つ転がっていた。

……廃橋と、栄養ドリンク……

先行者は、橋から一度転落しかかって、そのあと「ファイ○ォー!いっ○〜つ!!」とか言いながら、仲間に引き上げられたりしたんだろうか?
そんなシーンを自分とはじめ氏に置き換えて想像して、笑ってしまった。



あえて名付けるなら、諸之沢停車場の南にあるので、南諸之沢橋梁(仮称)といったところか。

鋭い谷を一跨ぎにする遠景も、整然たる枕木の近景も、どちらも瀟洒な、とても美人さんな橋であった。



橋を後に前進を再開。久々の歩きやすい明るい路盤に、ほっとする。

右から聞こえる渓声が新鮮に感じられた。今は久々の右岸にいる。
だが、地形図に描かれた破線の道が正しく軌道跡を描いているならば、私は、
この先わずか500mほどでもう一度、本流を渡る大きな橋に見(まみ)えることが出来るはず。

そんな短い右岸の区間にあったと考えられるのが、諸之沢停車場だ。



13:39 《現在地》【粁程図】

ここだろうな…。 ここがきっと、諸之沢停車場の跡だと思う。
橋を過ぎほんの100mほど進んだところで、路盤が複線幅に拡大し、同時に一段下の川側に整地されたらしい広い平坦地が現れた。

とはいえ、500mほど前に見た複線場(仮称・南諸之沢)と比べても、特に大規模には見えず、むしろ小規模な気さえする。生活の痕跡もまるでない。
林鉄の往事の記録を見ても、諸之沢という地名はほとんど出てこないから、余り重視された駅(停車場)ではなかったのかもしれない。
まあ、路盤から見える範囲外は調べていないので、遺構を見落とした可能性も十分あるが。

ともかく…、やっと一駅、コマを進めた!

ここは、キロ程図に描かれた、大樽沢の次の停車場だ。
同図によれば、諸之沢は大樽沢の2.4km先にあり、千頭起点からちょうど30.0kmの位置であるという。地図上での測距においても、確かにここは大樽沢から約2.4km地点である。

30kmといえば、林鉄には稀な長大ぶりだが、それでも終点「栃沢」までは、あと4駅(6km)もある。
そして、今日中に3駅先の「大根沢」(3.9km)まで行きたいと考えている。
果たして、ちゃんと着けるだろうか。

すべては、この先の状況次第だな……。



13:40 何もない、諸之沢停車場跡を通過。



諸之沢停車場(千頭ヨリ30km地点)の先には、激レア標識が!


12:37 《現在地》

諸之沢停車場には「何もない」と書いたが、撤回すべきかもしれない。
「現在地」は、停車場を感じさせる短い複線区間を過ぎ、ほんの少し進んだ辺りだ。

この場所に残っていたのは、見事な1本の木製電信柱だった。
木製電信柱など、ノスタルジーの対象としてありふれていると思うかもしれないが、これは林鉄とセットで使われていた、いわば専用の電信柱である。
私がこの時点で探索を終えた千頭林鉄は、本線と支線を合わせて40km余りにも及んだが、その中で初めて目にした木製電信柱であったと思う。かつては無数にあったに違いないが、軒並み朽ちるか撤去されるかしたようで、ようやくの遭遇だ。もっとも、この電信柱も根元が朽ちてぐらついており、押すだけで容易に倒せてしまいそうだった。

なお、柱の上部にはちゃんと枝木と碍子も残っていた。さらに、被覆された電信線が垂れていた。この電信線を使って、【大樽沢宿舎で見たモールス符】を用いた通信が行われ、日々の林鉄の安全な運行が確保されていたのである。電信柱は一見地味だが、林鉄とは切り離せないシステムの重要な要素であり、嬉しい発見だった!

が、発見はこれで終わらず、連鎖した!



2連鎖! ファイヤー!!

やーばい!! キタキタ!(笑)
ここまで朽ちていると、今まで見逃していた可能性があるかもしれない。今回は電信柱の根元という目にとまる場所にあったからこそ、気づくことが出来たのかもしれない。
そんな風に思えるほど著しく風化した、1本の小ぶりな三角柱形の木製標柱を発見。
しかし、表面に残る微かな白黒のツートン塗りが、林鉄に限らぬ鉄道世界の流儀を感じさせる逸品。
無論こいつは、林鉄時代の貴重な遺物!

これは、曲線標だ。
私が林鉄跡で目にするのは、まだ2度目だ。(ちなみに1度目は、2週間前に訪れた逆河内支線の何十年も人が入ってなさそうな隧道内だった。)

曲線標は、昭和32(1957)年の「林道規定細則」(林野庁)制定にともなって全国の国有林森林鉄道への設置が義務づけられた標識の一つだ。
標柱の線路に面した二つの側面に、辛うじて「R=15」の文字が読み取れた。
これは、カーブの曲率半径が15mであることを示している。
この細身&木造で、良く残っていてくれたと思う!

そして、これら(電信柱&曲線標)の20mほど先には――



嬉しい発見3連鎖〜!! アイスストーム!!

こいつは、紛れもない勾配標!
これも林鉄跡で見るのは、たぶん2度目。平成19(2007)年に秋田県の小阿仁林鉄で、おそらくこれの残骸らしい支柱を見ている。千頭林鉄では、これが初もの。また、しっかり形が残っているのを見るのも初めてだ! やったぜぇ!! 楽園かよここは(笑)。

勾配標も、「林道規定細則」で設置が義務づけられた標識だ。
コンクリート製の標識柱(おそらく昔は白黒の塗装が施されていただろう)に、白く塗られた木製の“羽根”が斜めに取り付けられた外見をしており、羽根には1文字「」とだけ書かれていた。鉄道の勾配標をご存じの方なら、意味は分かるだろう。
「L」とは「Level(水準)」の頭文字で、勾配のないことを示している。

よく人の説明で、「森林鉄道は森の鉄道だ」というのを耳にするが、これは誠にその通りであると思う。林鉄は、法制度的には林道(森林法が定めた林業施設)の一種に過ぎず、鉄道事業法とは全く関わりがない存在だった。しかし、林鉄のメカニズムは鉄道そのものであり、伝統的な鉄道標識を踏襲した各種の標識デザインもまた、林鉄の鉄道性の象徴であったと私は思う。



曲線標に勾配標という、現存例の稀な林鉄標識が相次いで出現したところで、少し脱線になるが、当時の林鉄で使用されていた各種標識のデザインを振り返ってみたい。

既に述べたとおり、林野庁は昭和32年に制定した「林道規定細則」で、林道(国有林林道)に設置すべき18種類の標識を定め、同時に「標識基準準則」でそれらの全国統一の意匠を定めた。右図はこのときに定められた標識の一部である。

この図にある9種の標識の中では、構造物標・勾配標・曲線標・距離標の4種類を(ここまでの千頭林鉄で)目撃している。
(なお、右上に描かれた林道標は、今日も日本中の林道の入口で普通に目にすることが出来る、林道名や延長などが書かれた白い標柱のことだ。)


「林道規定細則」では、林道の種類のうち「森林鉄道(1級・2級)」と「自動車道」には、上図のような標識の設置義務があった。
だが、実際の運用上、無数にあるカーブや坂に曲線標や勾配標が完備されていたとは思えない。それは、全国の中では模範的であったとされる東京営林局の千頭林鉄であってもそうであったと思う。なぜなら、現存する量が少なすぎる。
おそらくこれらの標識は、定められた時期が(多くの林鉄にとって)少し遅かったこともあって、形骸化したところが多かったとみられるのだが、それでもこのような独自のルールがあったことを知っていれば、それだけで発見の楽しみが増えると思うので、損はない。



標識類の連続発見という状況に、奥地探索という秘蔵の旨味を堪能した私であったが、その直後(勾配標の3mほど先)の路盤が大規模に欠落していることに気づくのは、まさにその縁に達したときであった。これまで何度もあった大きな難所のように、嫌な予感を噛みしめた先の出現ではなく、遠目には比較的簡単に迂回できそうに見えていたものが、近づいてみると案外に大変だと分かったのである。

この現場、典型的な“欠け”の現場である。
“埋もれ”と違い、難所化しやすいのが“欠け”の特徴だ。
山側をへつってトラバース出来るかと思ったが、急傾斜と濡れと落ち葉のトリプルパンチで、うっかり滑り落ちそうな気がする。
この高さなら即座に致命傷を負うことはないだろうが、捻挫一つでもほぼ間違いなく遭難する。残念ながら、そうならざるを得ない場所にいる。慎重な行動が要求される。




結局私は、この欠壊斜面をトラバースではなく、それに次いで手短な下巻きで乗り越えた。
しかし、乗り越えたあとから振り返ってみると、これが本当に「慎重さ」に重きを置いた判断だったのかと疑いたくなるような、綱渡りの危険な動線だった。

ここは仮に戻ることがあったとても、同じルートは通れないだろう。
この場所ならば、少し諸之沢停車場まで戻ってから、河原へ迂回をすべきであったろう。
実際に事故が起きるまえに、危険な行為があった場合はそれを自覚し、反省をしなければならない。
今朝、私たちを山へ送り出した【安全十則 “その6”】も、そう言っていた。




一難去ってなんとやらだ。

“欠け”の現場が相次ぐ展開で、全く気が休まらない。

こんなときも仲間がいれば軽口で励まし合いながら進めるが、ここにあるのは川の流れる音だけだ。そしてそれは、あくまで無情なもの。
それを有情だなどと解するのはきっと詩人の心であって、自分を繰り返し危機に誘い込む渓流の声など、私にとっては、どこまでいっても怖い存在でしかないものだ。
今晩も、明日も、この音から離れることは簡単ではないんだろうなと思う。
年がら年中聞いていたらば、いつかは耳がこの音を知覚しなくなるのだろうか。




諸之沢停車場から20分弱進むと、小さな切通しが見えてきた。
左にカーブした切通しの先は、まだ見えない。
だが、そこには何というか、明るさのようなものを感じた。
音の通り…ここでいう音はすべて渓声だが…も、今までより良い気がした。

GPSはないから、正確な現在地は把握していない。
だが、自分が現在どれだけ進めているのかということは、探索者として何よりも気になる情報であるだけに、数分おきに手元の地形図を眺めていた。

だから私には、いち早く分かった。

この小さな切通しの先が、妙に明るく見えたその理由。


この先は、4度目の本流架橋地点なのだ。


緊張しながら、切通しへと進む。



13:57 《現在地》

出た!

千頭林鉄は、期待を裏切らない!!

優秀。そして、恐ろしく有能。

もはや千頭林鉄にとって、本流架橋には絶対の安心感があると言っても良いだろう。

今回の探索で通算4度目となる寸又川架橋地点にも、見事に架かったままの橋が現存!



「でけぇ!!」

思わず叫んだ!

嬉しい! 超嬉しい!! めっちゃくちゃ嬉しい!!!

でも、同時に怖いッ!!

またやりとりだ。命の。強いられるッッ!アドレナリン漏出!



再びのトラス橋!

激レアの林鉄用廃トラス橋、なんと2本目をGETォ!!


しかし、またあの不格好で汗まみれになる、時間喰い渡橋の始まりだぁ。

(迂回は不可能ではなさそうだが、渡れるなら渡りたいよね。そりゃそうだよ!一度の人生で何度林鉄用の廃トラスなど出会えることか)



なお、こんな超大物を前にして、小さな“こいつ”の発見を見過ごさなかったことを褒めてもらいたい。

2度目となる勾配標……の支柱だけになったものが、橋の袂に残っていた。



さあ、やるぞ!!

もう、身体の動かし方は分かってる。

あとはただ、怖さを押し殺して、やるだけ。

2度と来ない運材車の代わりに、私がおまえに振動を与えてやろう!プルプル



顎から垂れた汗の雫が、軌条に当たってはじけるのを何度も見た。

これは外見的な動きの鈍さとは裏腹に、実に張り詰めた格闘である。

何かスマートな渡り方があるならば教えてほしいが、私には思いつかない。

故に今回も橋の上で前屈みの横向きになって、両足をトラス桁に、両手を近い側のレールに沿わせるスライドの動きで、少しずつ渡った。

既に枕木の三分の一程度が失われているが、やがては重いレールを支えられなくなり、それにへし折られる形で橋上から一気に姿を消すだろう。
その後なら、全くの裸に近くなったトラス桁を平均台のように渡れるのではないだろうか。おそらく現状よりは渡りやすくなる。
途中で立ち止まる余地はなくなるので、はじめの一歩には今以上の勇気が必要になりそうだが。



ふー。 ふー。 ふー。

ちょっと休憩。愛すべき朽ち色の世界を見て、心を落ち着けよう。

といっても、腰をどこかに落ち着けるようなことは出来ない。
ただ渡橋途中の姿勢のままで、身体を止めているだけだ。
不自然な姿勢だし、背中にある60リットルのリュックが前に落ちてきたがるしで、休んだ気がしない。
でも、息がとても上がってしまって、無理に動き続ければ動きが雑になって危ない気がする。
とにかく、横に動いている最中に、朽ちた枕木に見えにくい足を引っかけて、その反動でバランスを崩すことが怖い。
前に転んでも後ろに転んでも、支えてくれるような部材は少なく、コロンと案外簡単に墜落してしまう怖さがある。

なんだか大樽沢のトラスよりも苦しく感じるのは、単純な疲れのせいなのか、
実は微妙に寸法が違うのか…。少し長いような気はするが……。



14:03 渡橋開始から間もなく5分だが、まだ渡り終えていない。


終盤……いや、実はまだ中盤か……


いま、私は、


とても嫌な障害物に当たっている!



木が邪魔ぁ〜(涙)

林鉄廃橋を渡っているときに、地上に生えている立木が邪魔する率が高すぎて泣けてくる。

ただでさえ身体を動かせる範囲が小さいのに、生(なま)木のしなりを相手にするのは、きっつい。
なんとか這いつくばって抜けたと思ったら、背中のクソリュックが、俺の仇かと思えるほど執拗に引っかかってはずれやしねぇ!
マジで頭にくるぞッ!! むっきぃ〜!!むきゅー!!



14:05 おらぁ〜!木抜けたぁッ!!

やっぱりこの橋、なげぇ!! 一体何メートルあるんだ。橋上の木のせいで見通しが悪く、目測でも測りにくい感じだ。

でも、全体のシルエットは大樽沢のトラスとそっくりで、終盤の副径間(コンクリート桁1径間)が左にカーブしているのも同じ。

まさに、姉妹橋といった風情である。



14:06 ふぅ、やっと渡り終えた… やったぜ……。

なんか私は散々苦労したのに、橋の先の路盤は、
「なんかありましたか?」という顔に見えて憎たらしい(笑)。
しでかしたワルサが発覚したときのヌコみたい…。



いやはや、こんなものが人知れずに残っているとは……。

まだまだ林鉄世界は奥深い。そして、本当に千頭は苦労した分だけの旨味を与えてくれる林鉄だ。

ハイリスク&ハイリターンなターゲット。私が一番好きなヤツぅ。



14:09 《現在地》

橋から100mも行かないところで、ちょっとした広場(複線?)があった。
新緑の淡い緑陰が空を隠しており、写真の通りにすがすがしい場所だ。
ほんの数分だが、橋でやつれた心と体をリフレッシュするための休憩をとった。

なお、広場の一角に井桁に組まれていた廃材の山だが、よく見ればそれは犬釘の孔が残る廃枕木の山であった。
ここまでレールも枕木も綺麗に撤去されていたが、初めてまとまった量の枕木を見た気がする。
くず鉄にもなるレールとは違い、防腐加工を受けた枕木は、枕木としてしか再利用ができない。故に、手近な転用先がない状況で廃止されると、こうして野積みで放棄されるケースが多いようだ。千頭林鉄は、東京営林局管内で最後に廃止されている(昭和43年)だけに、枕木の転用は望み薄であったろうとも思う。




居心地良い緑陰広場から振り返る、巨大な廃トラス橋。名付けて、北諸之沢橋梁(仮称)だ。

大樽沢のトラス橋と同じく、左右端部が少し窄(すぼ)まった独特の舟形形状を持った上路プラットトラスだ。
残念ながら銘板などは発見されておらず、製造年や製造者は不明だが、おそらく昭和30年前後に従来の木造トラスを置き換える目的で架設されたものと想像する。
旧橋の橋台や橋脚が見当たらないので、旧橋もトラスであった可能性が極めて高いのだ。
もしこの私の読みが当たっていれば(自信はある)、こんな立派な橋が、たった10年少ししか林鉄として使われなかったことになるわけだ。

ちょっとここで寄り道をしてでも、河床に下り、橋の全景を撮影しなかったことを後悔中。(興奮してて忘れてたんだよな…苦笑)




ここまでは、すべての苦労が報われている、千頭林鉄奥地探索。

しかし、まだまだ未開の沃野は広い。新たな発見の期待度は激高だ!

こんな幸せ、滅多にないかもー…



栃沢(軌道終点)まで あと.6km

柴沢(牛馬道終点)まで あと14.0km