道路レポート 青森県道256号青森十和田湖自転車道線(十和田市区間) 第5回

公開日 2015.12.06
探索日 2014.11.12
所在地 青森県十和田市

孤独な高原サイクリング・ロード


11:41 《現在地》

県道256号青森十和田湖自転車道線の十和田市区間は全長11.5km。そして現在地は終点の焼山交差点から5.7km、起点の仙人平の交差点から5.8kmで、中間地点である。
さらに間の良いことに、この中間地点はちょうど沿道の風景を二分する変化の地点ともなっている。
これまでは奥入瀬川の谷底から高原を目指す山岳区間だったのが、ここからは八甲田南麓の高原を登る区間である。

県道は市道と平面交差すると、少しの間並走してから、また別れていく。
なおどういう訳か、この平面交差の前後には、自転車専用道路を示す道路標識や車止めが設置されていない。
そのため、見た目は一般道同士の交差点にしか見えない。




写真は交差点から100mほど進んだ所の、市道から離れ始めて間もないカーブであるが、ここまでの行程ではじめて、自転車を降りて通行しなければならない倒木が現れた。

また、これは複数の読者さまからの報告により判明したことだが、グーグルストリートビューが先ほどの交差点からこのカーブまでだけ入っているそうだ。(→リンク
本来は自転車専用道路であるはずの道に、自動車であるグーグルカーが進入した可能性が高いが(画像はモザイク加工されていて判別出来ない)、もしそうであっても責められないのは明らかだ。
たぶんグーグルカーの運転者も、「これはなんかおかしい」とここまで来て気付いたんだろうな。
当時は倒木も無かったようなので、すぐに気付いたセンスは、流石だと思う(笑)。



この区間は、地形図にも破線で道が表記されている通り、ほとんど表記が無かった前区間と較べても、作りは至ってまともである。
階段のようなおかしげなものも無く、雑木林や放牧地の中を、ときおりカーブを交えながら、全体としては直線的に北へ向かって進行する。
上り勾配が延々と続いてはいるが、自転車でもさほど負担を感じない程度に緩やかだ。

傍らに見え隠れしている牧場は、地図の上には湯ノ台牧場とだけ総称されているが、非常に広大であり、沿道に約4kmも続く。すなわち、ほぼ終わりまでの付き合いとなる。
これだけの距離だから、同じ牧場内でも高い所と低い所では150mくらいも高低差があるが、それらの全てがなだらかであり、冬枯れの放牧地は秋空のもと眠るように横たわっていた。夏を彩る牛たちの姿も全く無い。
また、自転車道はあくまでも自転車道としてのみ機能するように作られていて、牧場への出入口を含む分岐は一切無かった。




11:50 《現在地》

前回の交差点から約1km進むと、路肩崩壊の工事現場があった。
この日は関係者の姿も見られなかったが、工事用の真新しい木杭が打ち込まれていることから、今でも県道として災害対策工事が行われる環境にはあるようだ。
おそらく工事車両などは、許可を得て自転車道を通るのだろう。




上の地点のすぐ先の路傍に、この道ではじめて目にするものがあった。

4.という文字が書かれたコンクリートの小さな標柱。

ここが県道であることと照らして考えれば、正体は距離標と考えられる。
ただ、これまでの区間では一つも見かけなかったことや、本路線のどこを起点に数えたものかが分からないので、断定は避けねばならない。
仮に終点からだとすると距離が足らず、仙人平側の起点(路線全体の起点は青森市だが)からだとしても、800mくらい数字が合わなかった。

…といったくらいが、この区間について語るべき内容である。
総じて平和に、そしてこれまで通り孤独に、高原サイクリングは進行していた。
だが、そんな孤独にもようやく終わりの時が近付いてきた。



11:53 《現在地》

前回の交差点から1.3kmで、次の交差点に到達した。この辺りが湯ノ台である。
自転車道はここでも交差する市道を突っ切って進んでいるが、向こう側には車止めが設置されていた(標識は無し)。
現場の状況だけを見れば、今の区間は自動車での通行が禁止されていない。

なお、地理院地図をはじめ、多くの道路地図が西側の市道を県道として着色しているが、それは誤りと思われる。
正しいラインは、私が右図に書き足した通りだろう。



おおっ! 久々に階段が現れた。
もう階段は無いかと思っていたが、忘れた頃に繰り出してきやがった。
それだけ高原の上部に近付いてきて、地形の勾配が増してきたせいかも知れない。

間もなく市道と並走する区間が始まるし、そうなれば最後まで階段は無いだろうから、これが最後の階段という可能性が高い。
“階段県道”としての段数集計をするつもりで、久々に真面目に段数を数えてみると…。

13段 + 13

……他意は無いに違いないが、 なんだか不吉だなぁ(苦笑)。

ともかくこれで、全14階段を合わせた累計の段数は、382段となった。暫定日本記録更新である(笑)。



あははは………  ふぅ

またあったよ。非常停止施設が。

もしかして、私は重大な勘違いをしていた可能性がある。
てっきり、非常停止施設の“非常”とは、下り坂でのブレーキの不調の事だと思い込んでいたが、それだけではないのではないか?

たとえば、居眠りだ。

現に私はかつてこの八甲田山の地獄峠で地獄の苦しみを味わった後、あまりの疲労のため、帰り道に黒石市内で自転車のまま居眠りし、農業用水路に落ちた瞬間に目覚めたことがある。
緩やか過ぎる下り坂で寝てしまったサイクリストが、階段へ死のダイブしないように非常停止施設がある。
――わけないか。



11:57 《現在地》

きた〜! 単独区間を脱出した〜。

前の交差点から300mほどで、見覚えのある2車線道路が左から合流してきた。
冒頭のクルマをデポした地点で、国道103号から分岐していた、あの十和田市道である。
果てしなく長いと思っていた道のりも、ようやく残りあと3分の1となった。
後はこのまま市道と並走し、やがてゴールを迎えるはずだ。

なお、市道の路面とは直接接していない。
雑草が茂る分離帯で区分されているので、自転車道側に車止めは設置されていない。
ただ、朽ちた「自転車専用道路」の道路標識が、草むらの中に転倒していた。




合流地点を反対側から撮影。
前述したとおり、多くの地図は右の市道を県道のように着色しているが、それは誤りである。
また、ここを通る多くのサイクリストが、左の道に一瞥をくれながらも、怪しさを感じて避けているようであるが、ちゃんと焼山まで下れることがご理解いただけたかと思う。
14回の階段はあるが、まだしばらくクルマの喧騒を離れていたいというのなら、選んでみるのもありだろう。
このままあまりに利用度が低いと、仕舞いには本当に廃道にされてしまいかねない。
それは、やっぱり惜しいのだ。




また合流地点のすぐ先には、通算5箇所目となる休憩所があった。
焼山からの距離は7.6kmとあり、前回は5.1km地点だったので、2.5km進んでいる。
これまでは大体1.5kmごとに現れていたので、今回は珍しく距離が空いていた。

おそらくだが、これからの区間は自転車道の交通量もだいぶマシになるだろう。
これまでの案内板なんて年に数人しか目にしていない気がしたが、ここからはそんなことも無いだろう。
逆に私にとっては消化試合的な展開になるかも知れないと思ったが、もうこの道には十二分に楽しませてもらったので満足している。

少し早いかもしれないが、爽快にラストスパートを決めますか!




12:00 《現在地》

市道と並走を始めた自転車道を200mほど進むと、小さな公園や駐車場に売店などが整備されていた。
現地の石板は「湯ノ平牧場」と記していた(湯ノ台ではなく)。
牧場と併設された観光施設のようで、この日は営業期間外らしく客を含め全く無人であったが、見晴らす景色はしばし足を休めるのに相応しいものがあり、ラストスパート前の休憩兼、持参した食料による昼食を摂ることにした。

それにしても、良い眺めだ。
長大で広大な奥羽山脈の中にあって、この八甲田高原から眺める八甲田連山ほど雄大かつ牧歌的な印象を与える風景は、他に無いだろう。
今から40年ほど前、「大規模自転車道」という名の新たな魅力を全国に創造することが国策として掲げられたとき、青森県の関係者が「自転車で旅してもらいたい、我が県が誇る風景」として真っ先にここを挙げたのも、納得出来る気がする。
というのも、全国で130以上ある大規模自転車道は全て同時に採択されたわけでは無く、昭和48年から平成10年頃までの幅があるのだが、その中で本路線の事業着手は昭和49年と、まさに最初期にあたっているのである。

このことは、完成した本路線が提供するサイクリング体験に関係者が持っていた自信の大きさを示しているだろうし、(おそらく)日本初の長大な山越えサイクリングロードを大規模自転車道として完成させる事への意欲の高さも伺えるのである。
残念なことに、時流の流れか国政の誤りか、最終的にこの路線は肝心の山越え区間の事業を中止することとなり、大規模自転車道全体で見ても長大な山岳ルートはほとんど建設されずに終わったのだが、最初だからこその、この道だったのだと思う。
これまでの色々な“ツッコミどころ”だって、ノウハウ不足の初期作で、試行錯誤の産物であったとしたら、何となく憎めない

ような気もするけど、それでもやっぱり大金使うんなら、もう少し考えてからやったら評価も違っていただろうに、とは思うかな…。



なんかいきなり〆っぽい文章が出て来たが、完。は、もう少し先である。

腹ごしらえも済んだので、再出発。



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「究極の選択」たりえぬ選択肢 


単独区間が終わり、市道との並走区間になると、早速他のクルマが市道を走っているのを何度も目にしている。
このように今までと較べれば遙かに人目に付きやすくなったのだが、自転車道の路面の状況はむしろ悪化したと感じられるたのは、皮肉なことである。

つまりこれは、単独区間を利用していた(数少ない)サイクリストが、並走区間になった途端、「隣の市道の方が障害物が無く走りやすいや」と、向こうに逃れてしまった結果だと思われる。

この辺りは沿道に牧場関係の引き込み道路が多くあり、その都度、自転車道上には写真のようなU字パイプの車止めが設置されているのだが、この安全対策が、走行する上では邪魔なのだ。
別に市道を自転車で走行することは禁止されていないので、そっちに逃れるのも無理はない。
私だって、何度かそうしようと思ったくらいだから。
隣に立派な道があるせいで、自転車道の現状に今まで以上の侘しさを感じた。



この湯ノ台と、目指す仙人平の高低差は、約150mある。
地形は緩やかだが、進行方向に向かって一方的な上り傾斜であり、最後まで登り坂から逃れる事は出来ないようだ。
隣に市道が出て来たせいで前方の見晴らしも良く、それだけに長い坂道を十分に意識せざるを得なかった。
常に緩やかだったとはいえ、1時間半余りも登り坂を走り続けている私には疲労もあって、市道沿いの坂道を退屈でウンザリだと感じたのもやむを得ないだろう。

ちなみに、この市道と自転車道(県道)は、市道の方が少し先に整備されたようである。
一帯の牧場は昭和49年に完成したものであり、市道はその幹線道路として同じ頃に整備されたらしい。
また、自転車道の着手も昭和49年とされている。




12:09 《現在地》

なにこれ。

市道と並走を始めてから1.3kmほど進んだところで、市道はグニャリとS字にカーブしている。
勾配を緩和するためのカーブなのであろうが、その始まりの所の自転車道側の路外に、コンクリートの擁壁や登頂するためのスロープを有する、盛り土による大規模な構造物が築造されていた。

しかも、それと同じような物が、さらに登った先の方にももう一つ見えていた。

パッと見た瞬間、皆目何なのか分からなかった。これは見覚えのないものだ。
少し考えてから、ようやく一つだけ思い当たるものがあった。
それは、自動車の緊急避難所(→こういうの)、つまり非常停止施設だったが…。

嘘、だろ…?


嘘じゃ無かった。

せめてこれ一つだけだったなら、「展望台かな」って考える事も出来ただろうに。
先にもう一つ見えちゃっている時点で、これはもう、“発病”したと考えるしか無かった。あの設計者だ。ヤツの仕業なんだと。



どっちぶかって?

さすがにこれは、100人のサイクリストに問えば、100人とも同じ答えを出すだろう。


考えるまでもない。


ただし、



私はサイクリストである以前に、オブローダーだった(涙)。

この出来の悪い公園遊具を思わせるような“人造山”の階段通路。

いったい何が悲しくて、自転車を押しながら、優しさの全くない枯れ枝に顔面を鞭打たれてまで登るのか。

それはオブローダーだからだとしか答えようが無かった。今日この道で見た中でもダントツの激藪。
それは、誰一人としてこちらを選んでいないということを如実に物語っていた。

普段、橋やトンネルなどの“土木構造物”はあんなに嬉しいのに、
この“土木構造物”には、まるで喜びが無い。歴史が無い。想いが無い。思われてもいない。
ただ、自転車道を制覇したいという、そしてこの道の全てを知りたいという義務感があった。
今回、激藪無しでクリアと思っていた矢先の、まさかの展開。意味の分からぬ展開。

そして、またも八甲田で地獄と戯れる私…。