熾烈! 塩那街道!!
3−1 土平 〜 水車小屋
塩那道路に塩原側より進入した我々は、延々と続く9kmの九十九折りに耐え、海抜1100mの土平に到達。
土平には、重厚な通行止めゲートが2基設置されており、関係者以外の全ての交通を遮断している。
通行止めの警告文には、繰り返し繰り返し「歩行者も進入禁止」と書かれており、ただ事ではないムードである。
しかし、我々はどうしても塩那道路の、まだ見ぬ奥地を見たかった。
その様子が殆ど明かされたことのない、塩那道路の中心部を、何としても走りたかったのだ。
覚悟を決め、我々はゲートを突破。
遂に、入ってはならぬ道へと、足を踏み入れたのである。
このとき、塩那道路走行開始から2時間が経過していた。
7:33
ゲートの先に広がっていたのは、道幅の三分の一ほどを夏草に隠されはしているが、十分な広さを持った道だった。
路面はダートだが、そこに轍の凹みはまるっきり無く、代わりに、鮮明なキャタピラの足跡が。
塩那道路を通っている車が、相当に少ないことは、この時点で明らかだった。
法面には、どこまでも続くと思われるような、長い長いコンクリブロックの壁。
妖怪屋敷のように絡み付いたツタが、みなまちまちの色で彩っていた。
我々には、不安な気持ちが常に付きまとっていた。
いつ、管理車両が通りかかり、我々のこの違反行為を咎めるか分からない。
いまの私にとっては、引き返せなどと言われるのは、大袈裟でなく、死ねと言われているくらいに、心苦しいに違いなかった。
そのことが予想できたから、なおさら、聞こえもしない車の音にビクつき、オドオドしながら、走ったのだった。
そして、その心の弱さを隠そうとするかのように、私はペラペラとゆーじ氏に話しかけた。
去年の様子などよく分からないくせに、「最近は管理者が入っている様子もないなー」なんて、根拠のない戯れ言を口にしたりして、少しでも、安心を得ようとした。
この写真を撮ったときの私をはたから見ればおそらく、顔は青ざめ、胸はバクバクと動悸し、いまにもその臓物を吐きださんとするような、苦悶に満ちた表情だったに違いない。
私は、たまたま、ゆーじ氏の30mほど前を走っていた。
振り返れば、そこにゆーじ氏がいると思える距離だった。
そして、聞こえてきたのだ。
一番、恐れていた、音が。
車の、接近してくる、音だった。
あんなに胸が締め付けられるように苦しい数秒間は、今までそうはなかった。
永遠にも思える苦しい刻が、私の背後から徐々に大きくなって迫ってくる車のエンジン音と共に、私の鼓動を揺さぶった。
音は、一度背後で止まった。
私は思った。
ゆーじ氏が、捕まった。
いま、誰何を受けているに違いない。
そして、周囲の草むらに隠れるとか、自分だけでも助かる道を模索する暇もなく、再び鳴りだしたエンジン音が、今度こそ、私を捕らえようとしていた。
私は、それでもなお振り返ることなく漕ぎ続けていたが、遂にすぐ後ろに車が迫ったのを感じ、せめて最後に残念無念の瞬間を撮影してやるとばかりに、迫り来る車にシャッターを切ったのが、右上の写真である。
ブロロロロロ…
驚いた。
背後に迫った軽トラは、やや速度を落としただけで、そのまま私の横を素通りし、次のカーブに消えていったのだ。
激しい脱力感におそわれると同時に、顔にはニヤケが張り付いて離れなくなった。
塩那道路なんて … アハ アハ アハハハハ。
別に、心配するほどヤバく無いんじゃないか。
アハハハハ、普通に軽トラが走っていったよ。
アハ アハハハ…。
緊張のあまり、この辺りはよく道のことを覚えていない…。
だが、写真を見る限りは、別に変わったところのない、緩いアップダウンの連続する道だったようだ。
地図上では、ゲートを過ぎると一度は上り坂で1150mほどの高さまで登り、そこから今度は下りに転じるようになっている。
この写真の広場が、その頂上の辺りだ。
路肩には、「五工区」とだけ書かれた小さな標識が立っていたが、塩那道路の工区境界だったのだろうか。
それにしてもさっきの車だ。
緊張が少し解れるにつれ、謎が大きくなってきた。
厳重に施錠されていたゲートが3箇所もあったのに、車でどうやって入ってきたのか。
鍵を持っているとしたら、それは管理者ではないのか?
しかし、もし管理者だとしたら、我々を見逃すだろうか?
さきほどは、挨拶程度の言葉を交わしたというゆーじ氏も、その答えは持っていなかった。
7:48
そして、塩那道路に入ってから初めて、長めの下り坂がそこから始まった。
距離にして約2km、標高1150mから1050mに緩やかに下る、下り坂。
そして、その始まりで我々を待っていた景色は、
塩那道路の、真の幕開けを告げる、途方もない景色だった。
ここは、一体どこなのか?
目の前に広がる広大な山並み自体が、塩那道路だけに許された、巨大な巨大なキャンバスだった。
見える範囲に、何一つ人工的な物はない。
雲に煙る稜線も、かの上高地のような美しい川にも、細かな凹凸が無数に刻まれた一面の緑にも…。
ただひとつ、塩那道路の行く末が山肌に描く優美な曲線だけが、そこにある人工物だった。
この景色には、本当に胸を打たれた。
この景色を見れただけでも来て良かった、と満足さえ感じた。
カメラの望遠で見てみると、そこはまるでギニアか何処か、まさしく人跡未踏の世界のようにさえ見えるではないか。
地図で確認してみると、いま遠くに見えている山肌の道は、当地から5km前後も先のそれである。
道自体は見えねども、決して覆い隠せぬ、その傷跡。
塩那道路は、いま足元に現れたばかりの小蛇尾(こさび)川の源流部を、なんと延々8kmも“巻き”ながら、最大標高1800mへの地道かつ大胆なアプローチをはじめる。
これが、塩那スケールなのか…。
森の中の道の景色からは想像も付かないが、実はこの辺りはしばし稜線と並行して走っている。
塩原町と黒磯市の境界線ギリギリを、頻繁に蛇行しつつ道は通っている。
しかし、下りの速いペースではあっという間に、その“底”が近づく。
最後に、思い出したかのような急傾斜の九十九折りを2・3こなすと、そこはもう、「水車小屋」の塩那標識が立つ、小蛇尾川に最も近づく地点だ。
3−2 水車小屋 〜 アンドン沢
7:58
←地図を表示する。
海抜1050mと、土平から少しだけ低い「水車小屋」広場。
ここが、塩那道中塩原側では唯一の“底”になっている。
水車小屋とは名ばかりで、人工物と言えば標識一本があるだけというここを過ぎると、塩那道路は未来12km標高差750m強の、峠まで続く弛まざる登りを開始する。
起点から12kmポストが設置されたこの場所こそ、塩原側登りにおける、距離的・標高的両方の中間地点である。
2時間半殆ど登り続けて、やっと登りの半分か…。
セーブしつつ登っているので、体力的な消耗はまだまだ少ないが、この長さは魔物だ。
現在時刻は、ちょうど8時。
いまごろ、入口のゲートの夜間閉鎖が解除された筈だ。
もう30分もすれば、工事関係車輌や管理車両などが、この辺りまでなだれ込んでくる可能性もある。
少しでも先へ進んでしまえば、もし見つかっても、情状酌量の余地が生まれる可能性がある。
そんな甘い考えを、我々は持っていた。
カーブを曲がると、先には車の姿。
一瞬ギョッとさせられたが、よく見ると、前に我々を追い越していった軽トラで間違いない。
荷台には、山菜採りに使う籐籠が乗せられており、主の姿は車中にない。
周囲を見回すと、道から沢の方へ少し入った雑木林の中に、オヤジの姿を発見。
我々を咎める意図がないことは承知していたので、安心して声を掛けてみた。
なぜ、彼はここまで車で来れたのか?
話によれば、仕事として山には入る人は、鍵を皆持っているとのことのようだ。
彼も地元の住民の一人で、旅館を経営していると言っていたと思う。
そして、山菜採りも仕事として行っているものだと。
なるほど。
これで、かなり合法的に塩那を走る方法が判明したではないか。
その方法とは、ずばり。
地元に住み、地元で山に関する仕事をすること。
どうだ。
オヤジはとても親切で、我々にどこまで行くかと問うてきたので、板室まで抜けたいと言うと、道は通じているから抜けられると思うが、つい数日前にも近くの山で熊に襲われた人がいるから、注意しろよと、そんな助言までくれた。
我々は、礼をすると彼の車を追い越し、再び分かれた。
もっとも小蛇尾川に近づいているとはいえ、それでも川面が間近に見えるほどではなく、谷側の木々の向こうにときおり水面が見えたか見えないかという、その程度の距離はある。
そして、その距離さえ、進むほどに離れ、特に高度差はハッキリとしてくる。
間もなく源流で行き止まる小蛇尾川と違い、塩那道路はこの谷をスイングバイして、さらにさらに上、いま見えている全ての山の天辺の高さを目指さねばならぬのだ。
この辺りには、ごく最近まで工事が続けられていたと思われる、写真のような補修箇所が数箇所見られる。
年4千万円近い「最低限の維持管理費」とされていたもので、このような工事が、開通するあてのない道で何十年も続けられてきたことになる。
そして平成15年頃にやっとその愚を行政も直視し、「塩那対策工事」と言う廃道化工事が、始められたばかりである。
道は、二つの規格が入り交じるように交互に現れる。
塩那道路としての規格を有し、鋪装すればおおむね完成するだけの道と、
パイロット道路として建設されたままの、道幅も狭く、法面も素のままの道。
アンドン沢が近づくと、殆どがパイロット道路のままの、荒々しい道になってきた。
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3−3 出現! 「天空魔城」
8:13
←地図を表示する。
ここは、「アンドン沢」。
海抜1100m、起点より約14kmの地点だ。
小蛇尾川の支沢の一つで、極めて急峻なアンドン沢の基部を、巨大な暗渠で乗り越えていく。
この辺しばらくは、大したアップダウンもなく体力の温存が図れていた。
アンドン沢を過ぎると、勾配は少し厳しくなり、源流に近づいたせいか周囲の景色も明るくなる。
そして、前方をそびえ立つ山並みがぐるりと取り囲み、このてっぺんを越えていかねばならないのだと思うと、軽く目眩を感じた。
だが、そんな目眩など、次に現れた景色の前では、ぬるいものだった。
もはや、一切言い逃れの出来ぬ景色が、そこにはあったのだ!
あの上まで登るんですか…。
地図で調べてみると、空中に見えた「崖を横切る道」までの直線距離は、わずか1300mである。
しかし、塩那道路を辿って行って、あの場所に立てるのは、なんと
7500mも先だ。
しかも、あの辺りまで行けば、その標高は1500mに達しており、これはもはや、山行ががかつて経験したことのない高々度である。
何食わぬ顔で、あんな所まで登ってしまう塩那道路…、 お、おそるべし。
アワワワワ…
またも、心臓が口からにゅるっと出かけたが、すんでの所で絶命は回避。
しかし、心臓に悪い景色だ。
土曜日だったことが幸いして(←もちろん計算ずくだが)、この現場は工事を休んでいた。
この先でも、何度も「現場」に行き当たったので、平日ともなれば、本当に毎日何処かでは「塩那対策工事」が行われている模様。
これでは、ゲートを突破したとしても、通り抜けは出来ないだろう。
「塩那対策工事」対策は、やはり休日に限るな。
8:26
瓦礫のうずたかく積まれた沢底を、道がそのまんま横断している。
橋や暗渠は存在せず、洗い越しと呼ばれる構造だ。
ここにはお馴染みの塩那標識はないが、右上の写真の朽ちかけた標識が、岩場に突き刺さるように立っていた。
そこには、掠れた赤ペンキで「熊の穴沢」の文字が。
おそらくは、現在多くある塩那標識は、比較的新しいものだと思う。平成に入ってからのものかと。
一方、この黄色い標識こそ、もともと設置されていたものではないだろうか。
我々は、この洗い越しの水を汲み、ここまでに失ったペットボトル内の隙間に補充した。
真新しいガードレールの向こうには、緑の壁が。
日留賀岳と長者岳とを結ぶ海抜1500m超の稜線で、塩那道路はあの斜面を二度、通ることになる。
一度目は、左から右に、そして2度目にはその真上の斜面を右から左に。
そこにあるのは、おそらく
スパン長日本最長の九十九折りだ。
そのスパンの長さは9000mにも及び、高低差も500mに達しているのだから!
そして、我々は見逃さなかった。
その、日本一の道が見せる、僅かだが確かな、痕跡を。
はっ、橋だ!
もはや、まともな道を望むべくもないと思っていた、塩那パイロット道路の中に、巨大な橋がある!
果たして、あそこにはどんな景色が待っているのだろう。
私は、ゆーじ氏が期待したとおりのリアクションをしたに違いない。
この橋の出現には、胸が躍った!
だがまだ、それだけではなかった!
塩那道路の、もっとも象徴的な景色が、
出現寸前!!
むわッ
思わず開眼!
くわッ
思わず、sikkin!
え? 分からなかった?
あんな所に、道が!
ヤバイよ、この見え方はヤバイ。
写真では今ひとつその圧迫感まで伝えきれないのがとてももどかしいのだが、小蛇尾川の最も奥まった辺りから、遙か頭上の日留賀岳付近を走る道が見えるのだ。
その標高差たるや500m。しかし水平距離では僅か600m。
これって、単純計算で斜度80%超。
え、そんなの有り得んの?!
だって、地図上ではそうだよ。 マジで。
いずれにしても、その数字を信じたくなるような、圧倒的な高度感なのは確かである。
あそこまで行くには、なお9kmも登らねばならないのだ。
そして、あそこはもう、峠の傍。
海抜1700mという、山行が未踏の高さである。
はっきり言おう。
塩那道路は、凄かった。
8:44
小蛇尾川の源流を、再び洗い越しで越える。
そして、ここで道は進路を150°反転。
突如険しさを増した勾配(ここは塩那道路では珍しく、本当に厳しい上り勾配。15%クラス)で、一気に頭上の稜線を目指し始める。
道から小蛇尾川の源頭を見上げる。
そこはもう、川や沢などと言う生ぬるいものではなく、谷川岳ばりの巨大な竣谷が。
この谷をたった500m登れば、9kmも道のりをショートカットできるわけだが…、絶対に死ぬだろうな。
おそろしい、谷だ。
キターーー--!
塩那道路、 のこり32km。