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21.8km地点、長者平。
いよいよ、残りの距離も30kmを切った。
海抜は1500m。
主稜線から東に分かれて、長者岳(海抜1640m)を経て小佐飛(こさび)山に繋がる稜線上の小さな鞍部に位置する、狭いが平らな地形だ。
稜線上なので、路傍の笹の向こう側には、大蛇尾川(おおさびがわ)の深い谷が広がり、道路側には今までずっとその周囲を巡るように走ってきた小蛇尾川(こさびがわ)の谷が落ちている。
この地点での撮影では、かならず手を合わせるのがしきたりとのことなので(ゆーじ氏ルール)、私もそれに倣った。
長者のイメージとのことだが??
これは、修験者では?
10分ほど休憩し、緩い登りの稜線上に漕ぎ出す。
この先も、海抜1800mの頂点へ向けての登りが続いており、稜線には達したとはいえ、先は短くない。
手の届く位置(右手)に稜線の痩せたスカイラインを見ながら、林道らしい塩那道路を少々進むと、まるで登山の示道標のようなビニルテープが道の上に覆い被さる枝に、括り付けられているのを、見た。
それを見、何だろなと思いつつも、そのままチャリの速度をゆるめず、そのテープの揺らめく下を通過した私は、
撮られた〜!
盗撮されたー!!
噂には聞いていた、
塩那道路の監視カメラは実在した!
道から2mほど刈り払われ、その奥の立木の幹に括り付けられたカメラが、無人のまま道の様子をうかがっている。
そして、このカメラは道に動く物があると、自動的にシャッターが切られる。
いわゆる、センサーカメラだ。
確実に、撮られたという実感があった。
なぜなら、私がその前を通過したとき、フラッシュが点灯し、しかも、パシャっという独特の音が耳に届いたのだ。
とられたYO!!
どーするYO!!
後続のゆーじ氏にも、「そこにカメラあるぞ」と伝えはしたものの、前を通らねば先には進めず、彼も自らカメラの前に進み出てパシャリ。
二人とも、これでタイーホ間違いないしか?!
帰宅後、ある読者からこんなニュースが届いた。
栃木県のローカル紙「毎日新聞栃木版」に、今年12月10日、あるニュースが記載されたという。
そこには、こんな記事が…。
撮影された写真は、近く同署のホームページに解説をつけて掲載し、一般に公開する方針だ。
終わった…。
なんとまあ、いつの間にかそこまで話が進んでいただなんて…。
まさか、公開手配されることになるなんてな…。
ここでこうしてその犯罪を公開している私の前に、白黒の車が訪れるのは、もう時間の問題かと、そう、絶望した…。
私が、その記事の全文を読み、「同署」とは、「林野庁塩那森林管理署」。
公開される写真は、このセンサーカメラが捉えた動物たちの姿であることを理解したのは、その数分後だった。
このようなカメラが、塩那道路沿線上に合計7箇所設置され、撮影された写真は692枚(今年6月〜11月)にも及んだという。
これは、林野庁が進める「野生動物の移動経路:緑の回廊」指定予定に沿った、事前調査。
そこに撮影された動物たちの内訳は、記事のまま引用すれば次の通り。
▽野ウサギ310匹▽テン176匹▽ニホンザル160匹▽ハクビシン14匹▽ニホンジカ11匹▽カモシカ7匹▽タヌキ6匹▽ツキノワグマ4匹▽アナグマ2匹▽イタチ2匹の計10種が確認された。
“▽ヒト2匹” が無いのは、武士の情けか。
はたまた、その写真(2枚)だけは、本当にあっちのほうの“署”に?!
猥褻目的の盗撮で肖像権を不当に侵害された我々は憤慨しつつ(嘘)、その先へと進んだ。
もう、ドクヲクラワバサラマデ。
何度でも激写されようじゃないか。
海抜1600mが近づき、いよいよ周辺の森の様子が変わってきた。
薄く色づいた広葉樹が疎らに立つ森は、その土壌を一面の笹林に隠している。
森林限界が近いことを知らしめる、景色と言える。
気づくと、少し前まではあんなに傍にあった稜線が、ふたたび道との比高を取り戻し、前方にそそり立っている。
そそり立つ稜線に、道はへばり付くようにして、主稜線へ近づいていく。
道幅4〜5mの路肩には、ガードレールなどは一切無く、そのまま崖に落ちている。
そこから下を覗き込むと、もの凄く急な森が果てまで続いていて、最後は緑の樹海に消えている。
地図で見ると、ここの崖側に水平距離で400m行くと、7km前に走っていたこの道にぶつかる。
しかしその高度差は300mもある。
さらにその直線をもう400m伸ばすと、小蛇尾の谷底に達するが、その高低差は500mにも及ぶ。
谷底から稜線まで、まるで屏風のように切り立った地形だ。
この地形を克服するために、塩那道路はワンスパン9kmという、前代未聞のカーブをここに置いたのである。
画像にカーソルを合わせると変化します。
この方向に富士山が見えるのかも…?
いよいよ塩那道路は、その最大の見せ場である大パノラマを我々に解放しつつあった。
その眺めの数々は、苦難を押し、リスクを冒し、塩那に挑んだ者達が得られる、ただ一つの褒美だ。
もし、これで天気が快晴だったら、私はまたもお漏らししていたかも知れない。
塩原の街を挟んで睥睨する高原山(海抜1794m)を、今まで越えてきた塩那の山々を枕に見渡す。
このあと我々が到達する最高高度は、あの山頂を僅かに超えている。
キターーー!!
つにい!
いや、遂に!!
遂に、塩那の頂上の景色が間近に感じられるようになってきた。
あの、木の生えない頂上が、塩那の頂上の高さ(海抜1800m)だ。
それにしても、なんという場所に道が通っているのか!
自然破壊だ何だという議論が大して交わされることもなく、昭和30年代末から50年にかけて、一心不乱にこの場所に道が穿たれ続けたのだ。
自衛隊の力を借り、人跡未踏の奥羽山脈中枢部に、51kmものオリジナルロードが生み出されたのだ。
塩那道路などと言えばなにやら連絡道路らしい名前だが、実際には殆ど観光のためだけの道で、里を経由して塩原と那須を結ぶのは20数キロの道のりなのだ。
この塩那道路構想を殆ど一人で考えたと言われる、当時の栃木県知事 横川信夫 (昭和50年没!)は、もしかして、某“鬼県令”に憑かれてた?!
遠目に見ると、どんなにひどい道なのかと思うような場所でも、実際に近づいてみて、そこに立ってみると、なかなかまともに作られていて驚く。
将来的には、この全てを2車線にして整備しようと考えていたのだから、唖然とする。
なお、この辺りから先8kmほどが、
私が「天空街道」と呼称する、塩那道路の頂上区間にしてハイライトだ。
気候帯も関東にありながらここはもう、亜寒帯。
森林限界も超越しており、塩那道路の廃道化計画において、「重点的に環境の復元が必要だ」とされているのもこの先の区間だ。
あまりに植生環境が厳しく、このまま何年間放置し続けても、元の自然に戻る力がないのだそうだ。
遂にこんなところまで登ってきたかと、思わず感慨に耽る景色だ。
入山から、距離にして24km。
時間にして6時間を経過しようとしている。
登った高さは、1100m。
小蛇尾の谷を、関東平野を、遠くの山を見渡し、なおも寒風の未完道路は奥へ奥へと、続いている。
そして、そんな寒々とした道の途中、路傍にポツンと取り残されたような、大岩がある。
斜面に切り取り残された、尖った岩場だ。
これが、立岩。
やっと来た、塩那の中間地点である。(25km地点)
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やっと半分だ。
まだ登りの途中ではあるが、海抜1650mの立岩で、起点から25.0km。
残りは25.8kmと、傾いた塩那標識が語る。
立岩は明らかに、道路工事のために誕生した景観である。
将来、2車線の本用路(いまある塩那道路の大部分は、昭和50年までにパイロット道路として暫定開通した工事用道路である)に改築する事があれば、完全に立岩は切り崩され消滅すると思われる。
高さ10mほどの岩塔はふきっさらしにあり、僅かに生えた緑も早々と冬枯れを見せている。
また、最近まで生きながらえていただろう小さな針葉樹の骸が、荒涼としたムードをより駆り立てている。
下を見下ろすと、そこは小蛇尾川の源頭部。
この川は、一本沢違いの大蛇尾川と里に下ってから出合い、蛇尾川として那珂川に注ぐ。
那珂川はいずれ、ひたちなか市で太平洋に注いでいる。
その百数十キロの水の巡りの始まりが、この塩那の道端にある。
また、麓で蛇尾川を渡る、主要地方道30号線の橋は、ちょうど塩原町と黒磯市の境になっていることもあってか、そのものずばり、塩那橋という。
小さいが実用的な、もう一つの、塩那の話である。
立岩から稜線を見ると、あまりに険しく、まるで城壁を見上げているようだ。
強力な季節風が年中ぶつかる奥羽山脈の稜線には、火山地形さながらの凄寥感が満ちていた。
この岩脈の天辺は、海抜1800mに届く。
塩那の頂点がある高さだ。
こうやって見ると、まだかなり登ることが分かる。
しかし、不思議と登りにウンザリする気持ちにはならない。
むしろ、この登りが終わり、下りに転じてしまう時が来ることを、心の何処かで寂しく思っていた。
足はかなり疲れてきても、気持ちはどんどんと若返る。
それは、塩那一流のスーパーマジックだった。
これまで上ってきた道を見渡す。
ちょうど森林限界に達した、その境目がはっきりと分かる。
塩那道路の廃道化工事が進めば、おそらくこの景観は一変するだろう。
自力での回復が望め無い場所については、フトン籠を大量に設置し、道を埋める計画のようだ。
ただ、その場合も作業道路として僅かに車道は残されると思うが。
その異様な景観にしばし心を囚われ、立ち止まりはしたが、吹き上がってくる霧混じりの風の冷たさに目を醒まし、再びチャリに跨った。
もうここまで来れば、主稜線はすぐ傍だ。
来た…
来た
雲の海にに顔を出そうと喘ぐ、日留賀(ひるが)岳(海抜1849m)。
しかし、峰の向こうからは、白い塊の様な雲が、覆い被さるように、幾らでも幾らでも流れてきた。
それが、頂にぶつかると、不思議と白さを失い、急速に消えていく。
荘厳なり、主稜線の峰。
二等三角点座、蛭岳。
地形図には、日留賀岳と記されし山である。
塩那26kmの果て、遂に、その頂を捉える。
六角ブロックが妙に白々しい、主稜線へ続く最後の登り。
塩那道路的には何故か無名ながら、走破者にとっては重要な意味を持つ、主稜線への到達点。
私称「日留賀峠」が、眼前に迫った。
次回、遂に始まるハイライト!!