道路レポート 塩那道路工事用道路 第6回

公開日 2015.6.09
探索日 2011.9.28
所在地 栃木県日光市〜那須塩原市

続・繰り返される30分間


9:54 (出発から4時間32分) 

気付けば出発から4時間半を経過していた。
既に標高は1400mを優に超え、普段の探索ではなかなか辿りつかないような高所に入っているが、塩那道路が待つ1700mの稜線はまだ遠い。
私は理解した。
たとえどんなルートを選んだとしても、塩那道路の核心部に立つのには生半可でない時間が掛かるということを。

ちなみに前回の探索と比較すると、前回は正規の塩那道路を塩原側から自転車で辿ったが、塩原側起点を出て4時間30分を経過した時点では19kmを走破し、標高1450m付近の「ヘリポート入口」という場所にいた。
そして、今日私が目指している「記念碑」(29km地点)へ到達したのは、出発から7時間20分も経過した昼過ぎ(12:52)のことだった。

今回の工事用道路ルートは、横川〜記念碑間の距離が約13kmと正規ルートよりも遙かに短いが、いかんせん道が悪すぎる。
とはいえ、今から3時間以内にゴール出来さえすれば、正規ルートを塩原側から自転車で走るよりも早く記念碑に辿り着ける利便ルートと評価できるのであるから、改めて「記念碑」の遠さに目眩を覚える。



だが、今の私には本当に記念碑が途方もなく遠く感じられていた。

地図上ではあと2kmと少しまで近付いているはずの記念碑が、本当に遠い。

理由は明確で、路上の笹藪が尋常でないほどに深いために、立って歩くことが難しい場面が現れ始めていたからだ。
この写真のような場面が、もう10分以上も続いていて、いつ明けるとも分からないのである。

立って歩くと、ちょうど視界を笹の葉に遮られてしまい、前が全然見えない。当然地面の凹凸も見えないのだから、まともに歩けるわけがない。
それでやむを得ず中腰姿勢で歩くのだが、それでも笹の撓った茎が監獄のように進路を塞ぎ、それを平泳ぎのように手を掻いて払いのけて進まねばならない。
腰も肩も、大変な重労働。
こんな状態で、あとどれだけ進まねばならないのか!



上の写真よりも、遙かに現状の難しさを皆さまに伝えてくれると思うのが、この右の写真だ。
これが、中腰で進んでいる激藪の足回りである。

注目して欲しいのは、「ササ」などという儚げな音には全く似つかわしくない、笹の憎たらしいほどの太さ。
しかも笹は同じ太さの木の枝とは比べものにならないほどに強靱で、反発力が強く、私の足の力だけで自在に払いのけることなど出来ない。
したがって私は、これだけの密度の笹の茎を足でかわしながら歩かねばならない。払いのけられないのだから、私がかわすしかない。

うっかり変な角度で踏みつけると、そのまま滑って転んだり、しなった笹の茎の先がもう片方の爪先を押さえつけて歩みを止めさせられたりする。足を引っ掛けてつんのめるのは、日常茶飯事。本当に難儀だ。挙げ句の果てには、撓った茎に幾たびも幾たびも身体を叩かれるのだ。私は藪対策のために暑い時期でもズボンや上着を重ね着しているので、流血にまでは至らないが、むち打ち刑の獄門場。
罪状は、立入禁止の塩那道路へ裏口入門を企てたる罪、ないしは日光国立公園内の歩くべき場所以外を勝手に歩いて蹂躙している罪である。


本当に地獄だぞ、これ。

つうか、ここで体力が尽きたら遭難死だろ。
単独行でこれ、嫌だな。
しかも塩那道路に到達したとき、往復の分の体力が残ってるのかが、不安になってきた。
案外これって危機的状況なんじゃ?

GPSがあるうちはまだいいけど、ここで道とGPSの両方を同時に失ったら、マジで道迷い遭難死かも。
とにかくヤケクソになりそうになるけど、ここは慎重に路盤を見定めて進み、また小まめにGPSでの答え合わせもしないとマズそう。




久々にやりたくなった、自分撮り。

もう肉体が邪魔だ。

魂だけを身体から抜け出させて、すいーっと塩那道路の高みへ向かいたい。

本当に「そうなりたい」と思ってしまうほどの、絶望的藪だった。

それが、10分どころではなく、20分を越えてもなお続いている。

私の経験から言わせてもらうと、こんなものが長く続いて良いはずがないはずだった!

確かに深い藪というのは各所に存在しているが、路上を辿っている限りにおいては、こんな藪が長く続いて良いはずがないのである。
根拠など無いが、これは続いていてはイケナイ藪だ。こんなものが世にはびこるあらば、オブローディングには夢も希望もない気がする。

ゲロ激藪…。



10:00 (出発から4時間38分) 《現在地》

またもチェックタイムだ。
なんか最近、序盤に較べて同じ30分間でも、その密度が薄い気がする。
路上に有る障害物の密度だけは反比例して増えているが…(苦笑)。

10:00のチェックタイムを迎えた現場も、ご覧の通り(→)の地獄状態。
立っているとこのように緑の海に溺れるようであり、道がどこにあるのか分からないほどだが、同じ場所で這い蹲れば、そこには50年前に人類が置き忘れてきた路盤が眠っている。
頭が高い。控えおろう。這い蹲って進めということなのである。
それがどんなに辛いかなんて、この道は全く考えていない。

時刻区間距離累計距離区間比高標高地点
8:000001100基準地
8:30900900+1501250
9:005001400+501300
9:306002000+1001400
10:006002600+501450現在地


…というわけで、直近の30分間もこの酷い成績だ(←)。
30分で600mという、笑っちゃうほどのローペースが続いている。ほとんど休憩なんてしてないのに…。




広大な緩斜面地帯に入ったことで、周囲を見晴らせる場面は全くなくなり、これまでの唯一の癒しであった遠くの山の眺めもなく、目指すべき稜線との距離も一切測れず、緑だけの地上から唯一気持ちを逃れさせることが出来るのは、空を見上げることだけだ。暗く冷たい監獄の小さな窓から、解放を夢見て空を見る、そんな囚人の心境だ。

皆さまには私がそんな印象を持って何度も見上げた青空の画像を見て頂きながら、極めて濃密でありながらも怖ろしく淡泊で見所が無い、そんな30分間ループの繰り返しを、早送りで体験してもらう事にしよう。

時刻区間距離累計距離区間比高標高地点
8:000001100基準地
8:30900900+1501250
9:005001400+501300
9:306002000+1001400
10:006002600+501450
10:303502900+401490
11:004003350+601550現在地

というわけで、さらにチェックタイムを二つ重ねた11:00の時点で私はどこまで進めていたのかというと、10:00の地点から僅か750mという、過去最低レベルの鈍足ぶりを披露していた。時速0.75kmという、絶望的遅速。

11:00 (出発から5時間38分) 《現在地》

そして、最初のうちは10分、20分と続くことに、いったいいつまで続くのかと訝しがっていた一面の濃厚笹藪についても、一向に明けないことから、この頃に至って遂に諦めの境地に達していた。

もう地形的に大きな変化の無い、標高1400mから1700mの稜線に至る広大な西向き緩斜面地帯は、その全土を一様に深い笹藪に覆われているのだと了解した。
だから私は、塩那道路に辿りつく直前まで、この藪から逃れる事は決して出来ないのだ!


耐えるしかない。忍ぶしかない。
その先に待ち受けるものが、この心のささくれの全てを洗い流してくれると信じて、体力と食料と水分が続く限り、この藪を淡々と漕ぎ続けるより無い。


苦闘の動画第5弾は、まさにこの超鈍足進行の最中の10:39に撮影されたものである。

動画に映された約1分間は、全く特別の場面ではない。これがこの100倍以上も延々と続き続けている。

いくら近いとしても、この道で塩那道路を目指すのはやめた方いい。つまんねーよ。




にゃーん。

11:09頃には、私はすっかり猫になっていた。それも力のない老い猫。

ある一定以上の激藪には、四つ足で進む事が最適解であることを会得したためである。
そしてそこにはちゃんと、この道を今も利用している四つ足の者たちの踏み跡が、彼らの糞と
ともに残されている事が多かった。私は誰も見ていない中で、繰り返し四つ足になって進んだ。
私の身体はまだ四つ足歩行に慣れておらず、さらなる腰と手の痛みと時間の消耗に繋がったが、
立って歩くよりはマシだと思える場面が、本当に多かったのだ。にゃーん。



苦闘の動画第6弾は、この「にゃーん」な現場のものである。

にゃーんから、おもむろに立ち上がって辺りを見回す私の前に現れたのは、この道のやる気のないカーブだ。

動画の中で、私はここにカーブがあることを即座に見抜き、ちゃんと道を辿っている。
このことは、私のエキスパートとしてのガンリキを褒めてもらっても良いと思う。自画自賛である。
でも緩斜面地帯に入ってからは、こういう分かりにくいカーブが多く、何度もハッとしながら曲がっている。
ルートミスでのタイムロスがここまでほとんど無いことを、誰かに褒めて欲しいよ。



12:00 (出発から6時間38分)

道が、分からなくなりました!(涙)





みち、どこーーーー



えんな、どこーーーー



塩那道路まで あと?km