道路レポート 国道311号旧道 梶賀の計画変更ルート 導入

公開日 2014.2.15
探索日 2014.1.31
所在地 三重県尾鷲市

南紀といえば、連続殺人がすぐに思い浮かぶ私は、サスペンスドラマ好き。

おそらく南紀にお住まいの方々には不本意であろう私の連想はさておき、南紀、すなわち、紀伊半島の南の方のエリアをヨッキれんがフミフミしたお話しである。
南紀における最初のレポートは、熊野灘のリアス式海岸が織りなす山海に取り残された、国道改修計画変更の名残り道をお伝えしたい。

まずは右の地図で本物件周辺の交通網の概観を確認していただきたい。
舞台は、三重県尾鷲市と三重県熊野市の間である。
この沿岸の2市を結ぶルートは、鉄道1本と、国道が3本(2路線)ある。
すなわち、鉄道は紀勢本線で、国道は国道42号の現道、国道42号の自専道である熊野尾鷲道路、そして国道311号である。

熊野尾鷲道路は2013年に地図の区間が全通したばかりで、長らく国道42号と国道311号の2本が頑張ってきたのであるが、この2本には明確な性格の違いが見て取れる。

国道42号は、名にし負う難所である矢ノ川(やのこ)峠越えを2本の長大トンネルでクリアすることで、比較的短距離に熊野尾鷲を結ぶ代わりに、海岸部に点在する数多くの集落をスルーしてしまった“速達ルート”。
対して国道311号は、リアス式海岸の浦々に抱かれた集落を漏らさずに巡り、最終的には熊野尾鷲を連絡する、“生活ルート”である。

理想的には、この2つが同時に整備されれば良いのだろうが、現実的にはそうはならず、昭和43年に国道42号が矢ノ川峠の改築を終え、ひとまず速達ルートとしての面目を得た後も、国道311号の整備はなかなか進まず、その結果として、“酷道”として有名になってしまう事態となった。



 熊野市甫母(ほぼ)の国道311号風景。
 だいぶ良くなったとは言え、まだこういう区間が所々に残る。

左の写真は、国道311号に残る“酷道”風景の代表的場面とされる、熊野市甫母(ほぼ)の海際ギリギリの1車線&ガードレール無し区間だが、これでも車で通行出来るのは良い方で、国道311号の尾鷲熊野間約50kmには、近年まで車道がない区間が残っていたのである。

最後まで未開通だったのは、案の定と言うべきか、市境にあたる区間であった。
現在の地名でいえば、尾鷲市曽根町と熊野市甫母の間である。
ここには熊野古道が越えた曽根峠の山脈が熊野灘へ迫り出していて、山に矢ノ川あるならば海に曽根坂ありとでもいいたくなるような難所だったみたいだ。

まあ、開通が遅れた原因は険しさばかりではなく、先に述べたとおり、国道42号という広域交通路に対し、国道311号は第一に生活道路であるから、市境の開通は後回しになったとも考えられるのであるが、ともかくこの区間に車道が開通したのは、矢ノ川トンネル開通から実に32年も経った平成12年のことであった。

(そして今回の探索で、開通が遅れた第三の理由が明らかとなった。)



国道311号の道路としての立ち位置を、私なりの理解で説明させていただいた。

本題はここから先である。

平成12年にようやく開通した国道311号の曽根町〜甫母間に、 ある種の未成道の匂い を嗅ぎつけたのである。

現地の拡大図をご覧頂きたい。 ↓↓



梶賀第一トンネルがあるのに、周囲をいくら探しても、第二トンネルが見あたらない!!

これだけでも7割方“怪しい”(計画未完成が匂う)のだが、地図を出したついでに、現地の道路網を簡単に説明しておこう。

現在の国道は、曽根町を熊野市方向へ出ると、すぐさま曽根トンネルに入り、出たと思ったらまた即座に梶賀トンネルに吸い込まれる。
この2本のトンネルを合わせた長さは約2.5kmで、海岸沿いとしては稀に見る長大トンネルであるが、これが平成12年に開通して国道311号は全通したのである。

走行性については申し分が無さそうな現国道に対して、旧国道は曽根町で分かれると、約1.6kmで梶賀第一トンネルをくぐり、尾鷲市の果てにある梶賀(かじか)集落へ通じている。
そしてそこで旧国道は終わっている。

また、梶賀第一トンネルには、旧旧国道と思われる海岸沿いの道路も描かれている。




「第2」がない梶賀第1トンネルは、確かに不自然に思われる。

だが、それだけではまだ弱い。 「第2」が計画されていたという、何か証拠になるものが欲しい!


……自宅本棚で発見したんだぜ、その証拠らしいものを!!




「ユニオン1/10万関西ロードマップ」(国際地学協会刊)昭和61年発行

この地図は、昭和61年5月発行版の「ユニオン1/10万関西ロードマップ」(国際地学協会刊)の一部である。

当時は前述したとおり市境附近が未開通であったから、国道の赤いラインがすっぱりと途切れていて、オブローダー的にはそそるものがある。

だが、未開通のまま手をこまねいている状況ではなく、なんとかこの区間に車道を開通させようという動きが見て取れる。
道路の予定線が描かれているのである。

さらに肝心なことは、この当時の予定線が、平成12年に実際に開通した国道(画像にカーソルを合わせると青色で表示します)とはだいぶ違っているという点だ。
勘のよい皆さまならばもうお分かりの通り、当時の計画ルートは、現在ある梶賀第1トンネルの位置を通過していたのである。

梶賀第一トンネルこそは、昭和から平成に移りゆく時の中で、何らかの事情によって破却されてしまった旧計画に則った新道の一部だったのだ。

私はゾクゾクっとキタ……。
あの草木トンネルと同じ、大大大好きなパターン…。




果たして現地には、どんなトンネルがどんな姿で、私を待っているのだろう。