道路レポート 林道鹿曲川線 第6回

公開日 2016.5.28
探索日 2015.4.23
所在地 長野県佐久市

ラスト「2K」の試練、登仙の滝!


8:34 《現在地》

出発から自転車を漕ぐこと3時間と30分、走った距離は10km。900mからスタートした海抜も、今や1640mに達した。
この間、ひたすらに鹿曲川の清流を遡り続け、その水上が織り成す春日渓谷さえすり抜けて、この通算6度目となる渡河地点をもって、本川との最終決別となる。

林道鹿曲川線としての残距離は、あと3kmである。
だが、そのうち最後の1kmは、“都市”を通る高原道路として地図上に描かれている。
故に厳しい山岳道路はあと2km、頭上に掲げられた「仙境都市」までのリミットも、同じく「2K」。
いよいよ文句ない終盤戦であるが、高低差は200mという大きな数字をなおも残している。


そして驚いたことに、この最後の本流渡河地点には、橋といえる物は存在しない。その代わりとして、いわゆる“洗い越し”が設けられていた。

有料道路だったなどとは言っても所詮は林道なのだと感じさせる風景だが、まあ世の中には洗い越しの国道があるくらいだから、これは良しとしよう。
ただ、洗い越しを道路として維持する為には、小まめな流木の除去が必要であるという事実だけは、全国の道路管理者に教訓として伝えるべきであろう。
洗い越しは、廃道には向きませんから!




なお、林道はここで鹿曲川から離れ都市を目指すわけだが、このまま川沿いを源頭まで突き上げ、一気に頂上の大河原峠に出る道もある(あった?)ようだ。
道と言っても徒歩道であるが、入口には旧望月町の観光協会が設置した「滝めぐりの心得」なる案内板が立っていた(案内板はもう1枚有るが、そちらは省略)。
そこに書かれた内容は、ご覧の通りである。

……

…サンダルはともかく、スリッパで滝めぐりをしようとする人がいたら、それはもうそういうエクストリーム系アクティビティの愛好者なんじゃないだろうか?(笑)

…といったところで…



突入!バシャバシャバシャーーー!!!

見ての通りで、ここは平地よりも遙かに遅い雪解けの真っ最中である。
それだけに、洗い越しを流れる水の量はかなり多く、自転車に乗ったまま横断する事に軽く恐怖を覚えるほどだった。
しかし、この水位だと、歩いて渡れば間違いなく私の穴の開いた長靴(?!)が浸水してしまうので、今後の心の平穏を考えれば、ここはどうしても濡らさずに乗り切りたいところだった。

意を決して突入したが、結果は大成功。
自転車の機首を少し山手に向けながら運転したお陰で、これだけの水量でありながら、途中で止まって足を着くことも、もちろん転倒する事も無く、この幅10mはあろうかという大洗い越しを、五体満足に渡り果せたのである!! 大袈裟じゃないかって? いやこれ、実際に見ると結構な迫力なんだから〜。



がっ! これっ!

残雪が、立ちはだかりやがるッ!

ここまで来てはじめて、残雪に自転車を降ろされた。
乗ったままでは走破できない深い残雪。
面倒くさいことこの上ないが、この一角だけならばまだいい…。



がっ! 長い!!

ち、チクショウ。ここまでほとんど影響受けずに来れたのに、一気に状況が変わっちまったか。

もちろん原因がある。それは、標高が上がったこともそうだが、一番は、今いる地形のせいだろう。
この時間はちゃんと日射しが届いているので実感しづらいが、今いるのは北向きの斜面である。
大体の山で北向きの斜面は残雪が遅くまで多く残りがちである。
今までは西か東向き斜面にいることがほとんどだったが、この北向き斜面というのはネックだ…。

もう仕方ないから頑張るけどね !!




くっそ!! 雪が緩い! 踏み出す足が、毎歩のようにズボズボ埋まる。

こればかりは、経験者にしか分かってもらえない辛さである。
自転車で、“緩んだ”(←これ重要)雪道を行く辛さは……、そうだなぁ。胸くらいまで深さのある藪を歩くのと、同じくらい疲れると思っている。
まあ、見通しが良かったり、藪ほど暑くなかったりと、さすがに“胸藪”よりは環境としてはマシだと思うが、疲れ方は同程度である。

それに、残雪は路上の遺構を見逃す畏れもあるから嫌だ。例えば背の低い石碑とか、見逃しうる。
さらには、道そのものをリトマス紙のようなフラットな環境で味わうことが出来なくなる。本来は辛くない部分まで辛くなって、そのせいで道の厳しさを過大評価するのは本意ない。
とにかく私にとって、除雪されていない道路は魅力のある道路体験の場ではないのである!  ぐちぐち…。




路肩から下を覗けば、さっきまで走っていた明るい無雪の道が手に取るように見えるのに…。
このちょっとの距離が、残雪の状況には巨大な隔絶となっている。

ああ、

早く、北向き斜面から脱出したいが…。

地図を見る限り、しばらくはこの斜面を九十九折りで登るんだよな…。

この上の都市は、私を歓迎していないのではないかという被害妄想が、してくる。
というか、冬でも除雪される蓼科スカイラインが開通するまで、どうやって都市に出入りしていたんだろう。
さすがに、冬期閉鎖される都市とか、前代未聞過ぎるだろうし…。




8:48 《現在地》

渡渉地点から300m進んで、海抜1680m地点。この間ずっと残雪に苦しめられ、自転車は押しだった。

行く手に見えてきたのは、雪に埋もれた枝谷と、一段高い所を通るガードレールの帯。

ここから先は、地形がひときわ険しく見える。

そして…



道から吹き出るように落ちる滝と、折り重なる右往左往の道!!

仰ぎ見る山はあくまでも険しく、それはまるで、下界と仙界の境界を思わせた。

激しい登りと、水の迸りと、散らばる岩塊と、重苦しい残雪と、

これらは仙境へ入る者が須(すべから)く越えなければならない、登仙の試練か!



――5分後、一段上の路上にある滝の落口に到着した。
迸る水の下には、滝壷の代わりに、少し前に歩いた雪原のような下段の道が見えた。

相変わらず路面の8割は残雪の下にある。
全く締まりの無い、本当に質の悪い雪である。
既に10km以上登ってきた足に、もの凄い勢いで疲労を重ねてくる。
何度も足を止めて、息を整えなければならなかった。
自転車さえなければ、ここまで残雪も辛くないのだが…。




この路肩から滝が落ちているのは、道路の本来の作りでは無かったようで、路上の排水が上手く行っていないために、こんなことになっているようだ。
その証拠に、滝に至る水の流れはこの先の路上を川のように流れていて、そこに再度の足濡れの危機を現出していた。

そしてなぜか、足元の滝よりも盛大な水の音が、この行く手から聞こえてくるのである。
音の出所は今のところ見えないが、まだ見えていない位置に、さらに大きな滝がある可能性が高い。




また、酷い事になっている。

道を辿ることと、川を遡ることの、両方を同時にやらされている。
しかも、残雪を選ぶか、流水を選ぶか、そんな嫌な二者択一も迫られている。

「2K」地点の手前にあった陥没しまくりの鋪装が、どうやってそうなったのかを、いま目の前で見ている。
路肩のガードレールの基礎が路面に対して完全に浮き上がっているのは、鋪装が陥没しているせいである。
この陥没や溝の原因は、やはり流水であった。
大雨による洪水だけでなく、毎年の融雪でもこんなに出水するのだから、やはり豪雪地の道路に簡易舗装は不向きなのだ。

大きな滝の音が、ますます近付いてきた。
その音は、今まで目隠しになってきた、この左カーブの先から聞こえてきている。

そして私は、左カーブの途中まで進んだ所で、驚きの声を上げた。




凄いところ、だ…。

申し訳ないが、この風景を上手く言葉に落とし込める自信がない。
道の近くに滝が落ちているくらいのことは、まあ方々の道がやってのけていることだ。
とにかくこの現場は幽玄でありながら、迫力があった。心に迫る迫真力があった。

登仙の試練……、滝の行場を連想させるこの滝を、私は一名、
“登仙の滝”と名付けた。(←勝手に。融雪期意外の平時にも落ちているかは不明)



「見たか! これが林道鹿曲川線(有料)だ!!」

と、言葉を大にして誇りたくなるような風景だ。個性的で変化に富む。それは私にとって、道路に対する最大級の賛辞。
ここに限って言えば、大量の溶け残った雪の存在も、道路風景に一層の凄みを与えていると好意的に評価出来る。
私がわざわざ自転車を配置して記念撮影をするなど、よほどのことなんである(笑)。

そして、この風景を抜けた先に待ち受けるゴールへの期待感を、さらなる高みへ押し上げる風景だ。
拍子抜けしても知らないぞ、と、別の冷静な自分が窘めるほどに、
「これほどのものを越えた先には、きっと凄いものがあるはずだ」という、

そんな期待感の昂ぶりを止める事が出来なかった!





最後の案内看板…… そして私は仙境に登る…!


9:04 《現在地》

最後の渡河から750m、これに要した時間はたっぷりの30分。今までよりも遙かに遅いペースの原因は、言うまでも無い。

が、滝登りの如し2段の九十九折りをようやく乗り越えたらば、久々の乾いた路面が待っていた!
これは超嬉しい!! パラパラと小さな氷の塊を散らかしながら、ペダルを回すことが爽快だ。
厳しい登り坂は依然続いているが、漕げるだけでも幸せを感じた。




苦しい展開に一息が着いたところで、私も一息を入れる。
朝食なのか間食なのか分からない時間であるが、路傍の石に腰掛けて食事をした。
この探索がスタートして以来はじめての本格的なストップであり、約30分間休憩した。

もっとも、普段の食事休憩の3倍は長いこの休み、空腹を満たすというのは「ついで」であり、一番は疲労回復のための中座だった。10km上った後の“残雪踏み”に、肉体が悲鳴を上げたのである。

この休憩地点には、小さな木製の標柱が立っていた。見馴れた工事標のデザインである。
そこには「鹿曲川」「平成18年」などの消えかけた文字が見て取れ、遅くとも平成18(2006)年までは、この道を維持する為の何らかの工事が行われていたことが分かる。
封鎖された平成23(2011)年に、一体何があったのだろう。



ちょっと休みすぎて体の熱が冷め、もともとの外気温も低いために、寒くなってきた。
慌てて再出発する。
すると間もなく、見えてきた。

緑のアイツ !!

10、8、6、5、4、3、2と来たので、恐らく今回が最後であろう。

…が、ちょっと様子がおかしい。



あの自信満々に収まっていた、「蓼科仙境都市 Society & Associate」の看板が無いじゃないか!
あるのは、とても控えめな「1K」だけ! 何が「1K」だよww

…おそらくは、風で吹き飛ばされたのだろう。
ここは今までの7本の同志があったどの場所よりも高所感があり、きっと風雨の影響も強いだろうから、質実剛健な“青看”に較べていかにも華奢で瀟洒な“緑看”では、ひとたまりも無かったっぽい。

そしてこの場面には、象徴的なものを感じる。
苦労して近付いてみれば、消えてしまう。
その存在感は、この季節に似つかわしくない路上の蜃気楼、逃げ水のようである。
だが、仙境といえば仙人、仙人と言えば霞である。
林道鹿曲川線が全体で表現する、良く出来た1本の創作を思わせる展開じゃないか。

そして、しつこいが何度でも私はツッコむぞ。

あと1Kで“都市”とか、絶対嘘だろこの景色!!

今の景色にあるのは、完全なる深山幽谷の大山岳道路、海抜1700mオーバーの景観である!
遂に道は、あの塩那道路の“天空街道”に比肩する高所に達したのであり、これからさらに上に“都市”があるとか、本当に冗談みたいだ。




鹿曲川の源流部を振り返って撮影。正面の雪が見える辺りが大河原峠、眼下には少し前に通った九十九折りの一部が見える。

ほんと、嘘じゃないかと思うぞ。

都市だろうが村だろうが何だろうが、もっと上に人が住んでるとか…。間違いなく不便だろうよ…。

住人は、マチュ・ピチュの末裔だったりして…。
(際だった高さがイメージされるマチュ・ピチュだが、標高約2500mと、数字の上では仙境都市とさほど違わない)



キター!!

たまらんく爽快な展開!

薄暗い残雪の谷を突破し、これまでに無い大眺望に迎えられたと思えば、流れるように

最後の(2本目の)隧道が待っていた!!



前回の鹿曲隧道と同様、林道らしい狭小な隧道だ。
空に向かって口を開けたような明るい立地で、風通しが良すぎる(=寒い)。
隧道が貫いているのは、高山特有の捻くれた矮樹を乗せた峨々とした岩突で、迂回出来ない地形であった。
だが、とても短い。せいぜい20mといったところ。

両坑門に扁額が取り付けられており、「山伏隧道」の名前が明かされる。
意味ありげだが、由来は不明である。
竣工年も、昭和40(1965)年3月と判明した。

鹿曲隧道が昭和38(1963)年3月であったから、その2年後に、2km離れた山伏隧道が完成していることになる。
一連の林道鹿曲川線上にあった竣工年の分かる構造物は、橋2本と隧道2本であるが、最も麓に近い山の神橋の昭和30(1955)年竣工から、山伏隧道の昭和40(1965)年竣工まで、順序よく整列していた。
このことから、おおよそ10年の月日をかけて林道が整備されたのだと推測が出来た。



山伏隧道を出てすぐの地点に、かなりやばそうな決壊があった。

ここで「やばそう」と書いたのは、将来についてである。
現状では、まだ大事になっておらず、自転車程度は全く問題無く通用する。
しかし、見るからにこの欠壊は致命の匂いを孕んでいる。
放置すれば、遠からず道の全幅が切断されそうであるうえに、まともに復旧させるためには、ここからは見えないずっと下の方から谷を固めないとならなさそうだ。
何ともいやな感じに切れてしまっている。

間もなく林道鹿曲川線の封鎖区間も明けるはずなので、嶽入橋付近から始まった約6kmという長い封鎖区間を総評して言う。
MTBにとって最高に楽しい程度の荒れっぷりだった。
廃道状態ではあるが、MTBならばほとんど下りずに通りぬけられる。倒木をどうにか出来れば、バイクも通れそうだが。
しかし、本路線の崩壊は、封鎖からわずか5年で、非常に急速、かつ全方位的に進んでいると感じた。
鋪装があるだけに籔に苦しめられる展開は当分無いと思うが、20年も放置したら、もうMTBだろうが車両での走破は相当困難になっていそう。
そして、そういうヤバそうな崩壊の筆頭が、このほとんど最後に現れた、今は路肩を壊しているだけの欠壊現場であった。



もう、いつものアイツが導いてくれることも無いけれど、

見た目的には、これまでも繰り返し見たような急斜面の道だけど、

でも、



見上げた斜面に、

終わりが見える!

あの光に満ちた地平に、仙境がある! …はず。



凄い!!

なんか急に、うちの周りの多摩丘陵みたいな景色になってきたぞw

さすがにこんなに残雪があるのを見たことは無いが、この穏やかな雑木林とか、家の周りにもあるよ。

あと、カーブ一つか二つで、決着しそうだ!



峠じゃ無いけど、峠みたいな達成感!


下界のみんな、サヨウナラ。



ヨッキれん、約5時間の厳しい修行の果て、遂に、



―登仙―




9:56 《現在地》

不老長寿の神徳ある仙人になった(気がした)私が最初にした行為は、佐久市が設置したバリケードを、そそくさと乗り越える行為であった。妙に俗っぽい。

ともかくこれで、約6km続いた、林道鹿曲川線の封鎖区間を完抜した。
だが、この林道自体はなお1kmほど続いており、探索もまだ続く。

それにしても、この「全面通行止」の風景、そそりすぎるでしょー?
いい雰囲気にガレていて、しかも奥の方に見える景色も素晴らしく、ちょっとタマラナイ。
でも今は状況が分かるから良いけど、何年か経って崩れ方が分からない状況で、下り一方の廃道に立ち入るというのは、けっこう勇気が要りそうだ。
その辺も含めて、廃道としての大物臭がある。
久々に山チャリストヨッキれんとしての、理想の探索が出来たと思う。自画自賛!



そしてここからは、皆さまいよいよお待ちかねの…



これより蓼科仙境都市

こ、これは


なんか、良くない雰囲気が…。





仙境 都市
?!


太陽が燦々と降り注ぐ別天地。文句なく極上の空気。

すばらしい、まさに仙境のような山岳景観だ。

が! 都市?!




良く見ると、「マンション」がある。

………。



これ…、完全に、あれだわ。

松尾鉱山住宅を、思い出したわ。

「仙境都市」という名前を聞いて、実は真っ先に思いだしたのが、あれだったんだけど…。


せ、 仙境都市のはじまり、はじまり…?




仙境都市まで あとkm