2007/11/28 14:52
開通記念碑ともとれる明治7年の馬頭観世音碑を足掛かりにして谷のどん詰まりまで進んでみたものの、そこには期待された峠へのスロープはなかった。
道は対岸へ続いていたと判断。
危険な滝を横断し、谷を渡って右岸へと取り付いた。
これ以降、目指す峠に背を向けて歩くこととなった。
軽自動車ほどもある巨大な落石が道を塞いでいたが、乗り越えたりして前進。
この落石が元もと嵌っていたのか、或いはたまたまかも知れないが、右の崖の目線の高さに大きな凹みがあった。
自然とこの凹みの奥へ目を向けた私は、またも衝撃を受けた。
!!!
石仏か?!
うむぅ…。
これは……。
これは余りに素朴………。
石仏というより、ただ矢尻の形に整形した自然石。
しかし、意志は伝わってくる…。
護りの意志は、これでも十分に伝わってくる。
誰が、いつ、どんな気持ちでこれを作ったのかは分からない。分かりようもないが、とにかくここに人の心が通ったことだけは確か。
それが分かれば、いまの自分には十分すぎる。
「やはりここが道なのだ。」
そう心強く思った。
だが
そこから3m前に進んだ所で、その自信は脆くも崩れ去る。
道が、無い。
まるで、私を混乱させるために置かれていたかのような石仏……。
何を不謹慎な!
そんな筈はない。
あれは自然のものではない。
見たところ道は無いが、何せ100年前の道である。どんな想像外の崩壊があったとも限らない。
道は見えずとも、進める内は進もう。
だって…、馬頭観世音碑からここまでに道を誤るような箇所は絶対に無かった!
私はそう断言できる。
これしかないのだ!
ゴツゴツした岩肌を数メートル降り、谷底へ向け擂り鉢状に傾斜する浅土の地面に立つ。
見た目は急でも、所々にそこそこ太い木が生えているくらいだから、ここは歩けそうだ。幸い。
そうやって少し行くと、岩盤の付け根に小さな洞穴が見えてきた。
これって、子供向けアニメとかで森に迷い込んだ主人公が何かに追い立てられて逃げ込む、アレ。窟(いわや)だよ。
おいおい。
マジで逃げ込んだ人がいたのか…。
なぜか、角材が一本残されていた。
製材されたものというか、斧で断ち割ったような一片だ。
2平方メートルほどの洞内は平で、雨宿りとか夜を明かすには最適そうに見えた。
窟から望む麓の景色だ。
うん。
いいねぇー。
ここで一晩明かしてみたいよ。寝袋持ち込んでさ。
来年の夏にでも、一晩失踪してみようかなー。
なんて考えた。その気持ちはいまも変わらないが、ここへまた行くのは結構大変そうだ。
しかし、本当に道がないぞ。
忽然と姿を消したといっていい。
相変わらず北壁は険しさを失っていないが、その付け根に当たる部分はほぼ一様な傾斜面になっていて、道があったなら痕跡を留めていて不思議はない。
それなのに…。
思い返せば、あの滝の50mほど手前から道はなかった。
ただ、滝を越えたこちら側には、いかにもそれっぽい平坦部があったし、その片隅に人工的な”石仏モドキ”を見たのも事実。
いったい、どうなっているんだ。
北壁の付け根を、等高線をなぞるような感じで歩いていく。
最初は余りの大きさで恐ろしく思えた岩の壁も、しばらく見ているうちに親しみさえ湧いてきた。(当然のことながら、全く一方的な感情である)
しかし、ここで旅を終えるわけではないのだから、状況は深刻だと言わざるを得ない。
もう、午後3時を目前としている。この北壁が突破できず引き返すにしても、明るいうちに里へ戻るにはせいぜいもう30分の間に結論を得なければならない。
これは、私がこの北壁で見た中で、最大のオーバーハング。
滝から100mほど離れた地点だ。
思わず、この超特大の窟へ寄り道する。
やはり地面は平坦で、良く乾いている。休むには良いかもしれないが、精神衛生上は全くよろしくない。
天井までの高さは、目測で約10m。
天井と一方の壁は定規で測ったように平らである。
オーバーハングの量は最大で5mを越えている。
ロッククライマーたちが見たら、飛びつきたくなるような岩場だろう。
それにしても、この場所からすっぽりと消えた片割れは何処へ。
アパート一軒ほどもある巨石は、どこへと消えたのだろう?
擂り鉢状の谷を、ずっと底まで転げていったのだろうか。
それは、震天動地の凄まじき光景だったことだろう…。
滝を離れて150m。
依然として北壁は途切れない。
途切れることは、あまり期待も出来ない。地形図を見る限り。
そして、未だに道は復活しない。
文字通りの獣道が、この一様に傾斜した斜面のほんの僅かな筋道だった。
敢えてそこを選ばなくても歩けないことはないが、疲労の度合いが全然違う。
ここは、おそらくイノシシたちが本能の赴くままに拓いただろうその道を使わせてもらう。
虚しく…。
意外な景色が現れた。
杉の林…。
人工林だろう。
よくもまあ、こんな北壁の縁まで植林したものだ…。
そして、ここはちょうど地形的にも特徴的な場所だった。
左図の通り、現在地は北壁の出っ張りの頂点である。
三方から風雨に削られ続けた突端の岩崖は、どこよりも丸みを帯びて、まるでたおやかな大仏様のようである。
孤独と思っていた北壁の果てで、意外にも青々と茂る人工林を目の当たりにする。
ホッとするよりも、なにか鼻白んでしまって、この先の景色への興味が急速に失われていくのを感じた。
それに、道を見失って以来、何か虚しい。
私は、風景を見物するために入山したのではない。
あくまでも、道を、峠を越えに来た。
道がそこにあるからこそ、その風致として絶壁や奇岩・遙かな山の静かさを愛でていたに過ぎない。
本来的に私は自然が好きではあるが、道がない所にまで敢えて踏み込もうとも思わない。
そこに気付く。
虚しい!
歩こうと思えば、どこまでも北壁の縁を伝って歩いて行けそうだ。
でも、それは意味がない。
あともう50mだけ進んで道を見つけられなかったら…、
…今回は諦めよう。
時間がない、気力も失せ始めた。
撤退する。
北壁と杉林はまだ続いていたが、肝心の道はいくら行っても現れない。
峠までの距離は少しも減らず、高低差も埋まらない。
これは道間違いだ。
間違えようがない地形だと思ったが、事実私は間違えたのだ。
どこで…!
分からないが、仕方がない。
引き返しながら、もう一度分岐が無かったか確かめよう…。
15:05 撤退!
結局、北壁はただの一度も間然する所を見せなかった。
明治新道は、どこへ行ったのだ。
忽然と消えてしまった。
来た道、というか斜面を戻る。
うつむき加減で足を速める私を、灰色の壁が取り囲み、見下ろしていた。重苦しい壁が。
飽くまでも私の行く手を遮った壁だが、憎くはない。
むしろ素晴らしい景色に感動した。
でも、道を見失ってしまった自分は憎い。
今夜は、東京へ戻らねばならない…。
数分して、滝へと戻った。
そして、睨めっこ。
やはり、この滝が峠への最短コース。それは間違いのないことだ。
よく見れば上にも杉の林がある。
まさか、あそこも植林地なのか…。
どうやって……?
… そうか。
峠の向こうから来て植えていったのかも。
滝を登れば、きっと道があるってことなんだろうな…。
来た道の険しさと、すぐそこにある峠への名残惜しさのため、なかなかこの場を離れることが出来ない。
ん?
…な
なにあの凹み…
まさか、これって…
これってまさか
これは……すごい…
まさか、こんなルートがあり得るなんて…!!
全長50mクラスの「巨大桟橋」による、
空中歩廊!
それが、北壁攻略の切り札だったのだ。
左岸岩壁高所に穿たれた、幾つもの正方形の孔。
それらの孔を結ぶと現れる、一本の緩曲線。
この両者が意味するものは、ひとつより無い。
前代未聞の、明治大桟道!
…あの馬頭観世音碑の本当の意味は、この橋の始まりの位置を示していた…。
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