道路レポート 塩原新道 桃の木峠越 第二次踏査 第3回

所在地 栃木県那須塩原市
探索日 2008.07.31
公開日 2024.11.27
このレポートは、『日本の廃道 2009年2月号』『3月号』に執筆した同名レポートのリライトです。
現在多忙のため執筆時間を十分に取れないので、神路駅の続きなど従来レポートを一旦休止してリライトをお送りすることをご了承下さい。

 善知鳥沢右岸へ渡って、いざ遠き峠へ!


2008/7/31 6:21 3.7km

中塩原を今朝出発して約1時間20分経過、6:20の時点で私は塩原新道を約3.4km前進し、大旗高橋の跡地の確認と共に善知鳥沢を横断し、同川右岸へ辿り着いた。以後もこの川は峠までずっと私の水先案内を務める。

掲載した地図を見て欲しい。
虎の巻の「位置図」によると、この先の道は右岸を数回切り返しながら高度を上げていくようだ。
直線距離ならここから5〜6kmのところにある峠だが、道は推定13kmもあろうと思われた。
まだまだ序盤であり、ペースを上げて進んでいかないといけない。そんな気が、ずっとしている。



橋跡を後に、前進を再開。すぐに、先ほど谷底から路盤へ登ってきた地点も通過し、そのまま未知の領域へ突入。
当然廃道ではあるが、意外にしっかりとした道幅が残っており、左岸よりも遙かに歩きやすい感じだ。嬉しい。
この山手の切り立った法面なんかも、明治の職人たちが手作業で切り開いたものの名残に違いあるまい。



ボイスメモ代わりに歩きながら撮影した短い動画だ。
ちょくちょくこのようなものを撮りながら歩いていた。ひたすらに長い廃道を、長い時間をかけて歩く途中、どこでどんなことを考えていたかを振り返る貴重な手掛りになっている。特に珍しいものが写っているわけではないが、踏み跡や刈り払いのない廃道の雰囲気が伝わると思う。私の声がまだ寝起きっぽいのはスルー希望(前夜は寝不足だからね、さすがに寝苦しくて…)。



お。杉林じゃないか。

こんな平凡なものが、ちゃんと現れてくれることに、ちょっとホッとしている自分がいる。
善知鳥沢の横断によって、完全に人間界を離れてしまったような、そんな気がしていたから。
実際、地図上において、善知鳥沢の右岸側山域には、林道はおろか歩道を含めて一切道が描かれていなかった。だから、林業的な営みも限定的であることは推測された。

ちなみに杉の木は道を無視して植えられていた。



杉が植林されている周囲は地形が緩やかであった。
お陰でペース良く進むことが出来ている。
しかし、近くに車道がないせいか、やはり植林地としてはほとんど手入れがされていないようだ。下枝が育ち邦題になっていた。木々の太さ的に、植えてからまだ30年くらいの感じだが、将来はどうするんだろう。



そんな平穏な植林地も長くは続かず、外へ放り出されるとすぐに道は怪しくなる。
谷へ向けて大きく抉れたように崩れた斜面。
越えた先を見通せるが、いまひとつ道は鮮明ではない。斜面みたいなところが続いていそう。やはり、甘くない。



上を見て「おっ!」と思った。
2段になった立派な石垣があるじゃないか?!

でもこれ、よく見るまでもなく、明治のものらしくない。
道より少し高い位置にあるし、どうやら道とは関係のない、善知鳥沢を対象とした治山工事の跡のようだ。
紛らわしいのである。



6:45 4.1km 《現在地》

前方、緑濃い谷が、大きな凹地となって急斜面を横切っている。
地形図を見ても、それらしい地形の凹凸(無名の谷)がある。

「位置図」によると、道はこの凹んだ谷を地形に沿って向こう側まで渡ってから、最初の切り返しのカーブを迎えて、今度は少し上段でまた同じように谷を回り込むことをして、結果的には今いる場所のすぐ上に折り返してくるらしいのだ。
はっきり言って時間に余裕がない私にとっては、なんとももどかしい大迂回を演じていやがる。


……が、四の五の言わずに進もう。躊躇っている時間も惜しい。



ああっ…。 谷は嫌いだよ……。

全てが、谷に傾いていてしまっている。

道はどこなんだ。

また、見失ってしまったぞ…。


こうして何度も道を見失っているが、これは私のミスなのか? 
たぶん、そうじゃない。
古すぎて、ワル過ぎて、道形が消えてしまっているんだと思う……。
まったく難儀だ…。



前の写真の中央に見えている大きな木の根元に来た。
板恨みたいになった巨大なツタの幹と、この大木の幹の間の三角形のトンネルに、微かな踏み跡があった。
よく見れば、周囲の山肌の至る所に同じ様な濃さの踏み跡が見え、それらは奔放に交錯していた。
もちろん、人の仕業ではあり得ない。おそらくシカかイノシシか。人はこんな怪しい木の隙間を通らないし、こんな自由に野山を駆け巡らない。



6:50 

道を見失ったまま、根気強く水平移動のトラバースを続けていくと、先ほど遠望した緑の谷の底に辿り着いた。
その谷には、明治よりは明らかに新しいコンクリート製の砂防ダムが段々々々と、上にも下にも折り重なるように連なっていた。それだけ急なのである!!
そして案の定、この険しい谷によって、道形はますます完全に寸断されていた。
数百メートル手前から道を見失っているので、「寸断されているようだ」というべきか。

しかもだ。
よく見ると、少し下でこの谷は二手に分れていて、今いる高さだと、一度渡って終わりではなかった。
このまま進めば、谷をもう一度横断しなければ対岸には行けない状態。

あ〜〜もうこれ、収集がつかねぇな!!!

「位置図」を見る限り、チェンジ後の画像に破線で示した位置に道があったのだと思うが、これを忠実に辿ろうとすると、下段で2回、上段で2回、合計4回もこの谷を横断しなければいけない。
それには何分くらいかかるだろうか…。技術的には、可能ではあると思うが……。



またボイスメモ動画を1本。

救いのない展開に思わず空を仰いだら、今日初めて私の元まで届いた朝日がとても眩しい…。
どうか一緒に探してください。
道はありますか?
私は、どこへ向かえば救われますか?

眩しさに、目を細めて、上を見ると……



ああッ! 道が見える!

ここは、行ってもイイよね。
ちょっとだけショートカットしちゃうけど、許してくれるよね三島…。
既に今日は、善知鳥沢右岸でも一度道を外れてショートカットを敢行している。
ここでも、20〜30mほど上に見つけてしまった「続き」へと、“飛ぶ”ことにした。

探索の妥協と言われればカエスコトバモナイのだが、現場では葛藤したぎりぎりの判断だった。
この辺りは麓からの距離的に、その気になればまだ再訪は比較的に容易いが、ずっと先の峠の近くまで進んでから時間が足りなくなって泣くのだけは嫌だった。
この山の中で夜を明かすつもりも、準備もない。踏破はしたいが、山の深さに怖さも感じている、そんな単独行者の苦しい心境があった。

言い訳終わり。 




ショートカットだーーー!!!

この画像に破線で描いた部分を無視して、上段へと、攀じ登った。




6:54 4.5km

下から見上げた道形は、これだった。
明確な掘り割りが存在していた。
その嫋やかな凹みの向こうには、杉の林が見える。

なお、上った跡も振り返って確認をしたが、ショートカットしてきた谷側にはやはり道形を見つけることは出来なかった。相当大規模に崩れてしまっているようだ。しかも崩れた跡にも樹木が育ち、もはや自然の地形に還ってしまっているようだった。



うおぉぉおおお!

苦しんだ後に、これは効く…!
なんて幸せな道だろう。太陽の優しい光も、今日の活力を与えてくれる!
ショートカット後は進行方向が逆転し、今度は右に谷を見ながら北上していく。素直に峠の方向へ向かうことになるから、精神衛生上も良い。



この段に入ってからは快調なペースで進んでいる。
写真は、珍しく谷側の視界が開けたところから撮影。
朝日を背にした弥太郎山(1392m)を臨んだものと思う。
この山の名前は、三島通庸の長男・弥太郎氏に由来しているが、なぜこのような命名がされたかを私は知らない。



7:15 5.0km 《現在地》

この段を歩き始めて400mくらい進んだところ。
おそらくいま、大旗高橋の上辺りを通過しているが、もう下段の道との高低差は40mくらいになっていて、杉林の下には道も谷底も見通せなかった。

大旗高橋から峠まで、特に区間の区別もなく。全体が廃止後120年前後を経過した状態であると思うが、同じくらい放置された廃道であっても、地形によって保存状態は歴然と違う。その差の大きさには本当に驚かされた。
そして、この辺りの保存状態はおそらく最良だ。下草すらなく、とても歩きやすい。
全体的には、谷周りが鬼門といえた。まあこれは世の廃道に共通することでもあるだろうが。


次回、驚くべき巨木が登場?!




 警告: 気を緩めるな!!


2008/7/31 7:19 5.2km

再び道が、頼りなくなってきた。
鬼門であるところの谷が、また近づいてきたようだ。
なお、ここで言う谷とは、遙か下にある善知鳥沢の本流ではないし、水が流れているものにも限らない。
浸食によって落ち窪んだ凹みの全般を谷と表現している。
あまりにも長く放置されているこの道にとって、谷は例外なく危険な環境といえた。

そしてこの次の瞬間、谷の危険性を積極的に認識させる出来事が発生した!




うおっ?!! 落石ラクッッ!!

ここもボイスメモ動画で。私がいる30mくらい先の斜面だったが、拳大の白っぽい石が数個、地上1mほどの高さを左上から右下へ斜めに横切って谷底へと消えた。一瞬遅れてカンラカンラと弾けるような甲高い音が耳に届く。まるで光線のように速く見えたが、全く前触れもなかった。

ビックリした……!
規模はごく小さいものだが、紛れもない落石だった。
わざわざ私の目の前で起って見せることもないだろうに。120年も眠り続けてきた道だろう? なぜいま唐突に崩れる必要がある?!
まるで、気を緩めるなという入山者への警告のようだった。直撃されたら拳大は命が危ない。
先を急ぎたかったが、一旦足を止めて、続く落石が無いことを2分ほど待ってから、現場の通過を試みた。



これが、数分前に落石があった現場だ。

遠目に見る以上に大きく抉れた乾いた谷。いわゆるガリーである。
侵入と横断は比較的容易いが、逆に言えばこの程度の険しい場所はここまでいくらでも横断してきたのであって、その全てが前触れのない落石の危険地帯であることを思い知らされてしまった形に…。
また、問題があって、このガリーの対岸、道が再び現れるその場所には、地を覆うほどに巨大な木の根が、崖を作っていた。

いや、木の根が崖を作るって、どういうこと?!



こういうことである。

幹の部分でも周囲2mはあろうかという巨木であったが、それを支える根はさらに太く広く周囲の地形に広がっていた。
そしてその大部分が、ガリーの縁の崖でこれ以上道が崩れないよう擁壁のようにそそり立っていた。
あるいは逆に解釈し、道がガリーに呑み込まれるその縁に巨木の根がしがみ付いていた、と表現すべきなのか。
どちらが正しいかは分からないが、どちらにしても凄まじい光景だった。

先へ進むためには、この巨木の根が作り出した“崖”の間近を攀じ登る必要があった。
その時、根を抱くほど近くで観察したが、象皮のような硬い樹皮の内に漲り猛る生命力が感じられた。
百年以上昔に死んだ道に、数百年を生きる根が、取り憑いていたのである。



攀じて道へ復帰!

じゃ、俺はもう行くけど……

落ちないでがんばってね…。



これはちょっとした余談になるが、十数年前の古い探索スタイルが分かる写真である。

前にも書いたが、当時はまだGPSを携行していなかった。
そして地図についても、この頃までは紙の地図に探索の予定コースを書き込んだものを持ち歩くスタイルだった。
だから、当時は自宅のプリンターが探索の度に大活躍していたものだ(現在はほとんど使われていない)。

そのうえで、今回は非常に行程が長く、しかも目印に乏しい似たような景色が続くことが予想されたので、後で撮影した写真を見ても、撮影場所が分からない畏れがとても大きかった。
それで対策として、ボイスメモ代わりのミニ動画の多用と共に、この写真のように、ときおり地図で「現在地」を指さして撮影することを行った。もっとも、後から振り返ってみると、おそらく間違って指差している地点も多くあったが…(この写真の指差しはだいたい正しいはずだ)。



落石を間近に感じ、そして巨木が孤軍奮闘を演じていたガリーを過ぎると、また何事もなかったかのような平穏な道が再開した。
こういう繰り返しの展開が、ずっと続くんだと思う。
地味に、時間と体力を消耗させられる展開だ。あと気力も。



行く手がまた明るく見える。
これまで繰り返し述べてきた廃道探索のセオリー、「明るくなったら注意せよ!」だ。
おそらく切り立った地形がある。
道はその縁に突き当たって左へ曲がるようだ。善知鳥沢の本流はほとんど真っ直ぐに北上しているので、曲がるというのは支谷に引っ張られるということである。またも迂回の始まりだ。



7:33 5.5km 《現在地》

曲がってみれば、案の定、かなり大きく凹んだ谷が待ち受けていた。
そして例によって、周囲の斜面は満遍なく崩壊していて、道形をほぼ完全に消失させていた。
出来ることは、その先に道が再開することを信じて、黙々と横断するのみである。

小さなため息と共に、突入。



大きな谷の割にはすんなり渡ることができた。
だがこの横断の最中にも、見つけたことを思わず人に教えたくなるような印象的な巨木が、待ち受けていた。
沢山の幹が剣山のように集まって直立するこの特徴的なルックスは、おそらく桂の木だと思う。大きくなり易い木ではあるのだが、これまたデカい。枝分かれした各幹がどれも太く、根本付近で強く癒着しているせいで、幹回りの太さが凄いことになっていた。



脱出し、振り返る。
正面に見える平場から、谷を渡ってここへ辿り着いた。
この道の置かれている地形の険しさが分かると思う。
既に海抜は700mを越え、善知鳥沢の谷底に対する比高も50mを越えた。
だが、目指す峠の高さは1200m、まだまだまだ先だ。



7:53 5.8km 《現在地》

前回の谷を越えて10分以上、また平穏な道が続いている。
そんななか、本日初めて出会う“遺物”があった。
廃道探索の定番、炭焼き窯の跡だ。
板状の割石を積み上げて作られてるが、風化が著しく、放棄されてから相当の年月を経過していると思う。古代遺跡の雰囲気さえ漂わせていた。



周りの地形に、目に見える岩場が増えてきた。
道はその中腹を果敢に割り削って横断していく。
こうした地形に幅3m近い平坦な馬車道を通すことは、容易ではなかったろう。

絵に描いたような難工事を予測できるが、記録によれば、三島は明治17(1884)年5月30日に塩原〜山王峠間32kmあまりの山岳区間を一挙に着工し、同年9月中には一部の橋を除いてあらかたの工事を竣功させたという。まさに鬼神の如き早業だが、この短期間の工事には25万人が投入されたといわれており、最盛期には1日5000人が同時に作業する人海戦術を繰り広げたものであった。

そんな道の歴史上の成果としては、今のところ開通パレードの一件(三条実美の通行)しか記録にないことが、ひどく目に沁みる。




8:03 6.1km 《現在地》

地形図上でもそれと分かる大きな窪み……次なる谷……へと辿り着いたが、

めっちゃガレている!

これまた無名の谷ではあるが、右岸の「若見山」(1126m)山頂直下より最短で善知鳥沢へ注ぐ非常に急峻な谷が地形図から見て取れる。
そして、道はこの谷を横断して間もなく、二度切り返す九十九折りに入るはずだ。
あまり特徴のない長い道中の中にあって、この九十九折りは「現在地」を特定出来る数少ない特徴的な線形だったし、距離的にも序盤から中盤へ移り変わる辺りだから、進行のバロメータとして出現を待ち望んでいた。

その直前に現れた、めっちゃガレまくった谷であった。



あれ、もう終わり?

うふ。

見た目の派手さとは裏腹に、横断の難しい谷ではなかった。
序盤ステージクリアのテープ切りのつもりで勇敢に立ち向かった心境も、いささか空回りになって再び平穏な対岸へ。
これはちょっとだけ、緩めちゃってもいいかな。




8:13 6.3km

やられた!!!

ごめんなさい。ごめんなさい。侮りました!

今日一で酷い谷が現れやがった!

若見山の下にある大きなガレ谷……この規模になると、中部地方などではナギ(薙)と称されることが多い。
一名これを「若見薙」と名付けたい。
相撲取りみたいになっちゃうが仕方ない。こんなキツそうなのに無名じゃ張り合いがねぇだろ!!


しかも、もっと大きな問題なのは……



この巨大なナギ地形の上部を、
あと2回!
この道が“行き来”しているとみられることだった。

一回渡って終わりじゃない可能性が……!!



恐る恐る、ナギの上部を見上げてみると……




天の果てまで崩れているみたいだッ!

下手したら、本当に3回、上中下段でこの同じナギを横断するハメになるのかも……。


目指す峠まで、まだ10km以上もあるのに、悪夢のような展開が挑戦者に襲いかかる……のか?!



 “虎の巻”である「位置図」の誤記について

今回の探索に前もって入手し、探索中もGPSを持たない私が現在地や進行具合を把握をするのに大いに活用した“虎の巻”「三島街道(通称)位置図」(右図)であるが、一部描かれているルートに誤りがあることが判明した。

これについて、現地探索中も違和感は感じたが、GPSを持っていなかったことから確信には至らなかった。
だが、最近公開されている「栃木県微地形図(CS立体図)」によって極めて正確にルートを知ることが出来るようになったため、地図の誤りに起因する現地での違和感の正体が明らかになったのである。

具体的には、ちょうど探索の現在地の周辺であるピンク枠範囲内のルートは、チェンジ後の画像に青線で示したルートが、より正しい。

九十九折りの位置が数百メートル北にズレているだけなので、これによって全体の距離は変わらない。
また、リライト前のレポートでは違和感のままスルーしていたが、今回これを修正し、関連する地図も出来るだけ修正のうえ掲載している。

この「位置図」は、『三島街道を復元する会』の御好意で、平成18(2006)年にご提供いただいたものである。
元来は、日光森林管理署のOBの方が実測し、地形図に記入したものが原本であるとのことで、このOBなる人物が、私より前に塩原新道の全線を踏破しているはずである。

そんな林業のプロでさえ一部のルートを正確に把握できないほど、人跡の途絶えて久しい危うい廃道である証しといえるかもしれない。
しかし、この一点以外は全体にわたって極めて正確な地図であり、現地では本当に何よりも頼りになった地図であった。改めて、作成者と、提供者の両方に、深く感謝したい。




桃の木峠まで あと10.4km





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