14:07
苦心惨憺のすえ、森茂林道を踏破して六厩川橋へと到達。
最大の目的であった渡橋も無事果たされた。
その時点で時刻は14時を少し回っていた。
真夏ならばまだまだ宴もたけなわと言ったところだが、残念ながらこの時期はもう日暮れを意識して行動しなければならない時刻である。
3時間後には、ほとんど灯り無しでは行動できないくらい暗くなっているはずなのだから。
というわけで、ここは左岸の土を一蹴りだけして引き返し、すぐさま脱出路の六厩川林道へ向かう
べきだったのかもしれないが、
もう二度と来れないかも知れない(というか、来ることは出来ても、そのためには自分の体をまた沢山動かさなきゃならない)この場所を、もう少しだけ味わい尽くしたい思いが勝った。
何かと言えば、秋町隧道である。
一昨日の探索で踏破を断念した秋町隧道の北口から、この六厩川橋までの距離は約1.5km、往復で3km。
ここまでに要した時間を考えれば、この3kmは決して小さな数字ではなかったが、最悪六厩川橋付近で夜明かしする事になろうとも、この区間だけは今回やってしまいたかった。
この写真は、森茂林道の最後の大崩壊地点で撮影していたものだが、六厩川橋から御母衣湖畔の崖を経て秋町隧道までは、このくらいの距離感である。
1.5kmも無さそうだが、山腹の蛇行に少し道が折り畳まれているのでこの距離がある。
この景色を見ながら、秋町半島の意外な高さに恐れ感じたことをよく覚えている。
でも、通り抜けられない隧道だと知っているのに、そこへ行かなければ気が済まないのだから、なお怖ろしいのは自分の“オブ欲”だった。
ここで秋町隧道まで足を伸ばしたのは、完全に欲である。
「良くないなぁ」とは思いながら、抑制できなかった。
だが、前進を決めた私の心は一時的に、とても晴れやかだった。
これさえ終えれば、後は何も思い残すことはない。
これで全てを終えて下山出来れば、どれほどの達成感を味わえるだろうかと、捕らぬ狸の何とやら。
…この時間、この季節、この天気、この場所、この孤独、どれを取っても重苦しい。
努めて明るい思考で行こうというのは、意識せずとも自衛的にそうなったのだ。
秋町隧道へ出発進行!
対岸でまず出迎えてくれたのは、それぞれ100トン以上はありそうな2基の巨大アンカー。
道はこのビルディングのようなコンクリート塊の隙間を通る。
こんなシチュエーションは初めてで、もの凄くドキドキした。
吊り橋自体は左右対称なカタチをしているので、両岸に同じくらいの重しが必要だったはず。
始めに見た右岸は山自体がアンカーになっていたが、この左岸は尾根の突端であり、道は切り通しになっているから、自前で重しを作る必要があったのだ。
また細かなことだが、道の両側のアンカーの位置が少しずれている。
これは道を左へカーブさせるためにそうしてあるのか、それとも山の重心を考えてのことなのか、気になるところである。
見た目の意外性という意味では、橋自体よりもこのアンカーが興味深かった。
アンカーの隙間を抜けると前述したとおり左へカーブする。
そして、この状況。
…まあ、廃道だよね、とうぜん…。
チャリ無しの機動力を見せつけるべく、ここは跳ねながら進んでいった。
いちおう、1時間で往復するという即席の目標を立ててみた。(時速3km)
むぐぐぐぐ…
どうやら、ここも楽に行かせてくれるつもりはないようである。
どこまで行っても廃道ばかりの世の中だ。
それも、とびっきり上物のな…。
申し訳程度にコンクリート補強のされた、ほぼ垂直の絶壁下をへつるように道は続く。
現役当時からガードレール一つ無かったみたいだ。
そんな路肩から見る、道の先行き。
湖面へ落ちる斜面も上と同じくらいきつく、喫水線より下は全て絶壁である。
落ちたらそれだけで死ぬだろうが、湖面に着いた時点では生きていても、まず陸に上がれないだろうな。
遠くの景色と較べてみても、特にこの辺りの地形が険しいようである。
この長く山の裏へ続いている湖面は御母衣湖だが、まだ庄川本流の谷は見えない。
ここに見えているのは、全て六厩川の溺れ谷である。
そういえば、林鉄跡もこの左岸沿いに沈んでいるはずだが、全くそれらしい平場は見えない。
他の所で見た憶えのない、珍しい“コンクリート節約の穴”。
法面にはほぼ等間隔にこの穴があって、もしビバークするなら橋の下か、この穴の奥だろうと思った。
(上手く瓦礫や落ち葉を積めば、雨風が防げそうだった)
どこまでも続いているように見える、凄まじい瓦礫の山。
歩けないほどではないが、安心できる場所などどこにもない。
目に見える踏み跡も無い。
最後に人が来たのは一体いつなのかといった感じだ。
この状況を“楽しむ”余裕はなく、早く隧道を確認して引き返したかったというのが、偽らざる本音だ。
ようやく橋から続いていた岩場を突破しつつあるようだが、今度は道全体が土砂に埋もれて斜面になっていた。
しかも斜面上には腕ぐらいの太さの木が育っている。
昭和の時代に崩れて以来、一度も復旧されてなさそうである。
未だしっかりした車道として描いている市販地図も多いが、誰も苦情を言わなかったのだろう…。
横断しなければならぬ斜面の下は、こんな感じである。
まったく怖ろしいところだ。
一瞬たりとも気が抜けない。
それでも立ち止まっている時間が惜しいので、行けると感じたらどんどん進んだ。
14:20 《現在地》
橋を発って13分かかって、ようやく5枚前の写真に★印を付けた地点までやって来た。
そこにはカーブミラーの支柱だけが立っていた。
進んだ距離は、まだわずかに200m。
1時間で隧道まで往復するなどという大言は、もう吐けない。
唯一頼るべき私の足は、森茂峠を快調に登っていた頃の足では無くなっていた。
疲労を自覚するとたちまち心も萎えてきて、このまま山に呑み込まれてしまうのではないかというような恐怖が、むくむくと立ち上がってくるのだった。
振り返り見る難所。
その中ほどに無言の存在感を示しているのは、周りの岩と同じ色をした巨大なアンカーである。
超自然のビルディングは異様そのもの!!
そして、ここが森茂の谷を見通せる、最後の地点であった。
半日前に歩き回った森茂の廃村は、森茂谷の山肌に見える青く杉の植えられた辺りだと思われる。
最も奥の紫色の山並みの一角に、森茂峠はあったのだろう。
今日一日の旅の、まさに縮図というべき眺め。
悲しいのは、再びここへ戻ってくることが約束されているということだ。
たった数十分後には、またあのアンカーの隙間を通らねばならない。
いまの私は、六厩川橋という巨大な牢屋に閉じ込められた囚人に等しかった。
少し進んだところに、まだ立ったままの電柱が残っていた。
懐かしい木製の電柱である。
電線はあたりに見あたらず、意図的に回収されたのかも知れない。
そしてこの後は立っているもの、倒れているもの取り混ぜて、多くの電柱が沿道に残っていた。
いったいどこに始まり、どこまで続く電線だったのだろう…。
これも電柱の残骸である。
正確には、上部の腕の部分だ。
木で出来た部分は苔に覆われ、スポンジのように脆く変形しているのに、金属の部分だけはまるで新品のような風合いである。
それがまた余計に憐れでであった。
14:37
橋を離れて30分後、私は庄川林道に入ってから最大規模の崩壊と直面していた。
道は路肩の石垣だけを残し、急な瓦礫の斜面に完全に埋没しており、それがどこまで続いているのか、見通せなかった。
本来ならば、もう秋町隧道に辿り着いているべき時間だったが…。
これがその崩壊の核心部。
小さな谷を巻くようにカーブした道がその過半が埋没し、特に谷を横断する中央部は、路盤自体も崩れ落ちていた。
こういう複雑な崩壊は、楽に突破できる裏道などあるはずもなく、ただ地面を追いかけるより無かった。
引き続き同崩壊地点核心の沢。
苔生してはいるが、構造から見て林道と同じかそれ以降に作られたと思われる大きな砂防ダムが、背丈の大半を土砂に埋もれた姿で残っていた。
手前の滝があるのは、完全に路盤のあった位置である。
橋、トンネル、標識、電柱、砂防ダム…
林道に有りそうなものは全てあるが、何もかもが廃だった。
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難所となった谷を越え、いよいよ秋町半島の枯れ色をした稜線が間近となってきた。
路盤の方は平穏を取り戻したかに見えるが、実は無秩序に潅木が茂る、いやがらせのような道。
もしチャリがあったら発狂しただろう。
これから見れば、森茂林道はまだマシだったかも知れない。
少なくとも、廃止されてから経過した時間は、この庄川林道の方が長いと思う。
六厩川橋から秋町隧道に至る区間は、“最奥の廃道”に相応しい荒れようだった。
さらに進むと、高低差の付いてきた湖面が右へ大きく離れ始めた。
あの狭隘な谷の向こうには、ダムサイトに近い庄川本流の大きな湖面が待っている。
その見えざる対岸には、国道156号が通っている。
少しくらいは見えるかと期待していたが、鍵穴のように屈曲した谷には全く見通せる場所はなかった。
船があれば…
そう思わずにはいられない、孤独と隔絶の眺めであった。
14:57
何が、「1時間で往復」 だ。
橋を発って50分を経過して、ようやくだ…
ようやく。
これ以上は谷を迂回できない場面に突き当たった。
奥には、コンクリートの巨大な擁壁が見え始めている。
そこにあるものは、予想できる。
予想できるのだが、道は、
ここで途切れている…。
立体的な地形の中に道の残骸が散逸しており、はじめ何がどうなっているのか理解出来なかった。
言えることは、隧道を前にして庄川林道区間内では過去最悪の路盤崩壊を前にしているということだ。
本来の道と坑口のあった場所は谷の中であり、道は谷を土砂で埋めて築造されていたようだ。
この写真に写っている石垣のようなものは、巨大な谷留めをする擁壁の裏側なのだろう。
もちろん普通は見えるような場所ではないのだが、本来あるべき手前の路盤が抜け落ちているのだ。
つまりここは、大規模な陥没跡だ。
路盤が陥没し、湖面に引きずり込まれつつある坑口前の道。
坑口を土砂崩れから守るべきコンクリート擁壁の残骸が、斜面をへつって歩く私の進路を妨害した。
恐らくこれが、この区間最後の障害物!
もう、何でも良いから早く突破させてくれぇ!!
あらゆる人工物が牙を剥いて、通行人に襲いかかってくる。
そんな印象の道である。
擁壁の巨大な亀裂から向こうを覗くと、待望の…
待望の…
待望すぎるッ!
坑口がっ!!
谷の真ん中に口を開けている北側坑口は、南口に較べて遙かに状況が悪い。
南口も大半が土砂に埋もれてはいたが、それは最近崩れたようには見えなかったし、実際あまり不安も感じなかった。
対してこちらは不安だらけ。
南から覗いたときに光の通っているのを見ているとはいえ、本当に貫通しているのか不安になるくらいの崩れっぷりである。
夜気を先取りした冷たい風が通り抜けて来てはいるのだが…。
それに、94年に撮影された同地点(『冒険伝説』参照)と較べても、遙かに崩壊は進んでいる。
遠からず完全に閉塞してしまうだろう。
秋町隧道前の、完膚無きまでに叩きのめされた路盤の状況。
道は隧道を出て右へカーブしていたのだが、崩れてきた擁壁が進路を邪魔している。
左側の石垣は残っているが、その先に道はなく、あるのは巨大な陥没地形だけ。
陥没といえば…
前も一度引用した「荘川村史(続巻)」の秋町隧道廃止に至る顛末は、こうだった。
国有林材は昭和四八年頃までこの道を使って牛丸貯木場へ運送されていた。しかし、トンネルが陥没して不通になり木材は六厩地区にさかのぼり、大きく迂回して牛丸、白鳥の貯木場に運送された。荘川村史(続巻) p.429
「トンネルが陥没」という表現は、天井の陥没(崩れてきた)のほかに、坑口前の道が文字通り陥没して通れなくなったという事も考えられるのではないだろうか。
この余りに酷い崩壊を見て、そう思ったのだが…。
さあ、もういいべ、帰ろう!
1分、いや…
30秒だけちょうだい!
誰も止める人はいない。
それが逆に怖ろしくて、隧道に入るかどうか、一瞬だが真剣に悩んだ。
いったい私はどこまでズルズルと、この山居を長引かせるつもりなのか。
もう帰りたいのに帰れない自分が、苛立たしい。
天井部分に空いた高さ40cmほどの隙間から、這い蹲って洞内へ忍び込む。
幸い狭い部分ははじめの数メートルだけで、後は自然の瓦礫斜面となって急激に空洞が広がった。
遮るもののない洞内には、約300m離れた出口が、かがり火のように浮かんで見えた。
光が2つ上下に並んでいるのは、水に反射しているせいだ。
私は普段とは全く逆のことを願っていた。
1mでも早く水没し、前進できない状況となって欲しい。
(←)
見ての通り、天井にはこれだけの瓦礫を洞内にもたらすような崩壊は見られない。
側壁(→)には崩壊があるが、その規模はさほど大きくない。
南口同様、この北口も隧道自体はまだ保っている。
これらの瓦礫は、ほとんどすべて洞外の崩壊によって流れ込んできたものなのだ。
水没確認!
瓦礫の山が鎮まるところから、即座に水没が始まっていた。
それも南口同様に深い水没。
仮にこちらが浅くても、決して向こう岸まで歩いては渡れないはず。
完全確認!!
やったーー!!
これで思い残すことは何もない!
15:06 撤収開始!
15:44 六厩川橋 左袂へ戻り着く
やれば出来るじゃないか!
帰りは38分で隧道内から橋の袂まで駆け戻った。
もちろん体力を余り失わないよう、全力疾走ではないが、ともかく来るときにルートを完全に把握していたため、帰りは早かった。
このことを考えれば、普通に森茂林道を帰ればまだ明るい内に廃道から脱出できる線もあるのかも知れない。
だが同時に、未知の六厩川林道を帰れば意外とすぐに廃道が“明ける”という可能性もあった。
事前の(机上の)情報収集では、六厩川林道の入口から数えて9km地点にある立入禁止ゲートまでは、普通の林道だということが分かっていた。
つまり、どんなに廃道区間が長くても(全長15−現役9=)廃道6kmよりは短い筈なのだ。
それは森茂林道が確実に5km廃道であったことと較べて、十分挑戦する価値のある賭けだと思ったし、当初の計画を完遂したいという“欲”は、橋へ戻ってきたこの時点でもまだ燃えていた。
再び、橋へと挑む。
いや、“挑む”というのは今さら大袈裟である。
六厩集落まで、15km。
日没まで、1.5時間。
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