2023/2/13 16:57 《現在地》
さて、旧道探索の続きをやっていく。
現在、怪しげな“パキョパキョ”通路を通過して、現国道の巨大な重力式擁壁の直下に入り込んでいる。(チェンジ後の画像は振り返った風景だ)
この足元の平場が、かつては旧道の路盤だったと思うが、さすがにもう道路としての面影は皆無だ。これだけいろいろ手を加えられてしまえば当然だろう。
私をここへ誘った鋼管がトレードマークのような仮設通路は、この平場を外れて眼下の谷へ下りていく。
だが、旧道の続きはその方向にはないと判断し、私はこのまま目の前の平場を進むことにした。
この巨大な擁壁は、旧道を土台として設置されているので、その終わりまで行けば、旧道と再開できると期待している。
うーわ……。
平場を進んでいくと、まもなく“道幅”が極端に狭まってしまった。
いや、そもそもここはもう道ではないのだから、“道幅”という認識は正しくない。
ここにあった旧道のほぼ全幅を使って、現国道の路肩の安全を守る巨大な擁壁が建造されていた。役目を終えた旧道は、その身を現国道の安全に捧げて消滅していたのである。美しい献身の強要が、ここにあった。
こんな状況でも、ここを通って先へ進もうとしたのは私が初めてではないらしく、どこかから運び込まれたガードレールが1枚、裸の桟橋となって、狭い部分に掛っていた。だが、雨で濡れたガードレールは恐ろしく滑りやすく、強度についても不安があった。墜落即死という高さではないので、渡ったけれども……。
この“通路”とも呼べない何かに比べれば、さっきの鋼管通路はよほど信頼が置けた。
その先では、辛うじて犬走り程度の道幅?が確保されていたものの、日常的に通行している人は絶対いないのだろう。季節の割りに藪が濃いうえ、ちょうど胸くらいの高さにある擁壁の出っ張り(アンカーボルトの埋設箇所だ)が邪魔すぎて、うんざりした。
この出っ張りを避けるためには、上半身を崖の縁から少し外にはみ出させる動作をしながらテンポ良く進むか、それが怖ければ四つん這いで下を通る必要があり、数も非常に多いので……
結論、ここは人が通るような場所じゃあない。
(既に時遅く、無理矢理通ったが…)
なお、この部分には、旧道の路肩部分にもコンクリートの高い擁壁が仕込まれているが、年代を考えると、これも旧道当時のモノではあり得ない。
現国道の擁壁を支えるために、わざわざ旧道の高さにも土留め擁壁を設置しているのだ。
現代の道路(それも国道)に要求される、かつてとは比較にならない安全度の大きさが身に沁みる。
おかげで、この場所での旧道は、本当に透明な存在になってしまった。
が!
17:00 《現在地》
旧道復活じゃー!!!(嬉)
「復活」と言っても、ただその跡地が廃道として残っているだけだけど、
直前までの“空気”状態から比べれば、旧道の復活だと思えた。
現国道のために、旧道としての繋がりを断たれてしまった区間を強引に突破し、
その先に眠る、現国道からも他のあらゆる道からも隔離され、地図からは抹消された、
長安口ダム直下の“隔絶旧道区間”へと到達した!
最初、容易く【旧長安隧道】に導かれた時点では、こんなムネアツの展開が待っているとは思わなかったぜ。
実はコレ、私が凄く好きな展開である。私は、どことも繋がっていない離れ小島的な道が大好物なのだ。
すぐ上には相変わらず現国道があって、その青看が読めるほど近いが、道としては繋がっていないのである。
突破してきた、道なき部分を振り返る。
巨大な擁壁に圧迫され、押しつぶされ、ついに姿を消してしまったこの部分の旧道こそが、今回の探索のキーワード“窮屈”を象徴する第7のシーンであった。
ここの犬走りの下は落ちたら助からない高さがあり、しかも邪魔な出っ張りのためにとても通りにくいので、ここを道だと認識するのは今日限りにした方が良さそうだ。
旧道は、ここでも現国道の擁壁を支える役割を担わされているが、とりあえず歩くのに不自由がない幅はある。
この道との再会をじっくり味わいたいところだが、如何せん時間がない。
思いがけない手こずりで余計に時間が圧しているので、駆け足の一歩手前のハイペースで進んだ。
旧道が確実に消失しているであろうダム直下までは、まだ残り300mくらいある。そしてそのダムが視界の半分を占めるほどドデカく見えてきた。
明らかにダムの天端よりも低い位置にいるのが感じられて、あそこを越えられずに突っ込んで終わるしかない旧道の末期感が堪らなかった。
さらに進むと、旧道の視界から現国道に関わるモノの姿が消えて、オリジナルの風景を取り戻したような感じになった。
とはいえ、錆びて穴が開いたドラム缶が無造作に転がっていたりするあたり、旧道を敷地に利用している現国道の擁壁を建造する際に、工事用道路として使われたのではないかと思う。
昭和30年頃に廃止されたにしては路上が妙に綺麗であることも、近年まで何かに利用されていた形跡と捉えられる。
(→)
旧道の路肩にはガードレールのようなものはなく、無造作に切り岸へ落ち込んでいる。おかげで那賀川の見晴らしは良好だ。
写真はダムのすぐ下流辺りの対岸を撮しており、対岸の高所と低所にも1個ずつ使われていない隧道が口を開けているのが見えた。
下にあるのはダム建設工事中に使われた仮排水トンネルの出口で、上にあるのも工事関連の道路トンネルだ。
おおー! と思わず声が出た。>
写真だと、樹木に隠されて分かりづらいのだが、この先の旧道には、
ずいぶんと大きな切通しがある。
切通しを透かして、向こうにある現国道のガードレールや擁壁が見えている。
しかもここは、山側ではなく川側に突出して切り立った岩がそそり立っていて、
その高さは隧道になっていても不思議ではないと思えるほどだった。
こういう目立たない旧道に実は大きな遺構があるのは、とても興奮する。
17:03 《現在地》
深い切通しの内部は、少し不思議な状況になっていた。
かつてここを通っていた道路が、地域にとってとても重要な存在であったことを物語るかのように、際立って鋭く深く切り立っている左側の岩壁に対し、現国道が上方にある山側の斜面は緩やかで、そればかりか、旧道の道幅としては明らかに不自然な位置に苔生した石垣が作られていた。
これでは旧道が狭すぎるのである。
旧道の廃止は昭和30年頃と早い。
そして、廃止後にはとても長い時間が経過している。
そんな長い月日の中で、切通しの内側をスギの植林地として活用するために、敢えてこのようにしたのではないだろうか。
そしてこの場所には、近年の人との関わりを物語るモノが、他にも残されていた。
写真中央やや左寄りに、立て看板があるのに気付いただろうか。
立て看板は、もはやお馴染みの「工事関係者以外立入禁止」で、木製のため朽ちて見えるが、実際それほど古いものではないだろう。
旧道の路上に突然看板が現われた印象を持つが、よく見ると、この場所から右のスギ林をよじ登って、現国道に出る歩道が隠されていた。
すなわちこれは、旧道上で現国道と関わる擁壁工事を行った際に、部外者の立入りを規制するために設置したモノだと思う。
まあ、部外者がこんなところに来ること自体、かなり稀だと思うのだけれど…。
チェンジ後の画像が、切通しを上流側から振り返って撮影したもので、左に工事用歩道の一部が見えている。
この歩道がある部分も、本来ならば切通しの内側であり、旧道が現役だった時代は、“空中”だったはずの部分である。
個人的に、この切通しは印象に残る存在だ。夕暮れの隔絶旧道で樹木の間からぬうっと現われてきたのが、妖怪と遭遇したときのようなゾクゾク感があった。
そして、切通しを抜けた先は、またしても現国道の巨大な擁壁が旧道の片側を視界的に占める状況となった。
それに、ここでも何か旧道の道幅を活用した土地利用が企てられていたようで、道幅の半分を塞ぐ形で低い石垣が造成されていたし、谷側には場違いな印象の転落防止ネットが設置されていた。
傾斜ばかりの窮屈な地形の中にある数少ない平場として、現国道直下に横たわる旧道跡は、何かと重宝されたようである。
廃道となってからの60〜70年という長い月日の間に、さまざまな土地利用が行われていたことが伺えた。山間部の廃道では放置が基本だと思うが、この賑々しさは、ちょっと珍しい。
なお、ここの擁壁も苔生していて古びて見えるが、実際は平成17(2005)年に完成したばかりのものだ。
壁に埋め込まれていた【銘板】が教えてくれたので間違いない。
年中日陰みたいな環境にあるせいで、外見の古ぼけるスピードがえらく早いようだ。
そしてこの場所には、旧道と直接関わる嬉しい発見がもう一つあった。
場違いな転落防止ネットの外側には、これぞまさしく旧道の遺構と太鼓判を押したくなるような、巨大で緻密で古式ゆかしき石造擁壁が健在だったのである!
深い切通しと、この巨大な石造擁壁は連続した位置に存在しており、いずれも道路としては全く顧みられていないけれど、かつてこの旧道が那賀川峡谷を最初に貫通した自動車道として、感謝と賞賛を一身に浴びた時があったことを想像させるには、十分な存在だった。
如何せん今では目立っていない、探さないと絶対に見つからないというのも、通好みで大好物よ!!
さて、廃道としてさまざまな外力に苛まれながらも、徐々に私の中で輝かしいアイデンティティを取り戻しつつある旧道。
だが、約束された終焉は近い!
今回のおまけ画像。
この画像は、現国道から旧道の切通しを見下ろしているのだが、
スギの生え方に隙間があるところに、それは潜んでいる。
しかし、あらかじめここに旧道があることを知らなければ、
あんな巨大な切通しが隠れているとは思わないだろう。
この潜んでいる感じが好き。
こちらは、切通しのすぐ先の旧道を、擁壁越しに見下ろしている。
旧道の路肩に見事な石垣が発見されたのもここだ。
スギよりも高い擁壁で分断されている両者だが、平面的にはほぼ隣接しているというのが凄い。
一連の旧道と現国道は、一番離れているところでも水平距離は30m足らずでしかない。
それなのに比高だけが大きくなっていくのが面白い。現時点で20mくらいの落差がある。
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