2012/6/1 6:42 《現在地》
← こんな倒木(サワグルミかな?)くぐりから始まったので、一体どうなることやらと先が思いやられた西山廃村からのゲートイン。
だが、身を低くしてやり過ごしてから顔を上げた先には、明瞭な道形が存在してくれていた。
左の法面にはコンクリートブロックが積み上げられており、ちゃんと手間をかけて作られた道である事が窺えた。県道は健在か。
そんな中、これまでの道との最大の違い(変化)は、未舗装路になったことだった。
コケと大差のないほどに背の低い草が、見渡す限りの路上を覆っていた。
その様は緑の絨毯を敷き詰めたようで美しく、ヤブとは違う種類の緑の道の情景に、心が高鳴った。
こういう未舗装路ならば大歓迎だが、元もとこの県道の整備は途上の状態で、西山集落までしか舗装がされていなかったようだ。
既に見た終点側も舗装はあったので、封鎖区間内のどこかでやがて舗装が回復するはずである。
このように路上の草丈が一様に低いのは、路面に砂利を敷いてあったことが原因だろう。
生長に必要な栄養を十分に根から集めることが出来ていないのではないだろうか。
しかし既に草は全体に根付いてはいるのだから、後は一年が経つごとに前年の枯れ草が新たな苗床となり、土となり、加速度的に緑も深まっていくものと想像する。
平成に生まれた若い廃道であることを感じる光景だったが、いずれにしても「一本のロープ」と「一本の倒木」だけで、県道は一つの轍も見えぬ“緑の世界”に変ってしまったのである。
この区間が廃道状態だというのは、やはり間違いないようだ。
ここはまだ、振り返れば倒木越しに最後の家が見えるくらいの位置である。
道の左にある低いコンクリートブロックの上は平らな空き地(草地)になっていて、背後の杉や竹の林とは明らかに異なっている。
おそらく早い時期に集落を離れた家屋の跡ではないかと思う。
穏やかな地形から見ても、この辺りまではかつての西山集落に含まれていたのだと思う。
小滝から来た人が見上げる最初の家が、あったのだろう。
山から倒れてきた竹が数本、連続して道を塞いでいた。
この手の中途半端な高さの障害物が現れると、自転車同伴を恨めしく思う。
自転車を持ち上げて乗り越えるにはやや高いが、下を潜ろうとすれば障害物を持ち上げるなり、自転車を横倒しにするなり、どちらにしても面倒で疲れる手順を踏む必要がある。
それが見える範囲内だけでも最低三回…。
やっぱり自転車には不向きだったか…。
もっとも、自転車向きな廃道なんて滅多にないし、あくまで自転車同伴の最大の目的は廃道前後のアプローチを効率化することだ。今日もそう。
アクロバティックに自転車を転がして楽しむことなど、本当の廃道では不可能に近い。
6:46 《現在地》
封鎖地点から250mばかり進んでいくと、この区間に入って最初の切り返しのカーブが現れた。
外側はあまり手入れされている様子のない杉の植林地で、内側は灌木帯である。
ここは既に山側の側溝が埋もれて土の混じった水が路上にまで浸入しているようで、灌木が生長を始めていた。
良い畑は何より土が大切だと言われるが(バクヤーゼK!)、藪も同じで、藪を育てるには土の侵入が不可欠なのである。
何のかんのいっても、側溝や擁壁の存在は道を守る効果が大きいと感じた次第だ。
しかしともかく、ここまでは順調といって良い。
今後の不安は相変わらずだが(これは小滝側の“大崩落”を突破するルートが確認される最終段階まで、ずっと不安であり続けるだろう…)を抱えてはいるが、道が下りであることもあって、数回の障害木を越える場面以外は全て乗車出来ていた。
ぬかるみを感じたのは、この切り返しが最初であった。
「さて、2段目だ!」
と勇んで進んでみると、目に見えて藪が高くなっていた。
築堤になっているせいで水気は少なく、路面も堅く締まっているのだが、敷かれた砂利が全く見えないくらいに草は茂っていて、モコモコの走行感だ。
早くも、激藪準備情報発令か?!
切り返して1段目の下を走っているが、両者を隔てる山腹に大きなコンクリートの土留めが横たわっていた。
その規模は本格的な治山施工を感じさせるレベルで、集落の人たちが段々畑を作ろうと頑張った跡には見えない。
(擁壁と道の間には随分と太い木が生えているが、これが擁壁の年齢を意味するならば、40年は経過していそうだった)
これは想像だが、道が封鎖されるだいぶ前に、この場所でも蒲池同様の地滑りが発生したか兆候を見せるなどして、大規模な治山工事が行われたのではないか。
道路自体も、この直前の築堤を含めて近代的な道路として建設されていて、封鎖されている区間の全てが“険道”ではなかったのだと分かる。
この辺りはおそらく、“とばっちり”で封鎖されたために廃道化している。
6:52 《現在地》
ゲートインから14分で420m地点にある2回目の切り返しに辿りついた。
そこはとても気持ちのいいカーブだった。
廃道でなくても「良いカーブだな」と足を止めたに違いない、緑の草原を横断する低築堤のカーブ。
奥の低い樹林帯はまるで“額縁”で、“キャンバス”にはシンボリックな山容を見せる明星山が絶妙な遠近感で収まっていた。
しかもこの出来の良い“絵画の世界”は、ただの鑑賞の対象ではなかった。
これより身を躍らせる姫川谷の見えない広がりがひたすらに恐ろしく感じられて、強い印象を与えたのだ。
やっぱり、下りの廃道は怖いなと思った。
なお、左の鮮やかなシダが茂っている低地は、水田の跡である。
今の地形図では「荒れ地」だが、昔のそれには「水田」が描かれていた場所だ。
もし一人でも耕作を続ける住人がいたとしたら、県道の封鎖地点はここになったんだろうな。
「3段目はどうだ!」
現れたのは2段目にも増してフカフカの深い藪だった。
探索日は6月頭なのでまだまだ本調子ではないのだろうが、既に膝を埋める深さである。
しかも朝露でよく湿っていて、遠からず靴が浸水するだろう。
しかし、自転車での自走は、まだ可能なレベルである。
下り坂であることに、ひたすら助けられている。
草に隠れた路面に、落石などの見えない凹凸がほとんど無いのも良い。
でも、あまり楽しいとは思えなかった。
…考えたくはないが、
もしも引き返すことになったら、間違いなく「全押し」のハメになるだろう…。
その事が頭の中に常にあるせいで、藪を掻き分けて進む距離が増えるにつれて、テンションが下がっていった。
もし2年前に小滝側の大崩壊を目にしていなければ、ここまでのプレッシャーは感じなかったのだろうが、今回リベンジ戦とはいいつつも、特にあそこを突破しうる準備が出来ているわけではなかった。
ただ、「下から上は無理でも、上から重力を味方に付ければ可能なんじゃないか」という、漠然とした期待感があるだけだった。
或いはこの2年間で何らかの捲き道が作られているという可能性にも期待を持っていたが、その希望は現状の廃道を見る限り期待薄のように思われた…。
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3段目の低い築堤をなおも進んでいくと(この3段目は約200mの緩やかな下りである)、再び杉の植林地に入る日影と日当の境の辺りで、ご覧の光景に出会った。
スッゲースッゲー、シダ藪。
鮮やかな緑色、手触りの柔らかさ、ひんやりとした冷たさ、毛虫などの害虫の少なさ、掻き分けたときの独特の芳香、抵抗の少なさ、
こうした点から“シダ藪スキー”な私は、腰まである藪を前にしつつ少しだけ嬉しいと思ってしまった。
そして全く路面が見えていない状態にもかかわらず、サドルに跨って下りに任せ、グイグイと突き進んでいった。
ヨッキを殺すには、シダ藪の中に落とし穴を掘ればよいのである。
面白いシダ藪は長く続かず、数十メートルで終った。
突破してきた道を振り返ると、まさしく“ジュラ紀”の森ではないか。
この短距離でズボンまでぐっしょりと湿った不快感も忘れて、
シダが出す独特の芳香に酔いしれてしまった。ワルニャンはシダの匂いが大好き!
6:56 《現在地》
3度目の切り返しに到着。
カーブの外側には高さ3mほどのやや高いコンクリートブロックの擁壁があり、前回の切り返しほどではないが、比較的ゆったりとした曲がりであった。
日影のため藪も浅くて居心地は良かったのだが、ここに来て突然現れたシングルトラックのようなものは、人が繁く踏み固めたもの(踏み跡や轍)ではないようだ。
厳密にいえば、最初は車の轍であったのかも知れないが、今は単に水が流れやすいから草木が根付いていないだけであろう。
なぜ、そう言えるかといえば、
このカーブに直接する4段目が……
ご覧の有り様だった!
元気な植物を育てる条件は、なんといっても土と水!そして日光!
西山集落から約650mの地点より始まる4段目には、この三大条件が揃っていた。
路上と路外の区別が、急速に曖昧化しつつあった。
湿地帯!
道路を走っているつもりが…!
ぬかるみにタイヤを深く取られ、強制的にサドルから降ろされた。
既にトレッキングシューズは朝露で濡れていたが、沼地で完全浸水となった。
育ちゆくアシに視界を妨げられるのも遠くないと思われたが、
幸いにして再開した下り坂が、沼地の長大化は防いでくれた。
何にしても、道の先行きが全く読めない状態となってきた。
県道はもはや、大自然という大波のなすがまま海原をたゆたう小舟に過ぎない印象となった。
なればこそ、その県道を唯一の頼りとする私と相棒(自転車)など、船上に肩を寄せ合う遭難者のようである。
二人は歴戦の仲間を自覚していたが、それだけに敗北のパターンも数多く知っていた。
今日のこの展開は途中で相棒を捨て去る事を余儀なくされる可能性が高いだろうと、私は内心予感し始めていた。
相棒を沼地に置き去りにすることを一瞬考えたが、直後の下り坂に一旦気を取り直す。
されど、次に現れた……
野生の通行止ゲート。(閉鎖中)
コレにはおじさん、マイッタ。
リュックに忍ばせた鉈の出番かとも思ったが、
こんなマント群落相手に使い始めれば、完全にキリがなくなる気がした。
ここはやはり、ワルニャン特有の身のこなしでくぐり抜けたいと思ったのだが、
俺: (自転車……うぇ……)
相棒: 「ヨッキ! 俺のことはいい! 俺を捨てて先へ行けぇ!!」
俺: 「何を言う! お前を捨ててなど行くものかー!!
(捨ててしまうと、最終的に戻ってくるハメになるぜ……)」
――5分後。
やった。
やり果(おお)せた。
つか、やり果(は)てたといった方がいい気もする。
疲れ切った(動画の中の)ボイスを聞いてくれ…。
そしてこの藪を突破したとき、私の傍らには変わらず相棒がいた。
だからこそもう戻れない。
戻りたくない!!
「戻れない」っつったばっかりのに……
何なのよ、この景色は!
…マジでヤバくなってきた?
例の大崩壊現場の反対側に辿りつく事さえ出来ず、
こんな中途半端なところで敗北するなんてことが、許される?
……今日は、負けらんねぇだろ……。
7:08 《現在地》
ゲートインから850mほど進み、国道までの残距離は1.5kmを切るくらいになった。
深いススキと灌木の藪に喘ぎながら、下り坂であることに頼り切って強引に自転車を押し進めていた私の前に、
舗装された路面が再開した。
私は思った。
一難去ったのだと。
…でも、こんなにこの道、細かったかな…。
ひとまず激藪からは解放された私だが、表情は暗かった。
今の私の状態は完全なる挟み撃ちなのだという自覚があった。
激藪と長い坂道、さらに自転車という、重い十字架を背負ってしまった。
ここに来て初めて耳にした、国道を走る車の音は、
ゴールが着実に近付いている事を知らせる福音であると共に、
遮るもののない地形の存在を伝える予兆にも感じられた。
舗装の意味に気付くとき、この道の真の恐怖が暴かれる。
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