道路レポート 青ヶ島大千代港攻略作戦 第3回

所在地 東京都青ヶ島村
探索日 2016.03.05
公開日 2018.01.15

海抜210mからは、“階段”に進路を託す!


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凄い景色しかないのか。ここには…。

この道の終わり方も、尋常でないどころの騒ぎじゃないぞ…。

コンクリートで凝り固められた小さな尾根の先端は、まるで世界の袋小路だった。

ここに入り込んでしまっては、もうどうにもならないと思える。

付け替えられた車道は、この尾根で終わる。



目の前に見える終点を前にして、辛うじて車を転回させるためのスペースが設けられていた。
しかし、本当にスペースが狭いので、ここでの転回には非常に気を遣いそう。他に駐車スペースなどはない。

バリケードからここまで約100m。高低差は15mほどで、ほぼ直下の位置である。
この間、特に崩れている場所はなかったのだが、村が手前で道を封鎖しているのは何ゆえだろう。
末端がこのように転回が難しいほど狭いからか、再び大規模な地滑りが発生する危険が排除出来ないからなのか、
あるいは、村にはもう“慰霊碑”や“大千代神社”の先を村道として維持する意思がないということの現れなのか。
後者の場合が、大千代港にとって最も悲劇的な状況であると思う。



バリケードから数えて二度目の切り返しカーブになっている、車道の終点部分。

まるで、このまま切り返しを重ねながら港まで車道として下っていく意思がありそうだが…



車道はここで終わり。続きは、階段で。

しかしこの末端部、見れば見るほど“未成道感”がある。この先へ車道を延ばす計画や意思がある(あった)と思う。



が、この先をどうするつもりだったんだろう…?

想定される進路上には、今通ってきた道を支える、ガッチガチに固められた吹付法工の急斜面が広がっている。
ここを再び切り開くのは、折角固めた斜面の安定性を損なうリスクが高いのではないか。
桟橋にすれば斜面はあまり弄らずに済むだろうが、橋を支えるのにも安定性は絶対に必要。
全く素人見立てではあるが正直、車道はもうここで“つんでいる”気が……。

…つんでんだろこれ。



そして次の写真は、車道の限界から覗き見る、私が今から挑む“未来”だ。

↓↓↓


海岸線までなだれ込む、大崩壊の下半分を見ている。
手前半分はガチガチに固められた人工斜面であり、隣り合う両者の対比がものすごい。
うん。他にいいコメントが思いつかないよ。ものすごいとしか言い表わしようがない。
しかし、ここから見ると巨大な崩壊斜面は不思議と緩やかなものに見える気がする。
でも、だからと言って上り下りに使えそうだと思うのは、実際は無理筋な話なのだろう。
あの手の崩壊斜面は得てして安息角という崩れた瓦礫が自然に作る安定した斜度になっているから、崖より緩やかだが、
その分、崩れていない周囲の斜面との間に極端な落差を生じていて、安全に出入りすることがまず不可能に近いのだ。

そして、この景色の細部には、おぞましい廃道の断片が再び見えていた。

↓↓↓


【先ほど】は、ほぼ真上からのアングルで目撃した“死屍累々”の廃道断片。
そのうち上の方に見えていた「A」と「B」の道としてのつながりが判明した。

治山工事の法面にだいぶ呑み込まれているが、九十九折りのカーブの一つがここにあったのだ。
かつての“車道”は、現在地より遙か下方まで届いていたことが、こうして改めて確認された。
この様子だと、昔は大千代港まで自動車の通う道が通じていたのだろうか。
確かに港として発展を期待するには、車道の開通はほぼ必須の条件であろう。
もしそうならば、この一連の九十九折りは、落差が200mもあったことになる。
それは残所越のてっぺんから三宝港までの一連の道を上回る高低差だ。

人類の無謀な試みには大自然の鉄槌という、廃道お定まりのパターンか…。
「【悲報】懲りない人類またやらかす」なんていうタイトルのまとめサイト出来そう。



7:31
ここで一旦、今後の道のりを占う地形図チェックだ。

既に述べた通り、最新の地形図(地理院地図)も平成6年の大崩壊以前の状況までしか描いていない。
現在ある(使われてはいない…)“付け替え村道”は、図中の赤線のようになっている。「現在地」はその終点の海抜210m付近である。

チェンジ後の画像には、平成6年の大崩壊以前には存在していたらしい車道を、桃色の破線で描いている。
さらに下まで続いていた可能性もあるが、現時点で概ね存在が確認出来た範囲がこれだ。
「A」と「B」はその断片であり、現在地付近からよく見える。

総じて、これまで斜面の状況を目視出来ているのは、ここから大千代港までの落差200m以上ある斜面の上部側4分の1ほどに過ぎない。
その下に状況未確認の斜面がさらに落差150mくらい存在している。
特に地形図上の表現が厳しい終盤の落差100mについては、完全に未知。

そこにいかなる道があるのか。
それを、これから確かめに行く。



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その第一歩目は、階段。



ここを二段抜きで駆け下りようとしたら、そのまま海の上へ飛んでいきそうな、

しかえない階段!

なにこの階段…。

海風に頬を撫でられ、潮騒はまだ遠く、高原のような開放感だ。
うん、景色的にはとても気持ちいいはずなんだけど、一歩一歩にゾクゾクするような気持ちの重さがあるぞ。
この島の一番やばい場所に、それと分かっていて近づいていくような、いけない禁忌に迫る背徳感がある。
ここまで散々分かりやすいように危険の存在を見せつけてくれているのに、敢えてそこに向う“いけなさ”は蜜の味。
ここからの200mは、下った分だけ、自らの首を絞めることになるのは明らかだ。でも、見たい!!!
大千代港は間違いなくこの島の最低地であり、地獄の釜の底を見る怖さ。だから、見たい!!!!

私は、この階段の果てを見たくて仕方がない!!!



始まりの40段ほど(時間的余裕がないので段数は数えなかった)は、まっすぐ海の方向へ下ったが、そこで直角に右折して、また階段。
40段くらいで短い踊り場があり、そのまままっすぐもう40段前後続いている。
写真は、その後半の部分だ。下に次の左折が見えている。

ちょうどこの辺りが、先ほど【上から見えた階段】だった。




それにしても、ものすごい急な階段である。
おそらく、45度にしつらえられている。
周囲の斜面までコンクリートでガチガチに固められた、少しのゆとりも遊びも感じない、まさに港へ通じる“通路”という印象だ。私の中の“道路”ということばは、もう少しマイルドなものである。かの有名な龍飛の“階段国道”など、これと較べれば遙かに道路的であり、旅情と愛情に満ちたものである。
この大千代の“階段村道”には、まるで血が通っている感じがしない。ここは血が通うというより、血が出そう。


この階段については、いろいろと問いたいことがある。
個人的な一番の疑問は、これが治山工事関係者向けのものだったか、それとも大千代港へ出入りする一般人向けも想定していたかだ。
それによって、この景色を前にしたときの驚きの度合いはだいぶ変わると思う。言うまでもなく、後者の場合が遙かに驚きは大きい。

だってあんた、もしあなたが予備知識なしで青ヶ島へ渡航して、それでたまたま風向きのせいで大千代港に下ろされて(そういう用途を想定していたのが地方港である大千代港だ)、上陸直後にこの階段で島の外壁を200m(1段25cmなら800段)をよじ登ることを要求されたら、どう思うよ! バリアフリーとかどこ行った。いわゆる“辞職坂”レベルだぞ。

で、先の疑問の答えだが、私の見立てでは、この階段は一般向けでもあったと思う。
意外に広い道幅と完備された手触り良い手摺りの存在に、一般道的なオーラを感じるのだ。
おそらくだが、村道大崩壊後における大千代港へのアクセスルートとして、この階段を用いた徒歩連絡が実際に計画されたのだと思う。おそらく将来の本格的な村道改修までのリリーフ的ポストだったとは思うが。
この一見して血も涙もなさそうな階段にも、最低限度の一般道らしさ……別の意地悪な言い方をすれば、「(手摺りとか)これだけを整備しておけば、万が一の事故は自己責任ですよ」と管理者が言えるくらいの整備のされ方を感じたのである。端的に言って、工事用仮設通路っていう感じではない。



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そんなこんなで、私は実に手早く高度を下げて、港へと近づいている。

さすがは車道では絶対実現不可能な45度クラスの急勾配が許された階段だ。道路界の反則技!

この調子で頑丈な階段が無事にあるなら、あと10分ほどもすれば、悠々と港に降り立てる期待が出てきたぞ!

快調だぜ!



って、 あれ〜〜!

階段、草の海に消える?!

な、なにが起きたというんだ! 説明したまえ!

眼前に現れたのは、少し前までは足がすくむほどの下方に見えた、「A」と「B」の“廃道断片”。
ここまで労なく下って来れた(帰りは辛そうだが)のはヨシヨシなのだが、ここで突然の草の海に気圧される展開。



7:36

ぶっふぉっ!

くっそ! なんだこの激藪は。

まって、待ってよ! 聞いてないよ! コンクリート階段で下っていくんじゃないのかよ!?

チクショー! やべぇぞ!

もしこれで道が終わりだったら…、あとは道なき斜面を下って行けってことになったら……、正直、やり遂げられる自信はないぞ。
だって、GPSで見る限り現在地はまだ海抜170m付近だ。
直線距離は海岸線まで200mほどしかないが、この落差は道なきゃ、嫌だよ。しかも、一番急なのはもっとずっと先じゃん…。ましてまして、こんな激藪で進行方向も分からないようなのは御免だぞ……。えーー……。

…とりあえず、さっきこの藪に入る直前に正面に見えた“廃道断片”を目指そう。



ぶっは!

ほとんどなにも見えない強烈なススキの藪を10mほどまっすぐ水平に進んだところで、唐突にコンクリートの擁壁へぶち当たった。
左右の写真は同じ立ち位置から撮影している。
左は「B」地点、右は「A」地点であり、必然的に今私が掻き分けていた激藪は「A」と「B」を結ぶ切り返しのカーブがあった場所と言うことになるのだが…。

恐怖した!
舗装の存在を完全に無視した、猛烈な激藪への変貌に!
おそらくだが、路面は完全に土砂に埋もれているのだろう。もともと狭い道なので、十分にありうることだ。

ここから港へ近づこうとするならば左へ行くべきだろうが、まずは手近な右へ、ちょっとだけ寄り道だ。



これが「A」地点だ。
大崩壊後に行われた大規模な治山工事によって、ほとんどコンクリートの法面と同化しているが、それでも実際に立ち入ってみると、かつて道路だった証拠も多く残っていた。

まずは、上から見たときにもはっきり見えていたスリップ防止パターンの刻まれたコンクリート舗装路盤。
加えて右に見える間知石の石垣も、明らかに道路時代のものだった。三宝港付近で見られる法面の施工とよく似ている。だが、その古い石垣にも巨大な治山アンカーが打ち込まれて法枠工の一部と化しているのが、なんとも暴力的だ。

とまれ、ここで暴力といえば、なんといっても治山工事が未だ及ばぬ正面の大崩壊である。
地形図の道はこの地点までは描かれてはいないものの、かつて通じていたことは間違いないのである。
破壊される前の道の位置を、想像(および航空写真から)して点線にて描いてみたが、お話にならない! 地形ごと跡形もないのである。本当に、話にならん。



うふ、ウフフフフ…。

道路がおかれた景色が馬鹿げすぎていて、変な笑いが出てくる。

「A」から見下ろす、片割れの廃道断片「B」である。

肉眼では捉えられない、心眼で見える道が虚空に続いていそうな、非常識な風景だ。

道はどこへ行ったんだよ!

吹き上がる海風に問いかけてみても、答えはない。

景色は綺麗だけれども、実際にここに身を置いて、これからさらにこの下へ行くのだと思うと、不安が何よりも勝ってしまって、ため息しか出なかった。
無事に攻略を達成してからじっくり眺めたい景色だったよ……、ほんとに。



間髪入れず、今度は「B」地点へ乗り込んだ。

ここも「A」地点と同じように道が切断されているが、先端へは立ち入らないように柵が施してあった。


分かるよ。 だって柵より向こう側の路面は、“板チョコ”だもんな。
板子一枚下は地獄。乗ってるときにポッキリいったら、あっという間に逝っちまいかねない。

しかし、本当にこの先の道は、どこに行ったんだよ〜。
さらに下にも道路断片は【見えた】ので、
九十九折りを繰り返しながら下っていったのは間違いないと思うが、その道を置いていたはずの陸が存在しない。
道が九十九折りの橋(笑)でもなかった限りは、それこそ地表面から20m以上は深い位置から崩れていると思う。

これはもう土砂崩れというか、山崩れというか、島崩れというか、天地崩壊レベルだろ…。



まあ、恐いもの見たさで先端まで行くんだけどね(笑)。

(万が一落ちても下に地面あり。)



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ウフ…、ウフフフ……。

ここまでは、順調……、しかし。



残りの高低差170m。

この先、どうやって下ったら、いいのかな…。

マジで、道らしいものが見当たらないんだが……


… … … …。