2022/2/21 13:02 《現在地》
平穏な入口から僅か650mで、道はまだ新しさが感じられる金網扉付きのバリケードで塞がれていた。明らかに全面通行止になってから設置されたと思われる。
施錠もされていて、この状況は、同じく岡山県が長期通行止としている岡山県道50号の入口とそっくりだ。
岡山県では、災害原因で県道の長期通行止が起ると、このようなバリケードを設置する仕来りがあるのかも知れないが、気になるのは、これが設置されてた後に災害復旧が行われて元通り解放された県道があるのか、だ。
どなたか、以前の事例を知っている方がいたら、教えて欲しい。
私は岡山県での探索経験がまだ浅く、昔のことも分からない。
こんな恒久的なバリケードを設置してあるということは、これはもうこのまま廃道の腹積もりなんじゃないかって、そう思ってしまったのが正直なところだが。すぐに復旧させるつもりがあれば、ここまでのバリケードは作らないだろうからな。
にゃ〜ん。
何度も引用している「岡山県道路規制情報」によれば、この路線での規制開始は「2013年12月21日午前10時」で、原因は「落石」となっている。
この探索は2022年2月21日だったから、おおよそ8年8ヶ月が経過している状況であった。
ちなみに執筆時点(2025年1月11日)でも規制は継続していることが確認でき、丸11年が経過している。
……というわけで、8年8ヶ月のあいだ利用者の目が届かなくなっている道路の実態を、見ていこう。
バリケード内の最初の風景だ。
路面は鋪装されているが、道幅は普通車同士ですれ違うことにも気を遣いそうなくらい狭い。
雪のため分かりづらいが、左のコンクリートの壁から3〜4mくらいだけが路面で、それより川側は草の生えた路外であった。
とはいえ、現役で使われている道にも、これより規格の悪そうなのはいくらでもあるから、落石という災害さえなければ、今も普通に通していたと思う。実際、左のコンクリート擁壁などはしっかりしたもので、コストが掛かっている。
あと、地味にこの県道に入ってから最初の“ヘキサ”が、ここに設置されていた。
当たり前だが、封鎖区間内にある道路標識を掃除する人はいないようで、8年8ヶ月分+αの汚れが、廃道上にあるそれを彷彿とさせる姿へ豹変させていた。これは悲しみがある。
勾配は、ダムまでの上り坂から一転し、ほぼ平坦となった。
この先しばらくは、田原ダムに堰き止められた人造湖の水面に付かず離れず進んでいくので、上り下りは少ないようだ。
ちなみにこの湖に特定の名は与えられていないようである。
路上の積雪は平均して3cmくらいで、走行上問題になる量ではないが、路面が見えない点に残念さはある。変わった道路標示があっても、見逃してしまうだろうから。
全般に道路標識は少なく、カーブも多くはない。
湖へ落ち込む地形の傾斜は険しいが、あまり出入りが激しくないせいである。
こうして谷底に近いところにいると、川の両側に無数の山々が連なっているように見えるが、山の上に個々の頂はなく、緩やかな準平原の平地がある。
一帯が吉備高原と言われる所以であり、成羽川をはじめとするいくつかの河川が、高原を開析して大峡谷を作っている。谷底と平原面の落差は400m前後もあるが、本県道はその上下連絡に終始する路線である。起点の平川は高原上で、終点の惣田は成羽川の底だ。かつ、7.4kmの沿線上に途中集落は皆無である。
13:07 《現在地》
ああ、石が落ちてますねぇ。
経年以外の特段の荒廃を見ることなくゲートから約500m進んだところで、初めて、3cmの積雪上に突出して見逃すことのない大きさの落石を見た。
とはいえ、このくらいは8年放置した山道ならどこでもありそうだ。
封鎖の原因となった落石ではないだろう。
その後は、看過できないサイズの落石や、除去されないままになっている倒木が、路上の障害物としてときおり出没したが、自転車を降りて進まねばならないほどの荒廃は、まだ現れない。
道はほぼ平坦で、鋪装もされている状況が続いているから、距離は順調に伸びている。
いつの間にか(最初からだった?)、電線が並行している。
こちらはおそらく現役だろうから、関係者による最低限の巡回は行われていそうである。
ゲートから10分少々で、背にした田原ダムが谷の蛇行で見切れそうになっていた。
GPSを見ると、ダムから1.3kmほど進んでいた。
対岸の県道には短いトンネルが描かれている辺りだが、こちらにそれはなく、道幅も広くはなく、極端に狭くもなく、道路標識もなく、淡々と続いている。
でも、走っていてつまらなくはない。
そもそも、知らない道を自転車で走っていて、つまらないと感じるのは、そこが私の苦手とするタイプの広域農道であるとか、あとは私に何か欠陥があるときくらいだ。
これは8年あまりの放置の結果だ。
災害的な意味で荒れている訳ではなく、たまたま路上の水捌けや土砂捌けが悪かったようで、道全体が草に覆われ始めていた。
むしろここまで、道としての整備状態に失点を感じる要素は特にない。
【入口の看板】から予感されるような、たとえ塞がれていなくても車では通りたくないと感じるような場面は現れていない。
そしてその後も順調に距離を進めていった。
13:14 《現在地》
原因となった「落石」の現場、発見したかも。
ゲートから約1.7km進んだ地点である。
地図上では特徴がないし、目印となるような地名の注記もない(この通行止区間の沿線には全く地名の注記がない)が、対岸の県道にある「竹之瀬」というバス停の少し上流辺りだ。
ぶっちゃけいつもの展開だとここいらで、「ウワーーーッ!なんだこの大崩落はーッ!!絶体絶命だァーーー!!!」ってな感じがありがちだが、今回そんなことは起らない。
声を上げるようなピンチではないが、この場所は明らかに道全体が土砂に覆われる規模の落石現場だったと思う。
まず、山側の落石防止フェンスが支柱を支える頑丈な擁壁ごとへし折られている。
そしてその反対側の路肩にあるガードレールも、やはり支柱ごとへし折られている。
道幅を埋め尽くすような大規模な落石が発生し、
そして、除去された跡だ。
……発生した落石の除去は、終わっていた。
素人目にも、崩れてきた崩壊地の形跡がよく分かった。
いわゆる雨裂(ガリー)である。
もともと危険を想定し、頑丈な落石防止フェンスや擁壁を設置していたようだが、それを打ち破る規模の崩壊が起ったようだ。
とはいえ、落石後、そのまま手の施しようがなかったなんて訳ではなく、概ね除去されていた。
にもかかわらず、交通の再開に至っていないことが、この路線に対する冷静な態度を物語っているようだった。
これは簡単には復旧できないだろと素人目にも分かるような大被災であったなら、8年間の封鎖はやむを得ないと納得しただろうが、被災からあまり経たず応急的な復旧が完了しているにも関わらず、コストが掛かる本復旧をしていない。そこで足踏みしている。よほど整備の優先順位が低いんだろうなと、そう想像してしまう状況だった。
実際には私が思っている以上にこの崩壊は根が深く、非常に大規模な復旧工事を要するものであるという可能性も否定はできないが、そういう現場だと何か変状を計測するセンサーが置かれていたり、路面に変状を感じさせる亀裂があったりすることが多い。ここにそういう物はなかった。
今の場面を皮切りに一気に道路の荒廃が進む、……なんてことはなく、越えても路上の様子に変化はない。
やはり、8年以上も復旧できずにいる技術的な理由は見えない。
さらに進むと、こんな標柱が立っていた。
「中国自然歩道」の道標である。
中国自然歩道は、環境省が都道府県への補助事業として全国に9路線、合計2万1000kmほども整備した長距離自然歩道のひとつで、他には「関東ふれあいの道」や「新・奥の細道」といった路線名のものがあるので、ご存知の方も多いだろう。
環境省サイトにある中国自然歩道の紹介ページによれば、中国5県に2295kmが整備されているとのことで、当該区間は「吉備高原横断ルート」の一部を構成する「成羽川の渓谷と巨大ダムを眺めるみち(13.3km)」であるようだ。
制度上、完成した長距離自然歩道の管理は各都道府県が行うこととなっており、この区間を管理する岡山県のサイトに詳細なルートの紹介ページがあったので見てみた。しかし、2019年3月に更新されたそのページには、当時既に通行止から5年以上が経過していることへの言及は全くなかった。
現状、自動車での通行には危険が大きいにしても、歩道としてはその辺の自然歩道よりはよほど上等に見えるし、解放しても良さそうに思ってしまうが、そこはやはり県道を間借りして長距離自然歩道とした弱みであろうか、歩行者だけを通すような柔軟な対応は行われていない。
13:22
ゲートから2kmを越えた辺りから、上り坂が始まる。
そして約2.4km附近まで来ると、成羽川の行く手を塞ぐ巨大な壁、新成羽川ダムが、初めて姿を現わした。
長距離自然歩道が、わざわざ「巨大ダムを眺めるみち」として設定されるだけはあって、思わず見入る凄みがあった。
曇天と新雪が合わさった水墨画の色の中で、厳にして妙なる天工と人工の合作する風景であった。
新成羽川ダムは、3km下流の田原ダムの湖面がまだ終わらないうちに、その末端を上書きするような形で堰き止めてある。
その規模は田原ダムの約2.5倍、高さ103mの重力式アーチダムとなっており、、この型式では国内最大の堤高を誇る。
田原ダムとともに昭和43(1968)年に運用を開始した、中国電力の発電と、岡山県の工業利水を担う多目的ダムで、上下に湖が連続しているのは揚水式発電を行うためである。
13:23 《現在地》
ゲートから2.5km地点、上り坂の真っ最中に、分かれ道があった。
手元の地図に拠れば、県道は直進で、右の道はダム直下に設置された発電施設、新成羽川発電所へ通じている。
ただ、どちらの道の雪の上にも轍はなかった。発電所は無人なのか、あるいは別経路で職員の出入りが行われているようである。
なお、雪に埋れて分かりづらいが、分岐の手前側に組み立て式の簡単なA型バリケード2基が倒れたまま放置されていた。
冷たい雪に埋れて、かわいそう。
同分岐から、来た道を振り返って撮影。
壁に立て掛けられた「落石の為 全面通行止」の看板があった。
随分と色褪せており、おそらくは倒れたバリケードとセットであったのだろう。
現在の恒久的なバリケードが設置される以前は、これで塞いでいたと見える。
なお、2025年1月現在は、グーグルストリートビューにて、2014年1月に撮影されたこの地点の画像を見ることが出来、当時は起点側からここまで解放されていたことや、今は倒れているAバリがちゃんと道を塞いでいた様子を確認できた。2014年1月といえば、通行止がスタートした翌月である。
新成羽川ダムが間近に迫ってきたが、県道437号の進路は直前で流れ込んでくる支流の下郷川沿いへと移っていく。
したがって県道上からのダムは、まもなく見納めである。
長期通行止区間もまもなく明けるはずだが、この区間を迂回しつつ、残りの区間を利用して平川へ向かう唯一のルートとして、新成羽川ダムの解放されている堤上路がある。この部分は県道ではないが、本探索に附属するものとして、引続き迂回ルートをレポートしたい。
というわけで私は堤上へ向かう必要がある。このダムの高さである100m強を、しっかり漕いで登っていく。
勾配を増してぐいぐい登っていくと、体温の上昇を相殺しようとするみたいに、激しく雪が降ってきた。
いつの間にやら、周りの少し高い山の斜面は、ほとんど真っ白になっている。
13:35 《現在地》
ゲートから約3km進んだ地点で、見覚えのある造りをしたゲートの“背中”にぶつかった。
所要時間約33分で、長期通行止となっている区間を無事に通過できた。
かなりの長期通行止ということで、技術的に復旧困難な崩壊に見舞われていることや、連鎖的に多数の崩壊が発生している事態も懸念されたが、実態としてはそこまで悪いものではなく、道を埋める中規模の落石災害が発生した後、応急的な排土作業は終わったものの、壊された擁壁やガードレールの新設、崩壊した斜面の治山的処置など、いわゆる本復旧がされないままの状態で放置されているようであった。
おそらく、強い需要があればすぐにでも本復旧が行われるが、この道にはそれがない。……といった状況を想像する。
正直なところ、広域的な視座からこの道の必要性を論じられるほど、私は土地鑑に明るくないが。
しかりとりあえず、この宙ぶらりんの県道の今後を探す判断材料としても、まず現状を知りたいという目的は無事に果たすことが出来た。
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