まずはいつものように、歴代地形図のチェックだ。あわせて、『備中町誌』の記述を参考にした解説も行う。
@ 明治31(1898)年 | A 昭和21(1946)年 | B 昭和39(1964)年 | C 昭和44(1969)年 | D 地理院地図(現在) |
---|
@明治31(1898)年版を見ると、早くも成羽川の左岸谷底近くを通る「里道(達路)」の二本線が描かれている。この図中では最も上級の道である。
これは当時、里道東城往来と呼ばれ、成羽川沿いに東城へ通じる幹線道路として重要視されたもので、明治32年には成羽東城間が馬車道として結ばれた。現在の県道107号奈良備中線の前身である。
また、図中の黄○と赤○の地点には、現在の地形図では見慣れない渡し舟に関係した地図記号が描かれている。黄○のところにあるのは「人馬渡」の記号で、人だけでなく牛馬が利用できる規模の渡船を示している。赤○の地点にあるのは「舟楫による通船」の記号で、これは渡船ではなく、川を上下に行き来する通船港の存在を示している。当時の成羽川には河口からこの田原下まで高瀬舟を利用した河川交通が存在した。(笠神の文字岩によって記念された上流の通船は明治期までは存続していなかった)
さらに、後の県道437号のうち、下郷川沿いの区間の前身道路も既に「里道(間路)」といて描かれており、これは笠神の成羽川べりで前述した「人馬渡」によって対岸の東城往来と結ばれている。この下郷川沿いの道路は当時、里道福山往来と呼ばれており、南は平川を越えて、遙か南の瀬戸内海沿岸の福山まで伸びる高原の道だった。
A昭和21(1946)年版では成羽川沿いの道路はさらに太く「県道」として描かれるようになっており、下流では通船に代わる存在として軌道の記号(吉岡鉱山軌道、明治41年開業)も見える。
また、成羽川は県内で最初に本格的な水力発電が行われた河川であり、右岸には導水路(水色に着色)とともに、県内最古の発電所である笠神発電所(明治36年運転開始)の姿が見える。図外だが、さらに下流に成羽川発電所というのもあった。
成羽川地域の近代化に大きな役割を果たした吉岡鉱山だったが、戦後は衰微し、地域の発展のため、より大規模な開発計画が県の主導で推し進められた。それが従来の成羽川発電所に代わる新成羽川発電所計画ならびに水島工業団地への工業用水計画であった。
B昭和39(1964)年版は開発前夜の模様を描いており、地図中の道路は@やAまでと大きくは変わっていない。
それが5年後のC昭和44(1969)年になると、成羽川を堰き止める田原ダムや新成羽川ダムが誕生し、従来左岸にあった明治以来の県道は完全に水没した。当然、水没補償として左岸に長い長い湖畔道路が整備されたが(現県道107号)、従来は道路がなかった右岸にも立派な車道が建設されている。これが後の県道437号である。
水没補償の原則や交通量からすれば、付替道路は片岸だけでもおかしく無さそうだが、両岸に車道が整備されたのである。
その経緯は不明だが、やはり当時のイケイケぶりを反映したのだろうか。
これに関して、読者からの情報提供ならびに昭和46(1971)年の文献により、【水没記念碑】の近くに観光施設「備中湖畔センター」が存在したことが判明しており、国内最大の重力式アーチダムとして登場したダム一帯を観光拠点化する動きが当時あって、その一環で右岸道路は整備されたのかもしれない。なお、湖畔センターの建物は既に取り壊されているようだ。
開通時点では県道ではなかった右岸道路は、昭和51(1976)年2月20日に、現行の県道下郷惣田線へ昇格している。
この認定の経緯についても『備中町誌』発行以後の出来事であることもあって文献が見当らないが、中国地方の道路について多くの情報を発信されておられる深津安那氏のサイト「ちゅうごくDrive Guide」のページ「(2019年1月3日公開)今年期待されること・今年注目したいこと」に、当路線について、「6期24年の長きにわたって岡山県知事を務めた長野士郎(知事在任期間:1972〜1996)が展開した市町村道の県道路線昇格政策で発足した路線であり
」として、知事の強い開発指向を背景に認定された県道であることが示唆されている。
経緯はともかくとしても、元よりダム建設の水没補償として整備されたという素性の良さやもあって、はじめから比較的良く整備された道路ではあったように思う。
今回通行した実感としても、鋪装だけでなく落石防止柵などの安全施設も多く整備されており、これよりも整備状態の劣る県道はいくらでも各地で現役だ。
また、長期通行止の原因となっているとみられる【落石の現場】も確認したが、既に仮復旧は済んでおり、その後さらに大きな追加の落石も発生していない様子だったから、本復旧を行おうと思えば十分可能な状態と見えた。
にもかかわらず、本編執筆時点では既に通行止が丸11年目に及んでいるのである。
そのうえ、現地探索で判明した通行止の長期固定化が窺える状況として、通行止区間の両側には大掛りな恒久的バリケードが設置されているほか、新成羽川発電所への進入路も同区間を経由しない新道が新たに整備されていたのである。
果たして今後、この区間の扱いはどうなるのだろうか。
20年、30年と、これからも県道のまま、封鎖され続けるのだろうか。 →パターン(1)
それとも、封鎖区間の県道を廃止して、代わりにダム上の市道笠神線を県道に昇格させるのか。→パターン(2)
あるいは、思い出したかのように現道の復旧が行われ、県道として甦るのだろうか。→パターン(3)
はたまた、心機一転、面目躍如、大々的に改良された新道として復活を遂げるのか。→パターン(4)
パターン(1)から(4)まで、対応としての積極性が低い順に並べたが、皆さんはどうなると思うだろう。
本路線の答えはまだ明らかでないが、実はこれと似た境遇を経験した県内の県道で、既に結論が出されたものがある。
ひとつは、前編冒頭でも名前を紹介した、2009年から落石による長期通行止が続く、いわば本県道の“通行止の先輩”にあたる道「岡山県道50号北房井倉哲西線」であるが、なんと、同路線は2024年3月に、パターン(4)に近い形での復活を実現させている。(→詳しい内容はこちら)
通行止15年目にしての県道復活であった。
また、こちらは私は現地を訪れたことがないのだが、岡山県道57号総社賀陽線の豪渓附近での長期通行止の事例もあった。しろ氏の「廃線隧道【BLOG版】」の記事「岡山県道57号線・豪渓隧道」によると、この区間の県道は2003年から2011年まで土砂崩れによって長期通行止となっていたが、隣接する町道を整備後、案内標識ではそちらを県道の代替のように案内しつつも、県道自体は旧位置のまま復旧して解放してあるとのことだ。前掲の4パターンに照らせば、パターン(3)が近いだろうか。
上記の2例では、ともに県道は復活を遂げている。
近年の事例から私が探した限りにおいて、車道として解放されていた県道が、長期通行止の末に復旧や代替の新道の整備なく廃道とされた事例(パターン(1)や(2))は、岡山県内において、まだ確認していない。
そのうえで、県道437号はどのように処置されるのか、とても気になるところである。
なお、県道50号の事例では、長期通行止中に地元自治体から県に対し復旧について要望や、今後の見通しについての問い合わせなどの働きかけが行われていたことが、新見市議会の会議録から見て取れた。一方、県道437号下郷惣田線については、岡山県議会の会議録を検索した限り過去一度も取り上げられていないようであるが、地元の高梁市議会の会議録を見ると、令和2(2020)年に言及があり、「今は生活交通としても活用している、またダムへのさまざまな物資輸送の大事な路線として下郷惣田線というのは私どもは捉えておりますので、ここもあわせての改良ということについて(県に)要望をさせていただいているところでもございます
」という市長の答弁があったから、まあ全く無視されているわけではないようである。
県道が崩れたら、管理者の県は出来うる限り速やかに復旧して解放する。
それは道路法が定める道路管理者の責務であるが、実際はそこで立ち止まって考える余地がある。
わが国の通例として、一度は県民の要望を容れて認定した県道を、建設工事中の中止ならばともかく、開通後に、改めて維持費と便益を秤にかけて、(一部区間であっても)道路自体を廃止するということは、かなり稀であるようだ(大嵐佐久間線は数少ない実例といえだろう)。
それだけに、災害による通行止という出来事が、便益の点で優等生とはいえない県道への支出を一時的に緩める機会として、利用されているという側面があるのかもしれない。
わが国で、国道が最後に追加されたのは平成5(1993)年のことであり、以後路線の追加はない(もちろん廃止もない)。
一方、都道府県道についてはその後も徐々に追加が行われており、また一方で廃止されている路線もある。
本格的な人口減社会となれば、将来的に地方部を中心とした大規模な路線削減は避けがたいようにも想像するが、まだそういう議論は聞こえてこない。
いずれにせよ、本県道の通行止がこのまま長く続けば、自然荒廃により、その後の復旧がますます困難になることは明らかだ。
そうすれば、議論のないまま、なし崩し的に廃道を選ばざるを得なくなるのではないだろうか。
いろいろ検索をしてみても、そもそも長期通行止であること自体が、あまり話題にされている感じのしないこの県道。Wikipediaでもスルーだしね。
もう少し認識されて、今後の処遇について、まずは県民の議論の俎上に登ることが必要なのかも知れない。 (え? 興味が無い……?そんなこといわないで…涙)