2009/3/19 8:09
最終にして唯一のゲート(フェンス)から、絶海に臨む幅2mの細き生存圏を辿ること約150m。
時間にしてわずか3分。
怖いながらも、立ち止まっている限りはほぼ安全の保証された“コンクリートエリア”の“終わり”が現れた。
遠望の時点で、このような草に覆われたエリアがあることは既に分かっていたが【参考写真】、近づいてみて改めてその“禍々しさ”を知ることになった。
遠目には、ススキが深く茂っているだけだと思っていたが、現実はもっと厳しかった。
この藪の正体は毛ではなく、中に隆々とした肉が入っていた。
土砂の覆い被さる崩壊地に、そのままススキが生い茂った状態である。
この崩壊地内に、平らな部分はおそらく無い。
崩壊の規模自体はさほどでもないが、踏み跡の全く見られないその藪深さと、逃げ(迂回)は全く不可能である立地条件において、十分な障害だった。
路上には崩土が山となっているが、それでも法面と路肩両方のコンクリート吹き付け施工は、この崩壊地の先まで続いている。
そのため路肩の縁に藪が無い部分があり、そこをススキに手を絡ませながら進むことも考えないではなかったが、それでは自転車を運べないばかりか、常に身体の重心は中空に位することとなり、恐ろしいことこの上ない。
ここはススキ藪の猛烈な抵抗を覚悟しても、真っ正面(やや上手寄り)から突破することにした。
藪の中は足元の地面さえ見通せない状況であるため、念のため自転車は残し、単身での偵察を先に行った。
半ば冬枯れしたススキを両手でガシガシ掴みながら上っていく。
途端に爆(は)ぜた枯れ葉や土埃が目や鼻を急襲し、思わず顔をしかめる。
より姿勢を低く前傾させ、ほとんど四つ足の状況で頭から上っていく。
実際にこうして身体を預けてみると、思いのほかに傾斜は厳しく、また高かった。
だが、幸いにして地面は多数の根を保持するだけあって堅く、私の体重に自転車を加えたとしても滑り落ちる心配は少なそうだった。
これが崩壊地の上面。
ご覧の通り、思いっきりススキが茂っている。
しかし、コンクリート吹き付けの法面に接する部分だけは藪が浅く、まるで砂利道のように地肌が露出していた。
これが、チャリ同伴の突破口となる抜け道であった。
とりあえずこの最初の崩壊現場はチャリと一緒に突破できる目処が立ったので…
置き去りにしていたチャリを取り戻ることにした。
これは、最後まで抜けられることを確かめてからの方が無難なのだが、早くこの難所が突破可能であることを証明したかったのだ。
心の平穏のために。
…それにしても、外房の海は青い。
無理矢理に、反発係数の高いススキ藪へとチャリをねじ込んでいく。
そのときのかけ声は、もちろん
うおーー!!
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さっそく息が上がったが、チャリを押し上げた。
写真では分かりにくいが、足元は全体的に海側へ傾斜している。
さらにススキ藪になっている部分は、法面から離れるほど急な勾配になって、そのまま路肩へ落ち込んでいる。
皆様の中にも山歩きをしていて苦い経験したことがある人もいると思うが、枯れススキの斜面というのは並の滑りやすさではない。
特に、このように上から覆い被さるようにして入り込む場面では、あっという間に滑り落ちる危険がある。
ススキ藪の中の斜面移動には、細心の注意を要した。
すぐに崩壊地は下りになる。
本来の道の勾配はずっと上りであるはずだが、崩壊土砂の山を下るのである。
ごく短い距離だが、この「下る」というのが実に恐ろしい。
チャリを支えながらだから尚更だ。
これはあってはならないことだが、万が一斜面でバランスを失うことがあれば、咄嗟に愛車を捨てる心の準備だけはしていた。
滑りやすい砂が浮いた斜面を数メートル下ると、底を打った。
そして、遂に道を囲っていたコンクリートの保護がなくなり、法面も路面も路肩も、全て自然の岩肌に変わった。
普段の廃道では、これが当たり前の光景だが…。
今は、突き放されたような孤独感と、生の地肌だけが持つ威圧感とに、激しく攻撃を受けている。
特に今回は、自分がどのような場所に「孤立」しているのかを、事前に視覚情報として飽きるほど見ていただけに、切羽詰まったような緊張感は普段以上だ。
自分には、この何とも頼りない草むら(幅2m無し)しか頼るべきものがないと言うことが、とてもよく分かる。
そして、前も後ろもないような猛烈ブッシュに入り込む。
これが本来の廃道風景なのだ。
分かってはいたつもりだが、
房総の草は、すごく我が強い。
さっきまで、どれほどコンクリートに助けられていたのかを思い知る。
あの手入れがなければ、全線こんな状況だったわけで…。
恐ろしい…。
当然のことながら牛の歩みを余儀なくされた。
チャリをこれ以上奥へ運ぶことが正解なのか、自問自答することしきりであった。
だが、決定的に進めなくなるような場面はなく、全体的には先ほどの一箇所の崩壊を除けば、路盤はしっかりと形を保っていたのかも知れない。
まあ、全然周りの地形は見えないのだが。
進行中は、明確に見えている法面との距離を出来るだけ一定に保ち、路肩へ接近しすぎないように注意するだけだった。
後はただただ、道無き道に新たな轍を刻みつける!
うぐお!
何かが、見えてきた!
恐ろしく屹立(きつりつ)した岩山が、黒い影を空に焼き付けている!
まさかまさか!
道はあの岩山へ導かれようとしているのか?!
見通しの利かない藪の中で、地図を無視した勝手な妄想に震える私は、そこに近づいている“脱出口”に、まだ気付いていなかった。
8:19 《現在地》
強烈な逆光の中、鉄パイプを扉状に仕立てた頑丈そうなフェンスが現れた。
手の届く位置に来て、初めてそれに気付いた。
台風のためか人為かは分からないが、金網製の扉はすっかり破壊されていた。
助かり心地でゆっくりゲートを越えると、砂利敷きの広場。
傍らに、大きな石碑が立っている。
廃道は、唐突に、終わったらしかった。
生還だ。
この廃道は、数時間に及ぶことが珍しくない廃道探索の中では、スモールケースだった。
大沢側フェンスからここまで、僅か200mである。
しかし、物足りないとは思わなかった。
この廃道には、距離で測れない“オンリーワン”を思わせる、特異な景観が存在していた。
あの「道の化石」「真空パック」の風景は、生涯忘れることがないと思う。
そして、そんな場所を誰かに見せてもらう前に自分で辿れた幸運を喜ぶと共に、「おせんころがしに旧道がある」と教えてくれた「山行が」の多くの読者さんに、改めて感謝したい。
次回は、悲説「おせんころがし」の伝承を紹介するとともに、
風情の異なる、もう一つの旧道をご案内。
お読みいただきありがとうございます。 | |
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