国道148号旧道 外沢リベンジ編 序

公開日 2011.6.9
探索日 2011.6.4

←これ!






これ!!→




少なくとも2本の橋が、
絶壁に取り残されている!


これは昭和49年に廃止された、旧国道148号線の一部だ。

一度は挑戦するも辿り得なかった道だ。

その未踏長は、おおよそ400mある。



いま、復讐リベンジに挑む!







…と、いつも以上に“力んで”オープニングを飾ってみたが、実際に再挑戦を迎えた現地での私の心境も、これと変わらぬテンションだった。

正直、前の敗退は「輪行絡みの時間的な制約があって」のことだと自分に言い聞かせてはいたものの、明治や大正という劇的に古い廃道相手ではなく、私が生まれるほんのちょっと前まで国道148号として活躍していた旧国道相手の撤退である。

それを踏破しきれなかった。
未踏部分を400mも残してしまったというのは、非常に悔しいことだった。
それから激藪のひと夏と、酷雪のひと冬を超えた本年6月の初頭、さっそくのリベンジ探索に挑んだのも、私の執心のなせるわざだった。

今回の目標は、右図で赤く示した未踏区間約400mを対岸からの仰視ではなく、実際にこの足で踏むこと。
その際、どう見ても踏破不可能な旧外沢隧道北側の谷の横断は諦めてよい。
すなわち、侵入ルートは北側しかない。

山の上手にある外沢集落からの下降も考え得るが、それは北側からのアプローチに失敗した場合の次手と考えた。


それではさっそく、1年ぶりのリベンジ探索。
旧道北口からの侵入の場面をご覧いただこう。




新外沢トンネル北口より 大崩落地点へ


2011/6/4 15:50 《現在地》

昭和49年に開通した新外沢トンネル(全長1360m)北口脇にある、旧道入り口。
前に来たときはここへ来るのも自転車で、途中の坂道に苦しんで辿り着いたが、今度はラクチンにマイカーで直づけだ。

どうでも良いが、2度目以降の訪問では、車で最大限にラクをするというのが私の好み。
そのくらいは、手抜きを嫌う旧道の神さまだって許してくれるはず。




しかし、旧道へは最初から徒歩で挑むことにする。

もう少し奥までは車でも行けるだろうが、どちらにせよ300mも進めばどうにもならない決壊が待っているのだ。
この程度の距離は、路面がぬかるんで車がはまるリスクを考えれば、歩いた方がマシ。
それに、満身創痍の旧道をあまり“いじめる”のもどうかと思うので…。
また、チャリを下ろすほどの距離でもない。

ここは、気合いを込めて、歩く。




100mも進まぬうちに、なにやら前回とは様子が違うことに気がついた。
緑が前よりも濃い気がする。
前は自転車でも労無く通過できたはずなんだが。

…そうだ。正確には1年と2週間ぶりの訪問だ。
普段ならば2週間ずれても大差ないが、この“萌え上がり”の季節においては、2週間でかなり緑が勢いづいてしまったようだ。

…これは良くない徴候だぞ。
前回探索した北側区間でも、藪が濃ければどんなに大変だろうかと思うような場面が多かった。


出発から3分という僅かな時間で、見覚えのある廃車が現れた。
ここまでも緑に包まれた“立派な”廃道だったが、この長年の風雪に押し潰されたような廃車体を境にして、礎盤自体の欠落が始まる。

危険地帯の、はじまりである。




第一の路盤欠損地帯。

30mにわたって、本来は6mくらいあっただろう道幅の大半が崩れ落ちてしまっている。
残った幅は最も狭いところで50cm程度しかないので、前は自転車同伴で怖い思いをしたところだ。
しかし、とりあえず徒歩ならばここは問題ない。


ここまでは。





 15:55 《現在地》

問題は、ここからだ。

というか、問題はまず目の前のこの場面に尽きる。

この第二の崩壊現場を突破してはじめて、まだ見ぬ未踏破区間400mにアプローチ出来るのだ。

しかし当然のことながら、一度は文句なく撤退を決断した場面だ。突破容易なはずがない。

前回よりも周囲の緑が濃くなり、より“縁”に近付かなければ、崩壊地の全貌を確認することが出来なくなっていた。
足元に注意しながら、さらに数メートルの前進を試みる。
周囲は「ウルシ」が多いので、あまり心地よくない。




さて、

どうするべ。

まずは崩壊地帯の外周を取り囲むような崖を、
どうにかして下って崩壊地帯の内側に入らなければならない。

高巻きという回避手段は、あまりに崩壊斜面が高所に達しているので、
まず不可能だろう。




ところで、前回はその存在に気づかなかったのだが(よく写真を見直すと存在はしていた)、路盤の欠落区間の両側を結ぶように送水管らしきワイヤー吊りのゴムパイプが渡っていた。
その存在の目的は不明ながら、確実に大崩壊発生後に設置されたものだろう。
となると、この設置者は崩壊地の対岸にも行ったということになる。
私が最初の踏破者ではないことになるが、そんなことよりも、この事実は励みになった。

やはり、この斜面を突破できる何らかのルートは、存在するのだ。
もし私が類い希な身体能力の持ち主ならば、このワイヤーにぶら下がって対岸へ移動することも考えられるのかも知れない。
しかし、現実としては地に足を着けて行くしかない。

この、険しくとも緑に満ちた崩壊地を乗り越える難関は、最初と最後だ




最初の難関というのは、このすり鉢状をした巨大な崩壊斜面の内側に入り込むための下降。
この落差は5mくらいもあり、下るだけでなく戻ってこられなければならない。
しかし、これは概ね成るだろう。

その後は、緑の斜面の横断が待ち受ける。
これもまず失敗は無いはずだ。
足場が悪いだろうから、かなり汗は絞られると思うが、横断できないような斜面ではない。

心配なのはやはり最後の難関となる、対岸側の斜面を登って路盤へ復帰する過程だ。
ここから見ていても分かるのが、路盤よりもかなり低い崩壊斜面の下端近くまで行かないと、対岸の崖は“鼠返し”のように反っていて、登れなさそうなのだ。
しかも土の斜面なので、手がかり足がかりも乏しい。

直線距離で50mほどの崩壊斜面を超えるのに、私が求めるべき動線の長さは100mを超えた。高低差を20mを超す。

文字通りへの、未踏への難関。





大崩崖への踏み出し



 15:57 下降開始。


緑が濃いせいで、上から見下ろしても今ひとつ斜面の状況が掴めなかった。
そこに安全な下降のための手がかり足がかりが十分にあるのかどうか分からないままに、下降を開始せざるを得なかった。

すると、案の定にして状況は良くなかった。
路盤から2mほど下がったところから下は、風化した土混じりの岩盤が露出しており、僅かに草が生えただけの怪しい斜面だった。
下るのはまあ下れてしまうが、同じルートでよじ登れるのかどうかは、かなり微妙。

まあ、後のことは後で考えよう。
そこまで致命的な事態にはならないはず。

そして、崩壊斜面内側への侵入に成功した。




斜面に取り付いたあたりからチラチラ見えていたのだが、ここに至って、その正体が完全に判明した。

橋脚があった。

小振りながら、オマケではない本式の橋脚。

すなわちこれは、これまで路盤がまるっきり消滅したと思っていた領域に、実は橋が存在していたことを意味していた。
しかし、そんな重要なことにこれまで気がつかなかったのも、無理はない。
なにせ、この橋脚1本以外の橋脚はもちろん、橋台もまったく見あたらないのだから。
これでは、いったい橋がどこからどこまで続いていたのかも分からない。

地形自体が大きく変わっている可能性が高い…。





もはや道があった痕跡などどこにもない、大崩壊地。


この奥に、前後を完全に道路網から切り離された旧国道の風景が、

ひっそりと待ち受けていた。