国道156号旧道 内ヶ戸歩危 最終回

公開日 2009. 9.24
探索日 2009. 4.30

内ヶ戸第一号隧道


2009/4/30 15:33 《現在地》


2本目の隧道。

一見して平凡な坑門を持ったコンクリートの隧道で、ことさら外見について語ることはない。
例によって、ペン習字のような細字で書かれた扁額が、唯一の意匠的要素となっている。

だが、前の隧道に較べて遙かに“廃隧道”をしている。
今度は洞内に余計な荷物は置かれていないし、何より出口の見え方の小ささが“本格派”を謳っているではないか。
前のよりも倍くらいは長そうに思ったが、実際の緒元は次の通り。

内竹一号隧道 
全長 177m 幅 4.2m 高さ 4.0m 昭和23年 竣功
(『道路トンネル大鑑』巻末リストより)

相変わらず「内ヶ戸」→「内竹」の誤植?があるものの、長さは第二号隧道のほぼ3倍である。




坑口前には特別見るものがないので、さっそく洞内へ。


壁の一部が剥がれ落ち、澱んだ水が床に溜まり、出入り口には瓦礫やら枯れ枝やらが堆積している。
そして、生きた灯りのない暗さ。
まさに、廃隧道そのものである。

今さらそんな当たり前のことに感傷を覚えるのは、この隧道の立地が、少なからず不安を煽るからだ。

青い湖面は、生保内手押し軌道で溺れかけて以来、私のトラウマなのである。




そんな私の弱気に付け込もうというのか、洞内には想像以上の妖しさが充ちていた。

この壁の崩れ方は、ただ事ではない。
もはやコンクリートのアーチが、アーチとしての役割を果たしていないだろう。
それでも隧道自体が潰れていないのは、たまたま地山の岩盤が固かったおかげであって、地山を支えるはずのコンクリートアーチは、逆に地山に“ぶら下がる”だけの存在に成りはてている。

全くもってひどい有様だが、ここまで激しく風化した原因は氷害にちがい有るまい。
今もじんわりと染み出して天井から洞床を塗らしている地下水だが、これが冬場はガチガチに凍り付いて氷柱を作ったり、逆に溶けたりすることを繰り返すはずだ。
これが覆工コンクリートにとっては、何よりも苦手なのである。 地下水の湧出が多い出入り口付近が特に傷んでいることからも、それが伺える。




コンクリートに対する、地山の恨み節が聞こえてきそうだ。

「 お前は何のためにそこにいるんだ。
 早く全部落ちちゃえよ。 重いんだよ〜! 」




上や左の写真を見ていただくと明らかだが、覆工は薄っぺらだ。
通常のコンクリート覆工は厚さ20cm以上、30〜50cmくらいはあるものだが、ここは10cmくらいじゃないだろうか。

もっとも、先に述べたとおり地山自体は相当に堅牢であるようだから、それを見越しての正当な節約施工であろうと思うし、椿原ダム工事とその住民補償のために建設された道という素性が明らかであるだけに、もし手抜き工事だとすればその“犯人”も明らかなので、そうではないと思いたい。

継続的な補修無くしては、とても耐え難い気候的悪条件があるのだろう。

地形的にまず不可能だが、冬場の洞内を覗いてみたいものだ。
(ちなみに現役当時も、この区間は12月〜4月までは冬期閉鎖されていた。雪崩が多すぎて除雪作業さえ出来なかったらしい)




坑口から離れ、嘘のように平静となった洞内。
この辺りも地下水の湧出は見られるが、さほど破壊的な氷柱を作るほど氷結しないのが、「夏は涼しく冬は(相対的に)温か」とされる地下の特性である。

車が通らなくなって何十年経つのかは分からないが、とりあえず照明さえ付いていれば現役であっても不思議ではないような洞央風景である。
そういえば、この長さで照明がないというのも、ちょっと珍しい。




 おわっ。

これもまた天井から染み出した水のなせる技か、岬のようなところを貫く隧道としては異例と思えるほど、洞床に水が溜まっていた。
水中の大量の落ち葉は、ステンドグラスのように美しく見えた。

もう南口まで50mを切っているのだが、水深は最大で10cm。
長靴を装備してきたのは、正解だった…。




出口付近。

またしても覆工は大荒れとなる。スカスカの虫食い状態だ。

そして、ここで隧道の断面が変化していることに気付く。
幅は変わらないが、天井の高さが50cmくらいも低い。

実は、既に通り過ぎた第二号隧道の両坑口も、この第一号隧道の北口も、同じように狭まっていた。
だが、その事に気付くのは、この南口の異変を知ってからだった。
これまで気付かなかったのが不思議なくらいだが、写真を見返してみても、確かに分かりにくい。

これが、この一連の隧道群の、“秘密”である。



出入り口の断面が小さいのは、一般に地圧に対してより強固な構造とするためである。
現在の多くのトンネルでも、出入り口付近は覆工の厚みを増すことで対処している。
だが、このような古い設計の隧道の一部には、実際に出入り口の断面を小さく掘削した物や、覆工の厚みを増した分だけ結果的に断面狭小となっているものがあるのだ。

この隧道の場合は、横幅は変わらず天井だけ低いのだが、それはアーチの形をより真円に近づけて、構造的な強度を増しているためだと想像できる。
しかし当然のことながら、出入り口が小さくて中だけ広くてもあまり役に立たない。まして、幅も広いならば離合できたりと幾分のメリットもあろうが、天井だけが高いなど、意味不明である。

全体を出入り口と同じ断面に統一しなかった理由が、何かあるのだろうか。




15:38 《現在地》

長靴のおかげで、足を濡らすことなく、無事に隧道を突破した。

馬狩橋の前半戦と、この2本の廃隧道がある後半戦を合わせて、一連の内ヶ戸旧道は約2kmの道のりであるが、ここはその1.4km地点だ。

そして、地形図上では、残る区間に橋や隧道や目立ったカーブは無いようだ。
ようは消化試合的な内容かも知れないのだが、それでも行くのである。(当たり前だよね)

そうそう。
この場所を離れる前に、内ヶ戸第一号隧道の南口チェックをせねばな。


チェックポイントは、扁額謎の凹みだ。

まず扁額から。




扁額「内ヶ戸第一号隧道」の下に、もう一枚の扁額が…!

これ、前の隧道にも同じ凹みがありました。
でも空でした。
今度は、そこに木のプレートが挟まっている!

木製の扁額というのは、有りそうで無かった。
少なくとも、私の記憶には無い。
たまに扁額が抜け落ちてしまっている隧道があるが、そのようなものの中には、木製扁額だった物も含まれるのかも知れない。

まあ、ちゃんとした扁額が別にあることを考えると、これも扁額だったと断定することは出来ないのだが、ほぼ間違いないだろう。
ここには、竣功年が書かれていたと想像する。



もうひとつ、坑口脇の凹みの方だが、

 ナムナム…。

きっとこれはコンクリート製の祠である。
中には、お地蔵さんが祀られていた可能性が高い。

歩危だったから…。
もう湖底に沈んだ旧旧道から引き継がれたのかも知れないが、ともかくこの隧道の辺りでは、死人が出たことがあるのだろう。
それを慰め、悲劇が繰り返されぬための祈りが、この祠には込められていたと思う。

それにしても、地蔵本体はどこへ行ったのだろう。現道沿いに移されたのか。




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内ヶ戸歩危 本戦




15:40

隧道へ別れを告げ、残り600mへと歩き出す。
見上げれば、凄まじい急斜面。


そして…



白い!

この崩れの大きさは、その下にあるだろう道の安否が、かなり心配される。


廃隧道が2本もあるという、オブローダー的には美味しい道なのに、ここまでほとんど人の出入りが感じられなかった。

そのために、往来を阻む大きな崩壊がまだ有るかもしれないと予感はしていたが、またも的中か。








あわわわわ…




やっちゃった。




ゴッシャリいってます。

道が全部埋もれている。

もう、路肩も法面も無い。

ただ斜面。


行けるか、逝くか。

後者は困る。
もし滑落しても大して怪我はしなさそうだが、湖から這い上がって来れなきゃ溺れしぬ。

溺れ死ぬと、オブ惚れ死ぬって、語感が似てるな。
そんなどうでも良いことが、脳裏に浮かんでは消えない。




戻っても誰も文句は言わなかったと思われる場面だが、それでも「挑戦したい」と思うのは、もはや誰かに認められたいからではない。

腕を上げたい。

そう思ったからだ。

こういう斜面でトラバースの経験を積むことは、オブローダーにとっては、必要なことである。

もちろん、だから貴方にもそれを求めるとかはない。
私がやりたいからやるだけ。

無論のことながら、ミスをしない自負はあるし、無理だと思えば途中でも引き返す前提だ。
そのうえで、「全体を見ただけで怖じ気づいて引き返す」のは嫌なのだ。
やれるところまでやって、それで無理だと思ったときに引き返しても、遅くない。





失敗した。

せっかくのヘルメットを、チャリのハンドルにぶら下げておいてきてしまった。(証拠写真)


しかし、斜面の様子を見る限り、そんな直近の崩壊とも思われない。
既にある程度安定しているだろう。
ここで落石に巻き込まれるなんて、そこまで私は不運でないはず。

【ここで撮影した動画あり】




序盤の草付き土斜面は、別になんということはない。
斜めに上りながら、本来路盤よりも5mほど高いところへと進んだ。

そしてぶつかったのが、地表に露出した岩盤。

差し渡し2mほどだが、ここを横断して中央部の砂利斜面へ入らねばならない。

或いは最初に登らず、下の砂斜面を迂回する手もあったかも知れないが、“湖面トラウマ”を抱えた私は、そのルートを嫌った。




続いて、中央部の砂利斜面。

見た目は恐ろしげだが、ここはしっかりとグリップを確保して、慎重に進む。
足元より、首の後ろの辺りがスースーした。


でも、これは行けそうだ。


 シャバダバシャバダバ…。

  シャバダバシャバダバ…。




かなり小石を落としたので、湖を騒がせてしまった。

しかしその甲斐あって、無事最大の難場を突破。
あとは前方に甦った路盤へと、緩やかに瓦礫の山を下るだけだ。




崩壊斜面のトラバースラインがかなり高かったので、

振り返ると坑口まで見渡せた。


葉の茂る夏場は無理だろうが。




15:46 《現在地》

難所は越えたらしい。

足元に落ちていたそう古くない空き缶を見て、そう思った。

今度こそ、消化試合だ。




やがて無理して入り込んできたようなクルマやバイクの轍が出始め、いよいよ旧道らしくなる。

林業関係者が設置したのか、ぶっきらぼうなワイヤーゲートの残骸もあった。
廃建材の山も。

くぐもったようなクルマの音も、聞こえてきた。




15:50

数分後、ついに灰色のロックシェッドが現れた。

旧道の終わりだ。

そして、この合流地点の傍らに…




祠とお地蔵さまを発見。

確信は持てないが、おそらくは旧道の隧道前から、新道の開通に合わせてここに移設されたのだろう。
祠は近年モルタルで補修された形跡があったし、綺麗な水が供えられていた。

納得できる形で伏線を回収できて、満足なり。




現道のやつ、旧道との合流を考慮して大窓を開けてくれているのは嬉しいが、合流地点が坑口そのものだというのは、危険で怖い。
かなり交通量多いし。

それはさておき、かつて「内ヶ戸(内之處)集落」があったのは、この右手の山上の小平地だという。
今もそこへ行く道が有るように描かれているが、今回は行ってみなかった。
そしてその内ヶ戸の住人が北へ行くには、いま通ってきた「内ヶ戸歩危」を通らねばならず、反対に南へ、役場のある白川村中心部へ出るには「下田歩危」を歩まねばならなかった。

 

その下田歩危は、「ゾウゾウ山」の裾が庄川に洗われる難所であって…。





ここからもう見えてるし…。


当然、いまは旧道化している。

見ての通り、廃道もある。


この「白川郷への最後の難場」もまた何れの機会にか紹介したいが、内ヶ戸旧道とは違い、歩きや自転車での通過は比較的簡単である。




最後に私は踵を返し、かったるいがありがたい「内ヶ戸トンネル」(1322m)を歩いて、残してきたチャリとリュックを回収した。

そして、橋と隧道、美しさと険しさとを兼ね備えた高級廃道、内ヶ戸旧道を無事修めた。

ちなみに、この翌日に「加須良林道」へ挑み、ここでの“練習”の成果を存分に発揮したのだった(笑)。