2018/4/24 10:19 (自転車と分れてから29分経過) 《現在地》
よし! 第一関門突破だ!!
(↑)ここ、本当だったらもっと大きな文字で叫ぶくらい嬉しい場面だったと思うが、やはり、自転車を残して来ざるを得なかったことが、歓びにいささか水を差していたことは否めない。
自転車を持ち込む“無理”さえしていなければ、このまま通り抜けて、一連のキナウシ旧道の攻略完了を宣言できたであろうにな。
しかしそうは言っても、決断したのは自分であるから、恨みっこ無しだ。
次の問題は、この見つかった隧道がちゃんと貫通しているかどうか。
とりあえず、坑口が開いていることは、第一関門に続いて、第二関門も突破と言って良いだろう。
この旧旧キナウシトンネルの出口側の坑口が開いていることは、前々回に述べた通り、事前にストビューで把握していた。
あとは、見えない内部がどうなっているか。 貫通や如何に?! が、次の焦点。
旧旧キナウシトンネル、本来の名称はもちろん、キナウシトンネル。
お馴染みの『道路トンネル大鑑』トンネルリストには、次のように採録されている。
路線名 | トンネル名 | 竣功年 | 延長 | 幅員 | 有効高 | 壁面 | 路面 |
(一)神恵内入舸古平線 | キナウシ | 昭和36(1961)年 | 158m | 5.0m | 4.5m | コンクリート | 未舗装 |
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実物も、この数字の通りの断面サイズだと思うが、坑口を抱く岩壁のスケールの圧が凄まじすぎて、
遠目にはもっと遙かに小さなトンネルに感じられる。錯覚である!
トンネルが穿たれた現場は、地中に蠢く灼熱のマグマ流をそのまま形象化したような禍々しき紋様を持った垂壁で、坑口直上は著しくオーバーハングしている! 挙げ句、坑口から20mほど離れた右上方には、トンネルよりも巨大な【自然洞穴】が開いていて、天造の妙なるを遺憾なく発揮していた。
こんな場所に、初歩的な道具で立ち向かってきた先人の“恐れ知らず”を想像すると、土木をテーマとした人間賛歌の叫び手たる私は、もう堪らなかった!
ここまで、旧道入口から約800m(閉塞壁から約400m)。
目前となった旧旧トンネルの坑口は、旧トンネルの路面より15m前後高い山側にあった。
その位置自体は想定した通りだったが(凄まじい外観は想像の外だ)、旧旧トンネルに当然接続しているべき旧旧道の状況は、最後まで計り知れないものがあった。坑口はこんなにはっきりしているのに、そこに続く旧旧道の路面らしいものはなく、代わりに盛土されたような不自然な土の平場と斜面がそこにあった。
足元では、ここまで私を連れてきてくれた覆道の屋根が尽きようとしている。
尽きたところからは、そのまま旧キナウシトンネル(昭和60(1985)年竣功、全長201m)が地中をくり抜いているはずだが、その坑門は覆道に遮られ全く見えないし、結局は【閉塞壁】以降ここまで一度も覆道の“窓”はなかった。
そんな訳だから、あの閉塞壁は、一連の窓がない覆道区間+旧トンネルの合計600mを、まとめて塞ぐためのものだった訳だ。
ほんと、どこまでも周到で効率的だなぁ… 塞ぎのプロかよ……。
間近に露呈している旧旧トンネルが開いているのが、寧ろ不思議なくらいだ。
坑口前の土斜面をサクサク上って、坑口へ。
10:21 (31分経過) 《現在地》
坑口前から振り返る景色。
目の前に、道っぽく見える凹地の連なりがあるが、明らかにこれは道ではない。一段下に見える旧道の覆道を、落石の直撃から護るために用意された、一種の緩衝地帯だ。衝撃吸収のために盛土をし、さらに端を高くすることで、土石をポケットする保持力も高めている。
旧旧道の路面は、この緩衝地帯を造成する段階で、切り崩されたり埋没したり、その組み合わせで跡形もなく消えたようである。
前回、覆道の崩壊現場で目にした【土中の擁壁】が、旧旧道が地表に残した数少ない遺構だった。(それさえ本来は埋没していたもので、波の力で再発掘されたに過ぎない)
このように、次世代の道の安全のため、自らの存在した証しのほぼ全てを捧げた旧旧道。
その数少ない遺構が、私が背にしている旧旧キナウシ隧道である。
こいつは、外見だけじゃなく、在り方まで、超絶格好いいヤツだった。
貫通や、如何に?!
無事の貫通を確認!!!
( ぬおーーー! これで自転車さえ連れてこられていれば…! )
トンネルの入口と出口付近にカーブが見えるが、全体としては大きな曲がりではないようで、158m先の出口の光を見通すことが出来た。
光の見え方からして、トンネル内に大きな崩れも無さそうである。
坑口も全然埋れている様子はないし、外の景色に目を瞑れば、現役の古いトンネルと言われても信じられそう。
あと、トンネル全体が登り坂になっているのも見て取れたが、水が流れ出ていたりもしない。
先のマッカトンネルにも、昭和29(1954)年に竣功した旧旧世代にあたる珊内トンネルというものがあり(ただし旧トンネルに作り替えられて現存しない)、それは素掘りであったらしいが、同じ旧旧世代にあたるこちらのキナウシトンネルは、少しだけ遅い昭和36(1961)年竣工とされているからなのか、素掘りではなかった。
控え目な大きさの台形型コンクリート坑門が、オーバーハングした岩場の根元に埋め込まれる形で設置されている。
その意匠としては、やや厚みの大きな笠石と、お馴染みのアーチ環の模様に加え、扁額を置くべき凹みが用意されていたが、そこに扁額は残されていなかった。撤去されたのか、自然に脱落したのか、はたまた木製扁額で腐朽してしまったのか。
廃止から相当の時間を経過しているが、坑門の表面にひびなどはなく、苔生したりもしていない。オーバーハングした地形によって風雨の影響が軽減されているようだ。
坑口脇には「キナウシトンネル」と書かれた案内標識が、ボロボロの標識柱に取り付けられて残っていた。古いものだろうに、標識板は意外と良好な保存状態だ。
その一方、「工事名 一般国道229号神恵内キナウシ改良工事」などの文字が書かれた白い工事標柱は、旧旧道時代のものではない。
加えてトンネル内には複数のケーブルも敷設されており、地上へ出たケーブルの先は崖の上や地中へ分れて伸びていた。これもまた旧旧道時代のものではなく、旧道時代に設置された災害検知用のセンサー類ではないかと思う。
こうしたものの存在から想像するに、旧旧トンネルには旧道の保守用道路としての役割が、最後まで与えられていたのではないかと思える。
それが封鎖を免れていた理由かも知れない。
オーバーハングしまくっている坑門上部の大岩壁と、そこに穿たれた巨大過ぎる大穴を撮影。
もう、何から何まで、スケールが北海道である……。
あと、錆びた鉄の柱(標識柱にしては少し太い?)が写っているが、正体は不明。
坑門には銘板を収める用の小さな窪みも用意されていたが、扁額同様、銘板は喪失していた。
……一通り、坑門を観察できたと思うので、トンネル内へ。
10:22 (32分経過)
トンネルは左カーブで始まり、20mほどで直線になって出口へ延びていた。
洞床は一面の砂利敷きで、全体が結構な上り坂となっている。
内壁はコンクリートで覆工されており、亀裂はないが、この時代のトンネルらしく、実板(さねいた)を当てて固めたことによる短冊状の模様が無数に残されていた。
また、側面がアーチのカーブを引き継いで、洞床まで曲線を描いているために、正円形に近い丸っこい断面になっている。一般的には地質条件があまり良くないトンネルに見られる特徴だが、道内にある昭和30年代のトンネルには、この断面形が多い。この時期の標準仕様的なものだった可能性が高いのかも。
照明が取り付けられていた形跡はなく、現役当時から無灯火の158mだったようだ。
10:24 (34分経過)
廃トンネルらしい荒廃がここまであまり見られなかった洞内だが、出口まで40mくらいのところで、覆工の継ぎ目が酷く壊れていた。
そこからは何か水を通していたらしき管も露出していて、地下水の影響(というか主に氷柱となって氷結する影響かな)で壊された雰囲気がある。
そしてこの後も順調に出口へと近づいていった私に、思わぬトラップが仕掛けられていた!
靴が一瞬で泥まみれになってしまった!
靴が汚れたくらいで何を大袈裟に。むしろ汚れないことの方が少ないじゃないかと突っ込まれそうだが、確かにその通り。
でも、次の動画(↓)を見ても、そんな余裕でいられるかな?!
靴が汚れたことよりも、靴を汚す原因となった“不思議な現象”こそが、真の驚きであった。
トンネル内の砂利敷きされた洞床の一部が、“底なし沼”と化していたのである。
動画の中で私はこれを“凍上現象ではないか”と表明しているが、これは深く考えての発言ではなかった。
ただ、今となってみると正直原因は分からない。
はっきりしているのは、一見乾いているように見える砂利敷きの洞床の一部が、際限なく足が沈み込んでいく“底なし沼”と化していたことだ。
幸い、洞床全体がこのようになっているわけではなく、山側の壁に近い一部分だけだったが、怖いのは、見た目ではまともな部分と全く区別が付かないことだった。
そのため、最終盤は一歩一歩足元の安全を確かめながら、先へ進む必要があった。(見た目普通なのに……!)
これはいったいどういうメカニズムなんだろう? まるでかき混ぜている最中の生コンそのものだった。
……メカニズムをご存知の方がいたら、ご一報を。
10:25 (35分経過)
見えない“沼”から逃げ延びて、辿り着く。
出口には申し訳程度の鋼管フェンスが設置されていて、廃トンネルだったことが確定。
外へ出れば、そこはキナウシの入江で、今探索の予定していたゴール地点である。
だけど、まだ終わらん……!
2018/4/24 10:24 (34分経過) 《現在地》
辿り着いた、旧旧キナウシトンネル南口。
出口直前から左へカーブしており、外へ出ても同じカーブが続いている。見通しの悪さが、時代を感じさせる。
これで探索前にストビューで見たキナウシへと辿り着いたことになる。
出口は入口と異なり鋼管組みのバリケードで塞がれていたが、これなら貫通しているのと同義であった。
が、自転車を取りに戻らねばならない状況を踏まえて、外へ出ることは、敢えてお預けとした。
このトンネルが通り抜けられるかを知りたかったのであって、それが分かったので、引き返すことにする。
引き返す間際、カメラだけバリケード越しに外へ向けて、1枚だけ風景を撮影した。
眼下にある舗装路は、おおよそ55分ぶりの1km越しに再開した現国道229号であり、向こうにあるのが大森トンネル(2509m)だ。
驚いたのは、足元に掘られた現キナウシトンネル(平成15(2003)年竣功)との近さである。
ストビューでも近いとは思っていたが、実際見ると本当に近く、2つのトンネルの坑道は地中で上下に交差していて、現トンネルの天井から旧旧トンネルの床まで土被りは10mも無さそうに見える。実際その通りであろう。
ここまで近いとなると、現トンネルの建設時、地盤の安定性という意味で、このことには当然大きな注意が払われたと思うが、結果的に、旧旧トンネルに目に見えるような大改造が施されたり、埋め戻されたりすることなく残ったのが、しぶとくて面白い。
10:26 (36分経過)
結局、身体の一部とカメラ以外は外へ出ることなく、来たばかりの坑内へ引き返す。
年式の割にあまり荒廃していない綺麗な構造物だと思ったのは、巨大な一枚岩の大岩盤に掘られていた北口の印象であり、この南口はそうではなかった。内壁は至るところで剥がれており、大きな隙間から赤っぽい土がまろび出てさえいた。突然の落盤閉塞もありそうな状況だった。
“底なし沼”の存在に再度注意を払いながら、撤退開始。
――13分後――
10:39 (49分経過) 《現在地》
約30分ぶりに、“溺れる覆道”地帯へと戻ってきた。
帰りは往きよりも念入りに旧旧道を探しながら歩いたが、やはり痕跡は皆無であった。
私はここに自転車やザックなどの大荷物を残してきた。これからそれらを回収し、(不本意だが……)旧道の北口へと戻るつもりだ。
私が今まで通ってきたルートは、覆道の上に立つまでが、岩場を攀じ登ったり跳ね下りたりとアスレチッキー過ぎて、さすがに自転車同伴で行ける気はしなかった。(一部コメントにあった「ロープを使って覆道上から自転車を吊り上げる」ことは思いつかなかった。こんなこともあろうかと細引きのロープを常にリュックに忍ばせているのだが、普段使わなすぎて完全に失念していた…)
ただ、完全に来た道を戻るだけでは癪なので、帰りは往きで立ち寄らなかった場所を少し覗いてみようと思った。
それで、壊れた覆道の山側へ、初めて下りてみることにしたのだった。
10:43 (53分経過)
改めて、往路上でも説明したいろいろなものを、異なるアングルで観察している。
土砂に深く埋れている旧旧道の路面(赤破線)と、その下にある擁壁。
それに半周囲まれた窪地の中央には、極めて静かに打ち寄せる波打ち際があった。
崩れた覆道の下を海面が貫通し、ここへ通じているのである。
そもそも、この巨大な窪地を作り出したのは、この僅かしか見えない海が本気を出した暴力だ。
旧旧道の時代、ここは正しく海であった。だからこそ、このような擁壁があった。
だが血気盛んな旧道は、入江の海をコンクリートの壁と土で埋め立てて、その上に真っ直ぐな覆道を整然と打ち立てた。
その頃の覆道の上には厚く客土が盛られていて、緑破線の高さが地表であったはず。
だが、旧道が廃止されていくらか経った頃……詳細な時期は不明だが……波は防波堤を遂に突き破り、次いで支えの土砂を流失し、覆道を崩落させた。入江を埋め立てていた大量の客土も、アリジゴクのように呑まれ続け、結局は、ここに有史以前の入江を復したのである。
これがこの場所で過去数十年に起きた、人工と自然が相剋する出来事の大きな流れであろうと思う。
さらに下って波打ち際(以前は地中だった部分)へ。
10:44 (54分経過)
不謹慎な喩えと承知はしているが、見れば見るほど、列車の脱線転覆事故現場を彷彿とする。
その“車輌”にあたるものの大きさはホンモノ以上だから、気圧される迫力も相応だ。
ただ、幸いにして人身が絡んだ事故ではないらしいから、凄惨さよりは、自然の力に対する純粋な敬服の念が強い。圧倒される。
ここで、回れ左。
沈下した覆道の下に、大きな隙間が出来ているのを見つけた。
なんとなく、
入ってみることにした。
10:45 (55分経過)
はや〜〜〜〜〜……
すっかり覆道の下に海側まで貫通する空洞が出来上がっている。
崩れた時に噛み合ってしまった隣の覆道の床に支えられている状況だ。何かの拍子に落ちてきたら、苦しむ間もなくぺっちゃんこだろうが、そんな不安定な状態のまま今日を迎えていることはないと思いたい。
このまま四つん這いで向こうへ通り抜けることが出来そうだが、通り抜けても発展性はなさそう。
海面が邪魔をしていて、ここを潜っても、自転車の元へは戻れないし。
それよりも……
この右の隙間から……
………………これは……
✝ここは世界の終末か✝
2018/4/24 10:46 (56分経過) 《現在地》
自然の猛威により無残に引きちぎられた鉄筋コンクリートのぶ厚い壁に、体を通じうるだけの隙間を見つけた私は、中に潜む何者かに導かれるかのように、黒い隙間へと身を投じた。
廃なるものに隙間を見つければ、這入らずにはいられないのは、ワルニャンの宿命だった。
数瞬の後、苦しい四つん這いの穴潜り姿勢を解き、再び起ち上がることが許されたその場所は、まさしく、悪夢のような覆道の内部であった。
そこで起ち上がった瞬間、全方向の視覚、聴覚、嗅覚を支配した光景は、【覆道の外観】より想像される状況を越えて衝撃的な凄まじい限りの異形の空間であった。
この衝撃については、私の文章を重ねるよりも景色を見てもらうのが手っ取り早い。正直、まともな説明を放棄したいと思ってしまうくらいの異常さだ。
人工物の中に居ながら、重力という圧倒的な感覚の定規すら怪しく感じ、水平がどこにあるのかを見失ってしまう感覚は、この時が初めてだったかも知れない。
ここへは這いつくばって浸入し、自然と“立ち”入ったわけではないことや、とにかく視界のどこにも基準となるレベル(水平面)がなかったことで(強いて言えばカメラの液晶に表示された水準儀があったが)、この著しい平衡感覚の喪失は引きおこされた。
このような感覚器の恐慌状態を脱して、行きたい方向へ向けて理性的に進めるようになるまでには、深呼吸をするだけの時間が必要だった。
冷静に、少しずつ、この場所から、活動を始めよう。
直前に潜り込んでいた【床下】に対する“床上”が、この写真左側の高い洞床だ。こちらは、旧キナウシトンネル方向(南口)である。ここから旧トンネルまで300mほどはあると考えられ、当然内部は未探索であるから、実際どこまで進めるのか大いに気になる。
一方、下になっている右側は覆道の北口方向で、既に見た【閉塞壁】の裏側まで100m未満であるが、やはりその内部は【天井の隙間】から僅かに垣間見ただけであるから、当然気になる。
どちらへも行きたいが、まずは、決着が近そうな、北口側へ向かうことにした。
覆道内部での活動を開始!
まずは北口側へ進むことにしたが、最初に早速、この覆道内で一番荒れているであろう海水が侵入している部分を越える必要がある。
覆道が“逆への字型”に折れ曲がっている部分である。
まずは“底”へ向けて下るのだが、当然ながら本来の道路の勾配をかけ離れた傾斜を見せている。
覆道を構成しているこの部分のボックスカルバートは、両側より激しく圧迫され、底面が激しく盛り上がる形で座屈破壊しており、路面であった部分の大半が侵入不可能な斜面と化していた。そのため隅っこの部分を下っていくが、ここにも破壊された鉄筋の断片が牙のような突き出しており、触れた者を簡単に傷付ける危険な障害物となっていた。
慎重に、摺り足で、下って行く。
10:48 (58分経過)
おおおっ! 洞内に海面が!!
あるべきではないものがそこにある、ひどく気持ちの悪い眺めだと思った。
覆道の下に見える海は、深い青みを帯び、やがて覆道そのものを藻屑に変えんと虎視を眈々とする野心を想像させた。
それでも今日の姿は穏やかで、私を向こう側へ渡らせてくれる優しさも見せてくれた。
仮に波が少しあって、両側の路面を濡らしているくらいの状況だったら、それだけでもう飛び越えられなかったと思う。
なぜなら、海へ向かって傾斜している両側とも、引っ掛かる手掛かりや足掛かりのない平滑な斜面で、そこが海水に濡れたときにどれほど滑り易いかは想像に難くない。仮に飛び移っても、即座に滑り落ちて海へ墜落する未来が見えるのである。
こんな風に波が全く無いなんて、探索中だけは、今日も極端に運が良い…。
探索中に、“しばしば”そう思っている自分が正直怖いが……(いつか幸運に見放されたときを想像しちゃうから)。
……そんなこんなで、小ジャンプで海を越え……
10:49 (59分経過)
今度はここを攀じ登る!!!
思わず、“攀じ登る”と表現したくなる傾斜だが、アスファルトの切れ端が所々残っているように、本来は路面である。
ここからユニット2つ分は連続して強い上り傾斜がついている。
そしてここまで来ると、59分前に自転車とザックを泣く泣く残してきた現場が、壁一枚を隔てた間近だ。
手前の“赤矢印”のところの隙間は【これ】で、奥の“黄矢印”のところの隙間は【これ】。自転車やザックを残してきたのは後者の前であった。
このどちらかから外に出られれば近いんだが……、まあ、入ってこられない場所からは出られないよな…(自明)。
歩いてきた経路を振り返る。
この場所が、この地における破壊の焦点だ。
海へと引きずり込まれつつある2つの覆道ユニットが、蹴落とし合うかのように衝突し合う姿が痛々しい。
静置されていた覆道たちは、脱線転覆する列車のような大きな運動エネルギーをもって衝突した訳ではないはずだが、その破壊のされ方は想像以上である。
これほどの破壊をもたらした波の力の恐ろしさよ。
10:50 (60分経過)
最も破壊が進んでいる“逆への字折れ”の領域を脱した!
写真は、またしても振り返って撮影した。
右の壁の外に自転車とザックがあるのだが、壁は厚く、【隙間】は小さい。
往生際がいかにも悪いが、やはりここを通じて先へ進むことは無理なのか…。
特に自転車は、仮にフレームと車輪を別々にしたとしても、どうにもならない隙間であった……。
……このまま、“閉塞壁”を目指そう。
ようやく本来の水平を取り戻しつつある覆道内部。
先に天井の隙間から【見下ろした】ことがある場所に立ち入っている。
今日の穏やかな海からは5m以上高い洞内であるが、海が運び込んだ大量の砂利と発泡スチロールが散乱していた。
こんな逃げ場のない場所へ黒い波が押し寄せてくる情景は本当に恐ろしいが、安全な覆道の上から見下ろすだけならば、試してみたい気持ちもした。
ところで、この奥の閉塞壁があるべき辺りの闇の中に、何か白く点灯する2つの光があることに気付いた。
覆道の隙間が無くなると、本来の闇が辺りを支配した。
廃止後に一度は完全に密閉され、光と共に我々世界との交渉を断たれたはずの空間が、こうして人知れずのうちに再び世界と繋がっていた。
いつだって囚われの姫君を解放するのは勇者の仕業で、国道229号の旧道に、このような勇者蛮行の跡を尋ねるのも初めてではなかった。
覆道内には、廃止の前日までは確実に動いていただろう照明や非常電話などの名残があった。
永久に人の目に触れないことを宣告されたものたちとの再会は私をひとりでに熱くさせたが、人間代表として合わせる顔があるかと問われると、いささか悩ましい。
手にした灯りの先に、終わりの壁の白い姿が浮かび上がってきた。
先ほどから白く見えていた2つの光は、閉塞壁に取り付けられた手鏡ほどの小さな反射材だった。
誰に対して衝突を警告する必要があったのか分からない、幻のデリニエータだった。
10:55 (65分経過) 《現在地》
覆道内北口側閉塞壁に到達!
1時間以上前に突き当たった【壁】の裏に、遂に辿り着いた。
この壁の向こうの明るさを私は知っているが、ここに閉じ込められている限り、知り得ないことだった。
一方はこれで解決。残るは、南側閉塞壁だけだ。
冷たい壁に一度触れてから振り返り、今度は南側閉塞壁へ向かうことにする。
だが、歩き出して間もなく、一度諦めて通り過ぎた場所で、再び足が止まった。
それは――
10:57 (57分経過)
――この場所だ。
この左の隙間の外に、自転車とザックが残されている。
しかし「×印」の隙間は狭いだけでなく、出た先が地面より高すぎるため、無事に通り抜けられない。
それで一度は諦めたのだが……。
……そういえば、
私がこの場所へ辿り着いたときのように、覆道の床下空間を経由して外へ出られないかと、思いついた。
わざわざ思いついたのだと強調して書きたいくらい、これは普段の行動から想像力を飛躍させねば思いつかないことだった。
道路の下に潜るなんてことは……。
そこはとてもとても狭い隙間でしかなく、腹ばいになって、ようやく上半身から通り抜けた。
だが、その狭い向こう側には、やはり波によって土を浚われた広い“床下空間”が存在していた。
インフラの残骸に身をよじりながら、さらに広い場所へと少し移動。
そうして、ついに……!!
自転車とザックの元へ辿り着く、私のための一筋の“通り穴”を見出した!
凄いのはそれだけじゃない。
この床下の空間は、狭いながらも覆道の下を【山側に貫通】していることを確かめた。
しかも、自転車を引きずり込んで通り抜けさせられるほどの広さがあるではないか!
このことに思い至った瞬間は、ここまでの全ての苦労を報われた思いがした!!
なるほどなるほど……。
相も変わらず、廃道の神は人がワルい。私を手のひらの上で悩ませながら、最後はここへと導いたか。
こんな周到で完璧な私だけが喜びそうな回答を、ゴールテープの切り方を、私のために、用意していた。
最高である。
11:00 (自転車とここで分れて70分後)
驚く相棒の元へ、にゅるり床下よりコンニチワ。
最高に、ニャンダフルな方法で、“溺れる覆道”より帰還した。
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