国道257号三尾河バイパスは、地形図にこれまで一度も名前が掲載されたことがないくらいにはマイナーな「麦島峠」なる峠を越す計画道路だ。
マイナーと言えば、このバイパス自体が、国道指定以来数十年の不通を覆して開通に辿り着いた他のいくつかの峠と比べると、不通解消に向けたバイパス建設が進められていた当時も、あまり話題にはなっていなかったような印象を持っている。例えばそれは、最近の国道289号八十里峠(2026年開通予定)であったり、国道152号青崩峠(2023年主トンネル貫通)や、国道417号冠山峠(2023年祝!開通)といった国道と比べたときにそう思うのだ。
たまたま私が当時のニュース(だいたい10年〜20年くらい前)に触れなかっただけで、実は盛んに報道されていたという反論があれば、この印象は訂正するが…。
ともかく私の中では、いつの間にかバイパス工事が始まっていて(2009年の印象)、いつの間にか中止されていた(2023年の印象)という、栄えある国道の不通解消へ向けたバイパスにしてはマイナーな印象があるこの道路について、これまでの経過とこれからの見通しを調べてみた。
まずはこの大きな地図で、麦島峠や三尾河BPが置かれた広域的なポジションを確認しよう。
このあとの解説でも、いくつかの地名や峠名が登場するが、それらの位置を確認したくなったら、この地図に戻ってくると良い。
2023年現在、三尾河BPの計画地は岐阜県高山市内で完結しているが、平成17(2005)年2月1日までは、岐阜県大野郡の荘川村と清見村に亘っていた。頂上の麦島峠は長らく村境だった。 また大きな山域としては飛騨山地に属するが、ちょうどこの周辺を太平洋側と日本海側の中央分水界が通っており、麦島峠も木曽川水系と庄川水系を隔てる日本の表裏を分かつ峠の一つである。
これは昭和28(1953)年版の地形図と最新の地理院地図の比較だが、麦島峠の最弱徒歩道的表現の70年変わらぬ安定感よ…(苦笑)。
一方で、国道158号の一部であった当時の(旧)軽岡峠は、太く確かな車道として描かれている。
麦島峠がマイナーなのは、現代になって殊更忘れ去られたという感じでもなく、もともとマイナーな峠だったんだろうな。
それだけに、この地味な徒歩道表現の道が、数十年後には(未開通とはいえ)国道に昇格していることについて、何かしらの強い政治力が働いたことも推測できる。その正体については情報がないが…。
麦島峠について言及した文献を探したところ、僅かながら見つけることが出来た。
次に紹介するのは、昭和50(1975)年に刊行された『荘川村史下巻』の記述だ。
荘川村は、庄川の源流域を占める岐阜県でも有数の山深い山村で、外部との交渉は村を取り囲む峠を介して行われた。それらの峠に言及した部分に、麦島峠の名が出て来る。
本村から郡上を経て美濃や越前方面へ越すには(中略)、近世のはじめころからは寺河戸奥の中山峠を越えて郡上みぞれに出た(中略)、このほか尾神郷峠、町屋峠、麦島峠など、他郷他村への出入にはこれら大小の峠をこえねばならなかった。そうした峠の辻にはたいてい地蔵尊をまつったもので、山中・栂・軽岡・松ノ木などの峠には今もなお苔むした野仏がのこっている。
荘川村から美濃や郡上方面へ越えるルートの一つとして麦島峠の名前がある。
だがこの方面で最も使われたのは、中山峠であったようだ。
麦島峠の詳細な位置は記されていないが、荘川村から麦島に越える道は他にないので、これが現在の国道257号が越す無名の峠を指す名前であると私は判断した。今のところこれ以外に根拠がないので、少々弱いのだが…。
『岐阜県大地理』(昭和10年刊)より
なお、昭和10(1935)年に岐阜県教育会が発行した『岐阜県大地理』は、県内の山系や峠の位置を紹介する中で、位山分水嶺山脈として右のような模式図を掲載し、文中に麦島峠への言及があるのだが……
主脈はなお西走し龍ヶ峰と称する高原状の山をへて、麦島峠(1127、郡上郡明方筋より高山に至る重要通路)の鞍部をなし…
……ここには麦島峠として、1127mという標高とともに「郡上郡明宝(明方)から高山へ至る重要通路」とも書かれているが、実はこれは現在の県道73号高山清見線が中央分水嶺を越える所にある、地形図上の名「西ウレ峠」のことである。西ウレ峠は麦島のすぐ北にあるが、海抜も合致しており、この峠もかつては麦島峠と呼ばれていたようだ。
先ほどの模式図に戻ると、赤○印のところにある峠マークが本文中の麦島峠であり、現在は西ウレ峠と呼ばれている地点。
国道257号が越える峠(荘川村史の麦島峠、海抜1210m)は青○印の位置だが、そこには峠マークはないのである。
他にも、明治42(1909)年に刊行された『飛騨叢書1飛州志』という地誌にも、この地方の峠名を大量に列記した部分があり、今日も名を知られている多くの峠名とともに「龍ヶ峰峠麦島峠楢谷村ニアリ」の記述があるのを見つけた。楢谷村は麦島の旧称だが、これもまた西ウレ峠のことを指している可能性があって判断できない。
現代以前に改良が行われた記録は見当らない麦島峠だが、この道路が国道に“上り詰めた”経緯についても情報は少ない。
この点について、先ほど紹介した荘川村史の続編である『荘川村史続巻』(平成17年発行)には、次のように簡潔にまとめられている。
国道二五七号: この路線は、本村の白川街道と下呂市の益田街道を横に結ぶルートとして、県道三尾河・萩原線に認定され、平成五年に国道に昇格した。しかし通行は出来ず、幻の国道と酷評された。未開設の路線は、同十二年三尾河側から着工した。
開通すれば飛騨南部、東濃地方と結び、産業経済や観光の路線になると期待されている。
本村の白川街道とは国道158号を指しており、下呂市の益田街道は国道41号のことだ。飛騨地方をそれぞれ東西と南北に貫くこの2本の幹線を斜めに短絡する位置にあるのが、下呂市と荘川の間の国道257号であり、当初は県道三尾河萩原線に認定されていたものが平成5年に国道に昇格したことになっている。ただこの平成5年というのは誤りで、本編中でも述べたとおり、それまで下呂市起点だった(正確には高山市起点だが下呂市までは国道41号と重複していた)国道257号が、下呂市〜荘川村に延伸されたのは昭和57(1982)年4月1日である。(同時に起点と終点が入れ替わって、浜松市が起点、荘川村が終点となった)
平成5年は、新たに国道472号が国道257号の不通区間に重複して指定された年である。
それはともかく、国道昇格直後の麦島峠は、「通行は出来ず、幻の国道と酷評された」そうであり、その解消のために「平成12年に三尾河側から着工した」というのが、本編の主題となった三尾河BPである。村史刊行の時期的に、その結末については記されない。
なお、国道昇格以前に県道の認定を受けていたことについては、昭和51(1976)年に刊行された『清見村史下巻』に年表形式で次のように記されているのを確認できた。
『岐阜県総合管内図』(昭和44年刊)より(提供:七社美博氏)
昭和35年2月
三尾河・萩原線 県道96号線認定
昭和47年3月
麦島・三尾河線 県道245号線認定
昭和44(1969)年に発行された『岐阜県総合管内図』を見ると、三尾河と麦島を結ぶ県道96号三尾河萩原線が、途中に不通区間を有する一般県道として表記されていることが確かめられた。
現在の国道257号の下呂市(旧萩原町)から三尾河までのおおよそ40kmが1本の県道として認定されていた。(昭和43年に発行された『岐阜県百科事典 上』には、本県道の全長が38.8kmと記されている)
これが昭和47年に区間を麦島〜三尾河に縮小した県道245号麦島三尾河線の認定を受け、昭和57年に改めて旧来の県道三尾河萩原線の全区間が国道257号の延伸区間になったようである。
三尾河萩原線をキーワードにして調べると、昭和40年頃にこの県道の整備が盛んに行われていたことを窺える複数の資料が見つかった。
例えば、昭和40(1965)年に富山県が発行した『飛越特定地域総合開発実態調査報告書』(昭和25(1950)年制定の国土総合開発法をうけて昭和26年に指定された全国19の特定地域の一つとして飛越地域が選定された)には、昭和31年度から40年度までに実施された本事業に関する実績の一つとして、荘川村に全長5km、幅3.6mの三尾河林道なる林道を予算1500万円(うち50%は国庫補助)で整備していたが、「県道三尾河萩原線着工により41年度から中止」と記している部分がある。
おそらく、昭和35年に県道三尾河萩原線が認定されるまで、おおよそ同じ位置に三尾河林道という林道の整備が進められていたのではないだろうか。
だが、この林道が県道に認定されたことで、新たに県道整備事業として着工することになった。残念ながら、県道としてどこまで整備されたのかは記録がなく不明だが、現在の横根尾林道起点より下流の国道257号のうち、いわゆる旧道部分は、もとは三尾河林道や県道三尾河萩原線として整備されたのだと思う。
それでも最後まで峠越え部分が車道として完成することはなく、これが国道昇格後の三尾河BPのタスクとなったのである。
他にも、昭和43(1968)年に発行された『岐阜県議会沿革誌 続編の16』には、昭和40年に「県道三尾河萩原線の主要地方道への昇格について」という請願を当時の馬瀬村村長他3名が行い、継続審査となっていることが記されており(結果は非採択か?)、そこには当路線の概要について……「益田郡萩原町・馬瀬村と大野郡清見村及び荘川村へ通ずる地方道、三尾河萩原線は国有林材その他木材搬出のため1日360台の自動車が交通しているのみならず、バス・自家用車等相当数通行している。この路線は観光交通路線としての利用も年々多くなりつつある」……と記されている。
この通行量の記述は不通区間を除外したものだとは思うが、主要地方道と言えば国道予備軍のポストであり、その請願が行われているところに、この県道への地域の期待感が醸成されていたことが窺える。私はこの辺りのことを知るまで、三尾河BPにはなんとなくぽっと出の計画の印象を持っていたが、それは誤りだったようだ。少なくとも沿線地域にそれなりの下地があったらしい。 ……まあ、当たり前か。ある日突然に空気から国道が生まれたりはしないだろう。
このような“下積みの時代”を経て、昭和57年に国道257号に編入された。
この記念すべき出来事の背後にも、地元からの様々な請願活動があったと思うが、その経過や内容は残念ながら記録が見当らない。
一応昭和52(1977)年の第81回国会衆議院建設委員会の会議録に、岐阜県関連からの主な要望として、「(4)新規国道昇格、国道257号線の延伸」という項目が見られるので、県レベルでの請願が行われていたことだけは確かである。
国道昇格までが麦島峠を巡る物語の前半で、昇格以降が後半となるが、その内容としては三尾河BPに関する記録しか見当らない。
昭和57年の国道昇格後、しばらく表面的には大きな動きはなかった様だが、それが平成11(1999)年の三尾河BPの事業化から一気に不通区間の全面解消へと動き出すのである。見えない時期、部分にも、政治面での様々な動きがあったに違いないが、ここからは目に見える三尾河BPの展開について説明する。
「再評価結果(平成21年度事業継続箇所)」より
三尾河BPについて簡潔にまとめられた信頼のできる資料の一つが、ここにまるまる掲載した平成21年度の事業再評価結果シートだ。国交省のサイトで現在も見ることが出来る。→PDF
シートの内容を簡潔にまとめると、三尾河BPは一般国道257号の通行不能区間を解消し、周辺地域の連携を強化することを目的とした全長7.5km、総事業費88億円を見込むバイパス事業であり、平成11年度に事業化された。翌年度より用地着手、平成14年度から工事着手している。平成20年度末時点での事業進捗率は事業費ベースで12%、供用済延長は0.8kmだった。
費用対効果(便益)は2.8(1.0以上なら原則的に事業継続の判断となる)と算出されており、最終的な事業継続の判断は、「継続」となっている。
他に注目したい部分として、まず事業完了の予定年度は表示がない。さすがに事業進捗率12%という低い状況では、見通しが立たなかったのだろうか。
事業の進捗状況の欄には、「残る区間6.7kmのバイパス改良部について引き続き進めている」とあり、事業が長期化している理由と今後の見通しの欄には、「絶滅危惧種の猛禽類が確認され環境調査に時間を要したが、生態系を把握した上で事業推進が可能と考えられることから、今後はトンネル工事に着手し、バイパスの早期整備を図る」とあって前向きだ。
さらに、「施設の構造や工法の変更など」の欄には、「道路規格の見直し、線形見直しによるトンネル延長の短縮を行い、約10億円のコスト縮減を図っている」とあって、事業化当初とは一部計画を変更していることも分かる。(これについては後述する)
「再評価結果(平成21年度事業継続箇所)」より抜粋
事業再評価結果シートから事業概要図を抜き出して拡大したものが上の図だ。
この図には1号橋から16号橋までの全ての橋の位置と、峠を貫く1301mの三尾河トンネルの位置が記されている。
図に赤枠で記された0.8kmだけが平成20(2008)年度末時点の供用済区間だったが、その後も工事が進んでおり、今回探索した令和5(2023)年現在の新道が供用されていると見なせる部分を、チェンジ後の画像に赤線で記した。
16本の橋については、1号橋と4号橋が完成しているが、2号橋と3号橋は仮設橋を使用しており、5号橋は両岸橋台が概成、6号橋と7号橋は左岸のみ橋台が概成、8号橋〜16号橋は着工してない。また、細切れ的に供用されている新道が複数あり、それらを全て合わせれば、2km程度の新道が供用中だと判断した。
「Welcome to 道路建設課(三尾河)」より
この画像は、2009年当時に岐阜県道路建設課が公開していた「Welcome to 道路建設課(三尾河)」という、三尾河BPの事業を紹介していたページを私がスクリーンショットしていたものだ。現在このページは削除されているので、事業当時の雰囲気が感じられる貴重な画像である。
一昔前の自治体とか行政の「ホームページ」ってこういう感じだったよなぁと、全体の雰囲気に猛烈に懐かしさを感じるのである。
掲載されている内容は前掲の再評価結果シートに近いが、計画延長などに多少の違いがあり、計画段階が少しだけ違うのかも知れない。
そして全体的に利用者目線に立った情報がアピールされている。
たとえば、白川郷と中津川の間の距離と移動時間(なぜこの2地点なんだという気はするが、これらは国道257号の径路やその延長上にある著名地だ)が、本BPの開通によってそれぞれ185km→138km、3時間40分→3時間へ大幅に短縮されることが効果として出ている。
またこのBPは、国道257号の昭和57年延伸区間内で行われていた4つのBP事業(馬瀬萩原BP、馬瀬BP、川上BP、清見BP)に連なる5番目のBPであったこともイラストマップが教えてくれている。現在残りのBPは川上BPの2期区間を除いて立派に完成し活躍しているのが、置いて行かれたみたいで寂しいところ。
「平成20年度第6回岐阜県事業評価監視委員会 審議資料」より
ところで、再評価結果シートに出ていた「約10億円のコスト縮減を図っている」の内容についても調べることが出来た。
右図は、事業再評価の過程である平成20年度第6回岐阜県事業評価監視委員会で使われた審議資料(岐阜県公式サイト内で公開中→PDF)の一部だが、コスト縮減のために道路構造の規格を第3種2級から第3種3級に下げたことと、ルートを見直すことで三尾河トンネルの延長を1695mから1301mに短縮したことが述べられている。
ここでは道路構造についての詳しい説明はしないが、一般国道における第3種2級と第3種3級は計画交通量によって区分され、前者は1日20000台以上だが後者は4000〜20000台とされる。ここを2級から3級へ下げることで、基準となる車線の幅員が3.25mから3mへ縮小され、設計速度も60kmから60〜40kmに減少する。簡単に言えば、求められる道路規格を下げることで、工事の総量を減らしてコストを縮減したわけである。実際、この道路の計画交通量は1日2100台とされているので、もともとの第3種第3級が過剰に高規格だったようにも思うが、平成20年度まではこの高い規格で建設が進められていたのである。21年度からは低い規格で工事が行われたはずだ。
具体的には、【このへん】の車線は3.25mで、【あのへん】の車線は3mなんだと思う。ちゃんと計ればその差を確かめられたはずだ。
また三尾河トンネルの短縮についても、資料内の地図画像から、概ね上図のような計画変更が行われたことが分かった。
東口の坑口位置を高くすることで、トンネルの長さを大きく減らすことができるようである。
「平成20年度第6回岐阜県事業評価監視委員会 審議資料」より
このようなコスト減縮の努力を行うことで、先ほど見た事業再評価結果シートにもあったように便益比2.4という高い数字が算出され、このことを根拠に事業は継続が決定された。
このレポートの前に公開した国道432号東岩坂BPの便益比は1.0であったので、それから見ても十分に高い数字である。
再評価結果シートには事業の完成年度の見通しは書かれていなかったが、この審議資料中には「事業期間:平成11年度〜平成30年度」という記述があり、平成20年当時は、平成30年度完成という見通しを持っていたことが分かる。
5年毎に訪れる事業再評価は、長期化を余儀なくされた公共事業にとって、事業継続のジャッジを否応なく下される恐怖の機会といえる。
その最初の危機を、事業化10年目の平成20年度に迎えた三尾河BPは、これを無事乗り越えた。しかも十分に高い便益比を査定されて。
だからこそ、平成21(2009)年に現地を訪れた私の前で、盛んに工事が行われていたのだ。
であるにも関わらず、いまなぜか工事は止まっている。
前回の5年後の平成25年や30年には事業再評価の対象にもなっていない。
一度は継続の安堵が下されたはずの三尾河BPに、何が起きたのか。
……その答えも、岐阜県公式サイト内に眠っていた……。
「平成23年度 包括外部監査の結果報告書の概要」より
岐阜県公式サイトにある1本の文書(→PDF)。
これは岐阜県が行う基盤整備事業の外部監査に関する報告書で、前書きによると、「岐阜県は平成22年度から平成24年度までの間に、構造的な財源不足の段階的な解消を目指しており、社会基盤整備に係る予算に関しても、抑制が必要とされている。財政再建下の限られた財源が、必要とされる事業に時期を逸することなく活用されるよう、県の基盤整備事業が、関係法令、条文規則等に従い適法に行われていることはもとより、適切かつ効率的に、また経済性をも考慮して実施されているかを検証するために、監査テーマとして選定した」とのことである。
そしてこの中に、道路整備事業の抑制策について記した部分がある。
岐阜県の財政状態は大変厳しく、また、平成22年度における国の公共事業関連予算が大幅に削減されたことから、道路整備においては、新規事業箇所を一定程度抑制することとしている。平成22年度当初予算における道路整備予算は、平成10年度のピーク時と比較して約23%に減少(約1143億円→約267億円)している。
このように道路建設予算の減少する中で、岐阜県は平成21年度の公共事業60箇所のうち、同年度内に完了予定工区の5箇所を除く公共事業55箇所について評価を行ったうえで、地元関係自治体とも協議し、2割程度の絞り込みを実施した結果、7箇所を休止とした。
岐阜県の財政状態は、このような外部監査を受け入れた特別なアクションプランを行うほどに厳しいらしく、平成21年度には県の道路事業の絞り込みを行ったというのである。ちなみに平成22年度は、平成20年度を最後に道路特定財源が廃止され、21年度の暫定的な財源措置も失われたことで、国も地方も道路事業の抑制が進んだ時期である。
「平成23年度 包括外部監査の結果報告書の概要」より
岐阜県は、平成22年度以降も継続予定だった55箇所の道路事業について見直しを行い、緊急度が低いと判断された7箇所を休止した。
その悲しい悲しい7箇所に、我らが三尾河BPは、国道の整備事業としては唯一含まれてしまったのである。
同じく休止と判断された他の箇所を見較べても、三尾河BPは全体事業費も残事業費も最多である。これ単独で他の6事業の合算に並ぶほどだ。
平成20年度の事業再評価によって事業全体の便益が高いことは認められていたにも関わらず休止されたのは、本事業が完成までにはなお多くの費用(約75億円)と時間を要することが特に問題視されたのではないだろうか。
この休止した7箇所の今後について、報告書は次のようにまとめている。
近年の日本における過剰な社会資本整備予算の削減により、地元要望が強い箇所等においても一時休止せざるを得ない岐阜県の厳しい財政状況に鑑み、過去の過大投資が原因かどうかも含め、今一度、休止事業の考え方を再整理し、他の事業との関係(便益、投資額等)をより精査した上で、事業継続の有無まで踏み込んだ検討をすることが望ましいと考える。
なお、休止した7箇所については、財政状況を踏まえつつ順次再開する見込みとなっており、具体的に何年後に事業再開するかどうかは未定である。
三尾河BPの個別な事情に踏み込んだ言及ではないが、これを読む限り、事業再開はそれほど簡単ではない雰囲気がある……。まあ、この資料自体は外部監査人の報告書であって、県の立場をそのまま表明したものではないとも考えられるが、どうなんだろうな。
このような岐阜県の財政的な危機的判断よって、平成22年度から突然の休止が決まった三尾河BP。
工事は平成21年度末を最後に止まっているようで、令和5年現在も再開していない。
この間、再開への動きがどのくらい進んだのかについても、情報は不足している。
僅かな手掛かりとして、平成29年度第5回岐阜県事業評価監視委員会(→PDF)の審議録に、国道257号川上II期バイパス(下呂市川上馬瀬に新たなBPを建設する計画がある。詳細はこちら)の事業評価に関し、本題ではない三尾河BPへの言及を見つけたので紹介したい。
質問者: 国道257号の全体の改良状況ですが、荘川ICに通じる三尾河トンネルの進捗状況と、国道257号に今後道路改良すべき区間があるかどうかという点を教えてください。
説明者: 国道257号は、中津川市塞の神峠付近などで局所的に改良が必要な箇所があります。また、三尾河トンネルの着工の目途はたっておりません。
三尾河トンネルの着工の目途は立っておりません。以上。解散!
……まあ、三尾河BPはあくまでも休止中であり、事業中止になったわけではないのが救いではある。だからここでも着工の目途が立っていないという表現なのだ。中止された事業ならこうはならない。
思いがけないタイミングで工事休止となって今に至るが、完成すれば便益は大きいとされる三尾河BPについて、皆さまはどのようなことを期待しますか。
残事業費75億円はもちろん小さな額ではないが、全国にいま残っている数少ない国道不通区間の解消に必要な額としては、おそらく一番安いんじゃないかな。(予想ね)
ぜひ、関係者が再びやる気になるようなエールをコメント欄にいただければと思う。もちろん、ネガティブなご意見も歓迎だ。