道路レポート 神津島の砂糠山にある廃道 第4回

公開日 2016.3.01
探索日 2013.4.01
所在地 東京都神津島村

黒き谷の上には“風の谷”、その上には…


2013/4/1 12:30 (登攀開始から24分) 《現在地》

激風が渦を巻く谷中の小平地より、最終目的地である“山上の建造物”が所在地である、砂糠山と天上山を結ぶ稜線を臨んでいる。

海抜0mからスタートした登攀も既に標高60mに達しており、残りあと2〜30mである。
行程の進捗的にも、私の心境的にも、いよいよ今回のクライマックス・シーンが近付いていると感じる。

なにせ私は今、少しばかり“信じられない”ものを、この視界の奥に捕らえているのだ。
目指す主稜線に建造された谷積みの石垣と、その上にある、ガードレールの支柱にしか見えない錆びた金属柱数本。
未だかつて、こんなに興奮しながら稜線を上り詰めるという場面が、山行がに存在しただろうか。ここは(サイト名に反して)登山のサイトではないのだが!

なお、右の写真の中央に写っている灰色の部分は、コンクリート敷きのスロープである。
かなり急傾斜なので、滑り台でも無い限り人が移動するために作られたものではないだろう。浸食を防ぐために設けられた集水路だと思われる。
緩やかに蛇行しながら、私と同じ稜線上を目指していた。



前回の動画をご覧頂いた方なら分かると思うが、本当にもの凄い風である。
まさに暴風。ビュービューという風鳴りが耳に張り付いて、他の何も聞こえなくなっている。
足上げが遮られ、まるで大河の激流に逆らって歩いているようだ。

そして恐らくこの場所には、年中こんな風が吹いているのだろう。
角の失われた孤状の地形と、そこに育つあまりにも矮小化した植生が、その事を物語っていた。谷の下半分とはまるで表情が違っている。
こんな逆境でいじましく育った生存者達を踏みにじらなければ先へ進めない状況に、激藪の時には憎たらしいだけの相手に、愛惜を覚える。
せめて、可憐な白い花畑は踏まずに行こう…(そして青い草が踏み殺された)。

それにしても、現在地でこの風だ。
果たして、稜線上はどうなってしまっているのか。大丈夫なのか?
これまで、風が強すぎて探索不能なんて場面を想像した事は無かったが、現実には強風が行動の自由を制限する場面は存在する。
例えば、この状況で“丸太橋”を渡るなんてことは、不可能である。





オイオイオイ…!

どうなってるんだよ、これ……。
マジで稜線上に石垣だ…。マチュピチュかよ…。

 しかも背景は、「風雲急を告ぐ」という表現が、これ以上似合う場面もないだろうという暗雲。
そして相変わらずの超逆風! 私の侵入を拒もうとする力が働いているかのように、
あらゆる悪条件が、ここに急激に集結しつつあった。晴れはもう、彼方の世界だ。

ことは、案外に急を要するのかも知れない…。

これ以上の天候悪化は、探索は無論、帰還の安全にも影響しうるだろう。



この山上の石垣も、一部崩壊していて、全くの無事では無いようだ。
やはり、この山上も無人の世界なのだと思う。(そうでなければ、むしろ驚きだが)
この時点で、私の知らない現役施設という可能性は、ほぼなくなった。
(秘密の宗教施設説も、なくなった。)

だが、遠目には遺跡のように見えたこの石垣、良く見れば、そんな古いものでは無い。
所々に水抜きの穴が見えるが、そこに挿されているのは見馴れた塩化ビニール管である。
この材質は大昔ではあり得ない。
索道という近代的な設備と同じ時代の擁壁なのだと思う。

石垣に身を寄せ、それを風除けに使いながら、最後の登攀を行う。
あと、5m…

 43、2、メートル




そして、遂に上り詰めた!

稜線!!



うわーっ!風強ぇ!

首から上を持っていかれそうだッああぁ!!

それに、めっちゃ
薄いこの稜線!!

なにこれ! ナニコレ!!


マジで“ガードレール”だったし!







道でした


道が、ありました


あは、あはは


そうでしたか、道でしたか


私を神津島で待っていたのは、


やっぱり、


「道」でしたか。





もし、私一人だけ盛り上がっていたとしたら、申し訳ない。

だが、許して欲しいのだ。

この活動を20年以上やって来たが、今回ほど、「道に遭遇したこと自体」に驚愕したことは無かった。

これは、私の中では、あるはずの無い道だった。

道、もっと正確に言えば車道。ここにあるはずの無い車道。

それは、地図に描かれていないから、という理由だけではない。

ここに至るまでに私が見た(そして皆さまも見ただろう)、この島の地形の

あまりにも思うに任せない有り様を見れば、この場所に車道があることは、
私には絶対に予想できなかった。絶対に!



私の驚愕を皆さまに共感して貰いがために、蛇足だと思うが、少し説明を重ねてみる。

(←)これは神津島の全体図だが、島の東半分には道がほとんどない。
いくら地図を拡大したとしても同じで、精々、いくらかの登山道や徒歩道が見られる程度。唯一の例外として、「観音浦」という東海岸の一角まで伸びる林道が1本あるが、この林道の終点から砂糠山の現在地までは、直線距離でも2km以上離れている。
しかも地形は非常に入り組んでいて、地形に沿って移動したら、この倍は掛かりそうである。そこには、徒歩道さえ描かれていない。

そもそも、砂糠山の辺りは島内唯一の集落から見て天上山という巨大な山の陰であるから、そこにトンネルでも貫通していない限り、最も遠い場所である。離島と言うだけでも僻地なのに、輪をかけた僻遠の地である。絶境である。
そんな場所にポツンと建物が描かれていたから私は興味を感じたわけだが、その興味を実地的に突き詰めた結果が、予想外に車道の規模を持っていた「海岸道路」と呼ぶべき廃道に始まり、それが巨大な索道遺構へと繋がり、それだけでも十分驚きだったのに、遂には、「山上道路」とでも呼びたくなる、新たなる廃道に遭遇したのである。

あ〜もう、説明がまどろっこしい!!! 短く言えばこういうことだ。↓↓↓

「離島の中に、さらに離れ小島的な、島内の他の道路と一切接続されていない道路が存在した!」

↑この状況に興奮を覚えない人なんていない。

(ここで少しネタバレするが、このあとの調査を全てひっくるめても、この道は事実として、島内のどの道路とも繋がっていない、私が驚愕したとおりの存在であった。)




12:43(登攀開始から37分経過) 《現在地》

なんつー場所に道作ったよ!! 神津島の人!(笑)

天上山と砂糠山を結ぶ稜線は、まるで蟻の戸渡りだ。

もちろん、ここに道路を建設した当初は、もう少し幅があったのだろう。
だが、私が上ってきたのとは反対側の東海岸に落ちる谷が盛んに稜線を削っていて、
既に路盤は完全に消失してしまっている。
しかも今は左から右へと暴風が吹き荒れている!踏み出したら、たぶん空中へ運ばれる。

いったい、この道の先は、どこへ通じているのだろう?
私が目指している建物からは離れる方向へ向かっているが…。



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凄すぎる…。

東海岸は、もはやプライベートビーチどころではない。
あれは、きっと遭難者の世界だ…。
まあ、自前の船があればそうでも無いかも知れないが…。

凄まじい暴風が、眼下の果てしない青灰色の海を、ジェット戦闘機のように飛行して、私の前面をひっきりなしに打ち付けている。
ウワサによるととんでもなくデカいヘビがウヨウヨしているらしい祇苗(ただなえ)島が、海上から遠巻きに私を見ていた。
ここはほんの一時も心の安まらない、風濤の最前線だった。

それにしても、この道の途切れ方と海の見え方。
昨日の新島でも、こんな場面を見ている…。
伊豆諸島にとって、こんなオブローダーの夢のような場面は、基本装備なんでしょうか…。




東海岸の方向(北方向)には、踏み込める余地が全くない。
黒曜石の特徴的な帯模様が付いた絶壁が海に落ち込んで、海陸の隔てを絶対のものとしていた。

また、私の目的地である建物の場所は、ここから左奥(北西)の方向に100〜200m離れた山の中だと思うのだが、その方面にはとりあえず密林しか見えなかった。




これは南方向の眺め。

いま上ってきた谷の向こう側に、これまた果てしない海原が見える。
右を見ても、左を見ても、海なのである。ここはか細い半島の尾根だった。
晴れてるときにこの場所へ来たとしたら、誰しもが美しいと眼を細めるに違いないのだが、どんな観光ガイドにもこの場所は採り上げられていない。
ここは観光という光が届かぬ、廃の陰界である。

陰の同伴者、長い登攀の最初から存在していた痩せこけたケーブルも、私と一緒にこの山上へと辿り着いていた。
おそらく架空の状況から墜落し、そのまま放置され続けているのだ。




この場所は本当に風光明媚だとは思うが、風が強すぎて、長く居続けることはしたくない。

全身が凄く疲れるうえに、時間経過でこれ以上悪化したらと思うと、帰路が本当に危険になる。


なので、そろそろゴールへ向かおう!



普通に道がある件について。


つうか、


何か落ちてるぞ。



(索道の)搬器
落ちてたッ!!



この索道、絶対にかなり新しい時代のものだ。

今まで私が見てきた索道の搬器は林業関係ばかりで、どれも昭和40年代よりも製造の古いものだった。
だが、この神津島で見つけたものは、構造的に搬器だということは分かるけれども、これまで見たことのない構造と素材を用いた、きっとより洗練されているのだろうと思えるものだった。

これはタイムスケール的に現代の索道搬器に違いない。



重量物である搬器は、架空されていた地点から、風にほとんど影響されず真下に墜落したのだと考えられる。

その証拠に、この地点から私が上ってきた南側の谷を見下ろすと、

針の穴を通すかのように、あの海上の鉄塔まで、見事に視線が通じたのである!

圧巻の眺めだった!



あはははは。ははははあ

思わず笑い声が出たが、顔面から離れる前に突風に突き返された。

この坂道で助走を付けて突端からジャンプしたら、どこまで飛べるだろうか。

何もかもが破天荒なこの島なら、そんな馬鹿な行動さえ受け入れてくれそうな気がして怖い。




あれ? 道はどこ?