2013/4/1 12:46 (上部到達の3分後) 《現在地》
あり得ないと思っていた車道との衝撃的な遭遇から、まだほんの数分しか経っていない。
私の心はまだ衝撃に揺れていたが、ここに立ち止まっていることは、体力と精神力を過剰に消耗する危険が高い。理由は言うまでも無く、猛烈な暴風に晒され続けるためだ。
それに、私はまだ最終目的を遂げてはいない。
探索開始からの2時間で、目に見えて天候が悪化しているこの状況は、目的達成前として、落ち着いていられるものではない。
なお、うっかり忘れてしまった方はいないと思うが、私がここを訪れている本来の目的とは、地図に描かれている“山上の建造物”の正体を暴くことだったはず。
そして今、私はその地図上の目標地点“ポイント・エックス”まで、あと200m前後にまで接近している。
目的地の方角は、ここから見てほぼ真北で、目の前にある道が右にカーブしながら灌木帯に呑み込まれているが、その進行方向と目された。
この道が、きっと “X” への最短ルート!
灌木帯へ突入!
最初の10mほどは特に藪が深く、かつ低いために、半ば目を瞑って頭から闇雲に突入するような酷い状況だったが、それでも地形自体は非常に平坦であるために、そのような乱暴な突入が許された。
そしてその藪の周縁部にありがちな最も濃い部分を突破すると、周辺はマツやタブといった海岸性の林地に変化した。
相変わらずツタが縦横に絡まっていて進みづらいが、視界はだいぶ開け、進路を見定めることも出来るようになった。
林床は一面に落ち葉や腐葉土に覆われていて、先ほどまでのコンクリート鋪装の道は、もともと道幅が狭かった事もあり、この平坦な地形の中では、早くも姿を消してしまった。
その事に多少の不安を憶えはしたが、GPSが目的地の方向を正しく示しているので、気にせず前進した。
建物だッ!!
林地に入って間もなく、進行方向からやや右(東)に逸れた場所に、探索を開始してから初めて建造物を発見した!
まだ目的の地点には達しておらず、地図に描かれていた建物では無いようだが、いよいよ“山上にあるものの正体”に繋がる具体的な遺構が現れ始めたらしい。
なお、この時点までは、まだ僅かな可能性としてだが、次のようなことを考えていた。
それは、私がここまで辿ってきたルートは実は“裏口”で、他に地図には描かれていない“表口”が存在し、施設自体は現役なのではないかという想像だ。
だが、具体的にその施設“群”の一部と見られるものが現れた現時点でも、なおも全く人気が感じられないという事実に、いよいよ、この砂糠山エリアの全体が真の無人境と化していることを実感していった。
さて、気になるこの“第一遭遇建造物”の正体であるが…
建物の外観は、小規模な工場施設等では見馴れた建築用コンクリートブロックによるもので、小屋と呼ぶのが相応しい程度の小ささだった。
道に面する側にアルミサッシの扉が据え付けられていて、別の面には窓もあったようだが、おそらくはトタン製だったろう屋根と共に、このアルミサッシ扉は完全に破壊されており、そのために屋内と屋外の別がほとんど無い野天状態になっていた。
破壊者は台風だろうか。
そして破れた廃屋の室内に置かれていたものは、巨大なウィンチとエンジンと見られる機械だった。
これらの赤さびた機械と内壁の隙間を埋めるように、屋内とはとても思えないほど植物が繁茂し、まるで植物園のようだ。
それはそうと、このウィンチとエンジンという構成は、まさに索道の巻上機を彷彿とさせるものだ。
GPSで測位されるおおよその《現在地》を見ても、先ほど目撃した搬器の墜落現場と、下の海岸にあった索道主塔の延長線上であり、おそらくは、この辺りに索道の“山上駅”が置かれていたのだろう。
ただし、そうであるならば下と同じような主塔がここにもあって然るべき。
辺りを見回しても、それが見あたらないのは、わざわざ解体撤去をしたのだろうか。密林とは言え、大きな主塔を見逃す可能性は低いので、この点は謎である。
再び雑木林を北へ向かって歩き始める。
相変わらず道はよく分からないし、進行方向を知る手段も、GPSの画面しか無い。
しかし、この平坦な林も、実際にはそれほど広いものでは無いはずだ。
西に外れれば即座に天上山の急な斜面が立ち上がっているだろうし、東に逸れれば、あの激風渦巻く絶壁の海蝕崖に出てしまうのだろう。
そんな切迫した環境にあるはずだが、この森の中だけは(信じがたい事に)ほとんど無風であり、潮騒さえも聞こえた憶えが無い。
日が射していないことや、自分の置かれている帰路の狭さという境遇さえもし忘れられるなら、ここは確かに東京都内らしい平穏な森と感じられたかもしれない。
ん? なにかある。
出たよ…。
自動車の廃車体だよ…。
しかし、驚くほどに激しい風化だ。
未だかつて、ここまで風化しきった廃車体を見たのは…、ホント数えるほどしかない。
それらとの共通点は、海の近くだと言うことで…。
さっきの廃墟のアルミサッシや、索道搬器のステンレス(らしき)ボルトなど、錆びないアイテムは、これらが“現代のもの”であることを物語っているけれど、このゴムタイヤ以外の全てが溶けてしまったような廃車体からは、全く“現代らしさ”を感じない。
でも、大体は同時期に使われていたものだと思う…。
…それにしても、遂に出たか…。
この“車道に見える道”が、間違いなく車道であったという、証し!
地形は北に向かってやや上り勾配になっていた。
また、進むにつれて、林に入った最初のうちは見られなかった、人為的とも自然に出来たものとも区別の付かない微妙な凹凸が、目立つようになってきた。
林の木々も段々と背が高くなり、普通に樹木が生い茂る森と変わらない。
“ポイント・エックス”は、もう100m以内であるはずだが、建物もあれ以来現れていない。
もしも何も知らずにこの景色を眺めていたら、ここは全く手付かずの神津島の天然の森だとしか思わないかも知れない。
だが、この森には確かに、かつて我々が盛んに往来した痕跡が残っていた。
それはこの写真の中に見えている。
2台目の廃車体…。
しかも、今度の車体は、後輪と思われる二輪がダブルタイヤになっていた。すなわち、それなりに大きなトラックの廃車体である。
4トンクラスの重量車までもが、この山上の道路を走行していたことが、ほぼ確定した。
軽トラくらいならばまだしも、これはさらに想定外だった。これまで確認されている索道を用いたとしても、これほどの重量物は(分解でもしない限り)運べないと思う。
となると、地図には掲載されていないだけで、やはりどこか島内の別の道と、平面で繋がっていたのだろうか?
しかし、どう考えても私が辿ってきた天上山の南側斜面には、この山の上まで登ってこられる道は無かったはず。もし道があったとしたら、それは天上山の北側から大きく回り込んだだろうから、その長さは少なく見積もっても3km以上…。
仮にそんな廃道があったとしても、今回の探索では時間的に全貌を解き明かすことは難しいだろう…。悔しいけれど…。
どうやら、この少し前まで私が歩き、そして2台の廃トラックを相次いで発見した場所は、どちらも道の上では無かったようだ。
車が置かれていたくらいだから、かつては均された土地(あるいは駐車場?)だったのだろうが、今ではすっかり山林と化していて元の姿が想像が難しい。
ともかく、私は激藪に巻かれた辺りから、道をやや東に逸れて歩いていたようだ。
その事に気付いたのは、ここに来て私の北へと向かう進路の左後方から、ほぼ並走する方向に伸びる、見覚えのあるコンクリート鋪装の道が寄り添ってきたのである。
今までよりも堅さを感じる地面に靴の先を擦ってみると、コンクリートの路面が現れた。
これこそが、藪と共に一旦は見失ってしまった、件の車道の続きであろう。
今回は本当に狐につままれたような探索をしている。
この島は一体何なんだと私が呆れるのも、もう無理はなかった。
なにせ、私はこの島に上陸して、即座にこの怪しげな世界に躍り込んでしまった。この島が有人島である事実さえ、自分の目ではまだ確認出来ていなかった。
着々と歩みを進めつつも、進展につれて分からぬ
ことばかりが増えていき、正直言って、悶々としていた。
だが、そんな悶々タイムにも、一応の区切りとなるべく時が訪れる。
前方に、広い空の広がりを予感させる明るさが見えてきた。
三浦港を出発してから、おおよそ2時間15分後のことである。
廃道と道無き道だけを踏み越えて、いま、“目的地”へ到着する。
GPSだけは最後まで私を惑わすこと無く、忠実にこの地を指し示し続けた。
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13:00 《現在地》
建物なんて、ありゃしねぇっ!
思わず盛大にずっこけたポーズを、山上で高笑いしていそうな神々へと、わざと当てつけに見せたい気分にはなったが、
しかし内心では予期していた事だったので、これを冷静に受け止めた。(いま思えば、空中写真を予め見れば、来るまでも無かったのか…笑)
現地は、天上山と砂糠山に挟まれた、この島の山中には珍しい平坦地で、海抜160m前後である。
これだけを聞いても、全く訪れる事が難しい場所とは感じられないだろうが、実際がどうであったかは、
もう皆さまには説明不要であろう。ここは神津島の中でも、陸路で訪れるのが難しい地点の一つである。
ということは、それだけで自動的に、日本中でも訪れるのが面倒な場所の一つに数えられそうだ。
このレポートの冒頭にも書いたと思うが、この場所に建造物を描いていたのは、私が探索した2013年当時に公開されていた(旧)地理院地図であり、これを執筆している2016年に公開されている現行の地理院地図からは、完全に削除されてしまっている。
そして実態としては、おそらく2013年よりもだいぶ前の時点で、地図に描かれているような大規模な建造物は既に姿を消していたと見られる。
最近になって撤去された気配は無いし、また現在進行形で崩れていく廃屋があるというわけでも無かった。
ただし、建物の痕跡はあった。
100m四方もあろうかというコンクリート敷きの広い空き地と、その至る所に散らばった鉄錆の破片。おそらくは金属製の屋根の一部だろう。
だが、主要な部材は撤去されたのか、建物全体を再現するほどの廃材量ではない。ほとんどは更地である。
ちなみに、地理院地図上の表記では、一番大きな建物は南北100m東西60mほどの規模で描かれていた。また、この建物という表現は不正確で、地図記号的には「建物類似の構築物」だ。
これはビニルハウスや厩舎、タンク、あるいは道路上の洞門やスノーシェッドのような、屋根はあるけれど普通の住居やビルでは無いものを表現している。
ここにあったものも当然、上記に挙げたような構造物であったのだろうが、その種類を絞り込む事は出来ない。
また、地図上には大きな「建物類似の構築物」の東側に、普通の建物を示す「独立建物(小)」が二つ並んで描かれていたのだが、これについても撤去されたものか、まるで見あたらなかった。
つまり結論からして、地図に描かれていた建物と断定が出来るものは、一棟も残っていなかった。
広大な更地は全体がコンクリートで地固めされ、大規模な開発の痕跡を伝えていた。
なのであるが、果たしてこの施設が何だったかという正体に繋がりそうなものは、不思議なほど、発見が出来なかった。(やはり人目を憚るようなものを生産していた工場ではなかったかと勘ぐってしまうほどに…)
例えば、この敷地には門柱が見あたらない。故に表札のようなものも無い。さらに敷地内の看板や掲示板、あるいは警告板の1枚も見あたらない。文字情報が皆無である。
せいぜい見つけたのは、敷地の隅で廃車体を発見し、これで山上の廃車体が3台となったくらいである。
もっとも、この狭い山上の世界に3台もの廃車体が残ってしまっていることは、ある示唆を与える。
つまり、これらの廃車体は、単に施設の現役当時に故障して棄てられたのではなく、まだ使える車が、施設の閉業と共に山上世界から離れる事が出来ず、運命を供にしたのではないかという予想。
……もし、この通りだとしたら、本当に悲しい廃車体達だ…。
稜線上とは比べものにならないが、ここは空が開いているために、それなりに風が吹きあたってくる。
やや内陸であるため、海の音もここまでは届かず、何かの音が聞こえたという記憶は無い。鳥の鳴き声くらいは聞いていたと思うが、印象としては、ただただ、ひたすらに
淋しい場所だ。
それ以上の印象は持ちようが無いと感じる。
こんな集落から遠い孤立した山中で営まれねばならない生業とは、一体何だったのだ。観光にも向くとは思えない…。
改めて空き地の中央に立って周囲を見回すと、西には到底登れそうにない天上山の急傾斜があり、北には緩やかなドーム屋根のような小高い丘がある。東と南に山は見えないが、木々に遮られて遠望は全く利かない(その先は海)。
地形的には唯一、西と北の間(すなわち北西)の方角に道があっても不思議ではないと思ったし、事実その方角には直線距離で2km(等高線沿いで3km)離れた所まで、林道が来ているようだ。
だから、そこにトラックが通れるような車道が眠っているのではないかという疑惑を持って、期待半分、怖さ半分で、覗きに向かったのだった。
13:05 《現在地》
が、幸いにして(?)、どうやら北西にも道は通じていなかった。
山際まで行くと、施設跡の土地を取り囲むようにコンクリートブロックを積んだ擁壁があり、その先は遠目に見た以上に急な山の斜面になっていた。
この段差がある限り、その先に道が通じているとは考えにくい。
もっとも、施設跡の周囲は藪が深いことから、四方を虱潰しに探したわけでは無いのであるが、まずもってトラックが通行できるほどの規模の道が、ここから外部へ達していることは無いと判断した(そしてそれは、事実その通りだった)。
トラックも建設資材も皆、陸路以外の何らかの手段でここへ運ばれ、そして一度は生を得たものらしかった。
…いや、もしかしたら、未成施設だったという可能性もあるが…。
色々と残骸はあるのに、明確なものがなさ過ぎて、やっぱり悶々が止まない!
そろそろ諦めて引き返そうと思いながら、更地の外周部よりも少し外側の藪を歩いていると、
ここで再びコンクリート造の小屋を発見した!
果たして、この建物には何か施設のヒントが残っているだろうか…。
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