2012/11/3 5:57 【現在地:清水集落】
また雨か…。
前夜遅くにいつもの駐車場へと辿りつき、車泊をしていた私は、ときおり屋根を激しく打つ雨音を苦々しく聞いていた。
やがて空が明るくなり始め、それと同時に遠路はるばる秋田から“来清”のHAMAMI氏が到着したが、雨は断続的になおも降り続いていた。
実はこの天気は、予報通りだった。
今日の新潟県中越地方の天気予報は曇り時々雨、降水確率は30%と高くはなかったが、天涯の如く雲が集まる上越国境において、この確率で雨を避けることは至難だろうと考えていた。
もっとマシな日を選べなかったの?
今期に合同調査をするためにはこの日しかなかったのだ。
そして、天候の急好転に賭けた一縷の望みが絶たれた今となっては、私とHAMAMI氏には天与の条件を受け入れて、全力で探索に挑むよりなかった。
今回は沢歩きをするとは言え、幸いにしてそれは本当に源流の部分に限られている。
よほどのことが無い限り、水量が多すぎて遡行できないような事は起きないと考えていた。
…こういうのを、希望的観測というのかも知れないが…。
午前5時57分、ほぼ予定時刻通りに清水集落の駐車場を2台の自転車は出発した。
そのときの駐車場には我々2人の姿しかなく、さらに集落を見回しても灯の見える窓はなかった。
誰にも見送られず、清水国道<最終決戦>は開戦した。
6:05 【現在地:一般車両通行止ゲート】
四度、このワイヤーゲートの前に闘志を持って立つ。
一度目と二度目は隣りにくじ氏が居て、やはりMTBに跨っていた。
三度目は番組スタッフ三名にカメラを向けられながら、このゲートをしずしずと越えた。
毎回無事に戻って来れたが、今回もそう願う。
なお、今回HAMAMI氏が乗っている自転車に見覚えがある読者さんもいるかもしれない。
この自転車は私の先代の愛車だ。
度重なる探索の無理が祟って平成23年に不調となり退役、その後は秋田(実家)滞在時の街乗り用になっていたのだが、HAMAMI氏所有の自転車が清水国道に相応しくない(ロードバイク)ということで緊急復活を遂げたのである。ちなみにこの自転車が清水峠に挑むのは、今回が初めてだ。
戦いの場所へ、ゲート・イン!
ぎゃあああ!!!
………
……
…
………最低。
雨だけじゃなく、雪もかよ…。
夜のうちは全然気付かなかったが、上越国境線の山並みには、既に白魔が襲来していた。
昨日の中越地方の天気は雨で、予報だと最低気温9度となっていたのを見た。
ぎりぎり大丈夫だと思っていたのだが、標高1000mを越える山上では降ってしまったか。
強がった。
私は精一杯強がった。
「これはまあ、想定の範囲内だスよ。
雪があると言っても、気温的に氷結まではしていないだろうから、多少歩きにくいと言うだけで、探索続行不能にはならないと思うスよ。
サラッとだと思うスし。」
HAMAMI氏にそう語る私の口元は、微妙に歪んでいたことだろう。
そもそも、生粋の雪国育ちであるHAMAMI氏にこんな事を言うことが、いかに虚しいか…。
HAMAMI氏も行くだけ行こうという態度に変化は無かったが、仕事を一日休んでまで清水峠に来てくれたのに、この状況は誘った人間として正直申し訳なかった。
もし過去に1度でも今回のルートを経験していれば、或いはせめて、本谷の状況についてネットなどで事前情報が得られていたのであれば、この積雪の状況を見て、それだけで進退を結することが出来たのかも知れない。
だが、我々には判断材料がない。
実際に当たって砕けるか、或いは成功させる以外、この積雪を前に「どうするか」という判断は出来なかった。
魔の山の奥へ奥へ、進んで、入っていくしかなかった。
6:28 【現在地:国道分岐地点】
ゲート・インから23分で、清水国道の探索者には象徴的地点である、国道の分岐地点に到達した。
出発から3.2km地点である。
上にさり気なく比較写真を入れたが、実は去年(平成23年8月)の探索時から今回にかけて、清水国道に大きな変化が起きていた。
それは何かと言えば、ゲートからここまでの国道は大半が未舗装であったものが、今回は簡易ながら舗装されていたのである。
この舗装が行なわれた経緯は恐らく、平成23年7月に各地で大きな被害を及ぼした新潟福島集中豪雨からの復旧事業と思われる。
去年の探索では、上の写真ように清水国道は随所で土石流で崩壊・埋没しており、予想外の苦労を強いられた。
よもや放置はあるまいと思っていたが、1年以上たって旧状に復元どころか、パワーアップして復活していたという、今回これまでの展開では唯一の“好発見”だった。
国道はこの分岐を左だが、今回もこれを無視して、右の砂防工事用道路兼登山道を行く。
分岐を過ぎると道はひとしきり下り、登川の河原まで一旦下りる。
そこで支流の東屋沢を洗い越しで越えるという部分は、平成20年の第三次探索(序1回)の通りである。
そういえば、あのときも天気は出発時から霧雨で、パッとしなかった。
しかし、実際に清水国道を探索した翌日は晴天となり、探索には成功したのだった。
今回は、今日このまま清水国道の核心部へ向かうので、ミラクルはおきないだろうなぁ…。
思えば、清水国道の探索で全く晴天のうちに全うできたのは、第一次探索(未レポート化)だけだったな。
それはそうと、この登川の河原沿いの区間は、前回(第四次)の探索時、大量の川石が土砂と共に路上に堆積し、完全に道の姿が消え去っていた。
それが今回はすっかり旧状に復していたのである。
大変な作業だったろう。
6:35 【現在地:登山道分岐地点】
この場所までは、新潟側から清水峠を目指す者のほぼ全員が目にする風景である。
東屋沢を過ぎてすぐのこの登川の河原で、道は再び2本に分れる。
右の道は登山道で、清水峠への最短路である十五里尾根の登山道はもちろん、今回向かおうとしている居坪坂新道の登山道も、本来は右の道を行くのが順路である。
だが、居坪坂新道へのアプローチは、砂防工事用道路のほうが(自転車にとっては)便利である。
これを利用することで、この先の檜倉沢出合まで自転車に乗ったまま進むことが出来るのである。
しかし、この工事用道路を“こちら側から”辿るのは、今回が初めてだった。
第一次探索では自転車で、第二次探索では徒歩で、それぞれ向こう側から通行したことはあったのだが。
しかもこの“初体験”が、予想以上にハードだった。
一回り以上も年上ながら、数多くのマラソン大会と自転車レースに参戦し、
私から“スーパーお父さん”として親しまれているHAMAMI氏は、本当に頼りになるオブローダー。
不慣れなはずのMTBをいとも容易く乗りこなし、この急坂をものともせず前進していった。
だが、
彼が見据える清水の峰々は、あくまでも尊大であった。
我々とて、それなりに百戦錬磨を自負している。
清水峠に関しても、敗北は経験したが、確実に解明を進めてきたつもりである。
しかし、そんな我々を五度も腹中へ通しつつ、
それでも媚びるような素振りは少しも見せていない。
いい加減観念し、晴天の元に全てをさらけ出すかと思ったのだが、そう甘くはないらしい。
これから入り込もうという本谷、いったいどれほどの“守り”で固められているのか。
対岸の雪雲に隠されている謙信尾根(十五里尾根)を切り拓いたと伝説される武将の如く、
我々は清水国道という城塞、その最奥の“天守閣”を切り崩そうと、立ち向かっていくのである。
状況は予断を全く許さなかったが、気分は沈んでおらず、むしろハイテンションだった。
登りが下りに転じる地点、標高940mのピークに到達。
すぐ行く手となる眼下には、本谷と檜倉沢の出合が見下ろされた。
すなわち、
この真っ正面の谷が本谷であり、
我々の進路は、その奥の山壁に求められねばならない。
………。
と言われても、この今日の風景では、我々だけでなく、
皆様も今ひとつ実感が湧かないことと思う。
参考までに、
もしも晴天なれば、このような風景が眼前に広がっているのである。
普通の登山目的ならば、清水峠の意外な遠さに目がいく場面かも知れないが、
我々の進路は、四角い枠の中である。
拡大しよう。
これを撮影した第一次探索の当時は、そう意識して見てはいなかったが、
実はこの位置からも、清水国道と本谷の交叉地点付近。すなわち、
今回の目的地が目視出来る。
さすがに人間の視力では、清水国道のラインまでは判然としないかも知れないが、
視野の中には確実に入っているはずである。
まさしくそこは、“山壁の一角”と見える。
いまいちど、今回の眺め。
……。
奥の方は全く見えないが、とにかく白いのが雲だけでないことは明らか。
今このときも、白いべールの中で着々と積雪を加えているのかも知れないと思うと、
焦りと恐怖と不安で、つい言葉を失いかけた。
とりあえず、アプローチ自体は計画通りに進んでいる。
ピークからわずかに下ると、そこにこの道路の終点である檜倉沢が、
これ以上相応しい表現が無い感じで“横たわって”いたのである。
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