只今、本谷遡行の真っ最中!
氷結した谷に挑んだ2人の運命は、いったい?!
只今、本谷遡行の真っ最中!
氷結した谷に挑んだ2人の運命は、いったい?!
《 9:25 遡行開始から71分経過、650m地点 》
連瀑地帯を樹林帯のトラバースでやり過ごした我々は、白雲と白雪に包まれた本谷の河床へ戻って来た。
帰りが吹雪になった場合も考えて、トラバースの出口に目印を残すことも忘れない。
清水国道、ひいては“清水隧道”の一点を目指す我々の挑戦は、間違いなく“いい線まで行って”いた。
河床に戻って5分後、行く手に小さなナメ滝が現れた(写真左右)。
乗り越えることはさして難しくなかったし、恐らく“いま”でなければ楽しいプチ・シャワークライミングだったと思うわけだが、“いま”は率直にキツい…。
何がキツいって、嫌でも手を濡らしてしまうのがキツかった。
下半身は既にびしょびしょ(あたりまえ)だったが、手袋が湿気る程度でなく完全に水に浸されるのは、雪中探索において今後の大きな負債となった。
それでも、HAMAMI氏は準備の良いことに、ネオプレーンの手袋だったので濡れてもまだ保温性が保たれた。
しかし私はただの手袋だった。
そのため、これ以降私は慢性的な手の悴(かじか)みに、しきり苦痛を訴える羽目になったのである。
トラバースから戻って来たあたりから、積雪の量が半端なくなってきた。
岩の上にうっすら乗っているというレベルではなく、完全にこんもりとなっている。
ただ、今のところまだ雪が積もっているだけで、ガチガチに凍てついている訳ではない。
もし凍り付いてしまったら、我々の沢登り装備で太刀打ちできるのだろうか。
不安になってきた。
(前回、一部の読者さんのコメントにもあったが、積雪にはもうひとつ、今回の探索の根幹を揺るがしかねない“重大な不安材料”があったのだが、このときの我々(少なくとも私)は、不思議とその事には全く考えが巡らなかった…。まるで憑かれたかのように、何の疑いも持たず川上をひたすら目指し続けたのであった。)
《 9:36 遡行開始から82分経過、850m地点 【MAP】/【俯瞰図】 》
来 た …。
視界不良のため、ここまで近付いて初めて見えてきた、久々の谷分れ。
GPSが本当に有り難かった。
ここは、一本松沢の出合である!
遂に大きな一歩を刻んだ感があった。
標高は1200mの大台に乗り、残りはあと140mほどに。
遡行開始の時点からは、高低差で半分を乗り切り、距離の面では実に7割を制覇したことになる。
清水国道との合流予定地点(本谷橋跡)まで、残り550mである!
なお、この一本松沢を直接遡行できれば、わずかな距離で最終目的地である清水隧道(擬定地)西口へ辿り着けるはずだ。
だが、その渓相は一切不明な上、地形図の等高線の密さを見る限り、立ち入るだけ無駄であろうと判断した。
ナル水沢どころではない急傾斜が予測されたし、いまの状態では捻挫程度の軽い負傷でも、命に関わることになる。
事はとにかく慎重を優先し、出戻りによる体力の消耗も出来る限り避けたかった。
じゃぼじゃぼじゃぼじゃぼじゃぼじゃぼじゃぼじゃぼじゃぼじゃぼじゃぼじゃぼじゃぼじゃぼじゃぼじゃぼじゃぼじゃぼ。
写真だけを見ていると、冬の露天風呂を彷彿とするかもしれないが、恐らく気温は零下に近く、沢水も次第に氷結をはじめていた。
幾らネオプレーンを身に付けていても、その下は濡れた全裸である。
立ち止まっていられないほどに寒かった。
これを皆様が読んでいる時点では、地域によっては積雪も珍しくないかも知れない。
だが現地の私、11月3日の私は、ここに至ってなお信じがたい感を持っていた。
この日も山脈の裏側の関東では晴天で、秋の行楽日和らしかったが、上越国境は異世界だった。
…ここでひとつ、実感したことを書く。
このことに気付いただけでも、個人的には、今回来た甲斐があったと思った。
「こんな所に馬車道作って、どうするつもりだったんだ。明治政府は…。」
南国育ちが首脳陣の大半を占めていた当時の政府は、北国の実態をリアルに知らなすぎたのではないか。
冷たさと寒さと疲労が4年越しの目的達成が見えてきた興奮とない交ぜになって、
私は自分でも分かる、妙なハイテンション状態になってきていた。
しかしそれもHAMAMI氏が隣にいる安心感のなせることで、1人ならばここまで来たかどうか。
またこの頃、HAMAMI氏は「ヨッキれんは低体温になるのではないか」と心配していたらしい。
私の全身びしょ濡れになった装備は、端から見ればよほどこの場にそぐわなかったのであろう。
お互い様である。
清水国道は、本谷を取り巻くようにその両岸に存在している。
そのうち比高が小さいのは右岸(向かって左側)だが、それでもまだ比高は100mほど。
視距50mにも満たないこの状況では、谷底から見通す事は出来なかった。
最終目的地 がこの上にあるのだが…、見えなかった。
《 9:49 遡行開始から95分経過、1000m地点 【MAP】/【俯瞰図】 》
時と場所の変化がほとんど感じられない白氷の谷間には強い風が吹き抜けており、それが時には吹雪となって、狭い視界をさらに狭めた。
こんな所で立ち尽くしたら、体温と共に魂まで吹き飛ばされて、小さな樹氷の一つとなり果てそう。
それだけに我々は、意図的に足を休めることなく、ゴーロが続く谷を右に左に蛇行しながら、声を掛け合って歩き通した。
そして再び現れた、谷の落ち合う所。
2本の谷の水量は同等で、やや右の谷が広く明るく誘った。
だが、GPSは左の谷こそ目指すべき本谷であると教えていた。
地形図に本谷の水線が途切れるこの地から先、いよいよ河川勾配は今回遡行行程の最高を極める。
オキイツボ沢出合を少し過ぎた所で、新雪の中に真新しい足跡を見つけた。
それは右岸の険しい斜面からひょんに現れ、谷底の水辺に消えていた。
もちろん、人間の足跡ではなかったが、それなりに大きな獣が少し前ま水飲みに来ていたことは明らかだった。
冬の清水峠の生き物観察とか、NHKでもやらなそうな企画である。
我々はこの探索が無事に終れば温かな毛布が待っているが、この地に生を受けた動植物は、これから半年間もこの雪に耐えねばならぬのである。
全く詮無いこととは知りながら、彼らの行く末を案じた。
そして改めて、ここは人の世界ではないと、そんな実感を持った。
オキイツボ沢出合以来、本谷は一層狭まった。
そして、小刻みな階段状になってきた。
時速500mを切る、鈍足ペースである。
だが、もう遅い!
この本谷勝負、古老の支援を得た我々の勝利だ。
少なくとも、清水国道への到達達成は断言出来るレベルだ。
なんと言っても、見てるのだから。
私は、かつて清水国道を必死に往復しながら、この谷底を目視していた。
そして、急峻ながら歩けそうなゴーロが続いていることを、確認していたのである。
遠からず、清水国道が見え始めることだろう。
それはいったい、どのように見えるのか。
私は楽しみで仕方がなかった。
短いレポートでは今ひとつ伝わらないかも知れないが、過去の探索ではこの本谷核心部、本当に辿り着き難い秘奥であった。
麓側からのアプローチ(第2次探索)では2日がかりでも辿り着けず、峠側からやはり2日をかけて、ようやく目にした(第3次探索)場所だった。
そこがいま、数時間前に清水集落を出たばかりの我々の目前に、見えぬとはいえ確実に隣接しているのである。
この興奮は、言葉では言い尽くせないものがあった。
《 10:11〜10:16 遡行開始から117分経過、1200m地点 【MAP】/【俯瞰図】 》
勝利はほぼ確信していたものの、思うように進んではいけなかった。
激しい風雪による視界不良のなか、吹きだまりで凹凸が不明瞭となったゴーロというのは、人間の歩行にひたすら不向きな場所であったのだ。
しかも、沢靴の底のフェルトには濡れた雪が塊となって大量にこびり付き、その状態で急登攀の谷を進むのは、足へも大変な負担であった。
近頃運動不足であった私などは、左足の甲がさっそく痛んできたのだった。
目に見える1歩1歩が、とにかく重苦しかった。
我々はここで呼吸を整えるべく、谷に入っておそらく最初のまとまった休憩(5分間)を取った。
温かいコーヒーでも口に出来れば言うことなかったが、とりあえず私はパンを、HAMAMI氏はカロリーメイトを口にした。
今回は最低限度の装備しか持ち歩いていない。乾いた着替えなどというものも、車に戻らなければ無いのである。
とにかく、出来るだけ体温を低下させないようにということは意識した。
休憩中の我々の足元を写した一コマ。
もう少し気温が下がれば、谷は完全に氷結するのだろう。
不思議と流れる水が冷たいという感じはなく、むしろ濡れた手先が風に吹かれることの方が苦痛であった。
この画像、まるで「NEXUS」提供番組のスクリーンショットみたいだが、偶然そう見えるだけである(笑)。
HAMAMI氏のブランドネタといえば、古くは「Trekking Dragon」から続く、伝統の内輪ネタだ。
スーパーお父さんHAMAMI氏の軽装な出で立ち。私もほぼ同様の装備であった。
それにしても、彼の出現無くしてはくじ氏の穴を埋める事は出来なかっただろう。
鉄道好きの彼が、清水国道に出張してくれた事へは、感謝してもしきれない。
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ちょっとだけ!ヨッキれんの宣伝。
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再出発して少し進むと、これまでは一枚岩の草付きでとりつく島がなかった右岸の岩壁に、変化が現れた。
灌木帯が見渡す限りに山腹を覆っており、その気になればここを上り下りすることが出来るように見えたのである。
この上には、清水国道があるのだ。
うっすら見えているような気もしたが、まだ確信には届かない。
しかし、あることだけは間違いない。
古老の証言が脳裏をよぎる。
「本谷をどこまでも遡行していくと、やがて左の上手にロウソクのように尖った岩が見えてくる。 その尖った岩を目印によじ登ると、隧道近くの清水国道に出ることが出来る。」
“ロウソクのように尖った岩”に、私は心当たりがあった。
だからこそ、一本松尾根こそが隧道擬定地であると確信に近いものを持っている
そして、本来はこの辺りから見えるのではないだろうか…。
第3次探索で私が“魔王”と呼んだ奇岩こそ、その正体だと考えている。
来たッ!
キターッッ!
左に平場が見える?
いや、それはフェイクである。
一瞬我々も驚いたが、それは天然の地形に過ぎなかった。
ここで真に注目すべきは、谷中に門戸のように立ちはだかる巨大な岩。
特に右側の舞台のような大岩である。
この岩に、私は明確な見覚えがあったのだ。
忘れがたい!
←そうそう、これよ!
まるで橋台みたいな形をしたこの大岩を、私は覚えている。
そして、この写真を撮影した私が立っている場所は、清水国道の路盤に他ならない。
ついに、
やったぞ!!!
これは今回初めて知ったことだが、“橋台みたいな大岩”の下流側には、大岩と地面との間に巨大な隙間が存在した。
そこはまさに風雪をしのぐ天然の“岩谷”であり、もし不測の事態でビバークする羽目になったとき、この空間に辿り着ければ生存率は格段に高まるに違いない。
なにせ、この状況下にあって岩谷の内部の地面は一部乾いていたのである。
そんな天の恵みに感心しつつ、いよいよ運命の瞬間はそこに迫った。
岩谷を出ると、最後の難関。
氷結せる連瀑。
自然と目線は天仰ぎ、その先に…。
↓ まずはリアルな現地の状況を、動画でどうぞ。
このときの情景を、HAMAMI氏は帰宅後にくれたメールで、こんな風に表現してくれた。
これ以上の表現が思いつかないので、そのまま引用させていただく。
「今回の探索で、ずっと前に麓で別れた国道291号と再会できた本谷の渡河地点での喜びは、今までに感じたことのないものでした。道との再会がこれほどうれしいと感じるとは思ってもみませんでした。
また、山肌に見えるその線形も、林鉄のように勾配はゆっくり滑らかなものであり、綺麗で感動ものでした。」
廃道は林鉄専門だったHAMAMI氏を、明治廃道の世界に開眼させてしまったかもしれない。
それほどまで美しく荘厳だった、白銀世界の明治馬車道線形……。
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