チャリ回収成功。
廃道からの生還が約束される「夏焼集落入口」まで、残り800mほどの地点へと私は辿り着いた。
ただし、リュックをボンガ塚沢南の尾根上に置き去りにしているので、この回収を行わねばならない。
脱出は、その後だ。
間もなくスタートから10時間を経過するこの日の探索も、いよいよ最終局面。
願わくば最後まで大きな取りこぼしをせず、少なくとも自分自身には「完全攻略」と言えるだけの達成を果たしたいところだが、いかんせん…
――日が暮れてきた。
チャリ回収成功。
廃道からの生還が約束される「夏焼集落入口」まで、残り800mほどの地点へと私は辿り着いた。
ただし、リュックをボンガ塚沢南の尾根上に置き去りにしているので、この回収を行わねばならない。
脱出は、その後だ。
間もなくスタートから10時間を経過するこの日の探索も、いよいよ最終局面。
願わくば最後まで大きな取りこぼしをせず、少なくとも自分自身には「完全攻略」と言えるだけの達成を果たしたいところだが、いかんせん…
――日が暮れてきた。
2009/1/24 16:54
期待を一身に背負うであろう「最終回」でありながら、今回は言い訳ばかりの回になるかも知れない…。
もう、まともな写真を撮影できる「光量」ではなくなっていたし、それ以前に、チャリ迂回のための大幅な体力消耗によって、これ以上探索を続行をする気力が萎えていた。
私が今したかったことは、さっさとリュックを回収し、大嵐駅のベンチで休みたいということだった。
幸いにして、私はもう十分に今回の探索は成果が上がっていると考えていたし、奢るわけではないが、この先は私でなくても簡単に来られるような場所になりつつあるはずだ。
正確には、そう思うことで妥協への言い訳をしていた。
リュックをあのとき、あの場所に置き去りにしなければ…。
だが、後悔しても始まらない。
それに極力前向きに考えるならば、リュックの置き去りがなければ、県道上の数百メートルを「未踏破」のまま終わった可能性もあった。
まあ、性格上たぶん、そうはしなかったと思うが…。
ともかく、大義名分を持って引き返しに掛かる。無論、チャリは置き去りだ。持っていく理由がない。
なお、写真だとまだ十分に明るく見えると思うが、これは「高感度モード」で撮影している。
かなり色の再現性は悪く、白飛びも激しい。見るに堪えないかも知れないが、許して欲しい。
あと幾ばくもせず、写真自体が撮れない暗さになる。その前の、最後の足掻きだ。
リュック置き去りの尾根からは、約400m県道を進んだ地点に私は登り着いたのだった。
そして、そこから戻る方向に歩き始めて最初に気付いたことは、路面がアスファルトで舗装されていることだった。
…舗装。
15kmぶりくらいの舗装である。
しかも見て分かるとおり、このアスファルトは新しそうだ。
新しそうなのに、それでも9割方落ち葉の下に隠れているし、3割は瓦礫の下だ。
まるっきり廃道だ。
しかもこの舗装。
なんかあんまり、“やる気が無さそう”だったりする…。
撞き固めが不十分なのか路肩のあたりに皺が寄ってるし、その路肩の処理も至って適当。
転び止めもガードレールもなく、そもまま崖に落ちている。
多分、砂利道に厚さ15cmくらいのアスファルトを乗せただけの、簡易舗装と思われる。
しかし、とにもかくにも舗装が復活した。
この事実は大きなものだと言わねばなるまい。
言うまでもなく、それは歩きやすさに繋がっている。
もしかしたら、チャリを持ってきても良かったかも知れない。
この調子ならば、400mは意外にすぐっぽい。
16:58 【現在地:ボンガ塚沢(仮)】
早足で逆方向へと歩き始めて4分後、突如舗装が途絶えた直後であった。
これまで何度も下流を触ってきた「ボンガ塚沢(仮)」の渡河地点に到達した。
予想外に、ひどい有様だった。
谷を渡る大きな暗渠は、半ば以上も路盤をえぐり取られてコンクリートの裸体を晒しているし、それ以前に新たな「谷」が脇に出来てしまい、暗渠はただの廃墟となって遊んでいる。
ここを突破するには、巨岩が散乱する上流側を迂回する必要がある。さしあたって20mほど。
チャリがあれば、大きな負担になっただろう。
“自転車無し”の身軽さを感じながら、矢印のように迂回してこれを突破。
舗装が途絶えた途端にこの崩壊があったのは偶然か必然か分からないが、いったい何を目論んでの舗装だったのかも大きな謎である。
舗装したと言うことはなにがしか目的地があったはずで、その時点ではまだ「全面舗装による県道としての再開」、或いは「発展」が夢みられていたのだろうか。
今さらそれを知っても、仕方のないことではあるが…。
オイオイ…
まさか…?
もう、嫌だよオイ…?
オイ!
おうぁー…
アブねぇー…
あぶねぇかった。
一歩間違えれば、或いは、ここへ来るのがもう10年早かったら、…崩壊直後だったら…
あそこと同程度にヤバイ現場だったと思う。
でも、今なら大丈夫だった。歩けないことはない…。
17:03
逆方向に歩き始めて9分。
見覚えのある風景に到着。
このときの感じた安堵感は、この探索で2番目に大きなものだった。
…ちなみに1番は、チャリを県道に復帰させられた先ほどだ。
あとはここで道を外れて、例の尾根を少し下れば…
17:05
いいい、 イター!
ぽつねんと佇むリュックを見た瞬間、軽く涙が出そうだった。
夕暮れの心細いところだけに、次々と仲間達を救出してゆく展開は、心に染みた。
元を辿れば、全て自分の勝手な判断で置き去りにしたもの達だったが…。
そして…
17:16 《現在地》
パンパカパ〜ン!
チャリとリュックが帰ってきたよ〜。
3人パーティ復活。
あとはもう、脱出するだけ!
生還まで、あともう少っし!!
17:23
なんか、普通の廃道っぽいよー。
舗装されてるし、ガードレールがあって、しかも法面にはコンクリート吹き付け工まで。
夏焼側からは、結構本格的な改修工事が行われていたのだな。
途中でやめたのは予算の都合が、それとも方針が変わったのか、或いはどうにもならぬ崩壊…車が埋まったまま?…が発生したのか。
とにかく、道は急速に現世へ復元しつつあった。
どうやら、湖畔にはまだ見ぬ飯田線旧線の隧道があるらしいことを、薄暗い視界の中に認めざるを得なかった。
しかし、もはやこの暗さでは、崖を下って近づくなど命取り…。
私は葛藤した。
これで良いのか。
確かにこのまま歩いていけば、県道288号の攻略は成るだろう。
それは間もなく達成される。
だが、もう一つの重要な使命…。
飯田線旧線については、大きな取りこぼしを認めながら立ち去ることになるのだ…。
17:29
悩みながらも、進む。
チャリに跨り、へろへろのタイヤ、全く利かないブレーキ、ガクガクの足、これらを押してなお進む。
そして、現れる。
人工の灯り、初めて現れる。
しかも、現れたのは街灯ではなく、隧道の白い照明…。
(なぜか夏焼集落の民家に灯りの灯るものは全くなかった)
やっと、着いた…。
だがその前に、これだ。
当然これがある。
…大嵐側の、通行止めゲート。
廃道の正式な終わり。
これがないはずはなかった。
当然、こちら向きの標示物は一切無い。
ブロック&ガードレールの隙間から、向こう側へ出る。
そして、振り返る!
16:36 【現在地:大嵐側ゲート(夏焼)】
佐久間ダムから、16km地点。
ようやく辿り着いた、大嵐側の通行止めゲート。
ゲートつうか、封鎖。定置封鎖だ。
なんか、雑然とした封鎖地点。廃道の途中のような雰囲気さえある。
並んでいる標識やらガードレールやらが、フラッシュの前では余計汚れて見えるせいだ。
しかし、明るいところで、“ちゃんと”見たい風景だった…。
見たいよ。
明日朝、また出直すか…?
それをやると、当然明日の予定のどこかをオミットする必要が出てくるが、もとよりチャリを通常通りは使えない状況なのだから、計画変更の必要はあった。
今晩のうちに決断しなければ…。
ここまで、回を追うごとに漸減させてきた、「残距離」表示。
ここでは、次のようになる。
大嵐駅起点まで あと1.8km
まだゼロにはなっていない。
そしてこの距離は、大嵐駅までの直線距離にほぼ等しい。
“最終ステージ” の地図は、限りなく単純なのである。
これが最終ステージ。
夏焼〜大嵐間だ。
これまで、小さな橋や暗渠は沢山あったが、隧道は一つもなかった。
尾根を越える場面では、毎度その突端まで出張ってからはじめて切り通しで越えるような、ローテク三昧オンリー。
それがここに来て、嘘みたいな長大隧道&直線形である。
地図だけを見ていてもその謎は解けないが、ここに飯田線の旧線があったと言えば、誰もが気が付くだろう。
すなわち、夏焼〜大嵐間の県道288号は、飯田線旧線の廃止された路盤を転用したものである。
それゆえに、ここで突如「人が変わった」ようになるのだ。
県道288号と飯田線旧線の探索は、ここで初めて一つとなる!
しかし、隧道の“探索”は明日やる。
今日は黙々と通り抜けるだけでいい。
全長1.2km強の長い隧道は、全体が大嵐側に向かって登っているため、余計長いものに感じられた。
特に、大嵐駅発着の電車時刻が分からないので、1分の違いで1時間も2時間も無駄にしてしまうのではないかという焦りがあった。
ヘロフニャなレッグとチャリに鞭打って、一生懸命進んだ。
そしてようやく隧道を出たが、すぐまた次の隧道が現れた。
これまた鉄道用隧道を転用した「夏焼第一隧道」である。
二本目の隧道は短く、あっという間に脱出。
来たよ来たよ〜。
鉄道駅の灯りが見えてきたよ。
旧飯田線を迎えに来た現在の飯田線が来た。
こうなると、大嵐駅は目と鼻の先である。
県道288号の終点…、ではなく「起点」としての「大嵐停車場」は、もうすぐだ!
ああっ、早く待合室の時刻表を見て安心したいッ!
17:45 【現在地:大嵐駅】
やっと着きやがったぞ。
朝一で佐久間駅を出たのに、大嵐に着いてみればすっかり真っ暗。
県道288号、使えねぇ県道だぜ!
ホント、使えねぇ!!
でも…
俺は使ったぞー!!!
以上の勝利宣言を無人の駅舎へと咆吼し、すぐに待合室へと飛び込んだ。
妙に小綺麗なその建物へ。
時刻表!時刻表!
あった、時刻表!
次の電車は…、13分後だ!
スゲー、神タイミング!!
輪行袋にチャリをぶち込んで、それから待合室のベンチにどっぷり腰掛けて勝利の余韻に浸るのには、短くもなく長くもない、最高の時間割!
急いで来て良かった。
この電車をもし逃すと、次は1時間半近くも後だし、その場合は佐久間の商店は全て閉まっていて夕飯を確保できなくなるところだった(マジで)。
17:58
定刻通り、電車は現れた。
無人列車。
3両くらい付いていたと思うが、車掌の他に人影を見なかった。
全ての車両を見ては居ないが。
乗り込む。
動き出す。甲高い走行音。長い長いトンネルが続く。ダムの無いところをゆく。
車掌が来る。佐久間までの切符を買う。
「切符をお預かりしてもよろしいですか?」
買ったそばから切符が手元から無くなる。
下車のときにチェックするの、めんどくさくなったんだな。OKよ。
18:19 佐久間駅下車。
私の丸一日の移動が、ほんの20分で回収されてしまった!
そして駅前駐車場には、私の車が朝の姿のまま待っていた。
これで一日の探索が終了。
明るくなって(7時)から暗くなる(18時)までの、終日の探索を見ていただいた。
もっと日の長い時期を選んでいれば、同じ終日でもまだまだ探索時間は延ばせただろうが、ダム湖の水位が非常に下がっていた「今回」だったからこその、踏破(走破)成功だった。
(なお非公式的にではあるが、今回の水位の減少は「特別」だったという情報もいただいている)
ここで、長かった「県道288号」全線走破レポートの結として、全体を振り返っておきたいと思う。
(並行して進んできた「飯田線旧線」については、翌朝からの探索による「第9回」へと続くのでまだ完結しない)
まず思い出して欲しいのは、「序」で述べた、私をこの廃道へと惹きつけた二つの話題だ。
1.この県道288号の全長17,971m中の8193m区間は、静岡県によって「道路供用廃止の公示」を既に受けており、“正式な廃道”とされている。
2.地元で聞いた話によれば、以前この静岡側の道を走っていたトラックが土砂崩れに遭ったのだが、掘り出すことができなかった。その遺族が県を相手取って訴訟を起こしたため、それ以来県はこの道の管理をやめてしまったという。
探索中、この二つの話題が何か特殊な「景観」をもって私の前に現れてくることを、密かに期待していた。
だが、明らかに「特殊な景観」というものは無かった。
一般的な廃道と同じように「通行止め」になっていて、そこに幾多の崩壊現場が折り重なり、とにかく荒れ果てた道というのが、その「全容」だった。
これを地図で振り返ってみる。
全長18kmの県道の途中に、赤字で示した4箇所のゲート(封鎖地点)が存在していた。
矢印は、その封鎖がどちらの方向を“表”にしていたかを示している。
このうち、最も南側の「↓佐久間ゲート」から「↓山室ゲート」までの8.2kmは、一般車両は通行止めであるものの、ゲートの鍵を持つ一部の自動車は通行していた。
しかし、「↓山室ゲート」から先は廃道になっており、11km地点の「↑立石ゲート」を“出て”も、状況は一向に改善しなかった。
ただしゲートの向きを考えれば、最初に通行止めになった区間というのは、この2.8kmではなかったかと推測される。
廃道の状態は、実に16km地点の「↑夏焼ゲート」まで延々と続き、これによって画された廃道の全長は、「↓山室ゲート」から「↑夏焼ゲート」までの約7.8kmということになる。
そしてこの数字が、正式な廃道区間の延長8193mとかなり近いことに注目したい。
おそらくだが、既に県道ではなくなっている区間は、山室付近から夏焼集落までであろう。
また、地元に詳しいある読者さんから、 「平成13年には一度、全線にわたって軽トラが通行できる状態にまで復旧された」 という情報もお寄せいただいている。
現状の荒廃を踏まえれば信じがたい情報である。ただし、このときも一般車両は通行禁止で、ほとんど通った人はないとのことだ。
また別の読者さんは 「26年前(昭和58年)には既に通行止めだった」 と述べいた。
とにかくこの道、昭和40年に県道指定され、一般に開放された後も大半の期間を「通行止め」で過ごしてきたようだった。
全国屈指の著名廃道として、2020年の現在も毎年多くのオブローダーに挑まれ続けている県道大嵐佐久間線。
この路線の荒廃ぶりを象徴するトピックとして大きな存在感を示しているのが、「全長17971mのうち8193mは、静岡県によって供用廃止を受けている」という事実だ。
一度は県によって供用開始(=開通)手続きを受けた県道の一部が、その路線認定を残したまま供用のみ終了するというのは、現道をこれ以上維持管理をするという意思の薄弱さ、或いは匙投げの意思表示とも思える。
全国に荒廃した県道は数あれど、新道の開通といった代替ルートの開通なくして供用廃止を受けた道はおそらく珍しく、本県道の不遇を象徴していた。
従来、この供用廃止の事実についてはいろいろなところで語られてきたが、いつそれが行われたかについては不明だった。それが今回、読者様からの情報提供により判明したので、ここに追記する。
この件については、平成22(2010)年とその翌年に、二人の読者様から、それぞれ情報をいただいていた。
お一人目は、「The Road Site KAWASAKI」の管理人KAWASAKI氏で、頂戴したメールの一部を抜粋して以下に転載する。
右図は、メールに添付していただいた平成6年3月18日の静岡県公報の一部で、県道大嵐佐久間線の供用を廃止する告示である。
この「供用廃止の区間」の欄を見ると、地名が番地まで細かく書かれているが、地図上で位置を確かめることは出来ない。公示から2週間は図面縦覧の機会があったのだが、期間を過ぎた現在では、道路台帳を閲覧するくらいしか、調べる術はないと思われる。
ただ、地名の一つには「ナツヤキ」とあるから、現在の夏焼集落の外れにある封鎖ゲート(夏焼ゲート)を指しているとみられる。
となると、もう一つの地名は、従来からいわれていた供用廃止済み区間の長さ8193m(といわれてきた)の一端を指しているはずで、これまでの推測通り、夏焼ゲートから実測値7.8km地点に存在する「山室ゲート」を指している可能性が高いだろう。
ちなみに、情報提供時点までにおける本路線に関する供用廃止の告示はこの一度きりで、複数回に分かれて徐々に供用区間が短くなっているということは起こっていない。一度でドカンと中間部分の供用が廃止されたらしい。
このように静岡県の明確な行政行為である供用廃止の年が明確になったことで、静岡県は平成初年代にも、対岸の愛知県側を通る県道1号との間にあった湖岸道路整備競争から手を引き、将来にわたって整備することを放棄する意思を固めた可能性が高いと考えられるようになった。
この決定の背景に、どのような事情があったのか。
KAWASAKI氏が推測されているような大規模崩壊があったのかも含め、さらに調べる必要がありそうだ。
本県道の供用廃止の年について情報を下さったお二人目は、伊豆の国市お住まいの読者cooler氏である。
次の文章は彼から送られてきたメールの一部で、KAWASAKI氏とは一部異なるアプローチがあるので、ご覧頂きたい。
今回の追記の主題から外れるが、彼が撮影データを添付して下さった天竜土木事務所管内図の画像(右図)に、大いに興味を惹かれた。
管内図は、一定地域を管轄する行政者が用いる基礎的な資料で、管内にある管理対象物の位置を明確にして、一覧化することを目的に調製されている。
例えば、道路利用者から「○○橋が崩れている」と報告を受けたとき、道路管理者が点検へ赴くにはこうした管内図が役立つであろうし、そのうえでさらに詳細な資料として道路台帳や橋梁台帳が調製されている。
我々道路趣味者にとっても、各地の道路管理者が調製した管内図はとても役立つので、収集したい意欲を持っているが、積極的に広報・公開されていない場合もあり、見たいという欲求の割りに実際に目にする機会は少なかったりする。
cooler氏が添付して下さった天竜土木事務所管内図の調製年は未確認だが、同事務所は平成19(2007)年に浜松土木事務所天竜支局へ改組されているので、それ以前であることは間違いない。
そして、図中には県道大嵐佐久間線の佐久間ダムから夏焼までの区間が見えているが、その大半が供用中の県道を示す二重実線ではなく、未開通や通行止めを示していると思われる二重破線で描かれていることが分かる。
残念ながら凡例部分の画像がないので、表示の意味がはっきりしないが、平成6年の公示によって未供用になった区間だけでなく、ダムから夏焼までの全線が二重破線であり、当時からこの全区間が(現在と同様に)一般車両通行止めであったことを意味していると思われる。
さらに、氏が書かれているように、区間内に計4本の橋の位置と名前が記入されているのだが……
現地調査で判明した7本の橋の位置や名前と、大きく食い違っている!
未だかつて、管内図がこんな有様なのは初めて見た!
さすがに、現地の橋に取り付けられた銘板にある橋名と一致しないのは、現地が間違っているとは擁護しにくい。
さらには、まるで橋がない位置に描かれた橋があるかと思えば、現地には明確に存在する橋が図面に書かれていないものも多数ある。
これは、県道管理者の当事者でさえ、県道に実存する各種構造物の位置を正確に把握していなかった可能性があることを示唆する、とんでもない図面だった!
確実に一日を要する路程の長さ、命がけを余儀なくされる崩壊現場の存在、魅力的な廃橋の数々、絶海ならぬ絶湖の風景の良さ。
確かに県道288号には、「全国区」と呼ばれるに足る「廃のカリスマ」が備わっていた。
…ごちそうさまでした。