2009/1/24 7:57
銘板の見あたらない“1本目の隧道”であるが、『平成16年度道路施設現況調査』によると、「佐久間4号トンネル」という名称が付されている。
昭和29年竣功、全長246m、幅6.5m、高さ4.5mという緒元は、ダム工事用道路としての出自を色濃く反映したものである。
しかし、現地にも何かしら名前の手掛かりがないかと探しながら隧道へ潜ると、壁に取り付けられた「工事銘板」が目に付いた。
平成17,18年度に補強工事を成された際に取り付けられたものらしく、ここにハッキリと「佐久間第4トンネル」の名前があった。
…だが、以前は別の名前があったようだ。
オブローダーお馴染み『隧道データベース』のネタ元といえば『道路トンネル大鑑』という昭和42年の資料なのだが、この中に静岡県の隧道のひとつとして次の記述がある。
佐久間1隧道 全長248m、車道幅4.5m、高さ4.5m、昭和29年竣功。
以前は1号(“号”は付いていないが)だった隧道が、今は4号になっている不思議である。
鼻をつく埃くささ、脳幹を刺激するナトリウムネオン、地下水に濡れた路面、直線に切られた側壁、路肩や歩道の代わりに側溝の蓋が置かれている自動車偏重主義。
そして、中ほどにまだ温存されていた(コンクリート吹き付けの)素堀区間。
これぞ、高度経済成長期に作られた“電力ダム系トンネル”に共通した表情だ。
今までいくつこういうのを潜ってきただろう。
いい加減飽きても良さそうなものだが、コンクリートの壁に刻まれた矢板の目地が揃ってない(=施工が荒い)時点で、もう萌えてしまう…。
なお、この隧道だけの特徴としては、隧道中央付近の両側壁に大きな凹みがあることだ。
待避所にしては高さが足りず、何か機械を置いていた跡ではないかと思われた。
出口付近は乾いていて、それに続く洞門も新しそうだ。
そして、洞門は次の「佐久間2号隧道」に続いている。
この短い洞門部分(名称不明)は「窓」で、そこから天竜川を見下ろすことが出来る。
名に聞こえし大河天竜は、まるでその面影を失っていた。
そこにあるのは、ほとんど干上がった無音の大峡谷だ。
そして、そんな無能の谷を寂しげに跨ぐ、赤い吊り橋。
吊り橋は「飛竜橋」といい、もとはダムの工事用道路として作られたものだという。
飛竜橋の架設地点はダム下流1200m地点といわれ、谷に水がないのは佐久間湖に注ぐ全水量を発電水路や豊川用水へ回しているからだ。
大雨でも降らない限り、この谷に水が戻ることはないのだという。
なお、現在地と谷底の比高は100mちょうどで、ダム高150mを稼ぎ出すまで県道の登りは続く。
続いて、「佐久間3号トンネル」(4号と同じように工事用銘板で名前を確認可能)。
その緒元は、昭和29年竣功、全長144m、幅6.5m、高さ4.5mというふうに、長さ以外は4号と同じだ。
だが、例によって『道路トンネル大鑑』は異なる名前を教えている。
しかも、それは変な名前だ。
佐久間2,3隧道 全長143m。
…これは、どういう意味なの?
そもそも、どう読むんだろう。 「さくまにぃさんずいどう」?
入洞から50mほどの地点。
側壁に2つのアーチ型の外光取り入れ窓を発見。
つまりこれって、アレだよね。
2隧道連接。
工事用道路として作られた当初には、2号と3号という2本の隧道として掘られたのだろう。
それが一般道路として解放されるどこかの課程で、コンクリートによる補強と連接を受けたのだろう。
奇妙な隧道名の謎は、そのように推理した。
「佐久間3号トンネル」を出ると、そこはもう“ガチな山道”だった。
いかにも崩れやすそうな斜面を跨ぐ新しいカーブ橋は「龍美橋」といい、平成11年の竣功である。
だが、山側には今も旧道の痕跡が残っている(→)。
まあ、敢えて辿りはしなかったが…。
途中に大きな集水函が出来ていて通り抜けできないし…。
先ほどとは別アングルから飛竜橋を覗き込みつつ、大きく庇のように張り出した落石避けの下を潜っていくと、3番目の隧道が現れた。
トンネル前の線形としては下の下と言わざるを得ない、えげつない直角の“入り”だ。
入口の左に旧道があるように見えたので探ってみたが、それは見間違えだった。
オデコ広ッ!
…工事銘板曰く、「佐久間2号トンネル」だ。
全長は259mで、それ以外の緒元は今までの2本と変わらない。
『大鑑』の方では全長261mの「佐久間4隧道」と命名されている。
トンネル前に置かれた「注意書き」(→)。
「トンネル内段差あり」が少し気になる。
にやにや。
うおっ!
過去の2本と較べても、さらにマッチョな雰囲気がイカスぜ!
入ってすぐにゴツゴツし出したし、途中で「カクッ」と勾配が変わっていて出口が見えないのもナイス。
素堀は素堀でも、明治までのいかにも手作業っぽいユルさとは違う、マッシィーンで豪快に掘り進めていった雰囲気だ。
こういう隧道が、とても好きだ。
途中で勾配は変わっても、引き続き登り坂が続く。
工事用道路として作られただけに、“古老”絡みの気の利いた回顧談など無さそうだが、『佐久間ダム(長谷部成美著)』にはこの工事用道路について、「わが国では見たこともないような重土木機械群が走り回る
(ことになる工事用道路は、)トラックが通ればすぐにこわれるような道では向かない
」として、日本一のダム工事に相応しい高規格なものが必要だった背景を述べたうえで、その出来上がった道路については、「幅は6メートル50センチという大幅なもの。要所要所は25センチの厚さで鋪装してある。だからトラックがスピードをゆるめず、すれ違うことが出来る
」としている。
今日の2車線トンネルとしてはいささか窮屈な印象を受ける隧道幅員6.5mは、当時のダンプトラックがすれ違えるサイズとして設計されていたのだ。
そして佐久間に続く他のダムにおいても、おそらくこの設計思想が受け継がれたのだと思う。
トンネルを出ると、洞門に引き継がれる。
ここもかなりの急勾配だ。
ダムまでの隧道は、あと1本。
まだ「日本一」を誇った大堰堤は少しも姿を見せないが、着実に近づいている。
ダムなんて見慣れたものだが、今回はいつになくドキドキしていた。
洞門が一瞬途切れた先に、すぐに次の隧道だ。
いまちょうど、もの凄い音があの穴の中から聞こえ始めたところだ。
これは多分大型車。
ダンプか何かがこっちへ近づいてきている。
なお、この僅かな明かり区間には、反対方向の交通に対して掲げられたいくつもの道路標識が置かれている。
これといい前回見た「愛知県の標識群」といい、本来ならば県境にあるべきものだと思うが、そこがダムの堤上という特殊な場所なので、こうやってそれぞれ別の場所に置かざるを得なかったのだろうかなどと想像してみる。
“轟音の正体”がすぐそこまで近づいていた。
やり過ごしてから、この最後の隧道に入ろうと思う。
工事銘板曰く「佐久間1号トンネル」で、全長は393mと一連の隧道群で最長である。
また、『大鑑』における名前は、「佐久間5,6隧道」という。
やはりこの隧道も、2つを1つに繋げたような作りをしているのだろうか…?
いや、その可能性は低いと思わざるを得ない。
この約400mの隧道は、右図のように真っ直ぐダム堤体へ向かっており、途中に「土被りが薄い」場所は無さそうなのだ。
一体どこでこの隧道を2本に分けることが出来ようか。
しかし、この隧道…
実は
“2本どころではない”変態隧道だったのだ…。
「ダム傍の隧道は要注意」の法則は、ここでも生きた。
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8:11
これを抜ければ佐久間ダム…というより、目指す県道288号の入口だ。
いったいそれはどんな衝撃的な始まり方をしているのか……。
今回は敢えて他の方のレポートを読まず来たので余計にドキドキ出来たと同時に、何か重大な取りこぼしを恐れる臆病さもあった。
そして、そんなはやる気持ちを素通りさせてはくれないのが、この佐久間1号トンネルだった。
まず私の前に現れたのは、まるで“エイのヒレ”のような…
側壁の謎の凹み。
4号にも同じようなものがあったが、写真を見ていただければお分かりの通り、車用の待避所ではないはずだ。
人の待避スペース?
それとも、電気室か何かがあったのだろうか。
両側にあると言うことに何か意味がありそうだが…。
この隧道も途中で勾配がカクンと変化している。
しかし、大半は急な登り坂である。
“エイヒレ”の次に現れたのは、今度こそ間違いなく横穴である。
それも、かなり大きいぞこれは。
なんとこの横穴。
展望台 だという。 (→)
ててて展望台?
隧道ん中だよここ。
実はこれは結構なメジャーネタらしく、知っている人にとっては「何を今さら」だと思うが、
いや。
知りませんから。
展望台はちゃんと今も「展望台」をしているらしく、隧道から真横に入る横穴には照明が灯り、舗装があり、冷たい風が抜けていた。
自転車のまま走るのに何ら支障はないが、天井はかなり低い。
おそらく2m無いくらいで、背の高い人ならば黙って歩いていてもギリギリだと思う。
また、「本坑」が素堀とはいえ吹き付けがされているのに対し、この「横坑」は全くの無普請である。
だから、まるで(鉱山の)観光坑道のような雰囲気だ。
しかも、出口は意外に遠いし…。
車もギリギリ通れるくらいの横坑だったが、出たところは一際狭い。
アスファルト敷きのテラスに、無骨なコンクリート製の展望台が乗っている。
そして、展望台とは言いながら、おそらくダム関連施設とも一体化しているのだろう。
左の陰の所に見える扉は鍵が架かっていて入れないが、下層に降りる地下通路でもありそうな雰囲気だ。
隧道の途中から入るという珍しい展望台の眺めは、果たしていかほどか?
Oh!
Big scale!
…とダムの本場のアメリカ人だったら驚きはしないかも知れないが、確かに完成当時「日本一」を誇っただけはあるデカダムだ。
無骨一辺倒の重力式ダム。
この壁が抑えることの出来る3億トンという水量(満水時)は、この源流にあるあの大きな諏訪湖の水量よりも多いという。
でも、私が本当に見たいのはこれじゃないんだよね。
私が見たいのは、水面だ。
もっと言えば、水位の高さを知りたい。
後ほど飯田線旧線を「何メートル楽しめるか」は、ほとんどその水位にかかっている…。
展望台から見る、ダム左岸のロックウォール!
落差200メートル。
これほどの岩壁が天然のものかと言えばそうではなく、ダムの工事をするために岩盤が裸になるまで機械で掘削した結果である。
残念ながら、この壁でも多くの作業員が尊い命を失っている。
そんな人工的な壁だから、そこには様々な“ダム工事の痕”が刻まれている。(後述)
また驚いたことに、この岩壁の天辺に何か建物が見える。
現地ではダムの管理施設か何かだと思ったが、それが佐久間ダム自慢の観光施設「佐久間電力館」だと知ったのは後々のことだ。
さて、“ダム工事の痕”というのは…。
陰になっていて見えにくいが、写真中央付近に色々見える。
いやん!
穴が沢山ですぅ。
どうして貰いたいんだろう。この穴ども。
いちいち入って確かめたいが、ここからでは手も足も出ナッシング。
そもそも、ここからではそれが本当に穴なのか穴のように見える陰なのか、判断できない。
判断は出来ないが、もしそこへ行くための道があるとしたら、それはあの隧道。
さっきまで走っていたあの隧道の中から分岐しているというふうにしか考えられない。
この絶壁の表面を行き来するのは、限りなく無理そうである。
戻ります。
もと来た穴へ、戻ります。
それにしても、観光地としては驚くほど色気のない展望台だ。
歩道のない隧道を歩いてくる以外にここへ来る術はないのだ。
それだけに、心霊スポットだなどと変な噂が立つのだろう。
まあ実際、人死にと言う意味では沢山死んでいる場所だが…。
それはダム工事だけでなく、川下りの時代にも…かなり。
!
本坑を100mほど進むと、また出た。
やはり、さっき見た崖の穴のどれかは、本当に穴だったようだ。
きっとこれがつながっているのだろう。
立入禁止!
今度の横坑はチェーンで封鎖されている。
しかし、横坑自体はしっかりしている。綺麗に巻き立てられているし。
天井が低いのは相変わらずだが。
それと、思いのほか外が近い。
前の横坑は長さ50m以上はあったが、今度は15mくらいだろうか。
今度のスペースは封鎖されていただけあって、外の光が届くところには草が生えていたりと廃なムードを醸し出している。
手すりがあるところを見ると、ここも当初は展望台だったのだろうか。
しかし、ここもやはり行き止まり。
先ほどの展望台も決して広くはなかったが、今度など3畳分くらいしかないと思われる。
まあいい。
出てみよう。
うん…
まあ…。
さっきとは微妙に違うアングルにはなったが…、ダムマニアでもない限り、…まあね。
いや、見える景色は素晴らしいよ。
この“たたみ三畳分の展望台”は、さっき見付けた「穴1〜3」のうちの「穴3」のようだ。
その証拠に、ここからだと「穴1」と「穴2」が見える。
特に「穴2」については間近に見えて、ともすれば歩いて行けそうな感じがあった(黄色い破線…真似しないように)。
行ってみようか。 行けるだけ。
灌木の茂るステップを頼りに10mほど歩くと、「穴2」のすぐそばに辿り着いた。
そして、この「穴2」が実は穴ではなく、アーチ型に架けられた桟のようなものだったと判明した。
もっとも、この上に道があるのかと言えばそうでもなく、ダム工事中に何らかの足場として築かれたものだと推定される。
そして、命が惜しい私はこれ以上先へ進むのは諦めた。
というか、進みようがなかった。
上の写真を撮るために私が立っていた場所も、明らかに人工的なコンクリートの足場だった。
またそのすぐ下にも、“東屋”のような形をした重厚なコンクリート製の函があった。
各建造物の間の落差は5mとか10mとか普通にあるが、相互を行き来するような通路はない。
まるで、“巨人の国”に入り込んだような気分だった。
(巨“人”というほど人間味は無いが)
マリオくらいの跳躍力を持ったスーパーマンでも無い限り、これ以上は入り込めない。
だから、
見えはすれども、
「穴1」へは辿り着けない。
後で知ったところによると、あの矢印で示した部分にも、昔は行けたそうである。
あそこも別の横坑で行く展望台の一つだったというのだ。 ここからはかなり高低差があり、にわかに信じがたい気がするが…。
ともかくあそこは今、日本有数?の“ 本当に隔絶された場所 ”となっている。(理由は後述する)
本坑に戻った。
勾配が変化するあたりで、隧道の断面が1.5倍くらいに広がっていた。
大断面区間は30mほど続くが、これは待避所なのだろうか。
色々常識で測れない事ばかりある隧道なので、もう素直に直感を信じられない。
しかし、ようやく出口の光が近づいてきた。
ほんと、長さ以上に長い隧道だ。
もう、驚きませんよ…
今度は右に分岐する横坑が現れた。
この横坑もまた外へ通じている。
左は谷側だから分かるにしても、右は山側じゃないかと思われるだろうが、県道288号に繋がっているのは事実だ。
でも、後回し。
あと、実は左にも穴があった。
以前は、あった。
ここは、山岳トンネルとしては日本唯一だったかも知れない、3分枝の洞内分岐だった。
もっとも、左の穴は車道ではなかったらしいので、ちょっと違うか。
コンクリートブロックとモルタルでがっちり密閉された横穴の跡。
以前を知る人によれば、この奥に下り階段があって、やはり外へ通じていたという。
そして外にはやはり展望台があり、また階段の途中に公衆便所があったという情報もある。
しかし、見ての通り塞がれたであろう穴は大小2つある。
小さい方の穴がなんであったのかは、新たな証言を待ちたい。
…察しの良い方はお気づきであろうが、この(大きい方の)横穴が「穴1」に続いていたようだ。
だからお前は後まわしだって!
これを行っちゃったら、「終点」を見る前に県道288号に出ちゃいそうじゃないか。
大部遠いけど、出口の光が見えているし。
でも、さりげなく天井の断面形がレアだなぁ、お前。
ちょっと待ってて。
戻ってくるから。
8:30
やっと “本当の出口” だ。
この隧道、平面図で見ると右のように枝分かれしていて、これだけ見るとまるで鉱山のようだ。
そのうち、谷側に分かれていた3本(うち一本は閉塞)については、いずれも展望台として使われていた時期がある。
しかし、これらはいずれも、展望台のために掘った横穴ではなかったと思われる。
右図は、『佐久間ダム(長谷部成美著)』より転載した、ダム周辺の平面図(イラスト)だ。
図中に破線で示されているのがトンネル部分だが(水路用も混ざっていることに注意)、最後に見た塞がれた横穴は、外の「バンカー線」という部分につながっていたことが分かる。
その傍には「バッチャープラント」や「セメントサイロ」があり、現在は「佐久間電力館」が立っている絶壁頂上に「ケーブルクレーン走行路」が有ったことが分かる。
ここで個別の設備の説明はしないが、何れもダム本体をコンクリートで作っていく課程で使われていた施設である。
他の横穴については図の外になっているが、現状を見る限りにおいて、それぞれ何らかの建設装置がそこにあったと思われる。
『ダム建設史』を紐解けば全て解決すると思うが、今後の課題としておく。
前回の予告に反して、今回もまたダムに辿り着けなかった。
1号トンネルが予想外に“しつこかった”せいだ。
お詫びに、この前日の夕方にダム下へ行った際に撮影した写真をお分けしよう。
そこには、恐ろしいほど巨大な口を開ける「穴1」がはっきりと写っている。
もういっちょ!
廃道とは直接関係ないかも知れないが、
あの穴の存在感はちょっと凄い…
まるで、「第一艦橋」だ。
出来ることなら、いつか入ってみたいなぁ…。
無理っぽいケド。
佐久間ダムは偉大だ。
と、 無理矢理〆!
次回こそ…
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