静岡県道288号 大嵐佐久間線 第3回

公開日 2009.6.23
探索日 2009.1.24


今ようやく佐久間ダムに到着しようとしている。

「県道288号」のレポートとしては、本来ここまでが「序」であった。
だが、敢えてそれに3回も費やしたのは、私にとって「新しい土地」である天竜や佐久間を少しでも深く知りたい(書くためには調べ、調べることで知ることが出来た。もっと言えば、知りたいと思える魅力がこの地にはあった)と思ったからだ。
そして同時に読者の皆様にも、この地域における交通不便な地形的状況を理解していただきたかった。


今回は、早々に重要な事実が2つ判明するはずだ。

ひとつは、県道288号がどのような始まり方をしているのかということ。予想される封鎖の状況についても明らかとなろう。

もうひとつは、ダムの水位だ。
水位が低ければ低いほど、後ほど予定される湖底廃線跡の探索へ期待が持てる。
逆に満水に近ければ廃線についての新発見の類はほぼ絶望となるだろう。

どちらがより緊迫感を持って迎えられたかと言えば、圧倒的に後者である。
封鎖は何とかなっても、水中は如何ともしがたい。



水位の審判 佐久間ダム


2009/1/24 8:32

トンネルを出て50mほどダムサイトに到着した。

地図で見たとおり、県道1号はここでダムの堰堤を渡り対岸の愛知県北設楽郡豊根村へ入る。
一方、渡らずに直進する道が県道288号である。

左折のみ青看が掲げられているが、あまり期待したような景色ではない。

…県道288号は、既に黙殺されている?!




ダムの堤上を車道が通っている例は少なくないが、アーチ式ダムの場合必ず曲線道路となるのに対し、この重力式においてはまさに真一文字。
川下の谷底から数えて150m以上高い位置を、293mもの直線道路が跨いでいるのだ。
単純な橋としてはほとんど見られないだろう高さで渓谷を跨いでいるだけに、見渡せる景色も特別なものがある。
例えば、谷間を飛び回る猛禽の視座を得たのに等しいだろう。

しかし、私は敢えてこの堤上路に足跡を残さなかった。
向こう側に行けば「初!愛知」なのも分かっていたが、ここまでで思いのほか時間をとられていたことと、この後順調に行けば帰りは向こう側からここへ戻ってくる予定であったからだ。

それよりも何よりも、ダムの水位だ!







どき どき








キタ――
!!!

これは低い!!!

 多分だけど…

他のダムと較べても、相当に低い気がする!

 いい方だろう。 OK!OK!
 少なくとも、望まれぬ結果ではない自信がある。


まずは、第一の関門は突破だ。




堰堤側から交差点を臨む。

この地点が「県道288号」全長17.9kmの終点であることは確かだが、残念ながらそれを示すものは何も見あたらない。

廃道になる前はこうではなかったと思うが、当時の姿を私は知らない。

それでは、行こう!

午前8時33分、県道288号 たたかいはじめ!




キター!!

県道288号のヘキサがあるじゃありませんか!

湖面に突き出した2本の巨大な取水塔の前の道に、紛れもなく県道288号のヘキサを発見。
しかも、いーいカンジに色褪せているではないか。
ブルーと言うよりも、水色をしている。

また路面の舗装も、開通以来一度も更新されていなそうなすり減った色合いを見せている。
コンクリート舗装路なので、ダムの築造と同時期に舗装されて、それっきりなのだと思う。
いいぞいいぞ! もっとやれ!!




左に湖面を見下ろしながら150mほど進むと、道が前方で二手に分かれていた。

右へ登っていくのが、前回のレポで度々視界に入った「佐久間電力館」への道である。
県道はここも直進する。

だが、ここにはちょっと素通りできないものがあった。

黄色い矢印の位置に…




フェンスで塞がれた隧道が…。


もっとも、この隧道の行き先は予想が付く。
前回紹介した【ここ】につながっているのだろう。

塞いでいるのは数年前まで簡単なバリケードだったらしいが、今は固定式のフェンスだ。
このことからも、この隧道は完全に廃止されてしまったと見える。

…往かねばなるまい。

回り道だと分かっていても…。




入ったところの側壁に、銘板でも塗り込めたかと思えるようなモルタルの補修痕があった。

この隧道が「佐久間1号トンネル」の一部(支線)なのは間違いないが、固有の名称はあったかは分からない。
各種資料に見る「佐久間1号トンネル」の全長に、この支線の分は入っていないので、おそらく別名があると思うが…。

ちなみに長野県の奈川渡ダムにある「入山隧道」は洞内分岐する支線隧道に「新入山隧道」と名づけているし、埼玉県秩父市の三峯ダムにある同様の「駒ヶ滝隧道」の場合はそれを「アプローチトンネル」と呼んでいる。
このように、別名を与えられるケースは少なくない。




少なくとも、『道路トンネル大鑑』や『平成16年度道路施設現況調査』を見る限り、この隧道が県道288号だった可能性は限りなく低いと思う。

坑口前の交差点の接続線形を見る限り、この支線隧道は「電力館」(ダム管理施設)へアプローチ用に見える。

事実、洞内にはコンクリート舗装がされているものの、自動車が通った轍はほとんど見られない。
幅も本線に較べればいかにも貧弱だ。




さらに進むと、いよいよ素堀に…。

本線側の接続地点から入り込むナトリウムネオンが闇中あまりに鮮やかで、そこに周囲のゴツゴツした壁と相まって、地底のマグマ溜まりを透かし見るような恐ろしさを覚えた。

支線隧道と油断して灯りを持たず入ると、壁に手を摺りながら歩く羽目になるだろう。




素堀と言うことで、僅かだが天井に自然崩落が見られる。
洞床に散乱する瓦礫がその証拠だ(←)。

電球が一つだけぶら下がっていた。(→)
こんな照明で隧道全体を照らせるはずもなく謎だが、後年は(洞内の)展望台へに行くための遊歩道として使われていたのではないかという疑いを深くした。
後で紹介する「駐車場」の位置などを考えても、多分そうだと思う。




本線合流間近。

再び覆工が復活し、断面も一回り大きくなったように見える。
しかし、この辺りは天井からの湧水が激しく、路面は水浸しである。
老朽化が進んでいる証拠だろうか。




やはり固定式のフェンスで塞がれている本線合流地点。

ちょうど本線の向かいに、例の塞がれた展望台(穴1)の入口がある。
このことも、展望台への遊歩道として使うのに好都合だったと思われる。


引き返す。




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廃県道へと、追い越していくもの


「佐久間電源神社」という小さな神社の前を通り過ぎ、桜の老木が並木をなす石垣の道を進む。
当然この桜は植樹したものだろうが、その太さがダム開発の歴史の深さを物語っている。

ここで、見慣れない標識?を発見した。
赤茶けた標識に、「通話可能地点 静岡県防災行政無線」と書かれていた。
静岡県公式サイト』によれば、「防災行政無線は、無線通信による防災情報の伝達・収集手段で、大規模な災害が発生した場合に、 正確・迅速な被害情報の収集と住民への広報等を実施し、的確な防災応急対策を実施するために、最も重要な通信システムです」とのことだ。
また、「静岡県は市町村が整備する同報系無線と移動系無線の整備率は日本一となっています」という。
こういう表示を見るのは初めてだ。




ここで、後ろから1台の軽トラが私を抜いて走り去っていった。
しかも、その荷台に…

  イ、イヌ?!

スラリとした体躯のいかにも猟犬風といったイヌ2頭が、荷台におとなしく載せられたまま、走り去って行くではないか。

 …これはちょっと気が重いかも…。

だって、イヌとのコミュニケーションは苦手なんだよな…。
まさか私を獲物だと思ってはいないだろうが…、でも奴ら、
通り過ぎざまに俺のこと見てたな。  ジットリと…。




8:51 《現在地》

県道終点の交差点から400m。
ここに、駐車場がある。

この駐車場は何かと言えば、佐久間ダムの駐車場である。

桜の古木に囲まれた広大な駐車場に今は一台の車影も見えないが、昭和40〜50年代の佐久間ダムは中部地方を代表する観光地の一つとして、年間30万人を越える観光客を受け入れてきた実績がある。
ダムが観光地として“売れなく”なったのは、平成に入ってからだろうか…。

なお、県道288号は駐車場のまっただ中をカーブしながら横断するという変わった挙動を示すが、そこだけコンクリート舗装なので一目瞭然だ(笑)。



ここから、湖面を遠くまで見通すことが出来そうだ。

上流の状況を確かめてみよう。




見える見える。見えるぞ!

水面上50mほどの急な山腹を波打つように走る、一本のライン。
あれが県道288号に間違いない。

地図と比較すると、おそらくここから1.5km先より3km先くらいまでの範囲と思われる。
この距離では廃道かどうかまで分からないが、とにかくラインが鮮明なのは好材料だろう。
もっとも、目指すゴールはまだ17km以上も先である。


…あと、飯田線はダメだね…。

まだまだ沈んでるみたいだ。





あれれ、妖しいぞ。


駐車場を出ると、舗装の幅が大幅減少。
道幅自体は変わってないが、そのうち1車線分だけ簡易舗装された状況に。
明らかに先細ってます。

そして間もなく、桜並木の終焉と同時にそんな舗装さえ途絶える。

なお、ここで湖畔へ降りる急な砂利道が別れているが、封鎖されている。





未舗装部分は、思いのほか続かなかった。

すぐにアスファルトの舗装路が見えてきたのだ。

だが、見えてきたのはそれだけではなかった。

 鉄の門!

沢山の標識を従えているのがここからも見える。

あれはッ、待望ッ…!!





オイシイ封鎖場面!

これは、オブローダー的に興奮せざるを得ない。

今まで色々な封鎖の場面を見てきたが、これはガチだ。
ここには、「通行止め」を示すもの以外、何一つ無い。

道幅を全て塞ぐ、施錠された鉄製ゲート
その錠を守るように置かれたバリケード
そして「通行止」の標識。

さらに、この封鎖に根拠を与える左側の標識群。
まずは「全面通行止」という直球な文字標識。
付された「落石の恐れがありますので当分の間通れません」もテンプレ通りの文言で、「当分」≒「ずっと」なのも定番。
さらにこれだけでは足りないらしく、耳のように取り付けられた「通行止」の標識と、も一つオマケに「大型貨物自動車等通行止」ときた。

しかもただ厳重なのではなく、この封鎖には歴史を感じる。
標識と標識の柱の風合いが矛盾しているし、「通行止」と「大型貨物自動車等通行止」の標識が並んでいるのも不自然だ。
つまり、最初は「大型貨物自動車通行止」だけが規制されていて、後から歩行者をも含めた全面通行止めに切り替わったのだと考えられる。


そして、さらなる「萌え〜」が、もっと左にある。





たまらん!

この「道路情報板」は、間違いなく「全面通行止」になる以前の表示である。
この先の道を破線で描いているが、そこに付された標識は「大型乗用自動車通行止」と「大型貨物自動車等通行止」の複合であって、歩行者や普通の乗用車などを規制していない。

ここから18kmの区間道路の幅員が狭く落石の危険がありますので 対岸の県道を通行してください 静岡県

という文章は、全ての車両を対象にしているように見える。
つまり大型車以外の迂回通行は公安委員会の規制ではなく、静岡県による「自主規制」だったと思われるのだ。

ここに管理主体である静岡県の本路線に対する並々ならぬ?“自信のなさ”が溢れていると思う。

もちろん、単純に「18kmも腐ってんのかよ!」というスケール感もオイシイ!
18kmって、1枚の標識で済ますには結構な距離だと思うぞ。






いよいよ次回は「封鎖区間」に入る。
いずれはその核心である8.2kmの「公式廃道区間」にも遭遇するだろう。

ここで本格的探索の開始を前に、「県道288号誕生の秘密」に迫ってみたい。

県道でありながら、県に疎まれ、県に見捨てられた不遇の道。
そこにもやはり、世紀の「佐久間ダム」が大きく関わっていた。




右図は、昭和43〜45年頃の地図だと思って見て欲しい。
当時既にダムがあり(佐久間ダム昭和31年竣功)、その両岸に県道が通じていた。

その状況は今と変わらないが、県道288号はまだ封鎖されていなかったし、右岸にあったのが県道1号ではなく県道289号だったという違いがある。

後に廃道となる県道288号のネクストナンバー、県道289号の正式名称は、「長野・愛知・静岡県道289号 天竜富山佐久間停車場線」といった。
つまり、今回の探索で私が辿ってきたルートのうち、佐久間ダムまでは全てこの県道289号だったことになる(意図的にそうした)。

県道289号はダム完成後間もない昭和32年に指定されているが、佐久間湖右岸のルートが実際に開通したのは昭和43年である。(ダム完成当時には未完成だった)
そして全線開通から3年後の昭和46年に県道289号は廃止され、代わりに「長野・愛知・静岡県道1号 飯田富山佐久間線」が指定された。
この県道1号は一般県道よりも格上な主要地方道指定である。(余談だが、3県に跨る県道で路線番号1は全国でもこの路線のみ)

この時点で両岸県道間の上下関係は明確となったが、果たしてそれ以前はどうだったのだろう。
路線番号上では“より若い”288号にも“見込み”があったように思えないだろうか。
事実、距離においては県道288号が大いに優越しているのだ。

両岸の県道にたいした距離の差は無いように見えるかも知れないが、実際に佐久間ダムから大嵐駅までの距離を計ってみると、左岸の県道288号が18kmなのに対し、右岸の県道289号(1号)は23kmもある。この差は決して小さくない。
いくつものトンネルを使っている右岸のルートの方が、遙かに遠回りだったのだ。





最終的な勝利者となった右岸県道289号の歴史を先に紹介したが、我らが主役、県道288号の目覚めは路線番号に反して遅かった。
県道288号の供用開始は昭和40年で(おそらく昭和32年に路線名は決まっていたのだろうが)、それ以前には林道だったのである。

『佐久間町誌下巻』などの断片的な記述を拾うと、県道288号の前身となった林道名は「静岡長野線」という、名前を聞いただけではどこにあるのか見当も付かないような壮大なもので、全長も32kmと県道より遙かに長かった(県道はこの林道の一部「ダム〜大嵐間」を指定したのだと考えられる)。
林道は昭和30年に着工し、43年に完成したという。

つまり、ダム湖の右岸に県道を、左岸に林道を開通させようというのが、当初の「計画」としてあったことが伺える。

さらに調べを進めると、『佐久間ダム(長谷部成美著)』に、その整備の発端にまつわる決定的な記述を発見した。
それはやはり、水没補償がらみであった。
少し長くなるが、面白いので以下に引用する。

個人補償の難航に劣らず難しかったのが公共補償だ。公共補償とは、道路、漁業、いかだ流し、学校、官公庁建物などの補償だが、これらは県とか町村が相手だ。特に県相手は工事に必要な水利権をくれない。この水利権の許可権を楯として迫られて開発会社は四苦八苦した
最大の問題は道路の付け替えだ。普通の概念ならば、水につかる部分の道路だけを補償して、付替えればいいわけだ。だが幸か不幸か、東三河総合開発計画なるものがあり、これに便乗された。特に愛知、静岡、長野の三県にまたがっているので、なお始末が悪い。例えば「静岡県側に湖岸道路を設けるなら、愛知県側にも作れ」という。湖の両岸には要るまいと突放ねるとすぐ「水利権」という。これが逆になればまた同じようなことだ。個人補償とちがって県には力があり、さらに政治力がある。したがってこの補償交渉は押され気味どころではなく、ジリジリ押しまくられた。
『佐久間ダム(長谷部成美著)』より引用。
強調は筆者による。

…やっぱりな。

ダム湖を2県が挟み込むと、こんなにやっかいなのである。
同じく水没した国鉄飯田線の付け替えにおいても、愛知・静岡両県それぞれに計画線を敷いて比較線としたことは【前述】のとおりだが、国鉄相手よりも電源開発相手の方が無理強いをしやすかったのか、或いは鉄道よりは道路は簡単に作れるからか、両県とも道路は譲らなかったらしい。

まあ、気持ちは分かるしね。 自分が県の長だとしても要求しただろう。
でも結局、静岡県側は折角補償で作った道の維持を、完成から十数年くらいで止めるわけだ。



しかも話はこれだけではない。

ダムが出来る前のこの地に、そもそも付け替えるべき道があったのかという話だ。

無かったのである。

飯田線の線路の他は、木樵たちの踏み分け道くらいしか。 

当初県側は、湖岸道路を開発会社がつくれと要求してきた。しかし全く道がなかったところに、開発会社が道路をつくるわけにはいかない。なぜならば、開発会社は電源開発会社であって道路開発会社ではないからだ。「もし道があって、水没するならつくるが、無いところには作れない」と開発会社が頑張った結果、(中略)「応分の負担」をすることで話合いが決まった。
そして道路は右岸に延32km(巾4.5m)左岸に延32km(巾3m)のものを新設することになった。
この湖岸道路は佐久間ダム出現によって消え去る「いかだ流し」の補償の一部とも考えられた。結局分担金は4億円余を出したが、開発会社では「過分の負担金」だといっている。三県には完全にイカレた形だ。これを開発会社もみとめている。だが考えてみれば国が負担しようが、県が負担しようが、開発会社で負担しようが、どっちみち税金だからそんなに違うわけでもない。道路がその地方の発展に寄与することはいいことに違いないが、道路分担金分だけ電気料金にはね返るのは迷惑千万だ。

『佐久間ダム(長谷部成美著)』より引用。
強調は筆者による。




当初から右岸の道、つまり現在の県道1号の方を幅広に設計していたことが明らかとなった。(それでも4.5mなんて中途半端だから未だ“険道”の誹りを免れないわけだが)
一方、左岸の道はあくまで林道として、「それなり」の規格で作られたらしいことも分かる。

いち早く「ダメになった」理由は、この辺あるかも知れない。







水没補償という、強欲な魔物が作らせた、「過剰供給気味県道」。

その廃なる実態は、次回から明らかに。