道路レポート 兵庫県道76号洲本灘賀集線 生石海岸旧道 第4回

所在地 兵庫県洲本市
探索日 2017.12.05
公開日 2024.03.05

 “荊棘の道”すらも、許されない


10:38 《現在地》

立川橋を渡ると道は直ちに登りへ転じ、左手に渡ったばかりの渓谷を見下ろしながら潮風の来たる方へと進んでいく。
橋が意外に良い状態で残されていたことから、ここから始まる後半戦の道はいくらか維持がなされているかもしれないという、そんな淡い期待を少しだけ持った私だったが、坂道の中央にも背の高い樹が普通に生え育っている状況を目の当たりにして、観念に転じた。
むしろ、海へ近づきつつ高度が上がっていくという前半戦の展開の再現に、後半戦でも高い海崖との格闘を強いられることを察したのだった。



10:42 

闊葉樹の向こうから、「世界の果て」という、どれだけ使い古しても私が好きを止められない比喩表現の現場が見えてきた。
私が頼る旧県道は、公正だが慈悲を持たない海という審判者の目前へ、再び引き出されてしまった。
俎上の鯉的ロクデモナイ展開が、すぐにでも襲い掛かってくるやもしれぬ。
立川にて一時的に緩解を許された緊張感が、再び私の心身を支配した。



これは、平和な立川を離れる最後に、振り返って見た眺め。
向こうの山の中腹に見えるのが、現県道と立川水仙郷の施設の一部である。
この場所にある新道と旧道を、同時に撮影が出来るスポットは、おそらくここにしかない。
両者の海との距離感や高度の違いが地図で見る以上に一目瞭然になっており、先に開通した効率的な近道を廃して、遙かに遠い迂回路へと逃亡しなければならなかった、この地の道の“敗北”の面を見た気がした。



早くも、ギリギリ感全開だ!

かつて多くの人や車に頼りにされていただろ道路の幅が、全く無造作に奪われつつある光景だ。

チェンジ後の画像は、危うい縁に立って見下ろした海。
海と道の落差は、早くも前半戦の終盤と変わらない大きさとなっている。
すぐにでも、見慣れた地獄を突きつけてきそうだった。



10:43 《現在地》

そしてまもなく辿り着いた場所が、ちょうど1時間前に決死の形相で「ゲボォーー!」と遠望した、【大きな擁壁】の現場であった。

矢印の位置に茶色っぽい柱が見えるだろう。
その正体は、この道に入ってから初めて見た、転落防止柵の支柱の残骸だった。
支柱が立っている地面は、崩れず残った擁壁の上面であり、本来の道路の路肩であった。



見られたなら、見返してやろうということで、振り返り見る、前半戦最悪の地獄だった大崩壊地。

あの絶壁の縁(チェンジ後の画像の矢印の位置)で「ゲボォーー!!」した時に、高巻きや中途半端な下巻きが選択できず、海まで下降するしかなかったことが納得してもらえる眺めだと思う。
あの場所から、ほぼ真っ直ぐに痩せ尾根を海まで降りる行程は、もう二度と再現したくない。
それをする理由も、全く思いつかないが…。



こんなペロンペロンな転落防止柵では、あまりに頼りなくて笑えてくるな。

こんなんでも、無いよりはマシだろうが…。
なお、今日一般的なガードレールとは全く異なる太さと形の支柱であった。
中空の四角い金属柱に、同じ材質の横板を2枚ばかり渡した形の転落防止柵と思われる。全国的に規格品が採用される以前のオリジナル品の可能性が極めて高い。古き道路風景は、オリジナリティの塊であった。古くなれば古くなるほど、あらゆるものが個性を帯びていくのは、オブローディングが飽きない所以の一つである。



10:46

巨大擁壁健在のお陰で、なんとか海からの出会い頭攻撃は退けた感じだ。
海沿いになると、橋から続いた上り坂が水平路に転じ、前半戦同様に直線的な海岸線を高高度でトラバースしていく。

後半戦に入ったことで、探索ゴールの中津川集落までは残り2kmを切っている。
ただ、前半戦の半分は舗装された真っ当な道だったので、そういう区間が無さそうな後半に越えるべき廃道の長さは、前半の倍くらいあると思う。
あとは、廃道の状態が進むにつれてどんな変化をしていくか…。
二度と波打ち際へ降りることなく進めれば嬉しいが……。



10:49

あ〜〜〜。

また、ダメみたいですね…。

樹木が邪魔をして、崩壊の核心部がまだ見えないが、もしかしたら前半戦最後の大崩壊地に次ぐ規模の崩れかも知れない。かなりヤバそうな予感がする。
とりあえず、道はまもなくシームレスな変化で斜面化しており、そのまま崩壊地に呑み込まれていく模様だ。



10:51 《現在地》

きっつい!!!

この角度と距離は、正面突破は無理! 無謀!

となると、高巻きか、あるいは……出来るだけやりたくない海岸への迂回の二択だが……



10:53

高巻きへの挑戦を開始!

実は未だに崩壊の核心部(最も高く崩れている部分)が目視出来ておらず、どの高さまで崩れているのかが分からない。
そのため、高巻きで越せる可能性に期待して、崩壊地の縁に沿って進み始めたのが現状だ。
灌木が茂っている部分なら歩いていけるだろうという判断で、先の見えない行程に足を踏み入れた。
すぐ先で地面が途絶えているように見えるが、あそこが崩壊地の縁である。



10:55 

この先が、崩壊地の核心部のようだ。

元の道の高さから10mくらいは上ったが、見えてきた崩壊地の上端は、まだまだ遙かに上だった。
だが、目の前の崩壊地には掘り返された大量の倒木が墜落せず残っており、不安定そうではあるが、横断出来そうな地形に見えた。
高巻きをここで切り上げ、この高度で崩壊地を横断することに決めた。

チェンジ後の画像は、横断中に眼下を撮影。
特大の高さに強烈なプレッシャーを感じながらも、慎重に横断を進めた。



10:59

30mほど一木一草も無い崩壊斜面を横断すると、“対岸”に辿り着くことができたが、依然として巨大崩壊地の外縁部であり、極めて荒れた地形である。
特にその“環境の荒れ”を強く感じたのが、自らの境遇を呪うかのように全身を鋭いトゲで固めた数種の樹木たちだった。
私というオブローダーは基本的に素手で樹木を握ることに躊躇が無い。ガシガシ握って手掛かりに使って進むのだが、このトゲの森にはそんな馴れ合いを許す気が全くなかった。むしろ痛みと流血によって私を折り、撤退させんとする害意に満ちていた。



11:01

世界を呪うトゲの森を、身をよじり、頭を下げて、どうにかこうにかやり過ごした。
しかし、この日履いていたズボンは、これが最後の探索となった。気付いたら、パンツを隠せないほどの大穴が股に開いていた。

結局、一連の崩壊地は最初に道を失ったところから150mほど続いたものの、どうにかこうにか突破は出来て、次の“道の跡”を見つけた。
それが次の写真の場面だ。



11:02 《現在地》

道の跡、見えますか?

こう皆さまに問いたい。

道の跡を見えた者だけが進みなさい、とも言いたい。


……私は、進みましょうね……。



探索中、紀伊水道を行き交う巨船の姿を幾度も見た。
陸から見る船の動きは鈍いが、それでも数分すればだいぶ彼方に去っていて、また次の船が現れた。
交通量の多さは、さすが阪神工業地帯の玄関口といったところ。
海はこんなにも交通繁華なのに、それを眺める地上には荊棘の道すらも存在していないギャップに、戦慄する。



これが今から向かおうとしている進行方向。
“矢印の位置”に見えるものの説明は後にするので、先に“枠内”を見て欲しい。

(チェンジ後の画像)
物凄い量のコンクリートの残骸が、海岸に折り重なるように落ちている。
まだ確証は持てないが、道路から墜落した擁壁の残骸ではないかと思う。
なんであっても、ロクでもなさそうな気がする……。もの凄い量だし…。

そして、“矢印の位置”にあったのが……(次画像↓)



ほんの一欠片だけ、残っている!

道と擁壁の、ミニマムセットが!!

しかし、前後に道は、ない……。




 道と擁壁のミニマムセット


2017/12/05 11:05

“道と擁壁のミニマムセット”と、私が勝手に咄嗟に名付けた部分が、数メートル先にある。

そこが次辿るべき“この道の続き”であることは明白だったが、ほんの数メートルを進むことが、相当に恐ろしかった。

容易に迂回できるならば、当然そうしたに違いない恐怖の数メートルであった。

が、ともかく死力を尽くし、何とか遣り果せて、その第一声が次の動画だ(↓)。



11:08

「今のところが怖かった」。

これまでだって怖いところはたくさんあったが、特に怖かったのである。
短い距離ではあったが……というか、短い距離であったからこそ挑んでしまった、とてもとても怖い数メートルであった。
そしてまたこのような立地であれば当然の帰結なのだろうが、身体全体に遮るもの無くぶつかってくる海風が強くなってきたことも述べている。
風は、心をざわつかせる。このような不安定な足場であれば、なおのことだ。
風によって直接身体が押し倒されることはなくても、この心のざわつきは重積するストレスとなって探索者をついばみ続けるうえ、集中力に影響を与えるところも大きく、侮れない悪条件だった。

それはともかく、動画の11秒あたりで見下ろしてる足元の“空間”こそが、“道と擁壁のミニマムセット”である。



たったこれだけ残っていた道。

いろいろな廃道を見てきたが、このシチュエーションは初めて見る。

畳を敷けば、ぎりぎり2枚分くらい? 独り用テントなら張れそうだ。
ただ、足元のほぼ垂直のコンクリート擁壁の落差2mを降りて路面に立ってしまうと、もうここへ戻ってくる術が思いつかない。
擁壁には手掛かりも足掛かりも無いし、もう崖を降りることも出来ず、完全ハマリとなる懸念が現実にあった。 なので、この世にも珍しい2畳の道路は、ここから見下ろすだけで立ち去ることとなった。



可能性はとても低いが、いつか私がここを再び訪れるとしても、もうこの空間は残っていないと思う。
なので、これがこの時点の地球上に残されていた最小クラスの道路断片であったという可能性を記録しておきたい。

私は根本的に、まだ誰も知らないような凄い景色を見たいがために、あまり人が近寄りたがらないような険しい廃道を好んで探索するのであるが、この風景の“発見”は、正に私の意を得た大興奮の成果であった。
だいぶ前に、この道は既に探索の旬を過ぎてしまっていると書いたし、探索の全体的な充実度の面からは間違いなくその通りだと思うが、この際立つ“発見”を成立させたという意味では、特別な価値があったとも思うのだ。

(私の中での)大成果を挙げて、探索継続!



11:12

前記地点で数分間の休憩後、西へ向けて出発したが、当然、直ちに道は杜絶している。
次に道の形跡を見たのは、斜面の一角に欠片程度が残された間知石の石垣で、上も下も平場はなく、ただ斜面の中にそれがあった。
非常に厳しい状況と言わざるを得ないが、斜面全体の傾斜がなんとかトラバースを許すものだったので、足首を捻らないよう最大限注意しながら、長い長いガレ場の横断を続けた。



結局、眼下の海岸線に大量に散乱したこのコンクリート片が何を形作っていたかは、直上の道形がほぼ全壊していたために、判断が出来なかった。
一般的な石垣やコンクリートの面壁ではない、棒状のコンクリート体を多用した道路構造があったのだろうか。散乱しているものの形が棒ばかりだ。
しかし、どんな道路構造なのかが想像できない。現役ならこういうものだというイメージが分かないのである。

……この部分、特に現役当時の風景を見たいものだが……。



11:20

とてもペースは遅いが、弛まず前進し、次第に道があったあたりの傾斜が緩やかになってきた。
道全体が斜面であることは変わりが無いが、左右の路肩と法面が、路面だった部分と区別できる程度にはなってきた。
物好きな獣がいるのか、獣道らしい踏み跡も出て来たので、それを辿ることで足首への負担を減らすこともできた。
陽が出たり曇ったり、世界の色が猫の目のように変化したが、決定的に悪天候になる様子はなく、ボチボチ慣れた。



11:27

さらに状況は改善し、連続して平らな道形が現れるようになった。道としてはこれで普通なのであるが…。
路肩には小さな石垣も点々とよく現れた。
擁壁に石垣とコンクリートのものがあるのは、シンプルに建造時期の新旧なのだろう。
初めは全て石垣だったが、現役のうちに壊されたところはコンクリートで築造したものだろう。そう考えると、石垣が多く残っている場所は、安定して現役を全うしたのだと思う。



11:34〜11:48 《現在地》

立川橋から600m前後進んだ地点にて、穏やかな路面に座り込んで昼飯を食べた。
長めの休憩をとる心の余裕が持てた。
立川橋直後の大崩壊地を離れるにつれて、着実に状況が良くなってきている。
ここ数百メートルに限って言えば、もはや歩き易い長閑な廃道である。
海岸が直線的で道もそれをなぞっているので、路上の眺めも海と沼島で変化に乏しく単調だが、ここまでの心凍らせる緊張を思えば、いまは単調すらも喜びだった。



11:53

久々に、道を完全に呑み込んで寸断させる規模の崩壊地が現れた。
完全に高巻きするには大変で、適当な高さから崩壊斜面そのものの横断を決行したが、これがやはりやってみると恐ろしく、ここまで数度の凶悪な崩壊地で神経が麻痺していた後だからやったようなもので、これが本日一発目なら怖じ気づいていたかも知れぬ。

まあ、とにかくここも突破して……。



12:01

次の道形へ辿り着く。
路肩と法面の両側に綺麗な石垣が残っていたが、(チェンジ後の画像)その出口のところがヒヤヒヤもんで、極めて鋭い崩壊斜面に削られた道には幅が数十センチしか残っていなかった。
両側が立ち入れない石垣に囲まれていた直後だから、ここで道が途切れているとかなり致命的な状況だった。
再訪はまず無いと思うが、いくらでも踏破が難しくなっていくのだろう今後とも。

だがとりあえず、この危機以降、道はまた平穏を取り戻した。
順調に距離を稼いでいく。



12:13

基本的に崩壊が少ない斜面ほど樹木に恵まれている。
久々に鬱蒼とした感じの照葉樹主体の森に入ったので、ますます地形は安泰かと思う。
そんな平穏を読み取ったものか、ここの路上には意表を突く“オトシモノ”があった。

(チェンジ後の画像)
これって、野球のボールだよな?
風でどこか遠くから運ばれてくるようなものでもないし、人の手でここへ持ち運ばれたものなのだろう。
まあ、そそっかしい野球少年が、道の利用者に紛れていても不思議は無いが、これはあまり廃道で見ることのない種類のオトシモノで、仕事道以上に生活の身近な道であったことを感じさせた。

そしてそんな“生活”の気配は、この直後、また違った形で姿を現わしたのだった。



12:16

森に包まれた道のすぐ上に段々の人工地形があり、そこには人為的に持ち込まれたものらしき菜の花の群落と、トタン波板の外装を持つ小屋を見たのである。
急に濃くなった人臭に、ドキッとする。



明らかに小屋の規模は出作りのための農具小屋程度のもので人家とは思えなかったが(そのうえ斜面上方にあったので面倒を感じて近づかなかった)、今日まず人の往来が途絶えたと思われるこの無人海岸地帯に小屋を見たのは意外であった。

とはいえ、一連の旧道の終わりには中津川集落が存在しており、現にそこまで残り1kmを切って500mにも迫ろうとしていたのだから、冷静に考えれば小屋の一つくらい可笑しくないのかもしれないが、最新の地理院地図だとむしろこの先の集落の直前で、旧道は完全に消失――これまで申し訳程度に描かれていた徒歩道さえ失われる――ので、まだ道の状況には予断を許さないと感じていたところでもあった。

果たして、この先、終盤の道はどうなっているのだろう……?
期待と不安が、まぜまぜだぁ。



12:20

道はまた森を出て、この道の景色としては最も典型的である海岸の急な裸地的斜面を飄々とトラバースしていく。
道形は所々斜面化したり、藪化しているが、辿ることは難しくなかった。
このまま、地理院地図から道が完全抹消した区間へ雪崩れ込んでいくのか。どんな変化が待ち受けているのだろう。案外何も変化しない予感もするが(ここまでが十分に悪かったから…)。



12:21 《現在地》

ん?

前方の草陰に、何か白いものが見える?!

なんか、猛烈に見覚えがある形である気がするが(ガードレールっぽくね?)、しかしそれはこれまでの道の展開には相当似つかわしくないもので……んーー?!



?!



!!!

これまでの展開には似つかわしくない大型橋だぁー!!






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