2020/8/18 8:33 《現在地》
それでは、高架バイパス最後の生存者となった右車線のランプウェイを実走し、バイパスの終点を目指そう。
もうここからは自転車を漕ぐ必要もなく、ブレーキ操作だけで終点まで行けそうだ。
!おっと、ストップストップ!
(←)これを撮らなきゃ勿体ない。
本線高架の断面だ。
桁の上にいるときにはあまり感じなかったが、こうして外から見ると、桁全体に大きなバンク角が付いていることが分かる。
車両が高速で通過する高架のカーブだから、遠心力に抵抗する傾斜が付けられているのだ。だが今のところ、この傾斜はほとんど宝の持ち腐れ…。
緩やかに右へカーブしたランプウェイの先に、大きな青看が見えてきた。
地面に下りると同時に、大きな交差点になっている。
その交差点こそ、東港線バイパス全長1180mの終点、万国橋(ばんこくばし)交差点である。
この交差点へ入るところで、高架の始まり以来、中央分離帯などに隔てられてずっと“別居”してきた元・左車線と久々に顔を合わせる。
一足先に高架から下りていた元・左車線は、右車線より一つだけ多く【交差点】を経験したが、距離としてはほとんど変わらず、いま仲良く並んでゴールしようとしている。
そしてこの万国橋交差点では、東港線バイパスを支線としている大元の道、都市計画道路東港線の本線とも出会う。ゆえにここがバイパスの終点なのだ。
万国橋交差点は4方向に道が分かれる変則四差路(東港線バイパスの各車線を分けて数えれば五差路)だが、落ち合う道のうち3本までは国道113号であり、それすなわち東港線である。残る1本は、県道464号新潟港沼垂線だ。
2020/8/18 8:34 《現在地》
画像を見て、それから、チェンジ後の画像も見て欲しい。
私の伝えたいこと、全部このチェンジ後の画像に入っている。(だからごちゃごちゃしててゴメン)
今回の東港線バイパス、未成道であるということが最大の特徴だが、もう一つの大きな特徴が、本来は上下線として利用されるはずの道路を改造して、行き先が異なる2本の上り線の並列として一方通行運用を行っていることにあった。この運用自体、構造物として未成であるものを最大限に有効活用しようとして編み出された苦肉の策と思えるものだが、この特殊な一方通行路の果てがどうなったかの答えが、この交差点にある。
答えとしては、バイパスの入口で左車線を選んだ車は、この万国橋交差点を左折および直進ができる。
バイパスの入口で右車線を選んだ車は、直進だけが出来る。
そして、そもそもバイパスに入らず東港線の現道を走ってきた車も、左折および直進ができる。
まとめると、バイパスの右車線を選んだ車だけが、左折を禁じられる。左右の車線の違いは、ほとんどそれだけである。
万国橋交差点へ進入する際に見る信号機が、バイパスの左右の車線で異なる表示を出したりもしていない。
したがって、バイパスの入口にあった青看の選択は、実はそんなに絶対的なものではなかった。
それでも敢えて左右の車線で重複なく別の目的地を案内している理由は、各車線の通行量を適度に分散させて、渋滞を回避したいという思惑からだろう。
だから、あなたがもし行く先の選択肢を先に狭めるのが嫌なら、バイパスを使うのを止めるか、使うにしても左車線を選んでおけば良いことになる。
これが、東港線バイパスの最も簡潔な攻略法である。
右の画像は、万国橋交差点の最近の航空写真だ。
ピンクの矢印は一方通行路を現わしている。
変則四差路である交差点における東港線バイパスの位置は、この画像が分かり易い。
この写真は、交差点側から見た東港線バイパスの出口だ。
完全に一方通行路となっており、こちら側からバイパスへ進入することは出来ない。
2本の1本通行路が、横に並んで同じ交差点へ入ってきている光景は、他で見た記憶がない。
以上をもって、東港線バイパスとして現在供用されている道路の全区間を、自転車で辿り終えた。
このあとは、路上を辿るだけでは気付かないプラスαの要素を、いくつか紹介したい。
これは、万国橋交差点へ向かっていく、県道464号新潟港沼垂線の道路風景だ。
奥の突き当たりが万国橋交差点である。
万国橋交差点に接続する唯一の県道(他は全部国道113号)で、路線番号もずいぶんと若いから、格が落ちる道路と思われるかも知れないが、実態は異なっている。
見ての通り片側3車線を誇る堂々たる大路である。しかも立派なのは外見だけではなく、市内の南北方向における幹線道路として最大の交通量を誇っている。ただし市民にとっては、県道名ではなく栗の木バイパスという通称の方が通りが良いだろう。
栗の木バイパスは、東西方向の幹線である新潟バイパスの紫竹山JCTと、中心市街地を最短で結ぶ約3kmの街路であり、大部分が国道7号に指定されているが、末端900mほどが県道464号になっているのだ。
栗の木バイパスと、東港線バイパス。
同じくバイパスという冠を被った隣接する道路であり、その歴史的な関わりの有無は大いに興味深いところであるが、とりあえず現状における関わりは特段深いものではない。この方向からは進入が出来ないので当然ではあるが、青看にも東港線バイパスは全く出てこない。
ところで、先ほどから周囲をウロウロしているこの万国橋交差点には、ちょっとした“旧道”の要素がある。
この写真は交差点の角から海側を撮影したものだが、お気づきになっただろうか。
古ぼけた橋の一部が写っていることに。
万国橋交差点。
その名前の由来となった万国橋の名残が、この片側だけの高欄である。
太く大きな親柱と、鉄格子を飾り窓風に配置したオシャレな高欄、そしてアスファルトではなくコンクリート舗装が敷き詰められた床板など、古い橋を物語っている。
しかし、橋としての保存状況は気の毒なものだ。もはや橋として認められていないことを物語るように、銘板は乱暴に取り外され、実際のところも橋ではなくなっている。
新潟市内には、この東港線を辿った先に【萬(万)代橋】という、市民なら全員が知っている、たいそう有名で愛されている名橋がある。
こちら一字違いの万国橋、交通量なら負けていないが、橋としての扱いは雲泥だ。
万国橋が橋として存在したのは、航空写真を見る限り、昭和40年代までだ。
右図は、平成21年と昭和37年の航空写真の比較だ。
昭和37年当時、ここには確かに川を渡る幅広の立派な橋が架かっていた。
名前はいうまでもなく万国橋。
しかし、この数年後には、橋より上流側の川が埋め立てられて地上から姿を消す。
橋はもちろん不要になった。そして姿を消した川の名前は、栗ノ木川。
そうだ。市内屈指の交通量を捌き続けている栗ノ木バイパスは、この栗ノ木川を埋め立てて作られた道路である。
海側から交差点を見ると、万国橋の高欄が、栗ノ木バイパスの位置にあった川に架かる橋のものだったことがよく分かる。
以上の栗ノ木バイパスの誕生に関するエピソードは、長くお住まいの市民なら多くがご存知のことかと思うが、実は東港線バイパスの出自とも無関係ではないことが後の机上調査で判明している。キーワードは、川の埋め立てである。
“ジャンプ台”と呼ばれている未成高架道路の締め括りは、この場所から始めよう。
今いる場所は栗ノ木バイパスの路上だが、6車線道路を挟んだ東側に、“とある路地”の入口を見ている。
この路地は、現時点において東港線高架バイパスと直接の関わりがある証拠はない。
しかし、先ほどバイパス上の分岐準備用の切り欠きから【このように】開けて見えた空間の反対側が、ここなのだ。
分岐した高架道路の一方がここまで延びてきて、立体的に栗ノ木バイパスと接続する計画が存在したのではないか。そのような疑いを持つのに充分な空間だと思うが、具体的な計画の痕跡などの手掛かりを求めて、最後にこの路地を探索したい。
これは栗ノ木バイパスと問題の路地の分岐地点で撮影した全天球画像だ。
極めて交通量が多い6車線道路のせいで思うような位置から引きの撮影が出来なかったので、お手数だが、この画像をグリグリする一手間を許されたい。
で、グリグリしてもらうと何が見えるかというと…、自動車は通行できない歩行者専用の狭い路地がある。
ただ、空間自体はもう少し広い。高架橋を置けるほどではないが、1車線の車道分くらいは十分ある広さだ。にもかかわらず、敢えて車が通り抜けられないように作ってある。
そして、ほんの少しだけ路地の奥へ入ると、すぐにちゃんとした車道になっていて、沿道にある住宅の出入りに使われている。
(これら2枚の写真はいずれも栗ノ木バイパス方向を振り返って撮影したもの)
今度は、上の写真を撮影したのとほぼ同じ地点から進行方向、すなわち東港線バイパスの方向をズームレンズで撮影した。
奥に僅かだが高架橋の断面が写っている。
こうして見通してみると、地図上では素直な直線の1本道として描かれている路地が、実際は通り抜けを前提としていない道ということが分かるだろう。
そして、空間を持て余し気味だ。道路と並んで緑地が続いているのが、持て余した空間の使い道である。
今は1車線の生活道路があるだけだが、空間を激しく持て余している。
その持て余した空間が、道路に沿った緑地になっている。
都市計画道路の予定地で、よく見る光景じゃないか。
やっぱりここは、大規模な未成計画に絡む道路予定地に見える。
立地的にも、東港線との関わりはもはや確実と見ても良さそうだ。
ただ、具体的な痕跡といわれると、特には見当らなかった。橋脚の1本でも立っていたら嬉しかったんだけどね。(←はた迷惑な希望)
なお、「にいがたeマップ」の市道地図を見ると、いま私が辿っているこの路地の最初から最後までが、1本の市道として認定されていることが分かった。路線名は市道「南1-128号線」である。
その一方、この空間は現在、いかなる都市計画道路の予定地にもなっていないことも分かった。過去の計画についてはさておき、現在この空間に高架が導入されるような都市計画はないのである。
……しかし、そうだとしても……↓↓
高架橋がこうやって延びてくる姿が、脳裏に浮かんで離れない!
つうか、キテるなこの眺め!!
これが新潟“裏”の道路名物、噂のジャンプ台!
下から見上げる方が、やっぱり迫力があるな。
栗ノ木バイパスに始まった市道南1-128号線は、最後はここ、東港線バイパスと市道南1-53号線が平面交差する交差点で終わる。
(高架側から見た【景色】)
起点側もそうだったが、終点側も車が通り抜けられない道幅に狭められており、歩行者や自転車だけが通れるようになっている。
したがって市道南1-128号線を自動車で利用するには、途中に繋がっていた別の市道を経由する必要があるが、その道は地元生活者しか知らないであろう。
壮大な計画の残滓が、低利用の道路として残っているのだと思った。
右図は、現在の航空写真にみる市道南1-128号線の状況だ。
本線高架の一端が、この市道上に導かれ、栗ノ木バイパスと繋がっていくイメージが鮮明に得られると思う。
しかし、出来ればイメージするだけで終わらせたくはない。
そういう計画があったことを、証明したいのである。
それに、東港線について調べると必ず名前が出てくる、“みなと大橋”という、かつての構想道路との関連もまだ見えてきていない。
その橋の予定地がどこであったかも、現地調査からはイメージが持てなかった。(皆様はどこだと思いますか?)
東港線高架バイパスの当初計画図面を探し出したい。
しかし、もちろんそんなものが現地に置いてあるはずはないから、これが机上調査の仕事となろう。
最後は、ジャンプ台の眺めを堪能しよう。
東港線バイパスを下から眺められる場所は、(今回紹介していないものも含めて)沿道に沢山あるのだが、
それらを全て見た私の感想として、ここから見上げるのが一番格好いい!
いやそもそも未成道が格好いいのかという人もいるかも知れないが、かっこいい!(断定)
ここから見上げると、断面がガクンッ!ガクンッ!と2段階に狭くなっていくのが、いいんだよな。
ただの一本道ではなく、ジャンクションが切断されてしまっているような、強烈なインパクトがある。
あと、この高架自体があまり高くなく、下の道路に覆い被さるような圧迫感があるのも迫力満点。
高架橋の鋼鉄製の桁に、橋梁銘板が取り付けられているのを見つけたので、ズームレンズで拡大して読んでみた。
1973年3月
新 潟 県
道示(1972)一等橋
使用鋼材 [略]
製作 日本鋼管株式会社
昭和48(1973)年3月架設は、開通が昭和49年とされているので、納得の時期だ。
この桁が架けられて40年を優に経過している。このままでは、次の桁が乗ってくる前に、いろいろな耐用年数が終わってしまいかねない。
見事な高架のぶつ切り風景。
たまらない。
カーブの途中で強いバンクがかかっているのも、格好いいね!
で、高架の下の空間だが、未舗装の駐車スペースとして利用されている。
しかも行政公認の駐車場であるらしく、2020年の探索時には、橋脚に次の画像のような張り紙がしてあるのを見つけた。
「113号高架橋の点検に伴う、点検時の車移動の協力依頼」という張り紙である。
日頃より新潟市の道路行政につきまして、皆様方より御理解と御協力を戴き厚くお礼申し上げます。
この度、高架橋の維持管理のため、定期点検を実施いたします。
つきましては、下図のとおり各箇所ごとに点検を行いますので、点検箇所に駐車されている車両は点検日当日の作業開始時間までに移動をお願いします。
新潟市土木部東部地域土木事務所
高架橋には、架設当初はなかったはずの落橋防止ケーブルも追加されているし、ちゃんと国道113号の一部として、メンテナンスが続けられているようである。
なお、この張り紙により、橋の現在の管理者が新潟市土木部であることが分かる。
橋桁の塗装がだいぶ痛んでいるこの写真は2012年探索時のもので、塗装の更新もときおり行われているようだ。
現在、高架橋の下は砂利敷きの駐車場として利用されている部分が多いのだが、もしかしたら以前は行政の公認ではなかったか、あるいは今でも部分的には公認でないのかも知れない。
所々に、高架橋下への駐車を禁止する内容の看板が立てられていた。
そして看板の名義は、「道路管理者 新潟県新潟土木事務所」となっていた。
実はこの高架橋の管理者は、平成19(2007)年に新潟県から新潟市に変わっている。
これは同年に新潟市が政令指定都市に移行したためである。
都市計画道路である東港線は、もともと新潟市の都市計画に組み込まれている存在だが、東港線の一部は国道113号に指定されており、その道路管理者は新潟県であった。しかし政令市移行によって、新潟市内の国道113号(単独区間)の管理者も新潟市になった。
このような管理者の変化が直ちに未成状況の解消に結びついていないのは現状より明らかだが、今後の状況に変化をもたらすきっかけにはなるのかも知れない。
以上、現場のヨッキれんがお伝えしました。
ここからは、デスクのヨッキれんにバトンを渡します。
なお、引き続き皆様からの、東港線バイパス経験談を募集しています。
特に、「以前はこのように使われていた」というような情報があれば、教えて下さい。
お読みいただきありがとうございます。 | |
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口 | |
このレポートの最終回ないし最新回の 【トップページに戻る】 |
|