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2021/4/23 14:41 《現在地》/海抜590m
いや〜〜、凄いぞこれは……。
多分、みんなが思っている以上に凄い。
今いる道から見上げた、絶壁の上に! 石垣が見えた。
そして地理院地図を確かめると、地図に描かれている道は、むしろあっちのようである。
であるならば、今いる道はなんなんだということになる。 なんなんだ?
石垣の正体が気になるが、とても登っていける崖ではない。
いまはまだ、“ケン”に徹するしかないと判断した。
見上げた石垣。
間違いなく、あの上にも道があると思う。
今いる場所より15mくらい高いと思うが、問題は高さ以上に、両者を隔てる崖の険しさだ。
14:42
頭上に魂を持って行かれつつも、急に“地図から消えた”状態になった足元の道の行方も、大いに気になるので、前進を再開。
造林地と岩場の境目のようなところを、ほぼトラバースに近い緩やかな登りで西へ進んでいる。
前方が明るい感じなのは、西が下流方向だからだ。谷が開けている方向へ進んでいる。
14:43
前方、明るく開けた尾根がある感じがする。
この傾斜なら、さっき見た上段の道へもアプローチができそうだ。
あるいは、わざわざそんなことをしなくても……
キテルキテル!!!
この瞬間、私の中で、この道と上段の道が一つになった!
上段の道の正体はおそらく、この道が九十九折りを描いて上っている続きだ!
たぶんこれは、地形図の方が間違っている。 (ワタシ間違ってない)
14:45
だが、上段の道もすぐには下りて来ない。
この道も、上段の道も、勾配がとても抑制的だ。
トラバースすることに主力を注いでいる感じがする。なかなか近づかない。
とはいえ、道の状況は悪くないというか、むしろイイ。
歩いていて、とても気持ちがイイのである。
いわゆる近代車道の廃道としては、理想的な保存状態といってイイ!
こんな道なら、上段が降りてくるタイミングを待つことに、ストレスはなかった。
この写真の明るい尾根を巻き取るようなカーブを、まわると――
14:46
大規模な石垣が現れた!
このタイミングでこんな場所に現れる石垣の正体は、もちろん――
切り返しのインコーナー擁壁!
この場所は、施工にも特に気合いが入っている感じがする。道幅も広い。
ここだけを切り取って、ガードレールを付け足したら、自動車世代の道と見分けがつかないかも。
というか実際のところ、この道は近代と現代の中間くらいの時代に生まれたのかもしれない。
例えばこの立派な石垣も、【よく見ると】
目地をモルタルで埋めてある練積みの擁壁である。空積みの石垣より遙かに現代的な構造物だ。
これは、ヘアピンカーブではない。
先端のインコーナーにわずかな膨らみとてなく、上と下の道が石垣という線で区切られている。
これを言い表すならば、ヘアピンよりは、櫛の歯が近いだろう。
櫛カーブ。なんだそりゃである。
しかし、よく見ると擁壁は凝った作りになっている。
水平の位置に犬走りがあって、その上下に石垣が分かれているのである。
おかげで、視覚的に勾配がよく分かる。写真だけでこんなにも勾配が分かりやすいカーブは無い。
このカーブも、決して緩やかではない斜面に、ほとんど無理矢理の感じで据え付けられている。
スペースを確保するために、岩肌が大きく削り取られているのである。
もしここにヘアピンカーブを置こうとしたら、空中へ膨らむための桟橋か、あるいは深い切り通しが必要になるだろう。
その削られた岩盤に、「↙284」という文字がペンキで描かれていた。
これも国有林関係の見出し標だろうか。
矢印の先には、特に何もない。
何もないが、来見野川の峡谷が見下ろされた。(チェンジ後の画像)
ちょうど写真中央辺りが諸鹿集落のある場所で、その右手前のスギが鬱蒼としている尾根が、中国自然歩道が諸鹿と広留野を行き来している所だ。
視界の中に自分よりも高い領域があまりない。
既に広留野の台地と近い高度まで上がってきたことを窺わせる、標高600mの眺めであった。
14:50 《現在地》/海抜600m
ひとしきり眺めを堪能してから、いざ切り返して次段の道へ。
進路を反転し、来た方向へ戻っていくのであるから、当然この先には新たな切り返しが現れるのだろう。
14:51
現状が廃道であることは疑いないが、本来はしっかりとした道であったということが。作りの節々から感じられる。
「昔、オート三輪が通っていたんだよ」なんてことをもし聞かされても、普通に納得出来ると思う。
現在の県道若桜湯村温泉における、3ヶ所も途切れているという“体たらくぶり”は、現代限定のものなのかも知れない。
昔はもっと重要な役割を担っていたか、あるいは担うことを期待されていたか。
……しかし、期待されていた“可能性”なんてことをいうのであれば、現在の途切れている未成道だって開通したら立派な道であるから、期待自体は時代を問わずにちょくちょくされる立地であったのかも知れない。
しかしあと一歩が届かない、そういう不運、あるいは悪癖ある道という可能性も。
14:54
当然、さっき歩いた道が下に見えるようになった。
この先が、ほとんど崖に近い傾斜を持つ岩の斜面である。(←それを崖というのでは)
そして、私は今、先ほどまで“上段”と呼んでいた道にいるわけだが、現在の“自認”は、上段ではなく中段だ。
この上に、さらにもう一段の道“上段”があると踏んでいる。
上もご覧のように険しい岩だらけの斜面であるが、よく目を凝らして見ると……
案の定、石垣に護られた道が!
九十九折りがあったくらいで普段は驚かないが、今回は驚くぞ。
驚く理由は二つある。
こんな急斜面を九十九折りで登ろうと考えたのが、まず驚き。
岩場に九十九折りを造るのは、結構な禁じ手だ。
なぜなら、同じ斜面の上と下を切ることで、劇的に崩れやすくなるから。
そのうえ、一箇所が崩れると複数段が巻き込まれるリスクがある。
そうでなくても、通行人が発生させた落石で死人が出る畏れがある。
だから普通は避けようとするものだ。
しかしその一方で、ここでは回避不可能な障害だったのだろうと理解もする。
谷底の諸鹿から、熔岩台地上の広留野に登ろうとすると、【屏風岩】
の連なりをどこかで越えねばならないからだ。
現実的な迂回量で車道の勾配を保ったまま突破出来そうな地形が、多分ここしかなかったのだ。
これはそういう妥当性を感じる、禁じ手の岩場九十九折りだった。
もう一つの驚きは、最新の地理院地図が平然と誤りを描いていたことだ。
おそらくこれは航空写真を元に地形図を起こす段階での単純な誤りだと思う。
それも、地理院地図の前身である地形図時代からの誤りである。
崖に折り重なる九十九折りは、空中写真だと各段が近くなりすぎて正確に読み取れなかったのではないだろうか。
そして、この道がメジャーであればすぐに誤りが指摘されたと思うが、そうならなかったのは通行量が絶望的に少ないからだろう。
この地形図の誤表記のために、想定よりも600mほど道のりが長くなったし、予測を覆されて楽しかった。
14:58
流石にここは道幅が狭い! 2mあるかどうかだ。
これでも石垣によって少し道幅が広げられているから、この地形で出来る限界ギリギリの拡幅ということになろう。頑張ってる!
ほんと、九十九折りで行ったり来たりしている最中とは思えない地形なのだ。
うっかり落とした小石が下段の通行人にとって命取りになることが容易に想像できる。
15:01
傾斜がきつい斜面では、切り返しようがないのである。
そのため、行く手となる上段の道を視認してからも、なかなか切り返しに至らず、ほぼ水平のトラバースが続いた。
そうして結局この中段には10分以上も滞在し、やっとか前方に切り返せそうな傾斜の斜面が現れると……
待ってました!
とばかりに、直ちに切り返しを敢行したのであった。
15:02 《現在地》/海抜620m
きっつ!wwwww
先ほどの贅沢に石垣を配した切り返しの次とは思えないくらい雑な切り返しだった。
しかし、これでようやく地形図に描かれている路上へ復したぞ!
探索前に地形図を見て、ここを探索してみたいと思ったその時から、
前後を車道に挟まれた短い徒歩道表記の区間がどうなっているのかというのが一番の興味であったが、
なるほど、短いとはいえ車道化が容易ではないことは分かった。
この地形なら、ここだけ車道が繋がっていないことにも納得感がある。
ここの改良は大変な工事になりそう。 大 丈 夫 か な ……?