2012/2/14 14:51 《現在地》
久喜トンネルを迂回する新道から、並行する旧道へ移動。
そしてすかさず振り返ると、足元の路面の先にはトンネルへとつながる、「赤」と「白」のロックシェッドが見えた。
なお、久喜トンネルの久喜集落側は鉄の頑丈な扉が塞いでいたが、この久喜港側には、簡単なA型バリケードがひとつあるだけである。
それでは早速、旧道探索開始。
まず、この道についての特筆したのは、遠目にも明らかだったが、法面の尋常ではない高さである。
ただ、ここで法面という言葉の定義は、多少なりとも道の一部として人工的に手を加えたものなのでないかと思う。
であれば、このように道路から直に起ち上がる天然の崖は、“道路のなんと”呼べばいいのか。
そのことが、探索中も今も気になっている。
落石防止ネットが施工されている範囲は、法面で差し支えがなさそうだが、そのまま垂直に近い岩場は山のてっぺん辺りまで伸びている。
地形としては両者を区別出来ないが、山のてっぺんまで全部法面というのは、なんか変な感じがする。
それにしても、なかなか凄い山だ。
ここから見る山容は特に険しく、登ってみようと考えるのは、猿くらいだろう。
だが、それでも悠久の年月はここにも芽吹きを与え、松の純林が形成されているのが見える。
伐採など、誰にも出来ない場所だ。そこには枝振りの良い大木が多くあり、まるで全山ひとつの盆栽のようである。
もし、あの松尾芭蕉がここまで来ていたら、きっと一句残しただろうというような眺めだ。
こんなに印象的な風景なのに、地形図にも道路地図にも、特に注記が無いのが意外であった。
絶対に何か謂われがあるだろうと、探索後に地元の人に聞いてみたのだが、ここには“獅子”が追い詰められたという伝説があって、この山を「獅子込(ししごめ)」と呼ぶそうである。さもありなん。
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いままで数多くの廃道を見てきたが、これは“解読”がとても難しい光景だ。
なるほど、これが落石を防ぐための鋼鉄製ロックシェッドであることは、間違いないことだろう。
しかし、現状がいかにして生み出されたかについては、この風景だけでは容易に解読が出来ない。
なぜならば、ここには多くの要素が絡み合っている。
一番悩ましいのは、昨年の震災の前後でどのように変化したのかが、風景からでは分からないということである。
例えば坑口右上のブルーシートは、坑口を塞いでいたものが津波で千切れてこうなったのかもしれないし、或いはどこかから漂着してきたのかもしれない。右下のおおよそ道路のトンネルには似つかわしくない遮断機(まるで有料駐車場のゲートみたいだ)も、遮断棒が折れているが、それは津波によって折れたのかも知れない。
しかし、聞き取りの結果から確実に言えるのは、この旧道が震災発生時点でとっくに廃止されていたという事実である。
震災(主に津波)によって破壊が進んだ可能性はあるが、基本的にこの旧道光景は震災前からあったのだ。
復興・復旧のために手を加えられた箇所は、おそらく無いとのことである。
このロックシェッドは、かなり奇妙な存在である。
まず、このロックシェッドが仮設のものであったことは、断言して良いと思う。
まさか、ただ路面に置いてあるだけではないと思うが、そう見える。
また、ちょうど道が狭くなる位置にあるため、ガードレールとの間に微妙な隙間が発生している。
確実に道路幅より狭い構造物が、なんの前触れもなく出現する“いたずら”は、ドライバーにとっては怖い…。
これはどう見ても、一見さんの通過交通を想定しない“常連道”の有り様である。
しかも、行き止まりである漁港側に口を開けているのだから、実際上はこれでも危険はなかったのだろう。
高速で車が通過するような道に、こんなモノが許されるわけはない。
この鋼製ロックシェッドが殊更変に見えるのは、続いてすぐに現れるロックシェッドが本格的な構造物だからだ。
両者の対比は、いかにも「急遽ひとつ追加しました」という雰囲気を醸し出している。
こうした“小手先による”旧道の修理や補強に明日を見出せなくなり、遂には大規模に海を埋め立てて現道を作るという、抜本的な解決が図られたのだと想像する事が出来る。
もちろん、たかが漁港道1本のために埋め立てが行われたのではなく、それは久喜港整備という事業の一環として行われたに違いないが。
落石と津波に注意すれば、旧道と現道の間の広い埋め立て地には、いろいろな使い道があるだろうから。
さて、この仮設ロックシェッド。結果的には、あまり活躍せず済んだらしい。
対して、次にある本格的な方は……。
身に余る洗礼を浴びていた。
オブローダー的視点からひとことで言えば、ひどい有り様ということになる。
だが、この交通上の一大難所に立ち向かった先見の明ある先人たちの名誉のために書く。
ロックシェッドが破壊されたのは、現道開通後、旧道が封鎖されてからである。(地震によるのでもない)
つまり、結果論ではあるが、このロックシェッドは平穏裏に任務を終えた成功者である。
コンクリートの風合いがまだ新しいために、いかにも“現道災害”であるかのような雰囲気があるが、そうではなかった。
とはいえ、その回避劇は、時期的に間一髪という表現が出来る範囲であろう。
ぶっちゃけ、現役時代にこうならなかったのはラッキーだっただけなのではないかという、厳しい見方も可能であろう。
なぜ私が上から目線なのかと言えば…
そもそもが、オーバーワークだろ…。
この見るからに華奢なロックシェッドの能力を過信することは、許されないはずだ。
このレポートで二度目の引用となる大崩海岸の例を持ち出すまでもなく、ロックシェッドや洞門といった防災施設が災害の現場となるケースは少なくないのである。
極論すれば、そこに道を通さなければ災害は起きなかった。
或いは、道を通すにしてもコストを度外視して頑丈な構造物にしておけば、防ぎ得たのである。
そして、そんな極論が通らないのも分かっている。
このシェッドの設計者や設置者は、この場所に発生しうるあらゆる規模の落石を防げないことを、承知していたに違いない。
冷たいようだが、交通量から考え得る人身の被災確率や、そもそもの予算から、この強度のものを選んだのだろう。
しかしひとつ落とし穴があるのは、大半の道路利用者は、トンネルやロックシェッドと言った防災施設を、ほとんど万能だと信じて通行している事である。
トンネル内まで落石注意とかありえないし、それは運任せ道路管理者任せだ。
まだ新しい防災施設がいとも容易く破壊されている事実は、事故が起きていないとは言え、一道路利用者として看過すべきではないと思って、偉そうにご託を並べてみました(てへへ…)。
ここから出るのが、
全力で怖いんスけど…。
偉そうなこと言った(書いた)けど、まあこりゃあ防げないよな。
ちょっとこれは、崩れて来すぎだし…。
草木ひとつ生えてないところを見るに、崩壊は今も続いているのだろうな。
また、瓦礫の粒の小ささが、岩盤の風化がいかに進んでいるか(脆さ)を物語っている。
いちおうヘルメットは着用しているが、前方のトンネル坑門までの20mほどは、運否天賦あるな…。
どうなんだろう…、これ。
これからも、大きな崩れが起きそう?
久慈市の震度は5弱だったそうだが、いい加減大きく崩れる部分は崩れ終えたか?
屋根も薄っぺらだな…。
まあ、厚さが1mくらいなければ、これは防げなかったろうけれど…。
もちろん、支柱の太さもそのくらい…。
それはそうと、いよいよ久喜トンネルが間近になった。
さあ、 上 と 下、どっちから攻める?
上を選んだあなたが期待しているのは、アレ ですね?
はい出た、アレ。
坑門に取り付けられた、銘板である。
「久喜トンネル」と、はっきりくっきり書かれている。
ロックシェッド同様さほど古いものではないように見えるが、とはいえ、同時ではなかったのだろう。
ドライバーが視認出来ない位置に銘板が有るという事実が、それを教えている。
それにしてもこの坑門が変わっているのは、その一部に元来の岩盤を包含していることだ。
そのせいで、銘板の左上隅がほとんど岩盤に接触してしまっている。
この辺にも予算削減の気配を感じる。(或いは岩盤に出来るだけ衝撃を与えない方針か)
14:53 《現在地》
久喜トンネル東口の景。
天井や壁面と洞床の状態が、著しく不一致である。前者は現役と言われても疑わないくらい綺麗だが、後者は硬く締まった瓦礫の下に埋もれている。
そして、坑口を塞ぐバリケードが破壊されている。 なんで?
この一見して不合理な風景こそが、廃道に刻まれた大津波の痕跡であろう。
津波は手前側から、バリケードを押し破って洞内へと進入した。
その際、坑口前に既に山積みとなっていた瓦礫の山の裾野を削り、大量の瓦礫を洞内へ運び込んだのである。
崖錐斜面が妙に緩やかだったのも、いま思えば、紛れもない津波の影響であったろう。
そういえば、先ほどは他のコメントが忙しくそのまま通り過ぎてしまったが、あの遮断棒はなんだったんだろう…。
…そういえば、信号機もあったな。
あの信号機の目的は、洞内で不測の事態(交通事故ではなく圧壊だろう)が起きた場合の通行止め用であったろう。
赤色のみの2灯式であったから、片側交互通行整理用ではない。
しかしこうしたケースでも、ああいった遮断棒があるのは、初めて見たと思う。
遮断棒付きのトンネル……。
自動で上下したんだろうな…。
この、ジワジワ後から来る感じ。
……いいな…。
ともかく、廃止後は遮断棒も下りたままであったろうから、バリケードとして数える事が出来る。
そして、この久喜トンネル東口にも扉付きの頑丈な鉄パイプバリケードがあった。
一番最初にあったA型バリケードも忘れてはいけない。
そうやってみると、わずか200mかそこらの短い区間に、交通封鎖のバリケードが3連続していたことになる。
管理者も、この道の危険性は十分承知していたことが分かる。
次回は、
“獅子込”貫く久喜トンネルを探検すっぞ!
次回も見てくれよな!
(あれ? 終わりが見えてる…)
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