2020/3/4 6:56 《現在地》
謎の穴、その上流側の坑口を真っ正面に見ている。
なに故にこの穴がここにあるのか、未だ決め手となる手掛かりを得ていないが、その断面の形は見慣れた隧道のそれと変わるところがなく、私の心をくすぐった。
この大岩のこの位置に道を通ずる必要を持った人が、かつてどこかにいたことは確からしい。
それは奇妙なことではあったが……。
ここに至って、洞内に未知の部分は、もうほとんど残されていない。
それでも立ち入る必要があるとすれば、洞床や天井の様子を間近に確かめる目的くらいで、実際はそれをしたからといって、新たな大きな手掛かりが得られる可能性は高くなさそうだった。
チェンジ後の画像と、右の縦長の画像は、穴の真下に寄って見上げている。
いざ登ろうとすると、途端に穴は険しさの向こう側に遠のいて見えた。
ほんの3メートルほどの落差であるが、ほぼ垂直に切り立った硬い岩面は、数千年も研磨されたような滑らかさで、引っかかりがほとんどない。
唯一、地上から2mほどの高さには小さく出っ張った部分があり、もし両足を乗せられれば上まで辿り着けると思った。
しかし、身体を伸ばしてその出っ張りに指先を掛けてみても、足を支える場所がなく、腕力だけでは登るのは無理があった。
もし強引によじ登ろうとして落ちれば、狭くて不安定な足場を通り越し、背中から河床の岩場に叩きつけられることを恐れた。
そこで私は付け焼き刃の策に出た。
辺りの岩場の隙間に転がっていた倒木を2本ばかり拾い上げ、
それを私好みに組み合わせて、即席の足場とした。
この方法のよいところは、手頃なところ、
よくないところは、信用のならないところである。
しかし、首尾よくこの足場が機能して、私はついに誘導される……。
坑口へ。
穴を見たら入りたいという私のオブローダー信念が、河中の大岩の孤独さを上回った瞬間だった!
……というような、やり遂げたヒロイックの気分に浸ったのは数秒ほどで、
いざ穴だけが視界いっぱいに広がると、それはただの素掘り隧道だと気付くのも、
隧道探索のありがちな展開であった。外身は奇抜でも、内部もそうとは限らないものである。
穴は、外見から受けた印象のままのきっちりとしたものだった。
全長6m、高さ2.4m、幅1.8m、といったところが、これ以上なく間近から観察した私の目測値である。
サイズ的には、人道ないしはナローのトロッコ向けといった印象で、もちろん水路でも通用するだろう。
この河中の巨岩の表面は、長年の風雨による変化なのか小豆色であるが、穴を穿たれるまでは空気に触れてこなかっただろう内壁は、白かった。
外見から感じる印象に違わぬ極めて緻密で硬い岩質であり、人が振う鑿(のみ)や鏨(たがね)で穴を削り取ることは、途方もないことと思われた。
どうやって掘ったのかを知ることは、建設時期を知る手掛かりとして重要だから、よく観察した。
結果、この隧道の掘削方法は、削岩機であることが判明した。
ドリルが突き刺さった痕穴が、床面を中心とした内壁のそこかしこに点在していた。
この隧道は、紛れもなく機械力で掘削されたものだった。
わずか6mに時間を費やすことは難しく、数秒で下流側の坑口へ到達した。
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7:05 《現在地》
下からは辿り着けなかった、“魔王の眼窩”、下流側坑口に到達した。
この穴の探索における最終到達地点と考えてよかろう。
私はしばし、この王座から“小さき岩々”たちを見下ろして、心地のよい征服感に酔いしれていた。
眺めた下々(しもじも)に、私の這いずり回った軌跡を再現してみた。
それにしても、この穴の正体はなんだろう?
ここから先に、橋が架かっていたようには思えない。
もし橋だとしたら、強くカーブした橋で右岸へ向かうことが考えられるが、河中の岩々に点々と橋脚の穴の痕くらいは見つかってよいはずだ。
実際、そういう穴も見つかっているが、そこは真っ当なカーブで到達する位置ではなかった。
振り返ると、ひときわ高く切り立った“おでこ”の上部に、もし近づいて見れば足を乗せられるほど大きな金属の環が突き刺さっているのを発見した。
その横にあるのは、結局到達する術が見当たらなかったテトリス台だ。
手の届かない位置に埋め込まれた硬い環は、何かのケーブルを支える支点らしかった。
探索が進む中で、私の中にある穴の正体は変化しつつあった。
当初の岩体移動説、遊歩道説、軌道説は、どれも現地にそぐわないように思われた。
一方で新たな説が生み出され、次第に有力に傾きつつあった。
それは、取水ダムの工事用索道説 だ。
索道とは運搬用のロープウェイであり、今日でも林業やダム工事現場のような険しい土地における大量輸送手段として用いられている。
索道は架空索道とも呼ばれるとおり空の道であるから、地上構造物としては、荷の積み降ろしのための上下盤台の他は、支柱程度しか要さない。
しかし、稀に隧道が穿たれるケースが知られている。
索道は、勾配には強いがカーブは苦手という、陸路とは逆の特質があり、起点と終点を直線で結ぶことが重視される。
その際、邪魔な障害物があれば、支柱を増やして上を跨ぐことが一手であるが、支柱増設により無理な勾配の変化を付けることは、輸送の効率上も安全上においても不利である。特に起点や終点に近い場合、回避が難しいことがある。そのため、地上の障害物を破壊したり、隧道を掘って潜る場合がある。
左図はその模式図である。
今度は、下流側から上流側へ通り抜けてみる。
もしもこれが索道用の隧道だとしたら、どんな構造的特徴があるだろうかと考えた。
かつて私が見た日原のそれは、循環式という型式だったために、同じ断面の隧道が横に二つ並んでいるという強烈な個性があったが、この隧道にその特徴は見られない。隧道は1本だけである。
また、ワイヤーとそこにぶら下がった搬器が一緒に通過するわけだから、断面には高さが必要であろう。やはり日原の隧道は顕著な縦長の断面を持っていた。
しかし、この点についても、断面は特に縦長ではなく普通だった。
隧道の形状的に、索道説を裏付ける要素は見当たらないというのが、私の結論である。
上流側の坑口へ戻った。
内部を一往復してみても、隧道の正体は定まらなかった。
いまだかつて、隧道の正体不明をこれほど悩んだことがあったろうか。
改めて見る上流側坑口でも、二つの発見があった。
一つは、赤○のところにあった【30cm径の丸い穴】だ。
何かの柱を支える穴だったように見え……例えば索道の支柱である。
もう一つは、隧道の延長線上にある上流側岩壁の一部に、コンクリリートの護岸か橋台のようなものと、さらにその奥に石垣で塞がれた穴のようなものが見つかったことだ。
右図の位置に新たに発見された、塞がれた坑口らしきもの……。
仮排水隧道と合わせて、この狭い界隈で3箇所目の隧道発見なのか……?!
立地的に取水ダム関連ぽいが、私がいる河中の隧道とは一続きのラインを想定しうる場所でもあり、ますますややこしくなってきたぞ…。
レポートの前編と中編の段階でも、「これは正体が分かっているレポートなのだろうか」と、先行きを不安視する読者さんのコメントがあったが、ぶっちゃけレポートはもう終盤、現地探索も終盤だが、収拾が付かなくなりつつあるように感じる。
これは本当に、どうなるんだろう。
探索は進むが、結論が見えてこない。
湧き上がる焦りを胸に、私は穴から下りて、再び河床へ…。
予想以上に手こずったが、洞内探索は無事終了。
次はどうするか。解明の手掛かりは……、どこかに眠ってないのか…?
私がうっかり残してきた“お助け棒”は、信用しないようにねー。
2020/3/4 7:11 《現在地》
まあ一応はね、この穴にも入っておこうかな……。
だいぶ前から対岸に見つけていた、この穴(青矢印)ね。
ほぼ間違いなく、取水ダム建設当時の仮排水隧道の跡だが…。
その後で、直前に発見したばかりの道路直下の穴(赤矢印)へ挑戦する。
私が早くに正体を書いてしまったせいもあるだろうが、ここまでの読者さんのコメントで、この穴にも入って確かめて欲しいというのは一つでもあったかな。
……多分誰も求めていないんだろうけど、“謎の穴”の正体解明に繋がることへの一縷の期待を胸に、おびただしい流木の堆積を掻き分け、内部への進入を開始した。
現在の断面のサイズは、明らかに“謎の穴”より小さい。しかし、堆積物が多いので、本来の大きさはよく分からないな。
はい、案の定、めっちゃくちゃ不快な穴だった。
こういう水面に近い穴は、やはり良くない。
水捌けが悪すぎて、水没していた。
しかも、透き通った水が溜まっているのではなく、出口を塞がれて行き場を失った淀んだ水に、おびただしい流木が浮かんでいて……、これは洞内で私が独り言にした言葉そのものだが、腐ったイカダみたいだった。
堆積物が多すぎるせいで、深い水に浸かって歩く必要はなかったが、腐ったものを踏んでいくしかない気色の悪さ。カビの匂いが充満していて、最悪な気分だった。
7:16
入ってしまったからにはと、半ば義務感に駆られるように進めるうちは進んでしまい、不快度Maxのグニグニ腐り木材シチューをたらふく食わせられ、ようやく約束されていた閉塞壁が見えたので引き返した。
写真の奥に白っぽい壁が見えるだろう。
コンクリートで密閉された閉塞壁である。
写真全体が白いのは、湿度のせいだ。
コウモリも、ここまでキモイ穴は住みたくないんだろうな……。ぜんぜんいなかった。
案の定、“謎の穴”のヒントは、川底の穴にはなかった。
この穴は取水ダム建設時に川水を一時的に通すために掘られたものだから、かつては上流の水面に抜けていたはずだが、ダムの完成と同時に閉塞される必要があった。
上流側の坑口も、水面下に眠っているはずである。
なんの盛り上がる要素もなく……
川底の穴編、完結。
次は、道路下の穴編、開幕。
この穴、普通に道を通っていたのでは、絶対に気付かない立地である。
普通ではない行動、川に入ってみたり、大岩の穴に入ってみたりした人だけが、見つける穴である。
ちなみに、正体として思い当たる要素は、まだない。
しかも、なかなかに気になるルックスをしている。
他の穴と同様に素掘りであるが、なぜか断面の下半分だけが空積みの石垣で塞がれているご様子。
完全に塞がれていたのが崩れたのかも知れないが。
ゲームだったら、爆弾アイテムを仕掛ければ隠し通路が現われるヤツだ。
謎の穴の正体に繋がるアイテムが置かれていたり、しないかな。
しかし問題は、これまでの二つの穴以上に辿り着きづらいことである。
道路からは一番近いが……。
7:22
道路下の穴へは、河床からよじ登ることは不可能なので、一度道路に戻った。
それは矢印の位置にあるのだが、見えないし、穴がありそうな地形でもない。
険しい川べりの崖の一角なので、足を踏み入れたくならない場所だ。
ガードレールを踏み越えて、穴が見下ろせる場所まで斜面を下って撮影したのが、次の写真だ。
険しいなぁ……。
崖の中腹にポツンとあるコの字形の凹みが、坑口前の唯一の平場だ。
左右に道が通じている様子はないし、橋が架かっていた風でもない。
ガードレールにロープを固定し、それを伝って上り下りするのがおそらく正解なのだが、私は草付きを頼りに下りるしかない。
しっかり握れるほど長い草がない草付きよりは、ゴツゴツした岩場が露出している方がマシなんだが…。
7:24 《現在地》
到達した。
足元が狭く、これ以上引きのアングルでは撮影できない。
遠目に見た通り、なぜか穴は下半分だけが塞がれていた。
空積みの石垣は時代を古く見せるので、本当に何かを封印していた跡にも思えて、不気味だった。
はてさて、こいつの内部は……?
奥行き僅少!
半分だけの石垣越しに内部を覗くと、3m先にコンクリートの壁があり、奥行きはそれだけだった。
しかし、その壁からはホースやパイプの先が突き出しており、これまた隧道の閉塞壁に違いなかった。
この隧道の正体だが、おそらくこれは、取水ダムから発電施設へ水を導く導水隧道の工事用の横坑だと思われる。地形図を見ると、この壁の奥には導水隧道があるようだ。
昔は隧道の外に桟橋が組まれていて、ズリ出しのトロッコが出入りしていたかも知れないし、排水用だったかもしれない。
坑口前の狭い平場から見た、大岩の“謎の穴”。
ほぼ正面の位置に見えるが、穴の進行方向は45度以上ズレている。
隧道の断面は同程度であるから、両者が橋で結ばれた一続きの道を構成していた可能性もゼロではないが、それをする意味が分からないというのが正直なところ。
個人的な印象として、二つの穴に直接の関係はなさそうに感じた。
少しの興奮と共に、道路下の穴編、完結。
7:26
さらなる手掛かりを求めて、上流へ向かうことにした。
“謎の穴”の50mほど上流にある取水ダムの上流へ。
ダムは無人の施設で、看板によると、正式名は「小川取水ダム」というらしい。
川の名前は芦廼瀬川だが、小川というのはここの大字である。
管理者は電源開発株式会社。
謎の穴が、ダム建設の過程で生み出されたものだとすれば、全てを知っている可能性があるのは、日本中に名ダムと呼ばれるものを多く生み出し、オブローダーに悲喜こもごものドラマを与えてきた、この巨大企業である。 口が重そう…。
地形図に描かれている徒歩道(実際は車道)は取水ダムで終点だが、関係者以外立入禁止、事故があっても責任持たないという、お約束の看板を乗り越えて進めば、七泰の滝がある上流への歩道が見つかる。
しかし、最初に小さな沢を渡る部分が、鉄砲水があったらしく荒れていて、人道橋も落ちているので、事実上の廃道だ。
このまま、狭い歩道が渓谷沿いに滝まで通じているかと思いきや……
7:26
道は、広場に突き当たって終わった。
現在使われていないこの広場、小さなダム湖の湖畔にあり、集落の跡ではないと思われる。
おそらくは、ダム工事の作業場があったのではなかろうか。現地は深い峡谷で平地がないので、この土地は貴重だ。
あるいは、林業関係かも知れない。
というのも、よく集材用として使われている太さのケーブルが、矢印の辺りに大量に放置されているのを見つけた。
集材機とか索道に用いられたケーブルであろう。
“謎の穴”が索道であれば、そのためのケーブルだった可能性も、もちろんある。
広場の上流端まで行くと、上流へ通じる隧道が埋れているのではないかを疑ったほどに、唐突の終点だった。
芦廼瀬川で人智の及ぶ世界はここまでで、後は知らんぞと言われているような光景だったが、既に滝の音らしい爆音が岩の向こうから聞こえてきているので、ちょっとだけ足をのばしてみることに。いつもは“観光”をしなさ過ぎなんだよ。
適当なところで川に下りて振り返ると、空積みの石垣が広場周辺の河岸をガッチリ囲んでいるのを見た。
7:47 《現在地》
川に下りてものの3分ほどで、さっそく見えてきた。
大きな前庭状プールの奥で、魅惑の絶対領域をチラつかせる、七泰の滝。
荘厳という言葉が似合う場所で、大きな滝より、その大きな滝を大きく見せない大峰山脈の崖壁の高さに、溜息が出た。
脳が探索に焼かれすぎて、越えがたい岩場を見るだけで脳が疲労する嫌な癖が付いた。
大丈夫、私には求められていない。行く必要はないんだ。引き返そう。撤収。
(山屋はここからが本番なんだろう。彼らを喜ばせる目的で、前庭プールの岩壁に金属片が打ち込まれていた。私は見て見ぬ振りをした)
8:08 《現在地》
帰り道に入っている。
取水ダムに戻ってきた。
写真に写る金網のスペースを、ダムで横取りされた水が流れている。
ここから隧道に入り、約5km下流にある十津川第一発電所の落水路に導かれる。
もし、“謎の穴”がダム工事を目的とした索道の通り道だったとしたら、穴の反対側の陸上にも、何らかの痕跡があるはずだ。
ここを離れる最後は、沿道に索道の痕跡を探そう。
8:14 《現在地》
ここに、見覚えはあるだろうか?
ダムの300m下流にある、電源開発の注意看板が建っているカーブだ。
往路で、このカーブの外側、看板の裏手に平場があることを察していたのだが、その段階では特に深く考えなかった。
しかし、想定される索道の進路上にあるので、改めて精査することにした。
道よりも一段低い尾根の突端を均して作られた、15m四方ほどの平場。
真っ先に目に入ったのは波トタンの切れ端で、小屋掛けされていた痕跡かと思ったが、よく見るとここにも大量の廃ケーブルが散乱していたのである。
量は先ほどダム脇の広場で見たもの以上だった。
ここにダム工事現場へと通じる工事用索道の基地があったのだろうか?
周囲の枝葉を掻き分けながら、ダム方向の見通しを確かめてみると━━
大岩の穴と、ダム右岸の取水施設が、
綺麗な一直線上に並んで見えた!
果たしてこれは、索道説の裏付けなのか?
それとも、索道説の幻想が見せた偶然だったか?
……結局、決定的な証拠を手にすることなく、不思議な穴の現地探索は、ついに落ち始めた小粒の雨に追われるように終わりを迎えた。
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