2007/7/25 13:25
果てしなく長かった全長2920mも、残りはいよいよ50m足らずになった。
眩しい光に満ちた野外は、7月の真夏日である。
すっかり涼みきった体は、果たして温度差に耐えられるだろうか。
この後、光にどこまで近づけば、ムワッとした熱気を感じることになるのだろう。
私は、自己記録を更新して隧道を突破できる喜びと、予想される猛暑との間で、揺れた。
キロポストではなくて、これは勾配標であろう。
やはり朽ちており、本来の表示はよく分からない。
ちなみに、この隧道には殆どゴミが見られなかった。
首都圏に近いので多くの廃線ファンが訪れていると想像していたのだが(宇佐美側の坑口の扉も開いていたし)、意外にも、ゴミや落書きの類は皆無であった。
一般には休止線といわれていることで、あまり皆の興味を惹かないのだろうか。
それとも、廃線跡とはいえ、単に3キロ近い隧道がドーンとあるだけの、単調なイメージが良くないのか。
私にとっては全く単調とは感じなかったが、確かに、余程隧道が好きな人でなければ嫌になるかもしれない。
サワガニ。
隧道で生活しているため色素が退色して白いのかと思ったが、帰宅して調べると、どうやらこういう種類らしい。
サワガニの一種の「シミズガニ」というのが、こんな青白い色をしているとのことである。
綺麗なものである。
この辺りまでは、硫酸の影響もないのだろう。
遂に、網代側坑口へと到達した。
ここまで、チャリを伴って1時間20分を要した。
歩くよりも遙かに時間を要したようにも見えるが、事実チャリであるメリットは余り感じられなかった。
また、進んでいる時間よりも、立ち止まって横坑や待避坑の中を観察している時間が長かったようにも思う。
通常の隧道以上に円弧が際だつシルエットの向こうには、静かな森の廃線跡が見えている。
どうやら、恐れていた事態は回避されそうである。
つまり、地図や「鉄道廃線跡を歩く」の記述によって懸念されていた、網代駅構内に出てしまうのではないかという畏れだ。
チャリを伴っているだけに余計、変なところに出るのはまずい。
物事、そう何もかも上手くはいかない。
事実、出口の扉はビクともしなかった。
宇佐美側の通用口がすんなり私を招き入れたのは、一体どういう悪戯なのか。
流石に、ここまで来て引き返せと言うのは、あんまりだろう。
単身ならば余裕で ピー できるのだが、チャリ同伴というので余計に手こずった。
三つの試練の二番目が、この扉だった。
柵の上に腰掛け、坑門前の廃線跡と、その先を望遠で撮影。
緑の向こうには、幾重にも張り巡らされた架線が見える。
その様子から、そこがもう駅の構内であることが覗われた。
しかも、その先には幾つもの近代的ビルヂングが、まるで不審者を監視するように立ち並んでいる。
地上に戻ったら、もうのんびりしている暇はなさそうである。
出来るだけ早急に線路外へ脱出し、善良な一般市民と同化する必要があるだろう。
工事時、難攻不落の堡塁として君臨し、工事関係者全てを苦悩させた宇佐美隧道。
その全長2920mが、いま完全に背後のものとなった。
通行する者が無くなって20年余りを経た洞内は、既に得体の知れぬ異形の巣に変わりつつあった。
しかし、穏やかな緑に包まれた網代側坑口の姿からは、とても想像できないだろう。
午後1時31分、チャリを含め完全に脱出完了。
やや追い風だったせいか、坑口前の日陰までは涼しかった。
しかし10mも離れると、そこは熱帯。
伊豆の熱射が、進むほど深くなるブッシュと連鎖して、私の眉間に深い皺を形作った。
しかしこのレポートの最終関門は、隧道を完全に攻略した、この先に待っていた。
廃線歩きでありがちなミス。
藪に隠れた側溝に落ちる。
はい、これは皆さんも経験ありますよね。
無いとは言わせませんよ。
この時なんて、チャリもろとも、キレイに落ち込みましたからねぇ。
しかも、驚くほど水深が深くて、太ももまでどっぷり浸かりましたよ。ええ。
硫酸をすっかり洗い流してくれて、ありがとう。
着替えも持ってないのに…本当に あ り が と 。
予想外…
こんな高低差が、あるなんて…。
地形図を見ると、網代側坑口から網代駅までは100mと離れていないのである。
しかし、坑口脇には住宅地が描かれ、線路に面して細い車道もあった。
だから、隧道を出たらすぐにその車道へと逃れる予定だったのだ。
しかし、現実にはその車道との高低差が大きすぎ、チャリ同伴は勿論としても、単独でも登れなさそうなのである。
と言うことは、
…どうすればいいんだ?
うわわわわわっわ。
俺をカムフラージュしてくれていた藪が、遂に無くなってしまう!
この、どう見ても怪しすぎる闖入者の姿が、現役の鉄道線路に晒される!
どうすれば、いいんだ。俺は。
引き返すしかないのか…!
咄嗟に私は身を沈め、とりあえず電車が新宇佐美トンネルに吸い込まれて消えるのを待った。
新宇佐美トンネルの網代側坑口である。
手前にあるレールは、網代駅構内で現在線から分岐し、旧隧道へと続いているものだ。
いま私が越えてきた藪の中にも敷かれていたのだろうが、壁際に寄って水路に墜落している事からも分かるとおり、とても路盤の上は藪が濃すぎて歩けなかった。
だから、レールの存在も確認できなかった。
それはそうと、やばいことになってきた。
早く脱出しなくちゃ!
これぞ最後にして、最大の関門。
宇佐美隧道を突破しても、その先がやばすぎる。
現役の駅構内から逃れる術は、あるのか?!
左側の法面は徐々に低くなってきているが、傍らのチャリが恨めしい。
お前同伴ではとてもこれを越えることは出来ない!
ここまでリスクを負うからには、せめて写真くらいは残しておこう。
一挙に駆け抜けてしまいたい衝動に駆られながらも、私は途中で何度か振り返り、何枚かの写真を撮った。
確かに旧線のレールもちゃんと残っているのが確認できる。
これは外界からもよく目立つ遺構で、複線化を期待する人々への甘い毒でもある。
多くは語るまい。
(左)脱出出来る機会のないまま、ついには網代駅のホームが始まってしまった。
(中)幸いにして進路上にレールは敷かれていなかったので、そのまま隅を徐行。
ホームには客の姿がちらほら、駅員は見あたらない。そうこうしているうちに、列車到着の予告アナウンス中が始まった。
真のピンチだ!
(右)ホーム中間附近、いつの間にか線路より大分下に行っていた隣接道路との間の柵が途切れたのを見つけ
すかさず 落下!&脱出!!
14:05
網代駅裏に
脱出完了!
…フゥ
ごめんなさい。
マジいまは反省してる。
ちなみに、網代駅はトンネルに挟まれた駅である。
駅を挟んで宇佐美隧道の反対側にあるのは、全長200mほどの小山隧道で、ここにも複線化を前提に棄てられた隧道が眠っている。
宇佐美隧道よりも一足早く、昭和56年に新トンネルへ切り替えられた。
伊東線の複線化工事で切り替えられた隧道は、宇佐美隧道と小山隧道の2本のみであった。
旧小山隧道は保線用にいまも使われており、その通り抜けは容易であった。(ただし、やはり駅構内であり、立ち入りは禁止されている)
旧宇佐美隧道をチャリで通り抜ければ、地上の国道を使うよりも断然早く移動できるのではないかという、私の淡い期待。
しかしそれは、幻想であった。
私は幻想に躍らされ、最後は大変な失態を演じてしまったのである。