隧道レポート 新潟県道50号小出奥只見線<奥只見シルバーライン>13号湯ノ沢隧道の横坑捜索 後編

所在地 新潟県魚沼市
探索日 2025.09.23
公開日 2026.07.20

 湯の沢のジャングルに幻の工事用トンネルを探す!


2025/9/23 6:14

坑門発見! されども、 隧道発見ではない?!

遠目には巨大な【クズの塊】のようであった物体の芯は、半円形の大きな穴が開いたコンクリート壁で、どう見ても小さめの坑門工であった。
しかし非常に奇妙なことに、発見された坑門の向こう側も、こちら側も、どちらも地上でしかなく、落盤によってたまたま坑門だけが地上に取り残されたという想定では説明が難しい、孤立したような状態だった。そもそも土被りのある隧道のあった感じがしない地形といえば伝わるだろうか。

しかし、発見されたモノ自体は、本当に坑門っぽいカタチをしていた。
扁額は見当たらないが、それはシルバーラインで使われている現役のトンネルたちも同じであり、これこそが探していた13号湯ノ沢隧道内部に分岐している未発見横坑の坑口遺構である可能性は、状況的に極めて高いと思われた。
山の中でこんな紛らわしいカタチの構造物が偶然に見つかることなんて、まずないことだ。確率的に、探しているものを見つけたとしか思えなかったのである。



すぐに現在地をGPSで確かめたところ、想定していた(というかSMDに描かれている)坑口の位置より100mほど下流の地点にいることが分かった。
これは、ギリギリ誤差の範囲と言えないこともなさそうな感じはするが……、どうなんだろう。

とりあえず、この場所を起点に、周囲の捜索を継続する。
状況的に確率は高いと思うが、これが探していた横坑である確証をまだ得ていないし、“洞内”にも入れていない。



ところで、これは見つけた坑口を数メートルばかり下流側に離れた場所から撮影した写真だが(これ以上離れると藪で全然見えなくなる)、向かって左側にある、一見すると法面を抑えるためのコンクリート擁壁のように見える壁が、とても不自然であることに気付いた。

なんか、擁壁では見たことがないような曲線を描いていたのである。

それでもしやと思い、端っこの隙間のような部分から裏側を覗き込んでみると……。



なんと、曲面の壁の裏には民家のカーポートほどの大きな空洞が存在していた!

この画像は360度パノラマ画像なので、スクロールバーで左右に動かすことが出来る。
最初に見えている左側の開口部が入ってきたところで、スクロールすると右に見えてくる開口部が、下流側に存在する。
この空間の山側には、本来のコンクリート擁壁が別に存在していた。



この空間の正体は何なのか?

そもそも、探している横坑自体の素性が知れない以上、確実なことは何も言えないのであるが、現地にあるもののカタチを頼りに考えると…。



ここには、坑口を雪崩から守る目的を持った小規模な覆道が設置されていた可能性が高いのかなと思う。

本来は、チェンジ後の画像に青線で描いたような覆道が建っていたのではないか。

それが大雪崩に押し潰されたか何かで破壊され、現状のような姿になったのだと想像した。



覆道の“柱”らしき構造物の痕跡もあった。
藪が深すぎて、本数はよく分からなかったが、少なくとも1本は。
それがこの写真の構造物だ。
かなり根本に近い位置で折れているようで、背丈くらいの高さしかなかった。

坑口前には、おそらく覆道があった。
それを把握してから、何年ぶりに人を迎えたのか全く分からぬ“謎の坑口”を潜る。



潜ってすぐに振り返った。


ね? 


ぜんぜん、トンネル内っぽくない。


そもそも土被りがなかったとしか思えない地形。

とはいえ、なんとなく周囲とは画された空間になっているのもまた事実。
地面が見えれば、もう少し解釈しやすいんだろうけど、クソ“クズ藪”のせいでマジで何が何やら。
常に、藪漕ぎならぬ、藪“泳ぎ”レベルの歩行を強いられる。

路面であるはずの地面がどうなっているのかとか、左のこんもりとした部分に何があるのかとか、全然見えない。
ただ、地面は酷く凸凹しており、崩れたコンクリートの塊が山積している、その上を歩いている感じはした…。
つまりここは……、たぶん……。



6:20

最初に見つけた坑門を起点に、30〜40mほど前に進んだ。
実際に歩いた距離は、倍くらいあると思う。
障害物が多すぎて進みたい方向に進めないので、適宜迂回しているからだ。
本当に、終わっている藪の濃さである。凄まじい滝汗で、失禁したみたいに股が濡れた。

はぁはぁと荒い呼吸をしながら、汗に痛む目で前を見ると……



坑道が、あった。



“坑門”から30〜40mも離れた所に、ぽつんと“坑道”があった。

しかし、これらは本来連続したモノであった可能性は極めて高い。穴のサイズもおそらく一緒。
ここにあるのはアーチ型の坑道だけで、坑門はない。さっき見たのがこの坑道の坑門なのだろう。
そして今度も土被りはなく、明かりの場所に置かれた短いスノーシェッドのような状態だ。
すぐ先に出口が見えている。出口の向こうは、またも激藪の地上のようだ。



これ、本来は、“坑門”から土被りのない“コンクリート覆道”がずっと続いていたんだと思う。
もちろんその目的は、雪崩対策だろう。
コンクリート覆道はユニット単位で設置され、そのうちの1単位だけが、ここに孤立して残っているのだと思う。
前後のユニットは、想定を超える規模の雪崩で押し潰されてしまったのだろう。



のれんを潜るように藪を払って、薄暗い覆道内部へ侵入。
ぜんっぜん涼しさとかはなく、土臭くかび臭い、いつもの廃隧道臭。
そもそもここは地下じゃない。
でも、狭い天井に数十匹のコウモリがダマになっていた。私の闖入に驚いた彼らは三々五々に飛び立って、すぐに居なくなった。

2006年の探索を終えた時点で、私は誰よりもシルバーラインの裏を知る部外者になったと勝手に自負したが、19年越しで、裏の裏まで見た気分。
だってここはもう、正当な道路管理者ですら知らない場所だと思うから。



6:22

覆道の出口より、進行方向の地上を撮影。
いよいよ地形が進路を邪魔している。山が迫ってきた。
しかも、山は崩れている。
この先の覆道も、埋もれてしまっていると思う。

しかし、覆道の先には、地中へ通じるトンネルがあったはずだ。
この斜面の下に、地下へ行く入口があったはず。
問題は、開口しているかどうか。


……ごめん。 絶望的です……。



潜った覆道を振り返る。
断面のサイズ感は、せいぜい小型自動車が通れるくらい。
シルバーラインの本線は、ダムの工事用道路として生み出されたもので、大型ダンプがすれ違えるだけの断面がある。
この覆道にはそのようなサイズ感はない。

明らかに、本坑ではない。

工事用道路と本坑切羽を結ぶ工事用横坑。

それが私の予想であり、本坑の完成後は、他の工事用道路と共に速やかに廃止されたと思う。



この探索は、探索そのものも藪のせいで大変だったが、その成果をこうしてアウトプットするのも、藪のせいで大変だった。
見ただけでは分からない写真ばかりが撮れていたので、説明の手間が普段以上だ。
しかしこれは藪が繁茂していて当然の時期に探索した私のせいであり、読者に罪はない。だから面倒でも手を尽くしたのだよ。



ここを探した。

草を掻き分けて。

私に探されていることに自覚があるなら、どうか出て来てほしい。見つかってほしい。




執念が発見をもたらした。

なんと見つけ出す。

クソ藪の中で、コンクリートのアーチに守られた、わずか40cm四方ほどの小さな開口部を。

圧壊した覆道と、地下トンネルの接点であろうか。



覗き込む。



 孤独の穴


2025/9/23 6:24 《現在地》

地面と斜面と倒木とコンクリートの隙間に、辛うじて開口している穴を発見した!
立地的に、これが探し求めている横坑へ通じる開口部である可能性は極めて高い。

まるで倒木が檻のように邪魔をしていて、身体を近づけるのも容易ではなかったが、その手前で四つん這いになって、上半身だけをネコのように伸ばし、眼球の付いている身体の部分を使い慣れた道具のように乱雑に穴へ捻じ込んだ。
内部の健在を、一刻も早く確かめたかった。




――審判の時――





アウトーーー!涙

発見したコンクリートの坑道は、左側の地山から右の谷側へ押し倒されるようなカタチで、無残に圧壊していた。
壁面が大崩壊し、大量の土砂がひしゃげた坑道を埋め尽くしている。
そもそも開口部が小さかったが、その奥の空洞はさらに先細っていて、ニンゲンが棒になってようやく一人寝そべれる程度だろう。



写真の明度を補正しつつ、閉塞している洞奥を拡大した。
肉眼でもこの閉塞はしっかりと見えた。
写真上部を占める、圧壊した天井の壁の向こう側に、影で見えない領域があるが、流動性が高そうな崩土との隙間はほとんどなく、奥へ通じる空洞が残っている可能性は、ほとんどないだろう。
当然、貫通を示す空気の流れや、奥行きの存在を感じさせる冷気の類もなく、本当にただの無残な圧壊した坑口であった。



本当に惜しいところまで迫ったんだけど、駄目でしたねぇ……。
いつからこうなっていたのかが気になる。もし最初にこのネタに意識を向けた19年前に来ていたら、入れたりしたんだろうか…。
それを考えると少しモニョるが、探索対象の“現状”を正しく把握するという目的は、果たせたと思う。そこに救われるとしよう。

なお、この圧壊した開口部の右側には、湯の沢の谷に沿って続く道形が認められた。
SMDには今も平然と描かれ続けている、国道352号へ通じている工事用道路の跡と思われる。



現場模式図。
横坑の坑口は、長さ100m近いコンクリート製の覆道によって延長されていたようだ。
だが、その大部分は崩壊し、現在も残っているのは1スパンの覆道と坑門くらいである。



6:30 《現在地》

工事用道路跡を少しだけ進んでみた。
物凄い藪だが、幅3mほどの道形自体は一応見分けられた。
そして100mほど進むと、湯の沢の源頭部が緑の壁のように立ちはだかった。
工事用道路はここを右に折れて谷を渡っていたと思うが、当然に橋の跡は残ってはいなかった。
ここから国道352号まではおそらく3kmくらいの道のりがあり、歩こうとしたら1日がかりになるだろう。

引き返す。



引き返した直後、山側の法面に古びたコンクリート擁壁が埋め込まれているのを見つけた。
ちょうどこの法面の裏辺りに先ほど閉塞を確認した横坑が埋まっていると考えられるので、この壁は横坑の外壁かもしれない。
年代的にも十分に古そうだった。中を確かめる術はないが……。



6:40 《現在地》

坑口の近くまで戻ってきた。
チェンジ後の画像の黄線が横坑に関係する道、赤線が工事用道路の位置、×印が引き返した地点である。



6:55 

来た道を辿って、湯ノ沢隧道西口前の広場へ戻ってきた。

まだ朝7時前だというのに溺れた人みたいに汗だくになった、着替えもせずエクストレイルに乗り込む。
直前の探索の成果には納得していたが、その成果を前提として、もう一つだけどうしても再確認したいことが出来た。
そのために、速やかに車を出発させた。



ここからは、山行がでは極めてレアな運転席からのレポートである。

サイズに余裕がない開口部から、シルバーライン本線へ復帰。
直ちに右折し、13号湯ノ沢隧道へ進行する。
そして同トンネル内を2.3km走行し、次の14号黒又隧道との接点にある非常駐車帯(泣沢非常口)を使用しUターン。
今度は13号湯ノ沢隧道を逆走して……



SMDに平然と描かれ続けている、問題のトンネル内分岐地点へ差し掛かる。

西口から約400m、東口からだと約1.9km地点にある、湯ノ沢隧道内唯一カーブ地点の外側に、横坑があることになっている。
想定される横坑の長さ(地上までの距離)は200mほどである。

過去、2回、探して、見つからなかったものを、もう一度だけ、探す。



前方に目標のカーブが迫ってきた。

後続車がいないことを確かめてから、減速していく。

シルバーラインを走った者だけが、飽きるほどに堪能できる、独特の世界観がある。
壁も、路面も、灯りも、濡れ方も、ぜんぶシルバーラインだ。ぜんぶでシルバーライン。どこを取ってもシルバーライン。
中でも印象深いアイテムが、トンネル内の多くのカーブに道路標識代わりのように配置されている、赤ランプで描かれた大きな矢印だろう。

その矢印の在処へと、脇見運転を超越した、中央凝視の減速運転で、近づいていく。



接近し続けるカーブの外壁に、穴が開くような視線を注ぐ。

19年前も、13年前も、同じものを見ている。

やはり、直進する分岐なんて無い。

SMDは嘘を描いている。




これは?!




トンネル内分岐は無かったが、

問題の外壁の路面から2mほどの高さに、直径70cm四方ほどの四角い穴が3つ、おおよそ1mの間隔で並んで開いていることを目視確認した。

四角い穴の奥には、おそらく空洞と思しき“黒”も見えた。
しかし、トンネル内は駐停車禁止で歩行者通行禁止であるため、車を停めることも、降りて近づくこともできない。
もしそれが許されても、足場がない垂直な壁の高さ2mに開いた穴へ入る術を私は持たないだろう。
道路管理者にも見捨てられた穴なのである。

地図にあるトンネル内分岐は無い。
しかし、それを塞いだ痕跡が壁に残っているというのが、最新の真実だ。

横坑を塞いでいるカーブの外壁だが、それが周囲の覆工よりも新しいもののようには見えなかった。
昭和32(1957)年に電源開発道路として開通した当初の壁かもしれない。もしそうだとすると、横坑はシルバーラインが一般に開放された昭和46年より遙かに前から廃止されていたことになる。筋金入りの廃である。






今度ここを通る人がいたら、十分に後続車に気をつけながら、壁を気にしてみるといい。

穴がある。

この世界から切り離された、孤独な穴が。

現役のトンネル内に、こんなにも孤独な穴が存在するなんて、思わなかった。



 ミニ机上調査編 〜失われた横坑の正体を文献に質す〜




19年越しの捜索の結果、13号湯ノ沢隧道内部と地上を繋ぐ横坑の痕跡が確認された。
ただし、地上側は落盤閉塞が、トンネル側は障害物と法律とがそれぞれ障害となり、横坑内部へ入ることは適わなかった。

引き続きSMDシリーズには現役の如く描かれ続けるのであろうが、実際は廃止から相当の時間を経過していそうなこの横坑の正体を、文献に探ってみよう。





まず最初にチェックしたのは、この道が奥只見シルバーラインという名前で一般の交通に解放される以前の地形図だった。
奥只見シルバーラインの解放は昭和46年8月で(当初は一般有料道路、昭和52年4月に無料化)、それまでは奥只見ダムや奥只見発電所の事業者で管理者の電源開発株式会社の専用道路(私道)として運用されていたのである。
このことは、シルバーラインの歴史を語る上では欠かせない“前史”として、よく知られているところでもあるが、その当時の地形図と、最近の地図(ここではSMD)を見較べてみると、面白い違いに気付く。

もちろんそれは、今回の横坑と大いに関係がありそうな内容で。(↓)


最初に表示しているのが、最近のSMDの最新のSMDである。
この図の範囲には、本編に名前やあるいは探索の現場として実際に登場した、12号津久ノ又隧道、13号湯ノ沢隧道、14号黒又隧道たちが展開している。そして、赤矢印の位置に、探索のターゲットである横坑が今なお描かれ続けている。

次にチェンジ後の画像と見較べて欲しい。
こちらは昭和40(1965)年版の地形図で、専用道路時代である。
図の右下辺りの道路上に「電源開発専用道路」と注記があるし、探索した横坑や工事用道路も描かれている。

見較べると、道路の位置は今と変わっていないが、トンネル名はことごとく違っている。
12号津久ノ又隧道には「第4号隧道」の注記があるし、13号湯ノ沢隧道には「第6号隧道」の注記がある。
そしてなぜか、この「第4号」と「第6号」は地図上で隣り合っているのに、番号が一つ空いている。
「第5号隧道」がどこにあるのかという疑問が生じるのだが、地図と睨めっこをして考えると、自然と一つの仮設に行き着く。

現在の13号湯ノ沢隧道は、トンネル内の横坑を境に、「第5号隧道」と「第6号隧道」が合わさったものなのではないか。
この仮説は、今回探索した横坑がかつてはトンネルの命名を左右するだけの存在感をもっていたことを示唆する。
以上のことを念頭において、建設当時の文献にあたってみた。


今回紐解く文献のメインは、発電水力協会が発行した技術雑誌『発電水力』昭和32(1957)年7月号(第29号)に掲載された、「奥只見発電所新設道路工事について」という記事だ。
この記事に、「第6号隧道」の建設当初の記述をわずかに見つけることが出来た。



『発電水力』昭和32(1957)年7月号(第29号)所収「奥只見発電所新設道路工事について」より


まずは記事に掲載されていた「一般平面図」を紹介。
これは巨大な専用道路の全容を1枚にまとめた素晴らしい地図資料なのだが、いかんせん小さな誌面に収録されているために文字が潰れ、大半の文字や細かな記述は読み取れない。
チェンジ後の画像は、今回探索した横坑周辺(湯ノ沢隧道周辺)の拡大図であるが……

……目を凝らして良く見ると、湯ノ沢隧道は横坑があるカーブの地点を境に異なる命名をされていて、私が先ほど予想したとおりの区間に「第5号隧道」の注記があることが分かる。
カーブの東側区間は完全に文字が潰れてしまっているが、「第6号隧道」と書いているのに違いない。
また、肝心の横坑自体は見分けられるように描かれていないが、横坑の位置に工事用道路が接続するように描かれている。横坑の存在が暗示される。


上図は、「一般平面図」や記事の本文から読み取れる、専用道路の主なトンネル名と主な取付道路(工事用道路)を示したものだ。
現在のシルバーラインには1号から19号までの19本のトンネルがある。専用道路時代もトンネルの本数は変わらないが、命名は全く違っていた。
例えば、シルバーライン最長の17号明神隧道(3920m)は、第10号、第11号、第12号という3本の隧道からなっていたし、13号湯ノ沢隧道も第5号隧道と第6号隧道に分かれていた。


ここからは本文の内容をみていく。
まずは専用道路工事の全容が述べられている「工事の概要」を引用しよう。
なお、この記事が書かれたのは昭和32年の春頃で、専用道路の完成を目前とした時期だった。


工事の概要
この道路は、全長21.4kmで、その大部分、17.8kmは隧道であり、幅員6.50mの2車道とし、最急勾配は1/15、最小曲線半径は40m、路面は全線に亘って横断勾配2%のコンクリート舗装である。
昭和29年12月、全線を5工区に分かって着工し、32年7月末完成の予定である(以下略)

『発電水力』昭和32(1957)年7月号所収「奥只見発電所新設道路工事について」より

次に、施工計画を見てみよう。
横坑の存在と関係が深いと考えられる工事用道路(取付道路)についても、ここで触れられている。

施工計画
発電所全体の工事の工程によってこの道路は、昭和32年8月より、機資材運搬の様に供さねばならない。この為、道路工事の工期は、29年12月より、32年6月末迄で2ヶ年7ヶ月であるが、この間に、29、30、31年、3回の冬季を経るもので、その内29年冬季は、請負契約締結後、急遽仮設資材の一部を雪に追われつつ運び込んだに過ぎず、実際の設備を施工する暇なく冬将軍の訪れとなり、現実には30年6月より着工したものである。この間2冬の10ヶ月は全面的に施工は不可能で、一部隧道の冬営工事にとどまるものである。この短期間中に、最大延長3029mを含む17.8kmの隧道を貫通し、切拡げ、捲立を了し又鋪装を終えるもので、しかもその大部分の坑口に至る迄は、最長6kmの取付道路(延長25.8km)を開削しなければ宿舎、事務所の設営、機械の運搬も出来ない状態である。

この為、勿論工事は終始、突貫工事の様相を呈し、30年度冬季は各長大隧道、31年度冬季は大半の隧道を越冬して施工を継続した。

『発電水力』昭和32(1957)年7月号所収「奥只見発電所新設道路工事について」より

専用道路の完成を前提とした奥只見発電所の建設(ダムの築造を含む)の工期を守るために、3年弱で17.8kmのトンネルを含む21.4kmの道路を完成させなければならない。しかも現地は一年の半分近くが雪に覆われる豪雪地であるために、全面的に工事を行える期間は短い。この不利を克服するべく、冬期間は地下に籠もってトンネル工事に勤しんだのである。だが、そもそも多くのトンネルは現場に辿り着くための道がないので、最初に全長25.8kmの取付道路を建設しなければならなかった。

“突貫工事”が公然とまかり通っていた当時の土木事業の力強さは眩しくもあるが、記事には全く触れられていない事実として、奥只見発電所建設事業全体の工事殉職者が117人、その半数近い54人は専用道路工事の殉職者だった(『電発30年史』)。
これは人の血で敷かれた道なのだ。

取付道路の施工については、他のページにも次のような言及があった。

大湯地区より、ダムサイトに至る交通路は既設の枝折峠(現国道352号、当時は県道)を越える1本の道路あるのみで、之より新設道路の各隧道坑口に至る取付道路を築造せねば本工事に着手出来ない。この取付道路の築造には、ポータブルコンプレッサー程度の機械しか使用出来ず、総て人力をたのむ以外に方法なく、30年雪融けをまって、一斉に着工し、概ね8月には之を完了した。取付道路は全部で9線総延長25.8kmに亘り、幅員は最小3m最急勾配を概ね1/7として、所々に待避所を設け、トラック輸送に支障なからしめた。

『発電水力』昭和32(1957)年7月号所収「奥只見発電所新設道路工事について」より

この記述は、今回の探索でも短距離歩いた激藪道の在りし日の姿を述べたものである。
以前の県道576号探索で中距離歩いた激藪道も、これだった。
たった2〜3ヶ月という期間で25.8kmもの取付道路を人力によって切り開いていたのである。

続いて、専用道路の本線トンネルを掘り進める掘削工程について書かれた部分から拾う。
ここで私が知りたかった本題……、第6号隧道と横坑の関係性が見えてくる。



『土木建設業年鑑 昭和33年度版』より

掘削
全体の工期を支配するものは、最長隧道たる、13号隧道を始め、6号及10号隧道であり、これらについては従来の導坑式掘削では、到底上述の工程に合わないことは明かで、計画当時、中部電力の東上田発電所に於て実施中の、全断面掘削工法の実績を勘案して、13、10、6号隧道に之を採用した。

『発電水力』昭和32(1957)年7月号所収「奥只見発電所新設道路工事について」より

山岳トンネル工事において、従来広く行われていた導坑式掘削工法は小さな導坑を切拡げていくので、不良な地質には強いが工期が掛かる。対して昭和30年代から広く導入されるジャンボーなどの大型機械を用いた全断面掘削工法は、地質が良ければ工期を著しく短縮できた。
実際、この13号隧道の工事で、大成建設が毎日掘進14mという当時の日本記録を樹立している。(右写真がその現場)

新工法の全断面掘削をいち早く取り入れた13号、10号、6号隧道の共通点は、まず長いということだ。特に13号は全長3029mで、当時の国内では関門国道トンネルに次ぐ第2位の長大道路トンネルであった。残る10号と6号も2kmに迫る長大トンネルだが、これらは大きな分水嶺を越す峰越型で、開通によって険しい峠道をショートカットできるメリットが大きかった。それでこれらが、「全体の工期を支配する」トンネルとされたのである。


『発電水力』昭和32(1957)年7月号所収「奥只見発電所新設道路工事について」より

注目すべきはここに掲載されていた表……「長大隧道施工区分表」だ。(→)

6号隧道の欄を見ると、全長1926mを上口と下口から掘り進めており、上口から1426mを全断面で、下口から500mを導坑式で掘削したことが分かる。そして一番右に「取付作業坑」という欄があり、そこに「上口横坑131m」と書いてあるのだ。

この「上口横坑131m」は、今回探索した横坑について初めて見つけた文字の情報だった。

6号隧道は実施中予期に反して上口より550mの地点から地質が悪化して、その後導坑式に切換えたものであり、全工事中最大の難関となった。

『発電水力』昭和32(1957)年7月号所収「奥只見発電所新設道路工事について」より

さらっと書いているが、6号隧道は地質が悪く、全工事中最大の難関であったらしい!


……が、実はこの記事の主題は13号隧道であり、残念ながら6号隧道については「最大の難工事」と述べておきながら、以上紹介した他に具体的な記述や写真はない。
今後、6号隧道工事を主題とした別記事の発見が望まれる。

しかし、これまで紹介した断片的な記述からでも、6号隧道の上口(上口と下口は標高の高低から区別され6号隧道は西口が上口)に131mの横坑があったことがはっきりした。

この横坑の利用実態についても記録は未発見だが、想像することは出来る。
工期短縮のためには、トンネル工事の切羽は一つでも多い方が有利だ。原理的に、横坑を1つ増やすと切羽を2つ増やすことができるのである。

工事用道路に面する湯ノ沢に横坑を掘ることで、5号隧道と6号隧道を両側から掘り進めたのだろう。
そもそも、そのような工事手法を採ったからこそ、1本のトンネルが5号と6号に名前を分割されたに違いない。

また、初期の全断面工法は、技術的・機材的な制約で、曲線を施工しづらかったことも理由として考えられる。
6号隧道は全断面工法が用いられたが、これは横坑と合わせて綺麗な直線である。5号隧道が全体的に曲線であるのとは対極的だ。


本稿は今のところ以上だが、今回の文献調査によって、シルバーラインの各トンネルには私がこれまで把握していた以外にもいくつかの横坑や斜坑、立坑などが存在していたことを、 知ってしまった。
今後、気が向けば、あるいは要望が多ければ、探索をするかもしれない。


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