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9:08 《現在地》
雑穀谷の取水堰跡から、左岸に存在する水平勾配の廃道を辿ること約20分、等高線の形通りに500m移動して、称名川との分水尾根を回り込む地点を迎えると、そこには深い緑陰に佇むが如き神妙な切り通しが待っていた。
いまだかつて一度も地形図に描かれていない道であったが、その痕跡は思いのほかに鮮明であり、発見する喜びに満ちていた。
切り通しを窓にして見えてきたのは、称名川渓谷を象徴する景観として高名な、“悪城(あくしろ)の壁”の威容であった。
立山黒部アルペンルートこと立山道路が通じる立山高原と、称名道路が通じる称名川渓谷。隣接する両者の大きすぎる落差を一身に受け止めているのがこの“壁”だ。一枚岩の崖としては日本一ともいわれる500mの落差を誇る。
足元の斜面を覗き込むと、遙か下に広い道路が見えた。称名道路(県道170号)である。
いまはまだ80mくらいの落差があるが、この数字がゼロになるときに私の踏破は達成される見通しだから、こうして見えるだけでも励みにはなった。
これは時系列から外れているが、探索の冒頭附近に称名道路の雑穀谷橋で撮したものだ。
チェンジ後の画像におおよその「現在地」を示した。
下からだと私が辿っている道は全く見えない。
地図上で、この先の探索の見通しを説明する。
「現在地」は、標高820mの等高線上である。
この等高線を称名川の上流へと辿っていくと、あと1km弱で称名川第2発電所に行き着く。
その少し手前では、称名道路と交差するはずだ。
地図には、第2発電所から雑穀谷の取水堰跡を経て称名川発電所まで伸びる長大な地下導水路が描かれているが、この導水路の建設を目的に整備された工事用道路(あるいは軌道)が、私が辿っている廃道の正体であると推測している。
こんな高低差が大きな地形の中にあって、820mという共通の高さを共有していることは既に偶然とは思えないが、このまま廃道を辿って行って第2発電所まで辿り着ければ、“推測”は一層高い精度で実証されると思うので、いまはそれを目指している。
前進継続!
9:11
雑穀谷から、称名川本流の谷筋へ移ったが、道の状況は相変わらずだ。
完全なる廃道。
しかし、辿ることは出来る。
それだけで十分である。
9:13
すっごい! すっごい!!
悪城の壁と、直下の広大な崖錐の接続部分は、ああなっていたんだな。
初めて見たよ。
称名川筋を歩きだしてからというもの、私の楽しみの中心は、対岸の崖にあった。
“対岸の火事”なんて言葉があるが、今の私の楽しい気持ちは、この言葉で言い表せるものだと思う。
登山者どころか世界レベルのクライマーでも手を出しがたいと言われる“壁”を、良い景色として自分の身が脅かされない位置から鑑賞できるのは愉快だし、しかもそれが普通は見えない視座からのものなのだ。
世界レベルの景勝地が隠していた、まだ手垢の付かない新しいアングルを、地図にない廃道が独り占めをしていたなんて、なんとも優越的だ。
9:16
対岸の景色が主役みたいな事を書くと、此岸の道自体はツマラナイように考える人もいるかも知れないが、これは完全に相対的な話である。対岸に見える景色が唯一無二レベルに凄すぎて、私にとっては慣れ親しんだものである足元の完全廃道については、新たに語るような内容が少ないというだけである。
道の状況は、崩れて斜面化した難所的な場面が4割、比較的に程度が良い廃道が6割、そんな感じだ。
石垣や切り通しは、ときおり現れたが、隧道だけはもうずっと現れていない。
でもこれが普通なんであって、納得感がある。工事用道路としては、本当にあの“隧道5連発”は異常すぎたと思うぞ。
8:25
称名川筋に移ってから、初めて高い木が全くない解放的な斜面にぶつかった。
典型的な雪崩の通路だろう。少し前までは残雪があったような雰囲気だ。
横断しながら下を見ると、称名道路が目に見えて近づいていた。
地形的にも、ここなら直接下って道路へ脱出することが出来そう。
まあ今それをする必要はないが。
なお、私は常に標高820m等高線に縛られているので、道が近づいているということは、全て称名道路側の頑張りであり、歩み寄りである。
あの道路を運転したことがある人なら皆さん良く印象に残っていると思うが、地図上から受ける広い川沿いの道の印象からはかけ離れた、物凄い急坂道だ。至るところに道路構造令の基準値を超越した【13%勾配標識】
が立っているくらいに。
……で、
こんな風に眼下がよく見える解放的な場所であれば、当然に……
向かいの壁が、凄いんです!!!
中に道のいない自然だけの純粋な“良い景色”に、こんなに心を奪われるのは、私の中ではちょっと珍しい気が。
でも、この景色の中に道はなくても、心の中に道はあるんだよな。
悪城の壁が持つ圧倒的高低差を、理想的な立ち回りで克服しているのが、現在の立山道路である。
その偉業ぶりを知っている私は、やはりこの景色の中にも道を見ていたと思う。
あの壁の上にも道がある。それだけで、気持ちがアガるんじゃい!
9:28
進路上、突然の砂防ダム群が現れた。
正確には、砂防法に由来する砂防ダムではなく、森林法に基づく治山ダム(治山堰堤)というヤツだろう。
流水がないガレた斜面に、たくさんの堰堤が段々と連なっていて、廃道はちょうどそのうちの一つを渡っていた。
堰堤群は明らかに私がいる廃道とは無関係の存在と思われ、狭い地形を占拠する巨大構造物が私の進路を妨げることも起こりえたが、幸いにして位置がよく、むしろ前進の味方をしてくれた。
チェンジ後の画像は、横断地点から見上げた上部の景色だ。
上にも複数の堰堤があり、さらに奥は人跡未踏感のある大雪渓だった。
絶壁は決して対岸だけのものではないらしい。となるともう、私の進路に現れないことを願うのみ。
一瞬ヒヤッとしたが、その後はまた鮮明な道形が再開してくれた。
派手なことは、何も起こらなくていい。
進んでいければそれでいい。そうしていれば、最後は必ず現道が下から迎えに来てくれて、闘いの終わりを告げてくれるはず。
その時にはきっと、この道の正体も私の思惑通りの所に収まって、大団円になる。
9:34
なんか凄い形をした大木がある。
それだけで目印になりそうな場所だが、さらに路外の風景にも大きな変化が訪れている予感。
背後の“悪城の壁”の様子が……。
崖の形が、変化している。
……のは、別に良いんだけど……
問題がある。
私の道が、見えなくなった!!!
原因は、深すぎる笹藪!
マジで足が地面に着かないレベルの超絶密生笹藪だ。
これはちょっとマズイ。さっき痛めた足が、笹の暴力で、早くも悲鳴を挙げている。
作戦会議を要求します!!
なぜ急にとんでもなく藪が濃くなったのか、その理由ははっきりしていた。
進路と並走する送電線の下に入り込んだからだ。
それで樹木が伐採されていて、代わりに尋常でない笹藪になってしまっていた。
問題は、この状況がすぐには終わらない見通しであることだ。
なぜなら、進路と送電線が並走しているから。
この道を辿り続けようとすれば、以後しばらくは笹藪の中っぽい。
GPSで確認した「現在地」はここだ。
あと150mくらいで称名道路と交差の見込みで、そこまで行くつもりだったが……。
目の前の猛烈な藪に立ち向かっても、この先の単調な地形には、おそらく期待されるような発見はないだろう。
そのうえ、傷む足をいま庇わなければ、これがただの傷みに終わらず、決定的な負傷となって残りの日程の遂行に影響することを恐れた。
ここまででも十分に、自身の推論を裏付ける道の存在は確かめられたと思うので……
苦渋の決断。
ここでは称名道路への迂回を選択!
激藪を回避しつつ、“終点”を確認しよう。