神岡軌道 猪谷〜神岡間 第10回

公開日 2009.1.18
探索日 2008.7. 3
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複雑な変遷? 跡津川橋梁


2008/7/3 15:47

土駅跡に戻ってきた。

このまま神岡方面に向かって出発進行。
次の漆山駅が置かれていたと思われる漆山地区までは、約1.7kmほどである。

駅を出るとすぐに市道に合流し、この右手には社宅を思わせる木造平屋の廃墟が立ち並んでいる。




50mも行かないうちに、道は二手に分かれる。

右へ跡津川を渡って進むのが軌道跡で、直進は大多和峠から有峰方面に繋がる市道である。
しかし、跡津川沿いにも「神岡水力電気株式会社(神岡水電)専用線」という、発電所の工事用軌道に由来する鉱山軌道が敷かれていた時期がある。
神岡軌道本線とも接続していたと思うが、直進の道は少し急すぎるので、接続位置はここではなく、橋を渡ってからだったかもしれない。
少なくとも、古地図にある専用軌道は跡津川の左岸を通っている(そして、なぜか接続はしていない)。

この鉱山軌道も、今後探索対象になりうる。



今回は本線へ進む。

橋は跡津川の本流をせき止める小さなダム堤の上に架かっており、橋下では越流した水が滝となっているせいで、常に瀑音が絶えない場所である。
そして、橋の先にはダムとも関係する大きな建物がある。
「神岡鉱業 土第一発電所」の建屋だ。

流れが急で、かつ雪解け水を多く集める跡津川は水力発電に向いており、神岡鉱山一の電源地帯であった。
当初は馬力であったための輸送コスト高から経営難に陥った神岡軌道が、スムースに内燃機関車への切り替えに成功したのも(大正15年に切り替え)、跡津川上流に発電所を建設する際に前述の神岡水電が利用した2台の機関車を譲り受けることが出来たからだという。

これら鉱山は既に閉山したが、電気は今も生産され続けている。




さて、ここには神岡軌道の橋は残っていないのだろうか。

すぐに目に付いたのが、車道の橋のすぐ下流に並行している銀色のガーダー橋である。
著しく角が取れたどっしりした橋脚は年期を感じさせ、しかも「ガーダー」ということで、無条件に鉄道との関連性を疑がわせる存在だった。

うん! これは怪しいぞ!

でも、いまは水路が通っているようだ。
第一発電所で利用された排水は、橋に通された管路を通って地下へ潜り、それが前回登場した「第二発電所」の鉄管路に繋がっている
なんとも働き者な水である。



下流のガーダーに疑いの目を向ける一方で、車道の橋にも注意は怠らない。

だが、リベットを使わない溶接の具合や、そもそも鉄道用にしては広すぎる幅から、それは否定される。

やっぱり、下流の水路ガーダー橋が怪しい。


橋を渡って、対岸へ。
水路橋をより近くから観察してみよう。




水路の出口は、予想以上に豪華な坑門を従えていた。
これを見てnagajis氏が大騒ぎするかと思ったが、なぜか思ったほどではなかった(笑)。
橋だと現役でも大喜びなのに、現役の水路隧道にはそれほど興味はないのだろうか。

…後半の部分は、むしろ私のことだが。

それはさておき、「近代化土木遺産」と言われても違和感のない、石と煉瓦を巧みに組み合わせた美しい坑門である。
扁額もまた手が込んでいて、「大正七年竣工」とある。

それよりもなによりも、目を惹くのは要石の意匠である。
ズーム!




「丸に井げた三文字」のマークは、見覚えがある。
言うまでもなくこれは日本を代表する財閥の一つ、三井グループの社章である。

三井グループと神岡鉱山の関係は深く、明治19年に当時の「三井組」が神岡鉱山の経営権を掌握したことに始まる。
その後、三井グループの鉱業部門は急速に拡大し、「三井鉱山株式会社」として全国各地に多数の鉱山を稼働するようになる。

神岡軌道自体も、大正2年に三井鉱山神岡営業所長の西村小次郎氏が免許を得たことで同9年の開通(神岡軌道としての正式な開業は同11年)に漕ぎ着けたのであって、三井の私鉄に他ならなかった。
その後昭和7〜17年まで「神岡水電」が経営にあたったが、国策により神岡水電が解体されると三井鉱山に戻っている。

戦後の財閥解体によって三井グループの金属鉱業部門は「神岡鉱業株式会社」として独立し、昭和27年に「三井金属鉱業株式会社」へ社名変更して現在に至る。
神岡鉄道(昭和24年に旅客輸送を開始した際に改名)の経営者も神岡鉱業→三井金属鉱業と移り、これは昭和42年の廃止まで変わらなかった。

なお、昭和61年に三井金属鉱業から100%子会社の「神岡鉱業株式会社」(2代目)が分離し、最終期の神岡鉱山を経営してきた。しかし、平成13年に同社の鉱山採掘事業は終了している(=閉山)。




得意げに資料から受け売りの歴史を語ってしまったが…

いま重要なことを整理しよう。

扁額によれば、大正7年に発電用水路は完成したのである。
そして、その当時まだここに軌道は無かった。(開通は大正9年)

で、この水路に繋がっている橋が問題なわけだが、この橋が出来たのは下流の第二発電所と同じ昭和10年頃であろう。
それ以前は、単にここで排水の全量を跡津川に落としていたはずだ。
ということは…

ということはだよ。

水路の橋は、軌道を転用したものでは無さそうだと言うことになる。
昭和10年頃、軌道はバリバリの現役であったのだから、転用と言うことはないはずだ。




となると、やっぱり可能性はこの橋。
車道の橋がそれだったと言うことなのか。
いちばんつまらない展開だが(笑)、確かに石組みの橋台なんかは当時のものだと言われればそんな気もする。

どしたの?
nagajisさん。
固まってるよ。  フリーズした?



ん? ガーダーの様子がおかしい?




いたー!

いたーよ。

橋の下にいたーよ!

溶けて角生えてるよ…。

これは意外な転用であった。
ここまで何度も見てきた神岡軌道標準のガーダー桁の両側に、車道幅の補桁とでもいうべきものが接続されていたのだ。
なんだか痛々しい。
「もう神岡軌道のライフはとっくにゼロよ!」という言葉が浮かんだ。




下流から振り返る跡津川橋梁の図。

なるほど納得2本の橋。
結局、軌道橋はその橋台と桁を大規模に改造され車道橋になっていたのだ。
だから、水路橋は水路橋であった。

水路隧道では期待したほどのリアクションを示さなかったnagajis氏だが、この意外な展開には元気な姿を見せてくれた。
だが、それよりも何よりも彼を熱くさせたものがあった。

この写真にそれは映っている。

私にとっては「 ??? 」なものである。
nagajis氏が沸騰した景色とは、なんだったろうか?






イイッ!


↑ へたくそでごめんね。
nagajisさん…。



私にはよく分からなかったので、満面の笑みを浮かべる彼に聞いてみたところ…。

橋桁を洪水から守るコンクリート製の「水切り」の上流側に、敢えて自然の大岩を使っている工夫が、“愛らしくていじましい”とのことであった。




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 ビクッ!  


15:58

チャリは橋の所に置いてきた。
そして、草藪へ分け入る。
そこにはっきりした軌道跡は見えないが、辛うじて踏み跡はある。


このさき我々は久々に「一人」になる。

別に嗜好の理解できないnagajis氏とサヨナラする訳じゃない。

この先しばらくのあいだ、これまで近くにあったものが居なくなると言う意味だ。




これは、昭和28年の5万分の1地形図。

当時、土には今よりも遙かに多くの家が建っていたことが分かる。また、既に国道は現在と同じ位置を通っている。

現在地は、跡津川の橋の南詰め。
太陽マークの発電所記号の東には、跡津川沿いの鉱山軌道も描かれている。

このさき、軌道が再び国道と併走になるまで約600mある。
これまではほとんど常に国道や市道など別の道が傍にあったから、この「一人」は余計に冒険心をくすぐる。

ちなみに、国道と合流してすぐ、巨大な「土崖」を潜る隧道も描かれている




50m進行。
踏み跡はあるのだが、これはどうも軌道跡じゃない。
狭すぎるし、細かく曲がりすぎるし、何より上りが急すぎる。

小さな沢にぶつかって、左に折れた。
そしたら、さらに上りが急になった。
やっぱりこれはおかしい。
レトロな電柱は良い味出ているんだが。

どんなヒントも見逃すまいと、さらに感覚を鋭くして奥へと進んでいくと…。





ウ―――      ウウ―――          ウウ―――

心臓が停止するかと思った。

いきなりサイレンが鳴ったのである。
それも、もの凄い耳元で。
咄嗟に逃げるような気持ちで振り返ると、nagajis氏も顔面蒼白になって見えた。

このいかにも山中に似つかわしくない水路状の沢は、もしかして鉱山の第一級立入禁止地帯だったのではないか。
一瞬そう思ってビクついたが、冷静になれば(依然けたたましいサイレンが声長鶏のごとく続いているなかで冷静を装うのは努力が必要だった)、我々への警報なんてあるわけ無いのだ。

しかもこんな人騒がせな方法で。

この人を食った大音響は、ダムの放水を予告する警報なのだ。
こういう場面は今までたくさんあったはずだが、こんなに間近で聞かされたのは初めてだった。




そして、 この大音響の中で思わぬ発見があった。



この矢印のちょっと先に……。





非常に予想外のものが…。






出やがった!


水路のような川の対岸に、路盤もないのに突然  が…。

しかも、これまでたくさん見てきたのと同じ…、
神岡軌道の隧道が!


地図にない隧道…

出ちゃったよ。



  サイレン、 止みました。




直前まで警報が鳴り、そしてまたいつ第二報が鳴り始めるか分からないというこの状況で沢に入るなどというのは、もし“冷静ならば”決して踏み出せない一歩である。

この沢は、明らかに増水するのだ。
少なくても、その可能性はあるからこそ、こんなにガチガチに河床を固められているのだろう。
たぶん、この水の大部分の出所は、山上にある発電用水路の余水である。

しかし、予想外の穴に “あてられた” 二人は、冷静な判断が効かなかった。
否。
そもそもの判断の岐路にさえ立たず、何も考えずにすぐ沢に入った。
そして、超えた。

赤沢以来の隧道発見である。





 先の見えない土隧道


16:01

もう何本目だろう。
10本くらいは見てきた気がする。
ロックシェッドと区別付かないようなものもあったが。
今度のは、間違いなく本物の隧道。

それも、初めての洞内水没だ。

出口も見えないし、風もあるような無いような…。


…地図にないくせに、結構長いのかも。






初めての水没隧道と言うことで向後の展開が心配されたが、幸い洞内は極めて平静である。
鏡のような水面が靴先の深さのまま長々と続いており、勾配の緩さを示している。
そして、水面を通してより鮮明に見える気がする洞床は、鉄道の道床としての雰囲気を良く残している。
玉砂利のようなバラストが一面に敷かれているせいだ。




7〜80m入ると、隧道はおもむろに右へカーブし始めた。
そして、水気を帯びてつるりとしたカーブ外側の壁が、美しい緑の光沢を帯び始めた。

すなわち、右カーブから淡い外光が漏れていた。




全長は約100m。

半埋没+水没という悪条件から始まった隧道だったが、ちゃんと出口へ通じていた。

これまでの隧道でも、明らかに洞内で閉塞しているものはなかった。
大正〜戦前までの建設でありながら、いずれも良く原型を留めている印象だ。

険しい地勢を縫うように走る神岡軌道の場合、堅い岩盤が全方位を防護してくれる隧道内よりも、雪崩や落石の危険に常時晒される“明かり”の方がハイリスクだったようだ。
そのことを、40年経った廃線跡が雄弁に語っている。


隧道通過。




 跡津川左岸の軌道跡


16:09


まあ!
なんて鮮やかなでしょう!

しかも、なんか滝の音が凄く近くで聞こえる。

なんなんだここは。




背後の斜面に滝が落ちていた。

道理である。



 …でも。

  この水って、


   どっから?





おおおー!

こういう事ですか!


坑門の上を水路が横断していたのである。

本来は坑口前に流れ落ちるはずだった水が、今もちゃんと“制水”されているわけだ。

人工物と判明したとはいえ滝はなかなか美しく、ちょっと感激した。




なかなか目の覚める始まり方をした「一人」区間。

クルマの音が全然聞こえないのも、久々のような気がする。

しかし、路盤は結構荒れているようだぞ。
この先、大丈夫か?




大丈夫じゃねーみてーだぞ。

マジでスゲー藪だぞnagajisさん…。


今までだったら、たぶん引き返していた状況だ。
反対から来ればいいとか、下の国道からだいたい観察できるからいいとか言って。
でも、今回はそうはいかない。
もしかしたらこの先にも橋や隧道があるかも知れず、しかも実際に辿らないとおそらく確かめられない立地なのだ。




ぐわーー。
クセー。

ヘクソカズラ が、めちゃくちゃマント群落作ってるよー。

こんな海、泳ぎたくねー。
病気治っちゃうよー。

(ヘクソカズラは漢方薬になると言う)




…お?

橋があるぞ! 
橋だ橋だ!!



どこが橋かって?

この足下が橋なんです。

渡ってみると分かるんだけど、確かにガーダー橋があるんです。
長さ3mほどの、鉄のガーダーがね。

まったく見えませんけど…。


その証拠に、nagajisさんの表情が、ちょっと嬉しそうでしょ?




私が嬉しかったのは、むしろこっち。

橋の上に絡まっていたのはヘクソカズラではなく、木イチゴだった。
まだ7月なのに結構熟していて食べ頃であった。

橋の上は栄養不足なのか数は少なかったけど、とりあえず木イチゴ大好きッ子としては新たな収穫ポイントをゲットできて、ほくほく。

足下の藪に首を突っ込んでガーダーを愛でている最中の氏には、この気持ち届かなかったようだが。




16:29

隧道を出てガサゴソガサゴソ、一度もまともな路盤を見ることなく20分が経過。
ここでようやく足下から跡津川の川崖が離れた。
地図を見るまでもなく、“一人”区間の終わりは近い。

遠くに見えるのは、さっき通り過ぎた土の集落。
コンクリートの法面は、旧国道だ。

間もなく現在の国道に出られるだろう。




“小山の裏”には結局隧道はなく、石垣で片側が固められた掘り割りになっていた。

この写真の場所である。

林鉄なんかじゃ珍しくもないが、この神岡軌道ではあまり見ない、空積みの野趣溢れる石垣だ。

そして、この掘り割りを出ようとすると、見慣れたものが邪魔をする。





 ぶっつりと。

思っていた以上に、国道との高低差は残っていた。

「土」を過ぎれば、もう国道とは重なり合ってしまうものだと思っていただけに、これは嬉しいような…、大変なような…。




15:31

軌道跡は掘り割りの出口で、天下の国道法面に吸収合併されてしまった。

進んで進めないこともないが、まずは自転車を取りに戻る潮時だろう。

このまま進むと、あとが大変だ。





次回は、いよいよ1日目の探索最後の場面だ

古地図の隧道ポイントも、 あ る よ 。








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