神岡軌道 猪谷〜神岡間 第12回

公開日 2009.1.20
探索日 2008.7. 3
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牧の軌道跡


2008/7/3 17:22

約300mの隧道を潜り、発見の衝撃がまだ残る「整然たる橋」に戻った。

今度は橋を渡って、柔らかな若草色に包まれた掘り割りへ向かう。
国道41号は、ここから4〜50mほど下手を並行している。
また、その手前に「旧線」のものと思われる橋台も残っている。




掘り割りにはいると、すぐに跨線橋が現れた。

地図には線路を横断するような道は描かれていなかったので、意外な展開だった。
そもそも跨線橋自体、神岡軌道上では初めて見る遺構だ。

nagajis氏の動きが相変わらず早い。
脚部に残像が発生していることに注目。




橋は路盤上4mくらいの位置を渡っており、構造はコンクリート製方杖ラーメン橋である。
跨線ないし跨道橋としては、今日を含め最もよく見られる形式である。
見た感じさほど老朽化はしておらず、直前の隧道やガーダー橋同様、これも「新線」に属する構造物と考えられる。
両側のモルタルで固められた石垣も同様である。

この橋についてはnagajis氏からのコメントおよびレクチャーは戴かなかったが、氏の見解も同様と考えられる。




2つ前の写真でnagajis氏が歩いている部分は、橋の上の敷地と路盤とをつなぐ、おそらく保線用の通路である。
石垣で固められた通路を上り、橋の上へ向かう。
この写真はその途中で振り返って撮影したものだ。
掘り割り内の路盤は今でも定期的に刈り払われているのだろう。
非常に鮮明である。
なんとなく、お濠のようにも見える。

ちなみにうっかりして写真を撮り忘れてしまったが、橋を潜って真っ直ぐ進むと約30mほどで畑に突き当たり、路盤はすっかり消滅していた。



橋の正体は、神社の参道であった。
掘り割りは、本殿に至る参道をまっぷたつに分断していたのだ。
橋には親柱がないので名前は分からないが、一般的にこういう場所にある橋の名前は「神橋」である。

それにしても、軌道が神社を貫くのはこれで二度目だ。
そして、この神社もまた「白山神社」だった。




参道脇に佇む、二体の狛…

こま…


こ ま ナントカ。


狛犬のひとことでは片付けがたい姿をしている。
率直に言えば、 狛アナグマ である。

田舎の神社にはときとして、こういうよく分からない「狛○」がいるので楽しい。



国道に出てみた。

先ほどの跨線橋が、参道のちょうど真ん中あたりを分断しているのが分かるだろう。
そのせいで、参道には多彩な角度の石段と斜路が連続している。
しかしこの景色だけを見て、あの掘り割りや路盤の存在を知ることは難しいだろう。

ところで旧線だが、国道と掘り割りの間のスペースを横断していたものと思われる。
しかし、具体的な遺構は見あたらない。




牧の集落に入る。
土に続いてまた漢字一文字の地名である。
牧場に由来するような地名とも思えるが、『神岡町史』いわく、この近くの高原川に渦を巻く深い淵があり、それを方言で「まきまき」と言ったことに起源するという。

集落は、そんな川から少し離れた、国道と山の間の狭い隙間に細長く続いている。
軌道もその中を通過していたはずだが、残念ながら畑になっていて痕跡を留めない。




200mほど国道を進むと、斜面を駆け下りる三本の鉄管路を跨ぐ。
これは、「神岡水電」が「日本発送電」に統合された昭和17年に運転を開始した、牧発電所のものである。

軌道在りし時代の構造物が現れたことで、しばらく痕跡の無かった軌道が一時だけ復活する。
国道のすぐ上に並行する、写真にも写る石組みの築堤がそれである。




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 牧〜漆山の軌道跡  



17:35

鉄管路を渡ると軌道跡は一旦見えなくなるが、さらに100mほど進んで大字が牧から漆山へと変わるあたりで、また国道の山側に並行する細道として復活する。
その風景は、いかにも狭軌の鉄道らしい。

そして、『鉄歩』に掲載されている地図には、この付近に「漆山」という駅を置いている。
しかし、この駅については本文中に一切記述が無く、また現地にも駅跡と特定できるようなものは見付けられなかった。
漆山集落内には駅らしい敷地がないので(次回紹介)、確かにこの辺りは疑わしいのだが。




思いっきり軌道跡らしい舗装路(自転車道みたいだが一応一般道路)が続いている。

漆山駅がこの辺りにあったものとして話を進めるが、この次の駅は鹿間である。
鹿間は神岡鉱山の精錬場内にあった駅で、その所在地は神岡市街中心部のすぐ手前である。
ここから鹿間までの距離は7〜8kmもあり、これまでで最長の駅間である。
駅と駅の間隔がことさらに広い理由は、言うまでもないだろう。
この駅間には、我々が攻略すべき大難所が二箇所も想定されていた。



え?  写真の矢印は何かって?

それは…。
今はまだはっきりしないんだけど。
「土」を発って以来、ずうっと気になっている山である。



山に押し出されるようにして、軌道跡の道は国道に近づいていった。
そして、合流寸前となったところに、コンクリートの真新しい橋が架かっていた。

ガーダー橋がここに残っていたらよく目立っていたと思うが、以前はどうだったのだろう。

それにしても、よく架け替えの予算が通ったな。
相当にどうでも良さそうな道だぞここは(←余計なお世話だ)。




来た来た来た。

遂にきた。

とうとう、軌道跡は国道と重なってしまう。
これまでは、常に並行しながらも厳然たる比高をもって区別されていた両者だが、遂にここで一致する。




17:37

猪谷駅前を出発してから約9時間半。本当ならば今頃は神岡に到着している予定だったが、実際には6割来るので精一杯だった。
しかしともかくここで、軌道と国道が初めて同じ平面を共有する。

軌道に由来する石垣は、進路を阻む国道の「L東漆山スノーシェッド」基礎工部分に突っ込んで、為す術無く消えている。




なんか肩の荷が下りた。

いまなら、この舗装路面を自転車で走っているだけで、「神岡軌道を辿っている」と言えるのだ。
今までみたいに、路肩の側溝やガードレール、接近してくる対向車や追いかけてくる後方車以上に、キョロキョロと路外を観察する必要が無くなったのだ。

これは普段は気付けぬ、ある一つの幸せの形である。

もっとも、最後までこれが続くのならば退屈だろうが、そうはならないことも知っている。

写真は、上に続いて現れた「K東漆山洞門5」である。
「シェッド」と見た目が変わらないじゃないかというツッコミは、この際しないでおこう。




シェッドと洞門で合わせて500m。
外へ出ると、すぐ左カーブの先に「J東漆山洞門4」が現れた。
どうやら、“窓”の外の地形はかなり厳しいようだ。
“連続スイッチ”が入っている。

肝心の軌道跡の方は、依然国道路盤と一致しているらしく、痕跡を認めない。
軌道の現役時代にも、国道とは言わないまでも車道はここを通っており、両者は綺麗に平行していたのだろう。


また…、矢印を書いてしまった。
そこにあるものが、ずっと目について離れない。
そして、目を反らせない!!




あの山の上に見えるラインは、なんですか?


道ですか。


本当に、あのラインは何なんだろう。
まるで、道だ。

ここから見ても、そのラインを取り巻く斜面が如何に急なものであるかが想像できる。

そこは、スラブ(一枚岩)の白い岩盤が緑の合間に覗く、山頂直下の急斜面である。



道なのか。

もし道だとしたら、どんな状態になっているのだろうか…。

ちなみに…


それは こんな所に見えている。


この件については、正直放ってはおけないとは思っている。

いずれ…ね。




17:47

ちょっと浮き足立ってしまったが、軌道の方も“浮気”を黙って見過ごしはしない。

洞門を抜けてすぐに現れたのが、この「中の谷橋」。
むじんくん(警備員の旗振り人形)がギコギコいっている(本当にギコギコいってる)そばから橋の下を見下ろすと、そこに軌道の橋が見えたのだ。

先ほどまでは山側にあった軌道が、今度は谷側に移ったのである。


「今日はここを最後にするべ。 暗くなってきたし。」




ギャー!!!


グッシャリ逝ってます。

今日これまでに見てきたうちでは一番大きなガーダーが、無惨にも谷へ墜落していた。

見たところ、左岸橋台が崩壊したのが原因らしい。




振り返ると、国道から急激に落ちていく小さな道が見えた。
ちょうど軌道もあの辺りを通って、足下の墜落橋へ続いていたはずだ。

つまり、途中で国道と交差したのである。
そして古地形図はこの交差地点を、軌道側の隧道のようにして描いている。
しかし現地を見て、そこに隧道は無かったと言うことが分かった。
地形的に隧道は考えがたい。
そこにあったのは、跨線橋であったはずだ。




現場に下りてみた。

矢印の方向に軌道跡が続いている。

ちなみに左のコンクリート壁は国道の法肩で、軌道廃止後に作られたもののようだ。




同地点から再び振り返る。

この急坂は軌道ではない。
それは、坂道の下に埋められているに違いない。

今度は、橋へ近づいた。




この橋、イメージ以上に大きい。
橋の半分以上がもの凄い量のクズに覆われているのと倒壊のため、それほどとは見えないが、実際には左写真の全体が一本のガーダーである。

過去に私が遭遇した狭軌ガーダーのなかでは、森吉林鉄の5号橋梁に近いの大物といえる。
藪が落ちた冬の姿も見てみたいものだ。

ちなみに橋が落ちる際には、水道管か何かを道連れにしたようだ。
しかし架け替えられたのは、当然のように水道管単独のミニ吊り橋だけだった。




倒壊の核心部。

明らかに橋の尺が足りなく見えるのは、左岸の橋台が消えて、大幅に陸が後退しているためだろう。
相当に大規模な斜面崩壊が起きたのである。

また、鉄製の橋脚が基礎のコンクリート塊ごと橋の下敷きになっているのも見える。
ガーダー橋に鉄製の橋脚という組み合わせは個人的に見たことが無く、現役当時の姿を見たかった。






そして。

この対岸が、

明日のスタート地点。


いやすぎる…。




17:56

最後も橋を見付けて大満足。

本日の前進はこれまでとする。

また明日ここから。




車を置いてある猪谷駅までは、下り基調の12km。
淡々とアスファルトをなぞるだけなのだが、路傍のあらゆる景色に思い出がある。
こうやって今日一日の思い出を倍速巻き戻しで駆け抜けるのは、充実感と達成感を噛みしめる幸せな時間だ。
帰りが全部下りになるようなコース取りは、偶然ながらすばらしいご褒美だった。

日頃の行いのせいか、中盤からは猛烈な夕立にあたったが、それさえも楽しかった。
私はnagajis氏とのレイニーサイクリングに、なつかしい“チャリ馬鹿トリオ”の帰り道を重ねていた。


午後7時過ぎに猪谷駅に戻った我々は、今度は車を運転して神岡へ向かった。
午後8時、「道の駅かみおか」着。

途中で見付けたコンビニで、スタミナが付きそうな夕食を調達した。

明日はきっと、今日以上に大変だと思うから…。

もぐもぐ。 ごっくん。


食べたらあとはもう寝るだけ。

車の中でながまると、今日潜った隧道達が浮かんできた。

1本2本、3本、よんほん、 ごほ  … zzz。









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