神岡軌道 猪谷〜神岡間 第9回

公開日 2009.1.18
探索日 2008.7. 3
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本邦有数の金属鉱山(亜鉛・銅・銀など)として、一時期は「東洋一」と呼ばれるほど繁栄した神岡鉱山。

神岡軌道は、この神岡鉱山のある岐阜県飛騨市神岡(旧神岡町)から、高山本線との接続地である富山県富山市猪谷までを、高原川の渓谷に沿って敷かれた24km余りのレールで結んでいた。
坑道内のレールと直接接続するために幅610mmという、森林鉄道よりもさらに幅の狭い軌間を採用していたが、鉱産物の輸送はもちろんのこと、生活物資や人員の輸送に至るまでを一手に担い、この地域の発展を長らく支えた、今なお語り継がれる地方鉄道である。

その長大な廃線跡の全容を探るべく、2008年の盛夏に現地探索へと赴いた私とnagajis氏は、朝から予想以上に豊富な遺構…特に隧道…を発見し歓喜したが、同時に路盤を覆う激しい草藪にも悩まされた。
そのため予定のペースより大幅に遅れた我々は、ニー○っぷりを発揮するように探索日程の一日延長を決定した。
そして急遽「初日」となった本日の最終目的地を、中間地点を少だけ過ぎた「漆山地区」に再設定した。(当初は一日で神岡まで行くつもりであった)

前回の最後は、漆山の一つ手前の「土」という集落の入り口まで到達した。

今回は、土集落近辺の軌道を捜索する。





飛騨市神岡土。
この「土」は「ど」と読み、神岡町史などによればかつては「渡村」ともいったというから、高原川と跡津川が合流する地点に開けた渡し場だったのであろう。

右の地図を見ていただきたいが、現在の国道41号は集落を通らない。
集落を通っていたのは旧国道なのだが、その入り口は上の写真の通り、封鎖されている。

そして軌道もまた土集落を通り、しかも茂住以来久々の駅(約4kmぶり)を置いていたという。
何か跡は残っているだろうか。




 軌道跡との再会


2008/7/3 15:30

地形図にも描かれているが、ちょうどこの封鎖された旧道入り口の脇に、発電用の鉄管水路が通っている。
土集落に入れば軌道跡におそらく簡単にアプローチ出来るであろうが、この鉄管路を上ってもまた、軌道跡へ接近することが出来るだろう。
善は急げと言うことで、チャリをゲート前に止めて、二人は炎天下に熱せられた鉄管路の輻射熱の凄まじさに顔をしかめながら、平行する急階段の管理歩廊を上ってみた。

幸い、たいした高低差ではない。




20mほど上ると、鉄管路の上端に着いた。
鉄管路はここで小型のサージタンク(水圧調整用のプール)を介して、地下へ潜っていた。
サージタンクの土台に「立入禁止」と書かれた、まったく塞ぐ気も無さそうな四角い隧道?が現れた。
今回は発見に恵まれているので、「また見付けちゃったよ〜」なんて軽いノリで入ったところ、それは奥行き5m足らずで終わっていた。
サージタンクの調節バルブが置かれているだけであった。

な〜んだ。



後日調べたところ、この鉄管路の正体は「神岡鉱業 土第二発電所」の発電水路であった。
有効落差34m、出力1000kWといえば、現代の発電所としてはかなり小型の部類であるが、現役の施設である。
竣工は昭和10年頃だという。

そういえば、敷地内にはこんな境界標が倒れていた。




サージタンクの裏手を、何食わぬ顔で軌道跡が横切っていた。

前回軌道を確かめたのは赤沢付近に橋を見付けたときで、そこから約1.4kmを空けての再会となる。

これまでになく距離を空けてしまったので、何か見逃しがあるのではないかと後ろ髪を引かれる感じはしたが、今回は、国道からおおむね確認できる部分の踏査にはこだわらない方針である。
見逃しがあったらスマン。(時期を改めての第二次探索も将来構想にはある)




ということで、穏やかそうな路盤が続いている富山方の探索は断念し、明らかに藪の深い神岡方へと歩き始めた。
写真右に写っているものが、いま上ってきたサージタンクである。

歩き始めるなり、nagajis氏が悲痛な声を上げた。
何かと問うと、ナタを無くしたのだという。
彼のナタは、私から見ても愛用品だと一目で分かる、大変使い込まれた逸品である。
探しに戻ることを提案したが、彼は寂しそうに「いいよ」と言う。

nagajis哀れ。





藪が深い路盤上を南に向かって歩き始めると、すぐに視界が開けた。
合流する2つの川の間に島のような小山が立ち尽くす、そんな特徴的な地形が一望された。
土の集落は、左手前の山林に隠されて、まだ見ることが出来ない。

問題は軌道である。
それらしいひっかき傷が見えるのは、小山の左側の斜面だ。
小山の右側には国道が目立つが、軌道はそれと一体になっているのか特定できない。
写真だと小山には隧道がありそうだが、地形図を見ると、小山の裏側に十分低い鞍部がある。
隧道があるかどうかは、まだ分からない。



急に視界が開けたのも道理である。
路肩の外はもの凄い絶壁になっていて、下を覗くとアスファルトの上に浮かんでいるような錯覚を覚える。
旧道のさらに下に見える妙に白っぽい場所は、跡津川が高原川にぶつかるところに出来た広い川原である。




ナタを失った悲しみを振り払おうとしているのか、急に足が速くなったnagajis氏は、絶壁をものともせず腰丈の藪を泳いでいく。
足下が全然見えないのに、路肩はこの垂直の崖だ。

奴は死ぬ気なのか?!




さらに30mほど進むと、路盤はごっそり無くなっていた。
いかにもスプーンでえぐったような窪んだ崖は、ここで大規模な土砂崩れがあったことを教えている。
良く日の当たる急斜面には一面にイバラやアザミが密生しており、ここを時間をかけて横断しなくても、反対側へは土集落側から来れるだろうと妥協した。

自転車をいちいち登り口に置いてきていると、比較的引き返す口実が作りやすくて助かる。(本音)
レポートを読む皆さんからすれば、進行方向が頻繁に入れ替わるのはウザイだろうが。

15:27 軌道跡から一旦撤収。




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 旧国道から、土集落へ 


15:30

nagajis氏が落としたナタは、サージタンクの脇にあった。
無くしたと騒いだ場所から10mと離れていなかったのが可笑しかったが、何はともあれ見付けられて良かった。

気恥ずかしそうな彼の背中を堪能しつつ、軽くゲートをあしらって旧国道へと入る。
左に見えるコンクリート吹きつけの高い斜面の上に軌道がある。
その先の木の生えていない斜面が、直前の断念地点だ。

軌道跡を歩いたと言っても、ここではほんの100m足らずだったと言うことになる。




断念地点直下の旧国道は、大量の土砂と、その上に育った夏草に埋もれていた。
そこで振り返った私は驚いた。

旧道のわりに綺麗なガードレールだと思っていたその道は、実は桟橋だった。
しかも、いかにも仮設用の作りである。
どうやら、本来の旧国道は路盤ごと跡津川に持って行かれてしまったようだ。
地形図上ではさほど険しさを予想していなかったこの場所だが、軌道と旧国道の両者にとって難所であったことが分かる。




通行止め区間は僅か200mほどで、短い廃道探索であった。

我々の興味もまた、頭上に並行する軌道跡へ戻る。




跡津川沿いのわずかな緩斜面に民家が密集する土は、予想以上に寂れた場所だった。
もともと鉱山関連の他に目立った産業のない山間集落であり、いまや国道もバイパスしてしまい、さらに旧国道も通行止めの袋小路となれば、大変だろう。

集落中程で旧国道は跡津川を渡り現国道へ戻るが、その手前で川沿いの市道へと左折する。
土駅の跡と思われる平場は、これを300mほど進んだ左にポツンと現れた。



15:42 【現在地(別ウィンドウ)】

たぶん、土駅跡。

写真は振り返って撮影。
左が来た道、右が富山方向の軌道跡だ。
右の車庫が建っているあたりも綺麗な平場になっており、この広さは駅跡を十分匂わせる。
というか、土にはここ以外に駅をおけるような平地がない。



昭和30年頃の土駅の様子だそうだ。

軌間610mmというと、一般的な森林鉄道よりもさらに幅の狭い軌道だったわけだが、写真からはそんなに貧相な印象は受けない。
むしろ森林鉄道の拾ってきたような客車に較べれば、ちゃんと旅客営業の許可を得ていただけあって、ずいぶん本格的に見える。

「土(ど)」のような一文字一音の地名自体珍しく、三重県の「津(つ)」駅と並ぶ最短の駅名として、当時の鉄道愛好家(“鉄オタ”はまだいない)にはよく知られていたという。
ローマ字表記では「TSU」よりも「DO」のほうが短いしな。




駅跡から先ほど引き返した地点まで、軌道跡を戻ってみることにした。



奥に何かあるのだろうか。
この路盤はいまも管理されているようで、クルマの轍が鮮明に残っている。
ややオーバーハングになった崖伝いに進む危うい道だが、自転車に乗ったまま走れるのが気持ちよくて、ついついペースを上げてしまった。




おおっ。

いい雰囲気じゃん。


神社の境内を横切る軌道跡は、とても良く原型を留めている。
舗装された参道が渡る部分には、踏切がまだ残っていそうなくらいだ。

境内のおおきな碑(いしぶみ)によれば、神社の名は白山神社というらしい。
立派な石鳥居といい、よく刈り払われた明るい境内といい、うらぶれた集落の印象を覆す、清純で健やかな空気が満ちている。
特別に信心深くない我々でさえ、チャリに乗ったままの通行に遠慮を感じたほどである。




さらに進んで土集落裏の山腹を横切るところでは、一軒の民家が路盤の上に建っていた。
ここまであった鮮明な轍も、この家人のための専用道路だったようだ。
その証拠に、家の裏手で轍は途絶え、あとは腰丈よりも深い藪に埋もれていた。
そして、先ほどの崩壊地点へと繋がっていた。

15:45 確認が取れたので引き返す。
この土集落内に残る500mほどの廃線は、荒廃著しい神岡軌道内では奇跡的に良く原型を留めている。
戻ってきてみて正解だった。




今回は、土集落の裏手に残る廃線跡、約700mを確かめた。

珍しく(?)隧道にも橋にも出会わなかったが、次回は少し期待しても良さそうだ。
というのも、旧版地形図に描かれている数少ない隧道のひとつが、土駅と次の漆山駅の間にはあるからだ。


  久々に再開した神岡軌道踏破レポ、

   次回をお楽しみに。










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