神岡軌道 第二次探索 (東漆山編)

公開日 2009.11.2
探索日 2009. 4.27

「第一次探索」においては、玉石練積によるかつて無い巨大な掘り割り…玉石回廊…との遭遇を果たし、その余韻とも言える充足感に満たされたまま探索を“終えた” 「東漆山〜二ツ屋間」であるが、藪が非常に深かったために実際の踏破をほとんど行わず国道上からの俯瞰観測をベースにしていた点で、「オールラインレポ」との誹りを免れ得ないものであった。

「第一次探索」を補完する目的で企画されたこの「第二次探索」において、東漆山の未踏破区間は最後のターゲットであった。
だが、どうしても間の悪い…ツキのない場所というのもあるもので、私は“再びの夕暮れ”をこの地で迎えようとしていた。

残念ながら、完全踏査への野望はここで再び綻びたのであるが、それでも第一次探索にはなかった踏査を僅かながら行い得たので、ここに報告する。
願わくは、任意に日暮れを遅くできる装置、ないし自分の周りだけしばし昼を持続させる装置の開発を…。


※このレポートで特に注釈無く「前回」という表現を使った場合は、2008年7月の「第一次探索」を指すこととします。




 藪が落ち着いた時期の 東漆山〜二ツ屋間


16:51 《現在地》

“衝撃的ガーダー橋”(中之条橋)から、トレースを続行する。
季節を改めた効果は絶大で、前回は全く見えなかった軌道跡の平場は、今回国道から鮮明に観察することが出来た。
しかし、二重の意味からこの“区間”の踏査は諦めなければならなかった。

ひとつは、時間がないということ。写真は「高感度モード」で撮影しているのでそうは見えないかも知れないが、肉眼で見る風景はかなり薄暗い。
そしてもうひとつは、ガーダーが崩れ落ちてしまったため、物理的にアクセスが困難になっているということだ。
国道側には高い擁壁が続いており、直接アクセスすることは出来ない。




“玉石回廊”の100mほど手前の軌道跡を、国道から俯瞰する。

やはり夏場はほとんど見えなかったラインが、相当に鮮明である。
また、次のカーブ辺りから、斜面をくだってそこへアプローチすることが出来そうに見えた。

ここまで国道から完全に目視確認されてしまっていることが、アプローチへの意欲を削いだ。
しかし、実際に歩けばまた新しい風景を得られたことは間違いのないことで、私にとって重要なオブローディングの目的である「当時の車窓を復元・追体験する」という意味においても、やるべきだったのだが、いかんせん時間切れである。

後ろ髪を引かれながら、先へ進む。




藪の落ち着いた時期の“玉石回廊”も見たかったが、国道から往復する時間を考えて断念。
写真はそこを過ぎ、再び国道から軌道跡が観察されるようになる地点である。

前回は藪深くここからは見えなかった石の橋台が、今回はよく見える。
広大な草原には地割り(畦)の模様が現れており、そこが休耕地だったということも今回初めて知ったことだ。




上の写真と同一地点から、進行方向を俯瞰。
畑端の築堤が軌道跡で、それはやがて小さな林に潜りつつ、国道下の斜面に身を寄せる。

これで、東漆山一連の国道と軌道の遠接は終了である。
全貌を把握したことに一定の成果を認め、先へ進む。

日が落ちて、急に肌寒くなってきた。
車を東茂住に停めてきたままなので、帰りはこの冷たい空気を何キロか切って走らねばならない。
もっとも、ほとんど全線が緩い下りになっている事を知っているので、さほど憂鬱ではなかったが。




東漆山の国道下に、予想以上の規模をもって広がっている休耕地。
神岡軌道より低位にも、さらに2段の大きな田んぼの跡があった。

特に交通不便でも、日当たり不良でも、集落から遠いわけでも、作業上非効率な狭小農地でも無さそうなのに、すでに木が育っているなど放棄されてから久しい様子。
そこに旧鉱山地域の悲哀を感じたのは言うまでもない。
実際に昭和28年の地形図では東漆山にかなりたくさんの家が描かれているし、当然この一帯も田んぼの記号で埋め尽くされている。

そして、ずいぶん久々に目撃する、神岡の“新しい方の廃線” 「神岡鉄道(旧:国鉄神岡線)」 の路盤を。




そして、集落から離れて再び山峡の地へ分け入る。
連なるロックシェッドの下に、新旧2本の廃線が並行するという、珍しい状況がここに現出したわけである。
このことも、藪の深い時期には(目で見えないだけに)なかなか実感しがたい事であった。





さて、この区間の神岡軌道跡の状況であるが、国道の拡幅に伴う盛り土や、雪崩とともに供給される土砂の堆積などによって、大部分が斜面に埋没消失している。
しかし断続的にそれと分かる平場が取り残されており、その様子はテラス状に張り出した歩道から観察することが出来た。




「今回お気に入りの一枚」である。

「神岡鉄道」の痕跡は、まだ廃止から3年目でしかも観光鉄道への復活を模索している最中とのことで、一般的な廃線というイメージではくくれない精彩を放っていた。

それは「飛騨の地下鉄」と呼ばれたりもした非常にトンネルの多い線路だけに、国道と並走する区間はあまり多くない。そもそも、高原川の右岸を走る距離自体が長くない。

そんな希少な立地において、さらに神岡鉄道の先代である「神岡軌道」の廃線跡が、両者の間に綺麗に納まっているというのは、運命的な妙を感じてしまう。
しかも、軌道に関しては見る人が見なければ気付けないような淡さであるのが、そそるではないか。
ここまで追ってきた私(我々)だけが、この風景に多重の価値を見出し得たのである。  …とは自惚れ過ぎだろうか。




《現在地》

(←)
「G東漆山洞門2」の北口まで来た。
そろそろ軌道が国道と交差し、再び国道が下になる場面である。
今回は、その交差地点をより明確にしたいと思っていた。

(→)
同一地点から見下ろす高原川。
神岡鉄道が右岸を見切って対岸へ渡っていく鉄橋が見えた。(これは前回も気付いていたが)




「G東漆山洞門2」からの、交差地点の遠望。

前回推定した交差地点は間違っておらず、やはり次の「F東漆山洞門1」の途中で交差していたようである。


新発見を求めて、次は「赤矢印」の地点へ進む。



行く手には、「E二ツ屋洞門」が見えるが、

軌道は確実にその上方へ離れて行っている。

見切れる地点が、だいたい「二ツ屋」集落の入口である。


更に赤矢印の地点へ進む。



17:40 《現在地》

写真は、FとEの間の短い明かり区間で、来た方向を振り返って撮影。

この第二次探索の最南到達地となるこの場所で、私は久々の新発見を得た。




先ほど通り過ぎた「G東漆山洞門2」の直下に、明瞭な軌道跡のラインを見出したのである。

あそこに行けば、軌道が国道とぶつかる最後の場面が特定できる可能性が高い。
そうすれば、交差部の現状も自ずと明らかになろう。

進路反転。

赤矢印の地点へ、GO!




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……と、 その前に……


見てはならぬモノを見てしまった。



対岸に……。



なぜ、あんな場所に石積みの擁壁があるのか?

護岸工事ならばもう少し近代的な施工があるはず。

それに、何となく片洞門的に崖を削ったような痕跡もある…。


多分だが、これはあの「割石の高崖(たかはな)道」から続いてくる、「旧越中街道」の遺構ではないかと思う。
昭和28年版地形図には左岸伝いに一本の破線の道が描かれているので、きっとこれがそれだ。

神岡近辺の廃の懐は、まだまだ奥深いらしい…。




交差部…。


ひと言で言えば、やっぱりダメでした。

国道の路肩下の擁壁に遮られるように、軌道の路盤は瞬殺。
何ら交差の痕跡を留めては居なかったのである。

これが唯一の新発見というのでは、「わざわざ回を一回設けた」意味が薄いだろう。
罪滅ぼしではないが、ここから本当に暗くなるまで少しだけ、軌道跡を逆方向に辿ってみたいと思う。

第二次探索の「東猪谷〜神岡」間における最後の実踏である。





交差地点から軌道跡を北へ向かって歩き始める。

…が、何もない。

遠目には軌道跡のラインと思っていたものが、実は国道の擁壁と斜面とが接する、ただそれだけの「ライン」だったのだ。
ますますしょぼくれた展開に涙。
文字通り、日が照っている間だけが今日の私の晴れ舞台だったか。
当然、責める相手もないことだが…。






いや!!

これは、遺構発見だ!

地味だけれど、明らかに人手の加わった自然物。
きっとこの下に軌道を通じていた、小さな片洞門のような構造物を発見!

しかも、なんかおかしな事になっている。






片洞門を形成していたはずの大岩には、巨大なコンクリートの支柱が“噛ませ”られていた。

その上にあるのは大胆に張り出した国道であり、軌道がかつて穿っただろう片洞門は、国道の安全のために“処理”されていた。

珍しい眺めだ。



柱の隙間を通って更に進むと、軌道跡は頭上の国道の影に怯えつつも、ひとときだけ鮮明さを取り戻した。

路肩は丸石の石垣で固められたり、または削り出されたままの絶壁になっていて見晴らしがいい。
そして、眼下には「神岡鉄道」のトンネルの出口と、それに連なる鉄橋が間近であった。

神岡鉄道の廃線跡は、鉄橋やトンネルの出入り口に簡単な柵が築かれているのが見えたが、その他はまさに現役の線路と何ら違うところはなく見えた。






神岡軌道と神岡鉄道。

神岡鉱山在るゆえに生まれ、無きゆえに廃止された2代の鉄道。

恐らくはその最も明瞭な立体交差地点である。




うっかり高感度モードを切った状態で撮影した写真。

すでに足元もおぼつかない状況で、ヘッドライトを点灯させて探索していた。

しかも、再び国道が張り出してきて軌道の進路を奪う。





失われた路盤を空想しながら、壁伝いを進む。

うち捨てられた路盤を土台に、国道だけがますます肥え太っていく様子は、現代を象徴する眺めのようであった。





18:14 《現在地》

国道の壁から解放されても、再び明瞭な路盤が現れることはなかった。
そこにあったのは、見渡す限り続く急斜面。
歩いて歩けないことはないだろうが、時間的にも、モチベーション的にも、この辺りが頃合い。

私は踵を返すと、そのままチャリも回収、一路車へ帰った。

こうして、多くの新発見と幾つかの課題を残して、第二次探索の“南方攻略”は終了した。
明日11月3日は、初めての“北方攻略”に着手する予定だ。
すなわち、昭和6年という極めて早い時期に廃止された、「東猪谷〜笹津間」の調査である。