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※ このレポートは長期連載記事であり、完結までに他のレポートの更新を多く挟む予定ですので、あらかじめご了承ください。
6:07
昨日の15:53に前進を断念して撤退した軌道跡へ、約14時間ぶりに再会した。
昨日の撤退地点から、地図上からの推定で、1.7kmほど終点側とみられる地点だった。
やはり、カレイ沢に軌道は来ていた。
このこと自体は驚くにあたらない当然の帰着だが、実際に辿り着けたことが大きな発見であり、探索当時において、早川林鉄の探索に新たな一紀元を切り拓いた……と自惚れさえした。
なぜなら、私が当時検索して把握していた限りにおいて、観音経〜奈良田間の軌道跡へ外部から辿り着いていたのは、ここまで何度も“匂わせ”ている、ある一組の探索者を除いては他になく、彼らについても、その発表の中で、「道なき道を歩いた関係上、進入ルートは伏せさせて頂きます」としていたために、進入ルートが定かではなかったし、また彼らが探索したのは観音経〜カレイ沢間であり、私が今到達したカレイ沢以南の軌道跡ではなかった。
したがってこの先の探索は、昨日探索した区間の全てと同様、私の中で“完全に初めての風景”となるものだった。
そしてもう一つ、ここで再会した軌道跡について、喜ぶべき大きな発見があった。
それは、レールが(おそらく敷かれた状態のまま)残っていたことだ。
これについては、あまり期待感を煽るとハズしたときにショックを受けそうだったので書いてこなかったのであるが、実は昨日の撤退直前に、“尾根F”と勝手に命名した地点で【敷かれたままっぽいレール】
を見つけた時点で、撤退地点の先にはレールが残っているのではないかという予想をしていた。
その予想が当ったようだ。レポート中ではまるっきりの後出し推理になってしまったが。
なお、この予想には昨日見たレール以外に強い根拠があって、それは、『トワイライトゾ〜ンマニュアル7』に紹介されている観音経以北の軌道跡に平然とレールが残っている部分があることや、前述した“ある探索者”による観音経〜カレイ沢間のレポートにもやはりレールが登場していたことを知っていたことだ。
そこまで知っていたからこそ、昨日“尾根F”でレールを見つけたときに、自然と、「ここ(尾根F)から終点側のレールは撤去がされなかったのではないか」と思ったわけだ。
何の因果か、偶然か必然か、昨日の最後に見つけたレールが、今日の探索への最高の橋渡しをしたような展開だった。
そして、この長い早川林鉄のうち、“尾根F”より南のレールは撤去済みで、北側は未撤去というのは何か意味があることだと思う。
一番可能性が高いのは、昨日撤退した“尾根F”の崩壊地が原因で、それより奥のレールを撤去して運び出すことが出来なくなったという説だろう。
災害で撤去列車が走れなくなるというのが、林鉄跡にレールが残されたままになる一番の原因だと私は思っている。
ともかく、あとはこの足元のレールを出来る限り忠実に辿って、昨日の撤退地点の裏側へ辿り着くことである。
それが当面の目標。
片道推定1.7kmの往復、張り切っていってみよう!
(1日目のやり残し)
現在地〜尾根F (推定)1.7 km
(2日目の最終到達目標)
現在地〜深沢尾根軌道終点 (推定)6.5 km
6:14
前回最後の写真で奥に見えた“切り通し”へ到達。
ガレガレに路盤が埋れていてレールも見当らなくなっているが、それでもカレイ沢からここまでの“ただの斜面と見分けが付かない路盤跡”よりは、マシ。
もしここに切り通しを発見できなければ、マジで諦めて撤退していた可能性大である。
いろいろな意味で値千金の切り通しであった。
通過して、先へ進む。
6:16
よしよし! レールだ! またあった!
すっかり路盤は崩れて斜面へ変わってしまっていても、前後が崩土に埋れて地中に固定された状況のレールは簡単に墜落せず、このように架空しながら存在し続けることがある。
廃止から極めて長い時間が経過した軌道跡で、時々目にする光景だ。
レールを路盤に固定していた枕木は、もう完全に腐葉土になって消滅してしまったんだろうな。欠片も残っていない。
いやはや、これは本当に嬉しく楽しい!
片側1本だけでなく、遂に2本並列した状態のレールが露出していた。
崩壊地から突端が突き出ているだけだが、レールが敷かれたまま放棄されていることは確実だ。
辿り着いた軌道跡にレールが敷かれたままに残っている。
こんなことは、私の場合、50本探索して1回あるかどうかのレア事象だ。
それも、残っていることを誰かに教わってきたのではなく、自分で見出した発見だから本当にたまらない。夢のようである。
しかし、そんな喜びとは裏腹に、路盤の現状は私の歩行の便宜を全く計ってくれていない。
平らな場所が、本当まったくと言って良いほどない。常にガレた斜面か凸凹の木の根か、そんな感じの道である。 否! 道とは思えぬ状況だ。
今はまだレールの喜びが勝っているが、とてもペース良くなんて歩けないし、疲れも当然蓄積するだろう。
そしてなんと言っても忘れてはいけないのは、いま歩いている部分は、必ずこのあと往復して戻ってこなければならないはずだということだ。
往復で、時間は2倍、疲れも2倍、危険も2倍あるいはそれ以上である。
6:19〜6:21 《現在地》
カレイ沢に注ぐ小さな支流の谷を横断する。
写真は、その前後に撮影。チェンジ後の画像は渡った後で振り返った。
見てのとおり、橋はおろか、橋台になるような石垣なども全くなく、遺構は皆無であった。
レールももちろん途絶えていた。
6:22
小谷を渡って、続きの路盤。
やはり壊滅的に崩れ果てているが、山側に高く切り取られた法面があるおかげで、軌道跡“らしさ”が増していて嬉しい。
そしてこの先、風景に高度感がある。
既にカレイ沢の“左岸”というには、底から離れすぎたと思う。“左岸山腹”という感じの高度感だ。
この先もっともっと高くなっていくだろう。
6:25 《現在地》
おおおっ! カレイ沢が山水画みたいなシルエットを作る出口の向こうに、早川(野呂川)の対岸を走る県道37号南アルプス公園線の白いガードレールが真一文字に見えている!
地図で確かめると、見えている県道まで直線距離で1kmちょっとしか離れていない。高さはだいぶこちらが上だ。
さっきの夜叉神隧道がある南アルプス林道とあの県道は、どちらも野呂川総合開発の柱として、ほぼ同時に山梨県が整備を進めた道であり、役割と事業主体の両面で、早川林鉄の後継といえる存在だ。軌道と同時に使われたことはない道なので、このような軌道跡からの眺めも、見たことがある人はほとんどいないものと思う。
したりと見てやったぜ!
眼下に県道の姿を見た地点から見る、私の進路。
…………あれ?
ちょっとなんかヤバくないか?
透けてる色味に、いやな予感が……。
うわーーーッ!!
マジかぁ〜〜!!涙
そりゃ、可能性は常にあったわけだけど……
まさか昨日一日歩いて最後に一度出会った(そして撤退した)崩壊地と同程度に見える巨大崩壊地が、こんなすぐに現われやがるとは……。
(でもこのとき、一番最初に感じた気持ちは“安堵”だった。 なんでかって? それは、昨日の撤退地で、あのまま前進する決断をしなかった事への安堵である。)
うん……
間違いなく軌道跡はここで絶たれてる。
レールが、落ちてってるからね……。
せっかくレールも見つけたっていうのに、短え命だったぜ……。
6:26
厳しい状況だが、
易々とは諦めきれん!
ここを諦めてしまったら、昨日の撤退地点まで残り1.4kmくらいは、私の中で永遠に謎のままになってしまう。
特殊な地質なのか、周囲に比べて妙に岩石が黄色く、草木からまるで見放されている感じがする崩壊地だ。
ほとんど視界を広げる余地のない“末端”から見える、限られた情報から総合的に判断して、この崩壊地に対する高巻きは高すぎて現実的と思えず、カレイ沢まで下りての下巻きには可能性があるかもしれないが、迂回の規模からして1時間は優に費やしそうだ(もちろん成功できる保証もない)。
崩壊地の奥行きは70mくらいありそうだが、その中央よりもこちら側に少し寄った辺りに、崩れ残った岩尾根のような部分がある。
その岩尾根を軌道は掘り割りで越えていた可能性が高い。目立つ尖岩となっている部分の左(★の位置)が、おそらくその跡だ。
巨大な崩壊地であるが、冷静に観察すると、突破が難しそうなのは、この岩尾根の直前の破砕化した黄色い岩場のような部分だけで、残りは通常のガレ斜面と同じく通過可能に思えた。
前進を簡単には諦めきれんし、また昨日の方針と同じだが、可能な限りは正面突破を優先することで時短と体力の温存を図りたい(さらに今回は往復することも織り込み済み)ので、まずは上記した“難しそうな部分”を、実際に崩壊地内へ入って調べてみることにする。
6:26 突入!
崩壊によって深く抉られたようになっている岩混じりの土斜面は、今朝の低温によって霜が立っていた。
実はこれは少しだけ好都合。霜によって土がフカフカにされると、グリップ力がアップする。乾いているよりも良かったりする。
そんなわけで、さほど労せずに問題の岩尾根の取り付きを実際に体験できる領域まで迫ることが出来た。
(実はこの場所で私は非常に大きな発見の見落としていたが、幸いにして帰路があったおかげで、それを回収できた。帰路の報告をお楽しみに……。ここで私は何を見つけたのか…?)
チェンジ後の画像は、目指す岩尾根を崩壊地内から撮影。
少し見下ろすようになっているのは、崩壊地内で少し高巻きをしたからだ。
見てのとおり岩尾根の周囲は、本来の硬い切り立った岩盤と、黄色っぽいグズグズの土砂面が混在しており、全体的に急傾斜である。
遠目に見た印象と変わらず、やはり突破は難しい感じがする……。
6:32 岩尾根到達。
ハハハ!!! 見たか! 辿り着いてやった!
岩場にへばり付いて、試行錯誤という名の悪戦苦闘を演じた数分で、完全に“取り戻した”感じがした。
昨日の私がこの軌道跡で自然に身につけた恐怖感の麻痺と、ただの怖いもの知らずとも違うと自分では思う鋭い感覚のようなものが。
まあ、間違いなくリスキーなことをやったとは思うが、その成果はありがたく受け入れよう。 \(^O^)/
マジでホッとした。
岩尾根の向こう側に突破出来ない地形が隠れていたら最悪だったが、そういうものはなく、予測通り、穏便な?ガレ場が40〜50m続いているのが確認できた。
これでひとまず、この難所の突破は確約だ。
ホッとした。
岩尾根の上から振り返る、いま渡った崩壊地。
たった1本だけ、レールが山肌から突き出していた。
それがこの場所に、昭和18年から20年まで、わずか3年間だけ軌道という道が通じていた名残であった。
平場もなく、道跡もないが、このレールだけが、主張していた。
カレイ沢からここまで、まだ300mしか軌道跡を歩いていないが、その感想は、何もかも終わっているという言葉に尽きた。
昨日歩いた区間と比べてどうということはない。同等にこれ以下はないと思える底悪(そこわる)だった。
こんな区間が昨日と今日の分、合せて十数キロも続いてしまうことが、早川林鉄が“日本最凶暴最凶悪の林鉄”だと私に信じられる所以である。
しかし、こんなに悪辣でも……
風光絶佳。
笑顔で人を殺せる性格でも、超美人で許されやがる。
昨日からずっと同じ軌道跡を歩き続けて12km附近にいるが、軌道跡からこんなに白い山が見えたのは初めてだ。
昨日の昼前に通過した6km地点の“尾根D”も優れた見晴台で、これと同じように上流を【見晴らした】
が、あの時は見えなかった真っ白い山が今は見えた。
山座同定はしていないが、支流早川と本流富士川の分水嶺上にある最高峰、甲斐駒ヶ岳(2967m)か、その周辺の山だと思う。
(これ本当は北岳(3193m)周辺らしいです)
早川を遡ること、富士川合流地点から四十数キロでここへ至り、あと二十キロほどで、あの頂に達する。
さすがに軌道は山頂の近くまでは行かないが、それでも終点は七キロも上流であり、そこは一体どんな風景だろうか…。
無事に終点に辿り着けたら、そこがどんな場所であっても私は涙を流すだろうな。そんな予感がする。
……3分後。
6:35 《現在地》
案の定、残りの斜面は容易く横断がなされ、この崩壊地に逢着してから約10分のタイムで正面突破に成功した。
これでなんとか目的地へのバトンを繋いだことになるが、往復しなければならないという観念が心を常に縛り付けるのは如何ともしがたかった。
楽になるためにも、早く目的地に到達し、進路を逆転させたい。
正順に終点へ向かう行程に早く復帰したいのである。
というわけで、チェンジ後の画像が進行方向。
巨大崩壊地の直後だというのに、妙に平穏そうで嬉しい半分腹が立った。
お得意の飴と鞭作戦か、それとも騙しの手口か知らんが、今は乗ってやる。
6:40
3分ほど休憩してから前進再開、その直後、
今日これまででは最も良好な状態で敷かれているレールを発見した!
カレイ沢からここまで、確かにレールの撤去は行われていないと思うが、路盤の保存状況が悪すぎて、レールを確認できたのは、崩れた路盤の断面から露出しているようなものばかりだった。
だがこれは違う。
昭和20(1945)年の廃止から70年以上にも及ぶ落葉や土の堆積に耐え、路盤上にそのまま残っていたレールだ。
残念ながら片側のレールしか見えないが、それでも嬉しかった!
なお、レールは林鉄用としては最も軽量で低規格用の6kg/mのようである。
6:41
おおおおおお……
急激に、道を取り巻く地形の傾斜がヤバくなってきた。
先ほどの崩壊地よりも傾斜が強い。素掘りの法面がめっちゃ高い。
今のところ崩壊はしていないが、この傾斜は不穏過ぎる。
大丈夫だろうか……。
この先の地形の険しさは、カレイ沢の対岸の見え方の近さからも感じられると思う。
谷はこれより先、典型的なV字谷の猛烈な急湍となって早川の本流へ吐き出されている。
おそらくそこは完全に人の往来を阻んでいるだろう。
ハラハラしながら、岩稜線のカーブを曲がる――
6:42 《現在地》
これは本当に、ヤバそう…。
見るからに垂直のシルエットが見えるが…、
やりおった!(歓喜)
6:43 《現在地》
やりました! 昨日に続き、本日も完全初見の隧道を発見した!!
しかも、高度感がありすぎて背後がもはや空である垂直の岩尾根を抜く隧道は、完成した山水画の世界のよう?……いや、こんな大人しい言葉ではとても語り尽くせない、とにかくエキサイティングな超美形だった!
嬉しすぎる!
この辺りは地形図における等高線の密度が凄まじく、崖記号にはなっていないが崖同様の険しさが表現されている場所だ。
そこを軌道がどうやって潜り抜けるものかと、危ぶんでいたが、隧道を用いていたことが判明した。
助かる! これ1本で難所を越せるかは分からないが、貫通している隧道の出現は、本当に助かる!!!
しかし足元注意!!!
好事魔多し!
現われた隧道へ、ふらふらっと無警戒で近づこうものなら、レール(矢印の位置に見える)と一緒にあっという間のサヨウナラ。
アブナイアブナイ。
ここは山側の斜面に細い踏みわけ(ケモノ道だろうが)があるので、それを使って慎重に接近する。
あともう少し!
いやはや、それにしても見事な垂壁。
文句なく隧道必至の地形であり、もし貫通していなかったら詰んでいたっぽい…。
抜けた先の状況次第では、まだまだ安心は出来ないが……。
6:46
なんかある…。
隧道内に、何か明らかに人間の痕跡というか、遺物というか……
ネタにならないんでカンベンしてほしいが、マジで入ってないよな、人体……。
本当なら、内部にレールが敷かれていることにウオーッ!ってなれたはずの瞬間が、予期せぬ人為物によって凍ってしまった。
大丈夫っぽい。 人体入ってない。
洞内で真っ先にそれを確認して、ようやく平常心。
とはいえ、気になるのはこれを残していった何者かの安否である。
昔の寝袋とかタープとかそういう感じの登山道具だと思うんだが、見ての通り、放棄されてから相当時間が経っていそう。
雨風が凌げる隧道内で夜明かしをした痕だろうが、たき火の名残がなく、もっと緊急避難的なビバークっぽい印象である。
私には他人事とは思えない遺物だ。(昨日、もし引き返さないで突入していたらここで……)
なお、そういう情報は得ていないが、かつてこの軌道跡が登山道として利用された時期があったと仮定して、登山者が置いていった物だと考えるのが妥当だろうか。
あるいは案外トワイラ〜より以前にも軌道跡の探索を試みた強者がいたのかもしれない。
だとすると心強くはあるが…………いや、あまり心強くもないな。安否が分からんし……。
いずれにせよ、シュラフやタープのようなものを通常は放棄しないだろうから、どういう状況だったのか気になるのである。
まあ、これ以上考えても分かりようがないので、これについてはここまで。
改めて入口に戻って、隧道を探索開始。
断面のサイズ感は昨日出会った隧道たちと同様で、一般的な林鉄のそれよりも遙かに狭い。
普通に立っているだけで天井が近く、圧迫感を憶えるのである。
隧道が現われる度に同じことを書いている気がするが、こんな狭い隧道の輸送力はたかが知れている。この時点で、「既に失敗している」と言っても過言ではない気さえする。それほど狭い。
ただし、これまでの隧道とは大きく異なる点として、レールが敷かれたままになっているのである!
林鉄隧道は数あれども、洞内にレールを戴いているものは本当に限られた数しかないので貴重である。
しかも、地形条件極めて劣悪のうえ廃止からの時間も超絶長いという悪条件から、レールの撤去がされていないにも関わらず、路盤に敷かれているレールをあまり多くは見ることが出来ない本軌道跡において、さすがに隧道内は環境が穏やからしく、左右両方のレールが軌間76cmを保ったまま綺麗に敷かれていて、感激!!
これを見られただけでも来た甲斐があったと思えた。
しかし、レールの敷かれている状況は平穏だが、レールそのものの風化した具合は、なぜか屋外のそれよりも遙かに悪い。
レールの錆びが限界まで進行して、グズグズの繊維状になりつつあった。最末期である。
普通に考えると、雨風に晒される屋外の方が錆が進みそうだが、そうなっていないのはなぜなんだろう。洞内の土に原因があるのか。
洞内から振り返る、来た道。すなわち終点方向。
後で戻らなければならない道であり、全く済んだものではない。
一度通っているのに、全く治められたという感じがしない。何度でも殺される感じがする。
6:49
長さはほんの20mくらいしかないので、進み始めたらあっという間に出口へ。
巨大な枯木が倒立して坑口に大胆な柵をしていた。
かつて、野呂川奥地の莫大な天然林は、運び出す術がないことから、千古不伐、倒れたまま朽ちているといわれていた。
それを人類の役に立てるために最初に切り拓かれたのがこの軌道だったが、結局役に立つことが出来ず、さらに後の南アルプス林道によって開発の目的は果たされたが、今となってはこの辺りの天然林が伐採の対象になることは、採算も景観保全の面からも、絶対になさそうである。
したがって、再び天然林は倒れたまま朽ち続けている。
なんて情感たっぷりなことを考えていた私の頭は一瞬遅れた。
みんなは気付いた?
見えている。
すぐに2本目ある〜〜!!
やっべぇやべえよ! 隧道祭りだぁ〜〜!!
2日歩いて、やっとご褒美タイムが来たんか〜〜。