廃線レポート 千頭森林鉄道 奥地攻略作戦 第11回

公開日 2017.08.04
探索日 2010.05.05
所在地 静岡県川根本町

大根沢という土地に対する個人的な想い


7:51
小根沢を過ぎ本流沿いに入ってから、ずっと開いたままだった路盤と谷底の間の比高が、ようやく小根沢以前までの水準に戻ったようだ。
この変化は私にとって紛れもなく好展開である。
路盤と谷底が近ければ、万が一路盤が進めない状況になった場合にも、谷底へ迂回する選択肢を採りやすいし、滑落によって命を奪われるリスクも軽減する。
精神的な圧迫感もようやく少し軽減した(それでも並大抵の探索時の数倍は緊張しっぱなしだったと思うが)。

もっとも、路盤が谷底に近づくのは良い結果ばかりは生まない。路盤がより川の浸食の影響を受けることになる。
相変わらず路盤の状況は劣悪で、100mと何事もなく平穏に進み続けられた場面はない。次々とこの写真のような崩壊地が現れるのだった。

チェンジ後の画像は、この崩壊地を高巻きしている最中に撮影した。
奥の矢印の位置に、これまでの続きとなる路盤がある。もういい加減に慣れてしまっているが、これも楽な高巻きではなかった。



7:58
一つ難所を越えても、またすぐに同じような難所が行く手に現れる。
ひたすらにこの繰り返しだ。
それでも随所に過去を偲ぶよすががあった。

写真の場面には、撤去された枕木が井桁状に山積みとなっていた。
枕木もレールも敷かれたままに残っていないのは、廃止後に正しく撤去が行われたからである。
今はこんなに荒れ果てていても、廃止直後には撤去した大量の重いレールを、ちゃんと運び出せたことになる。
おそらくその足を担ったのは、いわゆる“撤去列車”と称される、真の意味での最終列車だ。
それまでは毎日木材を満載していた貨物車に、保線員が路盤から引き剥がしたレールを1本1本積み込みながら、徐々に下山していくのである。

そんな鉄道としての最後の使命を全うする車両や保線員たちの姿を想像するだけで、私は胸が熱くなる。だがそんなムネアツの光景から40年も経つと、ここまで路盤は自然に還ってしまうのだ。



8:00
ここもなかなか嫌な感じの崩れ方だ。

これは私がよく言うことだが(このレポートのこれまでのどこかでも既に書いている気がする…苦笑)、ひとえに崩れているといっても、“埋もれ”と“欠け”があり、後者の方が遙かに怖い。
ここは完全に“欠け”であり、地山である固い岩盤が地表に露出するところまで崩れ方が進んでいた。
つるつるの一枚岩に落ち葉や小石がさらっと積もった急斜面を正面突破するか、いったん川まで下りてこの先のどこかで路盤に復帰することを狙うか、高巻きは不可能なので二択である。

悩んだが、ここは結局正面突破をチョイスした。




8:04
どうどうと響きを上げる眼下の激流に、青々とした葉を付けたままのモミの木が、丸ごと洗われていた。
墜落したのは数日以内の出来事だろう。
まるで洪水でもあったかのような風景だが、これも千頭にとっては日常なのだ。
たまたまこれを撮影しただけで、いくらでもこんな場所は目にしてきた。

特に理由のない暴力が、この地にある生あるものを、いつでも襲う。
何も人工物や人間だけが自然の目の敵にされているわけではない。
それはあまりに当然のことだが、人間 vs 自然というスキームが心根に染みついているために、簡単にこの被害妄想的思考から離れることはできない。
少なくとも私をいま苦労させている原因が、路盤を痛めつけた自然にあることだけは疑いがないのだし。



8:06〜8:11
前方に広い場所が見えてきた! 複線部か!
もしやこれは、大根沢に到達したかも?!
だとしても不思議ではないくらいは進んでいると思う。
GPSを持っていなかったので、現在地を即座に特定できないことがもどかしい。

そんな広場と一緒に現れたのが、トタン張りの簡素な小屋だった。
宿舎というほど大きなものではない。
手前と奥に二軒あるが、奥のものは既にぺしゃんこで、手前のも谷へ落ちそうに傾いている。
壁面に大きな凹みも出来ていて、どうやら落石にやられたらしい。




この倒れかけの小屋の中には、丸太の腰掛けや掛け棚があり、ちょっとした休憩小屋だったようだ。
だが、屋根にも大きな穴が空いているなど、惨憺たる状況であった。
落ち葉だけでなく瓦礫までもが大量に入り込み、床をただの地面にしてしまっていた。

考えるに、もしも昨日小根沢で前進を止めず進んでいたら、日が落ちるギリギリの時間にこの小屋に辿り着いた可能性が高い。
だが、ここで一晩を明かすというのは、正直ぞっとしない。
テントがあるならば外で寝た方がマシなレベルだが、今回はそれもないので地面に寝袋を転がして寝ただろうか。 …やっぱりぞっとしない!
いくらかでも明るさが残っていたならば、多分ここでの一泊はしないで、さらに先へ進んだだろうと思う。



8:12

チクショウ!

どうやらまだ大根沢には到達してねぇッ!

ちゃちな小屋と広場によって、私の純情がもてあそばれた気分だ。
少し気を許した5分間の休憩のあと、期待を胸に歩き出してみれば、即座にこの風景に出迎えられた。
さすがに今のが奥地開発の拠点とされていた大根沢停車場とは思えないので、まだそれは先なのだろう。

今日は探索2日目にして、前進できる最終日。昨日以上に時間に限りがある中で、なかなか現れない大根沢につい苛立ってしまう私がいた。





だが結論から言うと、このときに私が想像していた現在地は、


実際のそれからさほど離れていなかった。


つまり、大根沢はもう目前だった。


そのことを私が知ったのは、寸又川に合流してくる大きな支流が前方に見えたからだ。
あのような水量豊富な支流は、この場面においては大根沢より他にないだろう。
これで大根沢出合への接近を確信したのであった!



間もなく到着する大根沢について、到着前に少しだけ意気込みを語らせて欲しい。
この大根沢というのは、当時の私にとって千頭林鉄の中で最も既知と未知のギャップが大きな存在だった。
そこが林鉄時代の千頭国有林における奥地開発拠点であったことや、昭和14年時点では終点であったことなど、
事前の資料調査では何度もその名を目にしていた。だがその一方、林鉄のない現在では、そこはあまりに人里から遠く、
現状についての情報は皆無であった。ゆえに私は実景を知らないままでその名を目にするたび、
胸の中に小さな敗北感を蓄積させていたのである。皆さんにも経験はないだろうか。
行きたいのに行けない土地の名を口にするのは苦痛でないか。

私の場合、遂にそれを一つ克服する時がきた。


そして大根沢の直前にもう一つ、まるで到達者へのご褒美のように予想外の発見が待ち受けていた。

それは、探索当時においては無論、これを執筆している2017年現在においても、

ここ以外の林鉄跡では一度も目にしていない“構造物”だ。

↓↓↓


…あれは?





(千頭ヨリ)33.6km 大根沢分岐点に初到達!


8:18 《現在地》

落石覆い(ロックシェッド)!!!


林鉄探索者なら、分かって貰えると思う。

林鉄跡でロックシェッドを見つけたことに対する、私の驚きを。



とんでもないものを発見したと直感して、全身に震えが走った。

これは、紛れもなく落石覆い(ロックシェッド)である。
ロックシェッドは道路や鉄道でしばしば目にするが、こと森林鉄道では今まで一度も見たことがなかったし、かつて存在したという写真や情報に触れたことも寡聞にしてなかった。
強いていえば、青森県の小泊海岸森林鉄道で金属ネット製のものを見たことがあったが、あれはどちらかというと落石防止ネットに近く、道路や鉄道で目にするものと同じようなコンクリート製のロックシェッドは、林鉄ではじめて目にした。

…これまでどこを探索しても見なかったので、私の中では既に、「林鉄にはロックシェッドはない」ということが常識化していたのだが、いま覆された。
千頭森林鉄道の遙かな奥地、私がはじめて足を踏み込んだ大根沢に、それは存在していた。

そもそも、ロックシェッドやスノーシェッドといった防護施設は、橋やトンネルといった土木構造物とは異なるカテゴリに属する存在だ。
後者は道そのものといえるが、前者はあくまでも道や通行人を守るためのものであり、最低限度ということから見れば、言葉は悪いが一種の贅沢品だ。
そして森林鉄道は通常の道路や鉄道のように、半永久的に使う目的で敷設されるのではなく、伐採が終われば休眠したり廃止されたりといったケースが多い。
だからこそ、こうした“贅沢品”を施工することはないのだと解釈していたが、その考えが絶対ではなかったことがいま証明された。

千頭林鉄探索におけるこれまでの行程にも、本当にたくさんの「林鉄ではじめて見た!」があったが、ロックシェッドもこれに加わった!



ただしこの貴重なロックシェッドは、「現存していた!」と言って良いか微妙なくらいには、大破していた。

本来は30m程度の長さがあったようだが、門の形を保てているのは両側の坑口部分だけで、全長の大半(25mくらい)は既に圧壊していたのである。

屋根がなくなってしまった部分には、垂直な法面の上から大量の水が垂れており、快晴時でこれなら、雨天時には滝になっていることが容易く想像できた。
ロックシェッドは、落石混じりのこの水垂れから路盤を守るためにあったのだろうが、もう完全にやられてしまっている。
残っている部分も、あとどれくらい自立していられるのかは、非常に心許ない。これは日本最後の林鉄用ロックシェッド遺構かも知れないのに!



まるで夕立に降られているかのような、ロックシェッド中央部。

顔面に水しぶきを浴びながら上を向いてみると、そこは特に沢のような地形にも見えないのに、ちょっとした滝になっていた。
ようは路盤がそのまま滝壺になっているのだ。
こんなあまり見ない地形を通過するために、あまり見ない構造物が作られたのだと、妙に納得してしまった。




ロックシェッドの出口付近。

破壊された天井から露出した大量の鉄筋が、鉄格子のように進路を塞ぎ、物々しい感じになっている。
もちろん使われている鉄筋は、表面がツルツルの丸形鉄筋だった。今日使われている異形鉄筋ではない。
また、支柱部分には鉄筋よりも強い鉄骨として、廃レールが使われていた。
いかにも林鉄用の構造物である。

そして出口の向こうに、赤いものが見える!

きっとあれは――




8:21 《現在地》

やっと到着〜!
これが大根沢分岐に間違いない!!!

ここまで本当に遠かった!
千頭林鉄の路線図上の数字でいえば、ここまで千頭起点から33.6kmである。そして今回の探索で軌道跡を進んだ距離でいえば、大樽沢の手前からここまで約7km。うち初探索区間は大樽沢鉄橋から約6kmである。途中で一泊をしながら、ようやくこれだけの未知を手中に出来た!

なお、今朝の出発地である小根沢からは1.7kmということになっているが、その倍は歩いた気がする(路盤が崩れまくっているので、実際に1.5倍は歩いているはず)。
所要時間は2時間半だ。これでも結構いいペースだったと思うぞ…。

正直、もう二度とこの区間を歩きたいとは思わない。
迂回できない状況での緊張感が半端なかったし、何よりワンミスで命を奪われそうな場面が多すぎた…。
一度の人生で二度以上挑みたいとは思えない、リスキーすぎる廃道だった。

でもここに来て、後ろに貴重なロックシェッド、前に立派な鉄橋という、このような垂涎のシチュエーションに“接待”されてしまっては……、大抵の苦労は報われてしまう!
なんとオブローダーとは単純なんだろうと思っても、こればかりは仕方がない。

ああ、なんて素晴らしい分岐!


(←)
探索時にも携帯していた路線図には、大根沢周辺がこのように描かれている。

「小根沢」から1.7kmの地点に、まず「大根沢分岐点」がある。
実際の距離と比較しても、ここが現在地だと思う。
そしてそこから300m先に「大根沢複線」という場所があって、路線図ではそこで「栃沢」へ通じる残り2.1kmの本線と、「大根沢事業所」へ行く300mの「車道」が分かれるように描かれている。

この路線図は実際に千頭営林署が使用していたものなので、ある時期(書かれている内容から推測して昭和30年頃)における状況を正しく表現しているとは思うが、廃止前の最終的な状況とは異なっている可能性もある。
そのことも考慮しながら、ここから先の探索を進めていきたい。

とりあえず、この分岐を左折すれば本線の終点方向へ進み、右折すれば大根沢停車場(事業所)へ行くのは間違いないだろう。
であれば、先に選ぶのは当然「右」だ。

憧れの大根沢の地を、私は早く見たい!!

けど、さっきから橋の前を通せんぼしているこの看板(→)が目に付いて、スルーできない!(笑)

……なになに………?

入山者の皆様へ
 林道工事のため、今迄使用していた柴沢登山道は使用できなくなりましたので、寸又左岸林道〜信濃俣〜光岳コースの新登山道を使用して下さい
    千 頭 営 林 署 

「入山者の皆様へ」という物腰の柔らかな書き出しに騙されそうになるが、書いてある内容は相当にガチである。
ガチの登山者を相手にしている。


ようは、こう書いているのだ。

「大根沢から柴沢まで森林鉄道の廃線敷を利用し、そこから光岳(2591m)に登る柴沢登山道がこれまで使われていたが、このたび左岸林道の工事のために、この柴沢登山道は通れなくなった。
だからこれからは、左岸林道および信濃俣を経由して光岳へ登る新登山道を利用してくれ。(なお、この文章の説明の意味が分からん奴は帰れ。案内図なんて甘やかしはしない。) 千頭営林署より」

……これはどっちの登山道を選んでも大差ないというような小さな差ではない。おそらく1日分の行程がまるまる変わるくらいの違いはある。そんなことを看板1枚で突然表明されても登山者も大変だと思うが……、まあ千頭だからね、ハードモードだもんな。

ともかく、私がいままで歩いてきた長い長い軌道敷が、林鉄の廃止から左岸林道整備までのある時期、光岳へ登山道として千頭営林署の公認を受けていたことが確かめられた。
林鉄そのものの遺構ではないが、その廃止後の利用実態を示す遺物として、この看板も貴重なものだろう。

また、ここにこの看板が立っているということは、この先の軌道跡はこれまでの軌道跡よりも先に登山道としての役目を終えた(=廃道化?)ということかもしれない。
だとすると、これまでの区間以上に廃道状態で放置されている期間が長いことが伺われ………嫌な予感がするなぁ……。
もう今さら言っても、始まらないけどな!




8:27
分岐を右折し、大根沢事業所への道へ入った。
左に沿う谷も寸又川ではなく、支流の大根沢に変わった。

ここにもかつてはレールが敷かれていて、千頭林鉄としては大間川支線、逆河内支線に次ぐ第三の支線、大根沢支線と呼ばれていた。
たった300mに過ぎない支線だが、栃沢へ向かう本線よりも遙かに利用度は高く、実質的には本線的な扱いを受けていたようである。

確かに路肩のコンクリート擁壁は堅牢で、今までと同じくらいはしっかりした路盤に見えた(それでも不安なんだけどな…)。


ん? なんかまた標識板があるぞ。

素掘の法面に裏返しで引っかけられていた。(我ながらよく気付いた)

未知の発見の予感に心躍らせながら、表面に返してみると――!




くっそ!www

赤ら顔の天狗が高笑いしてやがった!!

なんでも、「ベテランコース 初心者入山禁止」らしい!

「山のベテラン→修験者(山伏)→天狗」といった連想から来ているのだと思うが、まさに修行のようなこの場所で、
突然に下町の飲み屋看板みたいな赤ら顔を見せられた衝(笑)撃は、疲れた私の脳には相当に麻薬的だった。

分岐地点にあった立て看板からも分かるとおり、今歩いている道はかつて光岳への登山道だった。
そんな時代に登山者へ向けて掲示されていた標識(?)だと思うが、もちろんはじめて目にするものだ。
この辺りの山のベテラン登山者ならば、他の山でも目にしていたりするのだろうか? 気になるところだ。

しかし、かつては今ほど軌道跡も荒れていなかったのだろうが、それにしても
こんな奥地まで来てなお「初心者」を疑われるというのは、昔の登山者がいかに健脚だったとしても、驚かされる。
現代でも光岳は初心者入山困難な“遠い山”に違いはないが、初心者でこんな大根沢まで来る人はいないだろう。
私だって、今さら「初心者入山禁止」なんて言われたって困るよ!(笑)





栃沢(軌道終点)まで あと.4km

柴沢(牛馬道終点)まで あと10.8km