2019/6/9 14:26 《現在地》
お膳立てのある成果。
しかし、この巡り合わせも私の力のうち。
今日の仕事場はここだ。
私の本領、発揮せねばなるまい。
本来の坑口の位置は、完全に土砂の山の中だ。
崩れ崩れた末、現在ある開口部は、本来の坑口よりも高い位置に遷移していた。
粘土と腐葉土を混ぜたような湿った土山をよじ登り、高い開口部へと向かう。
降り注ぎ続ける蝉の声が五月蠅い。そして、風のない谷地は蒸し暑かった。
ひやッ……
……冷気が漏れてきている。
風は感じられないが、ひんやりとした空気が、土斜面の奥に開く大きな開口部から溢れていた。
土斜面の頂上を超えて少しずつ溢れた冷気が、目には見えないが、そこを静かに流れ落ちていた。現にその効力が、土の山を貧弱な植生のままにしているのだと信じられた。坑口前には夏がこない。だから繁茂しないのだろうと。
冷気に目を見開きながら、今度はそこへ首を挿し込む。
うぐっ!
満ちているッ!
遺物… 遺構… 遺骸…
オブローダーならば愛してあげるべき、廃隧道の“遺骨”が……、密だ!
この段階で小心が疼いたが、頑張りどころだ。
この、足の踏み場もない、身の置き場もないといったような坑内の状況は、遺構の現存度という意味では、喜ぶべきことなんだろう。
こんなに木製の支保工がたくさん残っているのは、結構レアだからな。支保工の話は以前にここでまとめている。
この3号隧道は、前回の冒頭でも述べたとおり、昭和18(1943)年という早い時期に森林鉄道としての役目を終えたとされている。
この隧道を頂点とする、小又〜大池の峠越え区間が廃止されたことで、長大だった安良城林道(真室川林鉄)は、西側の大沢川林道(林鉄)と東側の安良城林道(林鉄)に二分され、それらはさらに20年ほど活躍を続けることになった。
しかし、この大量の支保工の保存状態を見る限り、昭和18年以降も、隧道は「牛馬道」として引続き使われていたのではないかと思う。
ここでいう牛馬道とは、林道規程で定められた林道種別の話で、必ずしも牛や馬が通行していた道というわけではない。林道規程上の牛馬道とは、歩道よりは上等だが、車道や軌道ほど高規格でない林道を指すものだった。林道規程や林道種別については、こちらに以前まとめている。
…それはともかく、こいつは不快な隧道だぞ……。
ひんやりしているのは好みだが、匂いが良くない。腐った木の発散する、甘みを含んだカビの匂いがなんとも強烈。いやな気持ちにならざるを得ない。
私から先に突入した。
本来の隧道の天井よりも高い位置から、5mも瓦礫の斜面を滑り降りたところが、本来の洞床だ。
落盤によって生じた開口部から、瓦礫に埋没しかかっている支保工の隙間を通って、洞床へ下りた。
突入の衝撃によって、バラバラと大量の瓦礫が滑り落ちた。洞内の静寂が久々に破られる。
14:30 (突入から1分後)
私が洞内へ降り立った地面…、これは洞床ではない……。
落盤が多すぎて、本来の洞床は全体的に埋没してしまっていた。
大量の支保工が倒れず残っていたが、そんなものはお構いなしに、ボロボロと小分けに天井と壁が崩れていた。
これが支保工による隧道保護の限界だと言わんばかり。
いやそもそも、木製支保工の寿命なんてたかが知れている。木橋が長持ちしないのと同じ。
隧道を落盤から守る効果は、はっきり言って微力であるのに、朽ちた後にはこんなにも、場を濁す。
……嫌らしい構造物だ。
ほんとうに、この朽ち木の隙間を縫って行くのは好きじゃない。好きな人なんているのか?
14:31 (突入2分後)
支保工を完全に押しつぶす、やや大きな落盤ホールの向こう側――
出たっ!!
“真室川名物” 隧道内坑門!
皆様お忘れかも知れないが、真室川林鉄の主だった隧道はぜんぶこれだ。
16年前に突入した1号隧道と2号隧道共に、東口は素掘りだったが、内部へ20mも入ると、これ(→)と同じようにコンクリートの坑門があって、そこから先は覆工されたコンクリート隧道になっていた(西口はどちらの隧道も埋没していて現存しない)。
このことは、他の林鉄隧道ではあまり見られない大きな特徴だったが、16年前に突入したこの3号隧道の東口だけは、入口は同じく素掘りだったが、内部へ10mばかり入ったところで落盤閉塞していたため、それ以上奥を確かめる術がなく、1号、2号隧道と共通する特徴があるのか不明だった。
が、今回初めて西口を確認し、内部へより深く突入したおかげで、1号、2号隧道と同じく、隧道内坑口が存在すること、言い換えれば、内部のみ覆工されていることが、判明した!
……なんでなんだ?
これ、割と本当に謎なんだよな。
トンネル工学の常識として、洞奥付近よりも坑口付近が崩れやすいというものがある。
地表に近い部分の地中は、気象の影響、土砂崩れや侵食作用、地形による偏圧など、深い地中よりも隧道の崩壊へ結びつく外的要因が多く、優先して覆工されるのが常だ。
もちろん、洞奥に破砕帯のような脆弱な地質があるなら、そちらの保護を優先することも考えられるが、真室川林鉄の3本の峠越え隧道の現存する4つの坑口が全て素掘りでありながら、全ての隧道の内部がコンクリートで覆工されているというのは、明らかにそういう設計思想があったのだと考えたい。偶然じゃないだろう?
なんでなんだろうな……。
秋田営林局という大きな組織の中の真室川営林署だけにあった、なにか特別な設計思想…?
というか、3本の隧道はほぼ同じ時期に建設されたはずだから、その時だけの思想だった可能性もあるが…、とにかく地表に坑門を出さないことの徹底ぶりは、何が原因だったのか不思議だ。
おかげで、どの隧道も坑口付近がウィークポイントになっていて、既に埋没していたり、埋没しかかっていたりするじゃないか……。
“日本林鉄7不思議”に加えたい――真室川林鉄の“隧道内坑門”――。
うぐぅ……
隧道内坑門の奥は―― 水没!
しかも、いきなり深そうに見える……。
14:32 (突入3分後)
整然、 だ が 、 水没が長い!
動きの全くない水面が、光の届く限り、まっすぐ、
どこまでも…………青黒く、続いていた。
しかも、足元の“岸辺”は狭く切り立っていて、黙考に適する状況にない。
今いる“隧道内坑門”を潜るならば、そのまま即座に、水に入るよりない。
いきなりジャポンと、……たぶん、水深は腰まで来るだろう。
覚悟を、
見せる
か。
お利口さんか。
お馬鹿さんです。
だって知りたいもんな。 この奥の結末を!
というわけで、もはや当サイトでは“引き”にこの選択を使うことが、
もはやネタっぽく思われてしまっている感じさえする平常運転ぶりだが、
水没領域へと突入。 その第一声は、「寒いよー」であった。
寒いというか、正しくは「冷たい」と言うべきだったんだろうが……、
とにかく、行為に慣れた私でも驚くほどの水の冷たさで、たぶん、体感8〜9℃くらい。
いきなり太腿まで浸かったが、さすがに胸までとかは勘弁して欲しい冷たさだ。
すぐに震えが全身に走ったもの。こんな冷たい水を大量に蓄えている隧道だから、
道理で坑口の冷気が特別にひんやり感じられたワケだ。昨冬の雪解け水だろこれは…。
夏にモニタの前で見る分には、この写真なんて、気持ちよさそうに見えるかも知れないが…。
14:34 (突入5分後)
寒いよー!
私が足を踏み入れるまで水は恐ろしく透き通っていて、ライトの光が洞床の様子を鮮明に映し出した。
そこには案の定、枕木やレールはなかった(軌道としての廃止は早く、後年は歩行によってのみ使われていたのだろうから)。
あるものといえば、支保工の残骸らしき木の柱が数本で、あとは柔らかな白い泥が浅く堆積しているのみだった。
しかしこの泥がくせ者で、私が足を踏み入れると同時に爆発のように周りへ広がり、あっという間に水を濁らせていった。
おかげで、帰り道では水中にある見えない廃材に難度も躓いて、嫌な思いをした。そうなるリスクが分かるだけに、行きから既に憂鬱であったが……。
振り返る、西口。
既にほとんど外の光は見えなくなっている。
素掘りの部分が20m、それから覆工のある水没部分を15mほど進んだのが、現在地だ。
対して隧道の全長は180m。
かつて東口から突入して到達した閉塞地点は、東口から10mほどの至近であった。
となると、西口から到達しうる最長は170m弱といったところか。
この水没した隧道を、どこまで行けるか?
願うのは、水が深くならないことだった。
突入の時点で太腿の深さが有った。ここから深くなるのは、キツイ。
この先が隧道が下り坂になっていて、深まる水深に行く手を阻まれることが、何よりも恐ろしかった。
14:36 (突入7分後)
隧道の女神は、私に微笑んだ。
水は進むほど浅くなっていた。勾配は非常に緩やかで、ゆっくりとした変化であったが…。
入口から100mを越えても勾配に逆転はなく、その証拠に水深は浅くなり続けた。
すなわち、峠の隧道としては珍しいが、西から東へ登り一方の片勾配であるらしい。
また、入った直後はあれほど大荒れだった洞内が、コンクリートの覆工を得てからは、
崩壊を見せることなく、もはや誰に使われることもない水没した隧道を守り続けていた。
さすがにコンクリートの表面はボロボロで、ひどく劣化は進んでいたが…。
……それにしても、
ほんっとうに、寒い!
隧道の女神の遺髪っぽい“例のアレ”が、ここの水中にもあった。
各地の水没隧道で見るアレだ。ヒジキみたいな謎のアレ。
前から正体を探っているが、未だに分からない。
一応私の中では、植物の根の残骸説と菌類説が拮抗していたのだが、最近は後者をより疑っている。採取してどこかの研究施設へ送ったら調べて貰えるだろうか。
怪しいヒジキを水中で押し分けながら、寒い寒い水中行進が続いた。
なお、HAMAMI氏は最初この水へ入ることを躊躇い、私もどうせ閉塞しているのだからと、戻ってくるまで陸で待っていて貰おうと思ったのだが、なぜか私が水に入ってすぐに追いかけてきてくれた。なんだかんだと付き合いが良すぎる。ありがたい。彼の下半身の濡れ方が、ここまでの最大水位を物語っているな。
14:38 (突入9分後)
あっ!
そろそろ来るんじゃないかと思っていたが、…来たな。
もう少しで陸が出て来そうな水深に近づいてきていたのだが――
完全閉塞
いやーな壊れ方してるなこれ。
閉塞している落盤の10mくらい手前から、両側の側壁が大きく孕んでいて、キモチワルスギル。
いかにも、外側からの圧力にコンクリートの内壁が耐えられずに圧壊したっていう雰囲気を出している。
というわけで、潔いくらいのキッパリした終わりには個人的に満足だ。
あとは、この閉塞壁が、16年前に遭遇した【東口内部の閉塞壁】と同じものかが気になるところだが、もし同じものだとすると、この落盤地点は“真室川名物”の洞内坑門を巻き込んでいるということになる。
今回、西口からこの閉塞地点まで約9分を要しており、途中で立ち止まっていた時間を抜くと6〜7分は前進していたはず。
体感的にも西口から150mくらいは進んだ感じがするので、高確率でここが東口から辿り着いた閉塞壁の裏側だと思う。
ただ、閉塞壁は結構ぶ厚いのだろう。10mとかあっても不思議ではない。
また、16年も経った現時点で、東口が開口し続けているかは不明であり、酒井氏からも現存の報告は受けていない。
とにかく、これでこの3号隧道という1本の棄てられた隧道の辿りうる全区間を歩いたはずだ。
真室川林鉄のうち、大池以東の区間には支線のものを含めて4本の隧道が確認されているが、1本も貫通状態で残っていないのは、総じてこの地域の地質が良くなかったのだと思う。
それと…、しつこいようだが…、洞内坑門は良くなかったんじゃないかな…。
足が冷えすぎて痺れてきたんで、撤収!
14:47 (突入18分後) 《現在地》
無事、地上へ生還!
この後我々は単純に来た道を戻って、この短い探索を終えた。
自分でもやり残しているとは思っていなかった宿題が回収できて、大満足だ。
2022(令和4)年7月30日〜9月4日の期間中、真室川町立歴史民俗資料館にて、企画展「真室川森林鉄道の歴史とあゆみ展」が開催されます。
主催者からご連絡をいただきまして、私が撮影した写真も提供しています。詳しくはポスターをご覧下さい。私も見にいく予定です。林鉄ファンの皆様は、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょう。
近くにある梅里苑では、開催期間中の土日祝日の各日3回、ほんものの林鉄ガソリンカー牽引列車の乗車体験が可能です(平日は団体予約のみ)。こちらの体験もオススメします。 乗るとたぶんお尻は痛くなるんで、そこは覚悟してね!
完結。